カトリーヌ・ダエーは1640年にパリで誕生した。
嫁入り前の教育と教養を学べる程度には裕福な家庭で育った彼女は、子女の例に漏れず幼い頃から将来のために母や家庭教師から様々な教育を受けてきた。中でもカトリーヌが夢中になったのが、母が読み聞かせてくれる御伽噺だった。ちなみに、この時代の御伽噺は主に口頭で伝承されている民話や寓話を始めとした物語のことを指す。シャルル・ペローによって編纂されるのは、少し後の時代である。
母は話術の教養の一環として御伽噺を読み聞かせてくれていたが、幼いカトリーヌは物語そのものに夢中になった。とりわけ熱中したのが、主に敵役として登場する魔女の存在だった。
深い森や不気味な沼地に住む魔女は、妖しげな魔術を使って恐怖の儀式を行い、毒のある動植物を材料にして不思議な薬や危険な毒を精製して、魔術の薬を用いて箒や籠で深夜の空を飛ぶことができる。深夜を自由に翔ける魔女は、夜な夜な子供を誘拐して食べてしまう……カトリーヌは、母がおどろおどろしい禁忌の存在として語った。悪い子は魔女に食べられてしまうよ、という躾の意味も込めたのだが、幼いカトリーヌは怖がるどころか魔女にすっかり魅了されてしまったのだ。
当時のヨーロッパは、未だ魔女狩りが盛んな時代だった。男女問わず多くの無辜の民が魔女として告発され、魔女として処刑された。告発された者が魔女か否かを判断する魔女裁判も行われていたが、被告人が魔女として処刑されるか、拷問の末に死亡するかのどちからの結果しか出ないものであった。
聖堂教会の教えに反するものとして、魔女は
幸か不幸か、彼女と魔術が繋がってしまった。カトリーヌの家庭教師は元魔術師だった。それでいて、カトリーヌは先天的に魔術回路を持っていて、更には霊薬の精製に天賦の才能を持っていたのだ。
教え子の才能を見出したからか、それともただの暇潰しの気まぐれか。家庭教師は雇い主に隠れてカトリーヌに魔術の手解きを行った。霊薬にウィッチクラフト、黒魔術、占星術、宝石魔術など一般的に魔女の印象が強い魔術の基礎を教え、家庭教師がダエー家を去った後はカトリーヌがほぼ独学で魔術を習得したのだ。
霊薬の精製は面白かった。調合する材料が一匙違うだけで薬が毒になり、毒が薬になる。ミリ単位の調整を行えば、ただの塩で毒を精製することだってできるのだ。
カトリーヌは数字に強かった。それでいて、現代で言う統計学のように記録したデータを分析して科学的に霊薬の研究を行う才能があった。
各作業にかかる時間を秒単位で記録し、
その後、成人したカトリーヌは宝石商のモンヴォワザン氏と結婚し娘を出産する。
夫の商売が傾き始めると、モンヴォワザン夫人は占い師兼助産師として働き始めた……というのは、表向きの話だ。
モンヴォワザン夫人は、フランス上流階級のコミュニティの隙間にある魔術の需要を目敏く見つけていた。
権力闘争の敵対者を排除して成り上りたい。
邪魔な夫には早く死んでもらって早く遺産を手にしたい。
愛人ではなく正妻になりたいから何としてでも子供が欲しい。
愛人が夫の子供を身籠ったから何としてでも出産を阻止したい。etc,etc……
でも、それを着手したら絶対に自分に疑いがかかる。嗚呼、どうにかして、魔法のように望みを叶えてくれないだろうか。
人間の欲望には限りがない。富を手に入れたい、名誉を手に入れたい、愛を手に入れたい。身分が高くなればなるほどその欲望は肥大していき、それを叶えるために
当時のフランス貴族を始めとした上流階級の世界では、薬も毒も至るところまで色濃く蔓延していた。特に人気だったのは、『相続の毒』と呼ばれるヒ素だ。これを毎日少しずつ食事に盛れば、標的は少しずつ衰弱してやがては
