Fate/Deep Engage   作:ゴマ助@中村 繚

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19_スマホを見ただけなのに

 何だったんだアレは?

 と、涼乃が疑問を感じても、「アレはしおどんだよ」という回答しか誰も答えられない。

 ちょっとした用事で市役所へ行った帰り、第二駐車場でマルシェをやっていると聞いたのでちょっと覗きに行ってみた。すると、体調を崩した外国人観光客?と、どうしてかエプロンを着けていた心護とアリアに遭遇した。遭遇して、元医療従事者として身体が動いてしまったと思ったら、元気にバルンバルン跳ねて暴れるおじさんがいた。

 涼乃はあんな近距離でしおどんを見たのは初めてだった。イラストや写真や、父からの話でしか存在を認識していなかったしおどんは、涼乃が想像していた以上に暴れていた……霊体化していたバーサーカーが思わず出現しそうになるほどの暴れっぷりだった。

 なんか、付き添いの職員からしおどんがプリントされたハンドタオルも貰ったし。

 

「……不思議な島か」

 

 ハンドタオルについてきたしおどんのプロフィールに、涼乃は小さく呟いた。

 しおどんは、深潮湾沖にある不思議な島に棲む海の神様という設定らしい。この「不思議な島」というのは、柳洞神社の鳥居から見える駿河湾沖に浮かぶ孤島をモデルにしているのだが、確かに()()()と表現するのは間違いではない。

 リクガメの甲羅にも似た山型の島はただの無人島ではなく、決して足を踏み入れてはならぬ禁足地なのだ。

 遥か昔から言い伝えられる聖なる地。そこに棲むのは神かナニかかははっきりと記録に残ってはいないが、口伝と信仰によって「立ち入ってはならぬ場所」という伝説は綿々と続いている。故に、深潮の漁師たちは海に出れば禁足地には絶対に近づかない。そういう決まりなのだ。

 しかし、一部の例外はあり、柳洞神社の宮司……つまり、柳蔵の許可と同伴を得ている場合に限り近づくことができる。近づくと言っても上陸することはできず、許されているのは船で浅瀬まで近づくまでだった。

 ちなみに、プロフィールを設定するにあたり、柳蔵の許可と監修が入ったことはしおどんが誕生した頃に監修者から聞いていた。町おこしのきっかけになればと、ゆるいマスコットキャラクターに禁足地に棲むナニかになってもらったのだ……今考えると、不敬では?

 

「それにしても」

 

 本当に、今日はしおどんに振り回されっぱなしだ。

 アグレッシブに暴れるしおどんと集まる市民のどさくさで、体調を崩した外国人観光客?はいなくなるし、霊体化していたバーサーカーが警戒して出現しそうにもなった。

 愛しのクリスティーヌが、神様なのか風船なのかよく分からない暴れる着ぐるみと接近してしまったら、庇護欲と独占欲を爆発させて彼女を誘拐してオペラ座の地下へ閉じ込めておくのかもしれない。訳が分からない存在を威嚇し、でも理解が及ばないので困惑しつつ、クリスティーヌへ近づけさせまいと警戒をしているように見えた。

 

「何か、威嚇している猫みたいだったな」

 

 警戒するバーサーカーの姿に、かつて神社に現れていた野良猫を思い出した。

 20年以上前にかつて神社にやってきていた白黒の痩せた猫。近寄るとすぐに逃げ出して、ご飯をあげても威嚇をして倍以上に膨らませた尻尾を立てていた警戒心の強い猫だったが、どうしてか涼乃の母にだけは懐いて大人しく撫でられていた。

 母が事故死してから忙しなく日々が過ぎる中で、いつの間にか来なくなっていた。母も野良猫もいなくなって、母に関わる存在が一斉に消えてしまったかのような感覚になったのを、幼い涼乃はよく覚えている。

 人類史に刻まれた存在相手に、かのオペラ座の怪人を相手にして猫に例えてしまうのは不敬かもしれないが、使い魔としての認識ならば正しいかもしれない。だって、幼い頃に読んだ児童書に登場する魔術師が連れていた使い魔は、肩に乗るほど小さな黒猫だったのだから。

 涼乃の表情に小さな笑みが零れた。

 夕飯を終えて、自室でお風呂が沸くのを待つ時間は非常に穏やかなものだった。しかし、一件の通知が穏やかな時間など簡単にズタズタに切り裂いて、思い出したくはないことを思い出させる……涼乃のスマートフォンが鳴った。

