「……本当に、魔女になりたかっただけなのか?」
キャスター陣営が深潮商店街を占拠する前日のことだ。絶対安静でベッドに横たわるエルウィンが、独り言のようにラ・ヴォワザンへと問いかけた。
家族によって魔術刻印を爆弾に作り替える猛毒を盛られていたエルウィンだったが、ラ・ヴォワザンが精製した霊薬による解毒が進んでいた。
生前はパリのみならず、近隣諸国にも数多の霊薬毒薬を流通させて大儲けしていた経営者だっただけはある。ビジネスの手腕だけではなく、流通している商品の質も良かった故にみんな買い求めていたのだ。
だが、どんなに素晴らしい薬効があっても、主力商品は毒薬である。国内で流行していた毒殺事件に片足どころか半身以上を突っ込み、犯罪の片棒をがっつり担いでいた。ただ霊薬だけ売っていれば良かったのに、何故に犯罪と分かっていて毒薬を流通させていたかと聞けば、彼女は「需要があるから」といけしゃあしゃあと言ってのけた。
いくら需要があるかと言っても、いくら儲かると言っても、バレたらヤバいという考えが真っ先に出て来るだろう普通。と、言いそうになったところを、エルウィンはぐっと堪えた。その時の体調が口を開くのも億劫だったこともある。
だから……ちょっと考えてしまったのだ。ベッドで安静にしていたら脳が余計な想像を巡らせたので、口に出してしまったのだ。
もしかしたら、ラ・ヴォワザンは「魔女になりたい」という願望以外にも、何か目的があったのではないかと。
「まさか、夫の暴力に苦しめられていた女性たちを救いたかったとか、そんな崇高な理由を私が持っていたと思って? かの素晴らしき化学者、ジュリア・トファーナに肖って? 想像を巡らせているところごめんなさい。そういうお客様も少なくはなかったけれど、私の主な顧客は、夫の遺産を手に入れた後に愛人と再婚したいような婦人ばかりだったの」
「マジで魔女になりたかっただけなのかよ」
「マジでそうなのよ。まあ、アサシンの霊基で召喚された私なら、幼い頃からの願望よりもビジネスと答えるかもしれませんね。キャスター霊基の私は、“魔女”という
「……ジュリア・トファーナ。彼女は、グラスフィード家の末裔らしい」
魔術刻印を継承できなかったために他家に養子に出されたか、政略結婚の駒にされてそのまま放逐されたか。枝分かれした理由は曖昧だが、本流から弾き出された者の末裔に素晴らしい毒薬を精製した者がいた。
17世紀のイタリアで流通した、無味無臭の無色透明な毒薬『アクア・トファーナ』の製作者、ジュリア・トファーナ。彼女とその母親方の血筋がグラスフィード家の末裔であるという記録をエルウィンは本家で目にしたことがあった。
ジュリアの母親は夫からの暴力に耐えかね、自身が調合した毒薬によって夫を殺害し死刑判決を受けていた。そんな母の最期を目にしたジュリアには思うところがあったのだろう、化粧品の販売を生業とする傍ら、夫から暴力を受けて傷ついた女性たちに『アクア・トファーナ』を販売していたのだ。
生傷の絶えない顔を腫らした女性たちが藁をも縋る思いでジュリアを頼り、女性の守護聖人である聖ニコラウスが描かれた香水瓶に入った無味無臭の無色透明な液体を購入する。化粧品に偽装された液体を夫の食事に一滴だけ混入させ、それを何日か続ければ夫は体調不良に悩まされ、ある日ベッドの上で病死してくれるのだ。
女性たちの口コミで広まった『アクア・トファーナ』によって、多くの不幸な女性が救われた。当時のイタリアでは、夫の所有物扱いであった女性たちが自由になるには未亡人になるしかなかったのだ。
ジュリアのビジネスは大きく世を乱しはしなかった。妻を蔑ろにし続けた夫たちが早死にする程度の被害を出し、ジュリアの存在も毒薬販売の犯罪も表沙汰になることはなかった。一説によれば600人が『アクア・トファーナ』で死亡したともある。
「あの時代に、魔術もなしに化学だけであの水準の毒を精製して、更には質を落とさずに大量生産することができたジュリアの才能は間違いなく本物だった。その才能を、あろうことか殺人幇助のために捧げた……母親の処刑を、毒殺犯の末路をその目で見ていて、どうしてそこまでしたんだ?」
「譲れない願いがあったからでしょう。母親のような、不幸な女性たちを救いたかったという願いが。才能があったが故に、願いを叶える手段の出力方法が破滅的なものしかなかったということ。実際に、彼女はDV被害者たちの救世主だった。聖職者も彼女の犯罪を称賛し、教会に匿ったとも伝えられている。ジュリアのことは、理系女子の先人として尊敬しているわ。ビジネスを立ち上げる際には彼女も参考にしたの。まさか、マスターの縁者だったとはね」
信じていた家族に裏切られて死を望まれても、「生きたい」という自身の願いを持ったばかりのエルウィンにとって、ラ・ヴォワザンやジュリアの生き方はどちらも理解し難いものだった。だって、どちらも破滅へ至る道を自ら舗装して進んでいるようなものではないか。
結果、彼女たちはどちらも身内の裏切りに合い、犯罪を告発されて処刑されている。特にジュリアは、毒を授けた女性が夫殺しの罪の意識に苛まれて自主してしまったのだ。
自分なら逃げ切れるという奢りなどなかった。逮捕されたからと言って、情状酌量や減刑を求めてみっともなく喚きもせず、磔にされても悪態を吐くなど彼女たちは最期まで清々しいまでの悪女であった。
何が彼女たちをそうさせた?
