久々に出たわあんな高熱。
『深潮商店街』は、かつては飲み屋街と対を成す賑わいの中心であった。40年ほど昔の話である。
徒歩圏内には公営団地、西側入り口の正面にはバスターミナル。深潮の住人だけではなく、合併前の岳野村や鷹鉾町の住人たちもバスに乗ってやって来ては生活必需品や食料品、港で上がった海産物を買い求め、休日ともなると現在のレオンモールのように大勢の人々が集まっていた。当時は飲食店もあれば地銀の支店もパチンコ店も、はたまた漁で使用する道具の専門店もあり、ここに来れば全ての用事が済む場所であったのだ。
商店街の主要部分を覆うガラスが嵌め込まれたアーケードはかつての繁栄の象徴。昭和の空気に馴染むオレンジと緑の街灯が照らした景色を多くの老人が懐かしそうに語るが、現在では市の郷土史に写真が載るだけ……時代は進む。昭和は過ぎ去り、平成が息をしている。
バブルが弾けた頃、鷹鉾町の巨大繊維工場が撤退したのと同じ頃に、バスターミナルを運営していたバス会社が倒産した。かつては1日何百人規模の利用者がいたはずのバスターミナルはあっという間に廃墟となり、現在は取り壊されて更地となっている。
公営団地の近所にスーパーのチェーン店が進出した。商店街よりも近い場所にあり、商店街よりも品揃えが良いし店員の接客態度も良い。県内で成長を続けていたチェーン店は、気づけば深潮市内にもう三店舗が出店している。
漁で使用する道具も、商店街の専門店よりも大型ホームセンターの方が安くて質の良い物が手に入るようになった。漁協の近くにできた大型ホームセンターにあっという間に客が流れた。
商店街組合の者たちは、バス会社とスーパーとホームセンターの悪口を言い合った。
全国的に有名な大型施設であるレオンモール出店の話が出ると、組合員の大半が大反対して深潮での出店を阻止した。
商店街内のテナントにコンビニが出店しようとすると、議員を引っ張り出して出店を阻止した。
後継ぎの不在や健康上の理由によって店を畳む者や、『鈴木孝尚漬物店』のように商店街から移転する店が増えてきた。
更にはパチンコ店が閉店し、地銀の支店も建物の老朽化という理由で統廃合されATMすら残されなかった。目に見える衰退を突きつけられたが、商店街組合の者たちはそれを理解できなかった。
やがて、運営組織であった商店街組合が自然消滅して、行政からの組合補助金が打ち切られた。この時点で、商店街の最年少が67歳となり、次の組合長やらその他の役職に就く気力も体力もある者は尽きてしまい組合長という船頭の押し付け合いが始まっていた。
元商店街組合の者たちは、援助をしてくれない行政と商店街を利用しない住民の悪口を言い合った。こっそりやればいいのに思い切り表に出しているため、悪口は深潮全体に蔓延しますます人々は商店街から遠のいた。
そして現状、コレである。
この現状で、商店街には各々の意地のため赤字覚悟で店を存続している者や、県から出る小売店対象の補助金で細々と身内相手に商売をしている者しかいない。自分たちが店を続けていれば、いつか必ずあの頃の栄光が戻ってくる……などと思っている者は皆無であり、日々の生活の苦しさを少しでも緩和するために、あの頃の賑わいの思い出を美化して自分たちを見捨てた者たちへの悪口に花を咲かせるのである。黙っていても客が来て売り上げがあったあの頃は楽だったから、あの頃のままが良かったのだ。
なんか商店街の老害たちは見捨てても良いような気がしてきた。
こんな来歴のため、藍愛がいなかったら心護も誘拐された人たちを救出するという選択肢を思いつきもしなかっただろうし、安否の心配も最小限に留まっていただろう。保育園の子供たちほど心配と配慮の必要はない。全滅していなければ及第点だ。
メンテナンスのための予算すら搾り出すことができなくなって放置されていたアーケードを瓦礫に変えて、錆ついたシャッターばかりの通りをエメラルドグリーンの通りに変えて、キャスター討伐戦の火蓋は切られた。
垂直落下してきた巨大鮫と共に商店街内部へと乱入してきたライダーはキャスターを探す素振りも見せずに和弓を構え、エルウィンへ向かって一矢を射った。エルウィンは逃げる様子もなく、防ぐための魔術を使用する気配もなく、彼の足下に咲いていたベラドンナが巨大化してライダーの一矢を花の中に納めてしまった。それはもう、食虫植物がバクンと獲物を食べるかのようにどう見ても異常な毒花がサーヴァントの攻撃を食べてエルウィンの盾となり、勢いで散ってしまった。