 静かな自室にやけに大きく聞こえたマナーモードのバイブレーションは、メッセージアプリの着信を知らせている。送り主は以前の職場の元同僚、かつて涼乃が勤めていた総合病院の産婦人科の看護師からだった。

 

「なにコレ……イメスタ?」

 

 送られてきたのは、『Image Studio Graph』というSNSのURLだった。華美な写真を音楽や文書と共に投稿してイイネを押す若い女性向けのSNSは、かつて付き合いでアカウントを作成したきり涼乃は利用をしていなかった。

 どうしてか送られてきたイメスタのURLにハテナマークを飛ばしていると、次に流れてきたメッセージに背筋が凍る。誰のアカウントのイメスタか、理解してしまったのだ。

 

『柳蔵はさすがに怒ったほうがいいよ』

 

 涼乃が婚約破棄になった時、職場では最も怒ってくれた同僚だった。

 そして、思い出した。イメスタのアカウントは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()との付き合いで作成していたことを。

 恐る恐るURLをタップしてみると、表示されたアカウントは確かにかつての後輩の物だった。

 最も新しい投稿のサムネイルは、白く淑やかな衣装を着たかつての後輩の写真だ。結婚式の前撮りかと思って投稿を開いてみれば、隠れていた部分が涼乃の目に飛び込んできた。

 白く淑やかで、それでいて腹部を圧迫しないデザインのドレスを着たかつての後輩は、緩やかに膨れ始めた腹部を抱えて弾けんばかりの笑顔で笑っている。結婚式の前撮り写真ではない。これは、マタニティフォトだ。

 そろそろ20週ぐらいだったか。幸せそうに腹部を抱えるその姿は、かつての涼乃もたくさん見てきた妊婦の姿だった……そう、幸せいっぱいだと、大きな声でフォロワーたちに叫んでいたのだ。

 

『結婚まで大きな障害がありましたが、この子を授かったことで勇気をもらえました! 性別は女の子です! ママに似ているといいなぁ』

「…………は」

 

 涼乃の唇から声にならない空気が漏れた。

 ()()()()()とは何のことだ?

 落ち着け。被害妄想のような邪推をしてはいけない。彼の両親が反対したのかもしれないし、彼女の両親だってデキ婚にいい顔をしなかったのかもしれない。

 そんな、まさか……()()()()が障害だったと言うのか。

 少なくとも、元同僚はそう推測した。だから涼乃へ「怒れ」と焚きつけたのだ。

 婚約破棄となった時、涼乃は怒らなかった。怒ることなく、同僚や友人たちに愚痴ることなく、淡々滔々と後始末をして退職の手続きをして、強張った表情の同僚たちに見送られて仕事を辞めたのだ。

 呆れもあった、嫌悪感もあった。怒る資格は十分にあったが、涼乃は我慢して飲み込んでしまった。

 我慢して波風立てなければ、凪いだ海のように穏やかな日々を過ごせるから。

 それに……宿った小さな生命に、怒りの感情をぶつけたくはなかった。

 

「涼乃は、俺がいなくても大丈夫だろう」

 

 婚約破棄となったあの場で元婚約者が言った言葉がリフレインする。

 ああ、そうだ。涼乃はきっと、1人でも大丈夫なんだ。

 1人で暮らして、1人で仕事をして稼いで、伴侶がいなくとも1人で生きていける……でも、1人でも生きていける涼乃がこの人ならこの先も夫婦として一緒に生きていけると思ったからこそ、彼からのプロポーズに了承したのだ。

 涼乃は元婚約者を愛していた。愛してはいたが、()をしていなかった。

 元婚約者に恋をしたかつての後輩はどうなった?現在進行形でイイネが増える、スマートフォンの画面から見える写真の通りである。

 涼乃は衝動的に立ち上がった。捨てられなかった婚約指輪をリングケースから取り出して、その拍子に棚に置いていたガラスケースの小物入れが落ちて、大きな音を立てて割れた。

 

「何をしている、クリスティーヌ」

「……なの」

 

 平穏を願って我慢した。

 呪いを振りまくかのように、勢いに任せて理不尽に不条理に負の感情をぶつけたくなかった。

 しかし、涼乃の感情が理性を上回って溢れて、爆発した。

 

「人を障害扱いしておいて、何であの子は幸せなのよ!! どうして幸せそうに笑っていられるのよ!! 人の恋人に勝手に恋して、それを免罪符にして恥知らずなことをして! 倫理観も何もない馬鹿なことしたら報われているの……何なのよ、本当にっ!!?」