折角、質の良い霊薬を量産出来てもそれを流通させる市場がなければ何の役にも立たない。それに、世間では何の薬効も殺傷能力もない薬や毒がぼったくりの値段で取引されている……これはまたとないチャンスだった。自分がトライ&エラーを繰り返して完成させた霊薬の効果を発揮させると同時に、それが大きなビジネスになる。まさに一石二鳥。
未だ神秘への畏怖が残る17世紀。これ以降は科学の発展により神秘は急速に衰退し、地球は天体の中心ではなくなり他の惑星と同じように太陽の周りを動き出した。民衆の生活に神秘が見え隠れしていた末期。若い太陽が天の中心に座して最盛に輝く治世の兆しを見せているパリの裏社会で、1人の魔女が誕生した。
太陽王と称されたルイ14世の絢爛たる時代にあった色濃い闇の中で、悩みを抱える者たちの悪意さえも肯定して側に立つ影の隣人―――魔女ラ・ヴォワザンが活動を開始したのだ。
占い師としての彼女を頼ってくる顧客に、少しの暗示をかけたり小さな
恋人が自分だけを愛するように心を繋ぎ留めたい。
金払いのいい上客が他の娼婦に盗られないように通わせ続けたい。
何としてでも旦那様のお手付きになって愛人に……できれば、正妻になりたい。
そんな欲望を持った女性たちには、媚薬を処方した。
素性も知らぬ男と一夜の関係を持って妊娠してしまい出産が怖い。
妊娠してしまったせいで娼婦として働けずこのままでは収入が途切れてしまう。
夫に色目を使っていた女が夫の子供を妊娠したと主張している……女の子供を、堕胎して欲しい。
そんな欲望を持った女性たちには、堕胎薬を処方した。
勿論、助産師としての仕事もしていた。出産の際に使用する陣痛を促す薬と子宮に干渉して堕胎させる薬は、成分自体は同じ物だ。一部の材料の量を調整して母体に接種させる時期をずらすだけで薬効が変化する。母体から掻き出したそれをどうするか顧客に訊ねれば、大体の顧客はそのまま処分してくれと言うので、黒魔術に使用する贄として再利用させてもらった。
ラ・ヴォワザンのビジネスは静かに、それでいて確実に拡大していった。
彼女が処方してくれる薬はよく効くと口コミで話題になり、顧客の人数は増え続け、通う顧客の地位も高くなっていった。そこから、彼女が扱う霊薬は一歩踏み込んだ。
邪魔な政敵を排除して権力を握りたい。
愛人と一緒になるために夫を殺害して遺産を手に入れたい。
妻が愛人と共謀して自分を殺害しようと計画を立てているからこちらが先に殺害したい。
これ以上、夫の、父の暴力に耐えられない……自分が殺したと疑いがかけられないように、病死に見えるように殺したい。
そんな欲望を持った顧客たちには、毒薬を処方した。
一滴盛れば突然死はするけれど遺体からは毒が検出されずに、ただの心臓発作として処理される物。毎日少しずつ盛れば少しずつ身体を弱らせて寝たきりになり、最期は苦しみ続けて惨たらしく病死する物など。顧客の望みに合った毒薬は、顧客への口留めと少しの暗示の効果により、まったく怪しまれることも毒薬の痕跡が発見されることもなく世に広まった。
顧客からラ・ヴォワザンに繋がることもなかった。拡大したビジネスが表沙汰にならないようにと、ラ・ヴォワザンは自身の痕跡を物理的にも魔術的にも徹底して抹消していたのだ。
ラ・ヴォワザンのビジネスにより、モンヴォワザン家の経済は潤った。夫は早くに亡くなった(手は下していない)が、彼が宝石商として持っていた宝石の流通ルートは宝石魔術に使用する宝石を入手するためにありがたく引継いだ。後の時代、自身のマスターとなる魔術師の少年が触媒として使用した古いエメラルドも、亡き夫の流通ルートで手に入れた宝石である。
ラ・ヴォワザンは儲かった富を無駄に貯め込みはせず、ビジネスに必要な投資として活用した。大口の顧客たちを自身の屋敷へ招き豪勢な夜会を催し、特別な
ビジネスへの投資は霊薬の精製にも行われた。もっと薬効のある材料を集め、もっと大規模な精製実験を行い、処方する霊薬の開発と改良を進めて常に最高の霊薬を供給できるように努めた。魔女としての自身を研鑽する投資も努力も時間も、決して惜しまなかった。