更に間髪入れずに、ライダーの背後から蒼炎を吹き出す一矢が飛んできた。これには毒花ではなく、通りの両側が蠢いた。シャッター街を覆うエメラルドグリーンの鉱物を突き抜けて、内側から大振りな針葉樹が急成長したかのように何本も聳え立つ。
イチイの木に見えるが、成っているのは赤い実ではなく濃く昏い色をしたエメラルド。これもまた、毒花と同じでどう見ても異常な毒を持つ植物だ。鈴生りのエメラルドの実から魔力が迸る。エメラルドに秘められた魔力は緑の光をレーザーの如く網を張り、蒼炎を吹き出す一矢は魔力のレーザーに絡め取られてあっと言う間に細切れにされたのだ。
「イチイをベースにした植物型の魔術礼装か。樹木その物に手を加えたのではなく、この工房に満ちる魔力で成長するタイプかな。そこのベラドンナも、ここに咲くトリカブトも。キャスターの物だろう。君が着手したのは、このエメラルドグリーンの方……鉱物毒を操るグラスフィード家のヒ素グリーンとお見受けする」
「ご名答。毒性の心配はしなくても良いよ。ネタバレが有名すぎて毒性は激しく劣化しているから、1週間引き籠もりとかしない限りは汚染されることはない。オズの魔法使いと同じ、見た目だけの
当然ではあるが、二射目の攻撃はアーチャーのものだ。
商店街の入り口からエルウィンへの正確無比な長距離攻撃は、絡め取られなければ確実に標的に被弾していた。弓兵としての力量は当然であるが、敵に掌握されている工房内で遠距離攻撃を実現させた視力の良さは流石としか言えないだろう……西側の入り口付近にいたはずのアルジュンたちが数歩移動しただけで中心部に到着したように、見た目以上におかしなことになっている商店街で、まともに標的を狙えるのは美事な眼であった。
「あんた、魔術師だな。中東の家系には疎いけど、結構な実力者と見て良いかな」
「ここは
アルジュンに引っ張り出されるかのように、桐月もエルウィンの前に姿を現した。つい先ほどまで、彼の姿を覗き見していたせいか非常に居心地が悪そうな、不意に苦虫でも噛み潰してしまったかのような、一言では言い表せない複雑な表情をしている。
「どうも。この間はお世話になりました」
「……強制的に連行したことは謝ろう。だが、ライダーの触媒を奪ったことを謝りはしない。俺にも、目的があったからな」
「良いよ別に。結果として、僕はキャスターのマスターの方で良かったからさ。それで、他のマスターたちも来ているんだろう? あの妙なアサシンのマスターもいるかな」
「その前に、キャスターの姿が見えないが……」
「あら、いらっしゃいませ」
突如、空間に割り入った淑女の声。
ワインレッドの唇が紡いだ言葉の最後の吐息が途絶える前に、アーチャーは矢を番って言葉を狙って射った。
本来ならば、その矢はしかと標的を捕らえていたはずである。キャスターの姿が、声がした方向ではなくアーチャーとアルジュンの間からするりと出現していなければ。
「っ!?」
「思ったよりも、皆さんゆっくりされていたんですね」
「おや、随分と落ち着いているようだ。私たちが突入してくることも、想定内ということですか」
「ええ、勿論。だって、分かりやすく証拠を残して目立ちましたから。直ぐに構えなくてごめんなさい。ちょっと、色々な方たちの
キャスターと会話をする最中でも、アーチャーは念話でアルジュンへ警告を出していた。なるべく、キャスターから距離を取るようにと……緑のドレスと魔女の三角帽子を被った魔女は、商店街をゆっくりと闊歩してエルウィンの側に立ち、他のマスターとサーヴァントを前にして菫色の双眸を妖艶に細めた。
剣を握ることも弓を引くこともできない細腕の魔女。ライダーが使役する巨大鮫に一口で丸呑みでもされそうな痩身の女性の一挙一動に目が離せないでいる。彼女は工房の主であり、商店街の支配者だ。異様な空間で異常な登場をして闖入者たちを出迎え、エメラルドグリーンのシャッターの陰にいた杏華とランサーの殺気を読んで手招きした。
「カフェでもお会いしていましたね」
「先日ぶりです。随分と不思議な工房ですね……西側から入ったはずのアーチャーが
「本来ならば、私のお客様以外を閉め出す場なので。工房、と言うよりは顧客を集めたサロンなんです」
「じゃあ、誘拐された38名は顧客なんですか? 大切なゲストだから、生け贄にせず大切に囲っているとか」
「ここからは企業秘密」
「……何がしたいんですか? 目的は?」