 

 婚約指輪を握りしめた拳が畳の床を殴った。涼乃がずっと我慢してきたモノが、勢いに任せて吐き出される。

 その言葉は、ガラスケースが割れた音を聞きつけて部屋にやって来たバーサーカーへ降りかかった。

 倫理観もなにもなく馬鹿なことをしたのは彼も同じだ。恋をしたクリスティーヌのために歌姫を引きずり下ろし、クリスティーヌを連れ去ってオペラ座の地下迷宮に監禁した。

 狂った行動をとった者が、恋をした相手と添い遂げられなかった結末はバーサーカーの物語が証明しているのに、涼乃という障害がなくなったあの子はハッピーエンドを迎えている。

 恋が愛を凌駕するならば、恋に狂った者は無敵の存在になってしまう。

 涼乃はきっと、同じようにはなれない。清廉で理性的な彼女は、恋に狂うことなんてできやしない。頭の中が恋人でいっぱいになって何も考えられなくなるような馬鹿には、天地がひっくり返ってもなれやしない……だから、障害になって倒されて乗り越えられて、吹っ切れることもできなくてこの指輪を未練がましく手元に置いている。

 恋に狂って馬鹿にならなかった時点で、涼乃の敗北は決定していたのだ。

 

「……恋に馬鹿になれなかった、私が悪いの?」

 

 婚約指輪を握ったままの手が、バーサーカーの肩を叩いた。八つ当たりだ。そこはしっかり理解している。

 理解しているのに、誰かに聞いてもらいたくて仕方がなかった。

 機嫌を損ねて殺される危険だってあるかもしれないのに、無意識に甘えてしまった涼乃の声は、だんだんと勢いをなくして震えていた。

 

「……()()()()

「っ」

「きみが恋に狂えないのなら、私が代わりに狂おう。きみが怒りに身を委ねられないのなら、私がきみの分まで憤怒に身を堕とそう」

「エリック。貴方、喋れている……?」

「私はクリスティーヌへの恋に狂った怪人(バーサーカー)。恋の狂気は我が霊基に刻まれた宿命。きみに似合わない狂気は、私が背負う……だからどうか、美しい声を聞かせておくれ。きみには、涼しく穏やかな声がよく似合う」

 

 バーサーカー:ファントム・オブ・ジ・オペラは、クラス固有の『狂化』のスキルの他に、『精神汚染』のスキルを有している。

『狂化』との相乗効果により、ファントムとの意思疎通はまるで歌劇の台詞のような会話でしか成り立たなかったのに……彼は、歌い奏でることなく流暢に喋って会話をした。愛しのクリスティーヌへではなく、マスターである涼乃へ向けて話しかけたのだ。

 あまりの突然のことに驚いてしまった涼乃はすっかりクールダウンしていた。まさか、『狂化』が解けたのかと困惑していたら、自宅の建物が揺れた。

 地震ではない。ガラスの割れる音に、崩れ壊れる音に、建物が揺れる音がする。ファントムがそっと涼乃を庇い、彼に肩を支えられたままの涼乃は急ぎ自室を出て音の発生源へと急いだ。

 

「社務所の方から? 一体何が……っ!?」

 

 サンダルをひっかけて外に出ると、社務所が崩壊していた。車が真正面から突っ込んできたかのように、お守りとおみくじを並べる窓も、壁も、自宅へと繋がる廊下も崩れて屋根が落ちていたのだ。

 犯人は突っ込んできた車ではない。崩壊した社務所跡地で暴れ回っていたのは、大型犬ほどの大きさの異形の化け物が五匹……どれも、爛れた鱗のような皮膚と、背中や腕の位置から鋭く細い角を持つ魚の姿をした異形だった。

 

「あれは……まさか、杏華さんが言っていた」

「ガァ、グガアァァアア……!」

 

 随分と眠そうにしていた杏華から、海から這い出て来たという異形の魚の存在を聞いたが……まさか、本当に出た。しかも複数。どころか、海の方角から鳥居をくぐって礼儀も何もなしにもっと小ぶりな個体が飛んできて、あっという間に団体様と化したのだ。