そして、増加する需要に対応できるようにと、霊薬の流通ルートを開拓した。ラ・ヴォワザンと直接対面せずとも、彼女の息のかかった店や人物から霊薬を受け取れるようにと、霊薬販売のネットワークをパリ全土のみならず近隣諸国にも張り巡らせた。売人の身元を徹底的に精査して時には魔術的な契約で縛り、警察組織への密告は1件もされなかったのだ。
かつて魔女に憧れた少女カトリーヌは、魔術師――否、魔術使いとしてパリの裏社会で大成功を収めた。
やがて、ラ・ヴォワザンの顧客の中に、宮廷の香りが漂ってくる。
売人たちからの定期報告にある名前の中に、覚えのある名前を発見した。ソワソン伯妃オリンピア・マンチーニ。王の若かりし頃の恋人であった彼女が毒薬を所望した記録がそこにあったのだ。彼女の夫であるソワソン伯は、つい先日、風邪をこじらせて亡くなっていた。オリンピアが毒薬を使用したかどうかは不明だが、彼女に毒薬を使いたいという欲望があったのは確かだ。
それから数年後、厳重に身元を隠した顧客がお忍びでラ・ヴォワザンの元を訪れた。どう見ても、自分は高貴な身の上であると主張しているかのような派手なお忍びで、今まで相手をしてきた顧客の中で一番派手な婦人がやって来たのだ。
パリで彼女を知らぬ者はいなかった。歩く度に、息をする度に宮廷を騒がせるスキャンダルの震源地。濃い化粧に相応しく素顔も厚く、容姿と肉体は最高だが性格は傲慢で浪費家で野心に溢れ、公然と王妃を侮辱する美しき伯爵夫人。ルイ14世の公妾モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス。この国において、最も権力の隣にいる女性である。
豊満な美貌で寵姫となり王の子供を何人も産んだモンテスパン侯爵夫人だったが、度重なる出産と寄る年波によって美貌に陰りが見え始めていた。そのため、王の寵愛を自分だけに留めるべく媚薬を求めに来たのだ。
一回目の来店で、望みに従って媚薬を処方した。そのお陰か、モンテスパン侯爵夫人は1677年から1678年にかけてルイ14世との間にもう2人子供を出産している。
次第に、モンテスパン侯爵夫人は自身を若返らせるための儀式やら他の寵姫を呪殺するための儀式を所望した。なので、値段毎に儀式の効果が異なるプランを提示したところ、最安値のプランを更に値切ってきやがった。宮廷の予算を食い潰し、自身を着飾って王妃然と振る舞うための出費は惜しまない浪費家として知られていたが、
それが二回続いた時は、家具の角に素足の小指を毎日ぶつける呪いをかけたくなった。
自分で値切って正当な報酬を払わない癖に呪いが効かないと文句を言ってきやがったので、そろそろこの毒にしかならない顧客を切るべきかと思った頃……モンテスパン侯爵夫人は三回目の儀式を求めてやって来た。
モンテスパン侯爵夫人は王妃の呪殺を望んだ。自分が次の王妃となり、自分が生んだ息子が次の王になれるように儀式を行え。もっと言うならば……王の寵愛が別の女に移って自分が権力も美貌も失って惨めに堕ちるならば、ルイ14世を殺害したい。
『この女ヤベェな』
滑稽すぎるほど必死にそう言い放ったモンテスパン侯爵夫人に、ラ・ヴォワザンはそう思った。
この頃、ルイ14世は18歳の新しい公妾を迎えていた。年齢による衰えが隠せなくなっているモンテスパン侯爵夫人は焦っていたのだろう。若い寵姫に対する嫉妬心と、王の寵愛が遠ざかることによって権力から引きずり落される恐怖心からなりふり構わなくなっていたのだ。それは杞憂ではなく、モンテスパン侯爵夫人はこの後、第一公妾の地位を追われた。