「世を乱す魔女であることが、反英霊としての私の在り方なの。だから、魔女としてお仕事をしているだけ。この色、素敵でしょう。マスターが用意してくださったとびきりのサロンなんですよ。ほら、毒花がよく映える毒々しいパリス・グリーン」
「……魔女ガ無理矢理、魔術ヲ使エッテ」
「めっちゃ棒読み。しっかりマスターも共犯じゃないですかぁ」
「女の色香に惑わされて骨抜きにされた愚かな小僧、でもないようだな」
「そして、あなた方は世を乱す魔女を討伐するためにやってきた……つまり、この場において皆さんは邪魔者となっております。
キャスターの言葉に頷く者はいない……はずだった。
エメラルドグリーンの鉱物に薄い人影が映った。1人2人ではなく、小さな人影がゆっくりとした動きでキャスターの周りに集まってくるのだ。
人影が色濃くなれば、集まって来た者たちの正体が判明する。70代以上の老人が12人。老爺も老婆も、肌着やエプロン等の部屋着姿で円陣を組むように集まり、棒立ちとなった。その表情はあからさまに異常だった。
青白い顔に半開きの口。目の焦点は商店街内部を覆うエメラルドグリーンに釘付けになってぼんやりと眺めているようにも見えるが、キャスターの言葉を皮切りに跳ねるように顔を上げて口を開けて、12人の老人たちは一斉に罵詈雑言を喚き散らし始めたのだ。
その衰えた肉体のどこからそんな大音量が出るのは実に不気味だった。空気がビリビリと振動しているのは、ただ音量が大きいだけではない。老人たち―――商店街に住み、現在進行形かつ過去形で商店街に店を構えていた元商店街組合の者たちの罵詈雑言の熱量が、濃度が、悪意が、対魔力をも突き抜けて針の如く肌に刺さる。
十二通りの罵詈雑言は、大音量が幾重にも重なり更には滑舌も悪いので全てを正確に聞き取ることは難しい。否、全てを正確に聞き取ってはならない……生々しく年月を重ねた憎悪がダイレクトに届いてしまうから。
しかし、大体の内容は共通している。
助けてくれない行政が悪い。
買い物に来てくれない住人が悪い。
裏切った元組合員が悪い。
後を継いでくれない家族が悪い。
景気を悪くした国が悪い。
etc,etc……それでも共通していたのは、「邪魔者は出て行け」という排除の意志だった。
「これは。呪い……?」
「やられた……! キャスターはこの商店街に蓄積されていた住人たちの負の感情に目をつけて、呪詛へと昇華させたのか」
「ちょっとだけ正解。生温くなあなあでやっていた変わらない日常が、余所者のせいで壊れてしまうのはとても嫌ですからね。という訳で、ここの住人の皆さんの総意ですので、排除されてくれません?」
再び、エメラルドグリーンの鉱物が蠢いた。
次に出て来たのは大振りな針葉樹ではなく、人馬一体のケンタウロスのシルエットに似た人形だった。鉱物を荒く削って鎧を着ているような無骨な姿に見えるそれは、同じく鉱物でできた槍や銃を手にしている。キャスターの使い魔と言ったところであろう。馬の下半身が、鉱物にしては滑らかな動きでアスファルトの地面を蹴った。
「名前は、そうね……どうしましょう?」
「とりあえず『竜騎兵』でいいだろう。やれ」
五体の竜騎兵が向かってきた。振り回す槍で電柱をへし折り、鉱物の弾丸が命中した毒花を散らす。
攻撃してくるのなら迎え撃つしかない。待っていたと言わんばかりに六合大槍を構えたランサーに、和弓ではなく薙刀を手にしたライダー。アーチャーは、空間に満ちた呪詛を警戒して距離を取り、壊れて穴が開いたアーケードの上に着地した。
キャスターが支配する空間で動く彼女の使い魔は、この商店街をフィールドにして最高のパフォーマンスができるように調整されている。呪詛の影響も受けなければ、ステージギミックでダメージを負うこともない厄介な雑魚として配置されたのだ。
鈴生りのエメラルドの実から、再度の魔力が迸った。今度は先ほどのような自動追撃システムではなく、支配権を有数キキャスター自らが操作をし始めたのだ。数多のエメラルドの秘められた魔力を、絡めとるための網ではなく、一点に集中させた大砲として使えばどうなるか……?
「豊穣と衰退の狭間にて、刹那の崩壊を今ここに」
例えるならば、それはレーザー砲としか言いようがなかった。
商店街の通りの全てを飲み込むほどの眩い緑の光が、宝石に込められた魔力が凝縮された高濃度のレーザーが、邪魔者たちを飲み込みつつ瞬きした瞬間に商店街の西側三分の一が大爆発を起こしたのだ。
住人の罵詈雑言の中には、「店を続けたいのに息子が理解してくれない」とかの他に「店を閉めたいけど閉めたら補助金がもらえなくて経済的に厳しい」とかもあったりする。
闇!