 ってか、何で魚に似た姿をしているのに飛んでいるのだろうか。ヒレを翼として広げて滑空するにしても、飛距離がありすぎだろう。

 と、妙な疑問は頭の片隅に寄せておいて、唸りながら数を増やすこれらをどうにかしなければ社務所だけではなく本殿まで破壊されてしまう。

 度重なる場面転換に感情を整える暇もなく、涼乃は目の前に出現した危機に対処しなければならなくなった。

 ファントムの顔に白い仮面が浮かび出る。涼乃の肩から離れた両手からは長い鉤爪が伸びて、飛んできた異形の魚を切り裂いた。青い血が降り注ぐ……確かに、杏華から聞いていた特徴だ。

 

「エリック! そいつらを神社の外に出さないで!」

「承知」

 

 何か目的があるのか、それとも何かに惹かれてやって来たのか。理由は分からないが、今のところ、海から飛び出てきた魚の異形たちは全て柳洞神社へ向かって滑空してきている。神社の敷地内に留まっていてくれているならば、ここで全てを片付ければいい。神社の外に出てご近所の住人に目撃されては困る。

 暗幕が落ちた舞台の上で暗躍するかの如く、暗闇の神社を闊歩する怪人の爪が異形の魚を次々と切り裂いていく。異形の魚の背中に生える、カサゴに似た棘だらけのヒレと鉤爪がかち合って、静寂な深夜に鋭い音が劈いた。

 滑空しながら散らばる小ぶりな怪魚たちは、道具係のジョセフ・ブケーを吊るした縄を投げて引き寄せ、小間切れに切り裂いた。最後に、一か所に追い込められて固まった怪魚を召喚した巨大なシャンデリアで圧死させる。

 涼乃は、暴れる狂戦士をただ見ているだけだった。

 豪華なシャンデリアが光の粒子となって消滅すると、そこに在ったのは異形の死骸と、それらの中心に立つファントムだった。ほっそりとした長身の身体は異形の魚たちの青い血飛沫で汚れ、白い仮面にも青い飛沫が飛んでいる。

 

「エリック!」

「……クリスティーヌ。愛しのクリスティーヌ、我が愛よ! 我が歌、我がいのち!」

「っ、狂化が酷くなっている」

「その顔を、もっとよく見せておくれ。その声を、もっとよく聞かせておくれ……私の名を、呼んでおくれ。きみが愛おしい、きみを奪ってしまいたい。きみを、私の裡にしまい込んで、私のオペラ座でずっと……共に……!」

「ファントム・オブ・ジ・オペラ」

 

 戦闘の高ぶりか、それとも先ほど正気を取り戻した反動か。ファントムの『狂化』と『精神汚染』が深く濃く霊基を侵食しつつある。

 思考を占めるのはクリスティーヌのみ。彼女を手に入れ、彼女の愛を独占し、彼女への恋へ狂う怪人の鉤爪が涼乃の頬へと迫った。

 涼乃がバーサーカーの真名を呼ぶ。

 掲げた右手には三画の令呪。これはマスターの証であるだけではなく、サーヴァントへ対する絶対命令権だ。

 反逆される危険があるサーヴァントを令呪で縛り、呪いの如き強制力を科す三回だけの切り札である。

 バーサーカーのような危険なサーヴァントを縛るため、いざという時のために無駄に消費してはいけない物であるが、涼乃は躊躇しなかった。

 

「令呪をもって命じます。落ち着いて!」

 

 花火に似た弧の一本が、涼乃の右手の甲から消えた。

 涼やかな凛とした声で告げた令呪による命令によってファントムの左目には正気の光が戻り、鉤爪が涼乃に触れないように慎重に離した。

 

「私は、クリスティーヌを傷つけは、しない……絶対に、我が最愛だけは……!」

「ありがとうエリック。助かったわ」

「クリスティーヌ」

「涼乃! エリック!」

 

 鈴の音が鳴り響き、本堂から柳蔵が飛び出して来た。宮司の衣装を着て手には大幣を持っている。

 

「今、結界を張った。こいつらが飛んで来たら、結界に触れて祓われるはずだ」

「お父さん、そんなことできたの?」

「これでも宮司だからな! 大丈夫だったか、2人とも」

「ええ、エリックのお陰で……でも、この化け物たち」

 

 まさか、他にも出現しているのでは?

 神社から離れることになってしまうが、一晩だけならば大丈夫かもしれない。

 

「エリック! 私を連れて行って」

「美しい声のきみよ、いざ共に参らん」

 

 何か嫌な予感がした。

 靴を履き替えることはできたのに、ずっと手にしていた婚約指輪は、咄嗟にポケットに入れたまますっかり忘れていた。




かつての後輩看護師は、涼乃さんが辞めて少ししてから寿退職という名目で辞めている。
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