余程必死だったのだろう。この時ばかりはモンテスパン侯爵夫人は報酬を値切らなかった。適正な報酬を出すならば、顧客の求めに応じて黒魔術の儀式―――黒ミサを執り仕切るのが魔女ラ・ヴォワザンだ。モンテスパン侯爵夫人の依頼に応え、儀式の準備を進めていたラ・ヴォワザンだったが……彼女と同じく、毒薬の販売を行っていた占い師が逮捕されたことにより、パリ全土が震撼することとなる。
酔った勢いで毒薬販売について口を滑らせた占い師は、ラ・ヴォワザンの販売ネットワークにも関わりがある人物だった。占い師が逮捕され、パリに蔓延している毒薬の販売ネットワークの存在が明らかになったことにより、ラ・ヴォワザンに捜査の手が及び逮捕されることとなる。1679年のことだった。
ルイ14世は事件の全貌解明を指示したが、それはすぐに覆された。売人たちの証言だけでも、ラ・ヴォワザンの顧客の中には国内外問わず多くの有力貴族がいた。パリに蔓延していた毒薬に関わった上流階級の人間が多すぎたのだ。
警察の取り調べに対し、ラ・ヴォワザンは顧客の情報を一切口に出さなかった。顧客名簿も一切合切全てを処分して証拠も残していなかったが、自身の地位を失うことを恐れた他の顧客や彼女と関係のあった同業者たちは、減刑を求めて我先にと魔女の顧客について嘘か真か真偽が定かではない証言をした。当然、オリンピアの名前もモンテスパン侯爵夫人の名前も出て来たし、モンテスパン侯爵夫人の企みもルイ14世に伝わった。
1680年代初頭はルイ14世の絶頂期とされている。かのヴェルサイユ宮殿の建設が行われたのもこの頃だ。フランス王朝の最盛期を築いた太陽王の治世を騒がせた大スキャンダル。王の愛人を始めとした宮廷貴族たちの見るに堪えがたい醜聞。更に捜査を進めれば、あるいはラ・ヴォワザンの口からもっと高貴な人物の名前が出てくれば……それが及ぼす影響は、火を見るよりも明らかだった。
ルイ14世は捜査の中止を命令し、全ての事件の記録を破棄させて全てを闇に葬ったのだ。
ラ・ヴォワザンは火刑裁判所へ送られ、火刑の判決が出された。
彼女以外にも処刑された者も多くいたが、火刑に処されたのは彼女だけだ。また、ラ・ヴォワザンの顧客だった多くの貴族たちのほとんどは罪を逃れ、精々遠方へ追放されるか領地を没収される処分が下された。
他の顧客の証言によって告発されたモンテスパン侯爵夫人は何のお咎めは受けなかったが、ルイ14世からの寵愛は完全に遠ざかり冷遇されることとなる。
1680年2月、魔女ラ・ヴォワザンは火刑に処された。
決して顧客の名を明かさず、命乞いをすることも同業者を売ることもなく。後の記録に「堂々とした悪女ぶりだった」と書き残される振る舞いで
魔女に憧れ、魔術使いとなり、最期は魔女として処刑された。金を稼ぐために魔女となった訳ではない、世を乱したいから魔女となった訳でもない。ただ、
ラ・ヴォワザンは……カトリーヌは、後悔などしていない。後悔するぐらいなら、最初からやっていない。彼女は望んで魔女になったのだ。
魔女になると決めたときから末路は想像していた。結果、火刑に処されるという最上の結果となった。魔女と名乗るのならば、それ相応の矜持があった……命が惜しいからと泣き叫んだりはしない。御伽噺の魔女たちのように、妖しい微笑みを絶やさずに役目を終えたらただ闇に消えるだけだ。
カトリーヌは
キャスターのサーヴァントとして召喚された彼女は、顧客のために執り行った黒ミサを象徴とする魔女として現界する。
宝具『
そこは、魔女が支配する妖しげな宴。固有結界とは似て異なる大魔術。
「
光が強くなるに比例して影は色濃くなる。
燦々と輝く太陽の如きルイ14世の治世に滲みのように残された黒い汚点。
太陽王の威光の影で出来た闇に
適正のあるクラスはキャスターとアサシン。
キャスターだと魔女としての面が強くなり、ラ・ヴォワザンとして活動を始めた頃の姿を最盛期として召喚される。
アサシンだと毒薬を流通させたガチ犯罪者としての面が強くなり、ちょっと妖しい雰囲気のアラフォーマダムとして召喚される。