破滅の道を舗装して歩いて、一歩踏み違えば処刑へのルートへ一直線に堕ちる綱渡りな道を選んだ魔女として生きたのかと問えば、ラ・ヴォワザンの言う通り譲れない願いがあったからだろう。
「傍目から見れば滑稽かもしれない。だけど、私は満足しているわ。こうして魔女として召喚されていることが、ある意味願いが叶ったようなものですから。時にマスター。「生きたい」という願いを持った貴方にとって、譲れないものはあるかしら?」
「僕の、譲れないもの……」
「みっともなくても足掻いて、魔術師
生前も、こんな風に占い師として悩める人々に助言を与えてきたのだろうか。要するに、踏ん張る理由を持っておけということだ。ただ生きたいんじゃない、譲れない何かのために生きたいと願え。
「好きなもの……ああ、やっぱり絵本が好きだな。中でも一番好きなのは」
「好きなのは?」
「……『三匹のヤギのがらがらどん』。しばらく読んでいないけど、幼い頃は毎日何度も夢中で読んだんだ。内容は暗記しているけど……また、久々にがらがらどんたちに会うまでは死んでやるもんか」
来日する荷物に絵本は一冊も入れてこなかった。実家にあった絵本は、そもそもエルウィンの私物はもしかしたらもう全て捨てられているかもしれない。
エルウィンが抱いた願い。
一つ目は、家族の期待を裏切って生きてやる。
二つ目は、聖杯戦争でみっともなくとも足掻いて大暴れしてやる。
そして三つ目は、また『三匹のヤギのがらがらどん』を読む。
絵本に登場するランプの魔人も、三つの願いを叶えてくれるものだ。唯一だけでは謙虚すぎて、たくさんだと強欲だから、これぐらいが人の身の丈に合っているのかもしれない。
聖杯に願う必要もない、ただ自分を鼓舞して踏ん張って立っていられるようにするための譲れない願いだった。
「……もう一つ、訊いても良い?」
「今度は何かしら?」
「魔女としての生き方を、後悔したことはあるのか?」
「……後悔するぐらいなら、最初からやっていない」
否、破滅を迎えたから後悔するなんて神経など持っていない。だって、彼女は混沌・悪の属性を持った世を乱す反英霊なのだから。
そこまで言い切れる反英霊が、エルウィンには少しだけ羨ましかった。そんな風に、しがらみに囚われずに好き勝手に生きた者たち……だから、この聖杯戦争ではそんな風に振る舞ってみようか。家と決別して反英霊である魔女の弟子となって、神秘の秘匿をガン無視して舞台をざわつかせよう。パリス・グリーンに狂った、あの頃の者たちのように狂ってしまおう。
それぐらい、やっても構わないと開き直ってしまえ。未成年だと、子供だと言い張れるエルウィンならば若気の至りでとぼけられるのだから。
ラ・ヴォワザンとこのやり取りをした翌日、見違えるほど回復したエルウィンは『深潮商店街』で『
意味不明なアサシンによって。油断すればエルウィンも感動に引っ張られて呑まれてしまいそうな、魔力の溶け込んだ歌によって。
「っ、魔力の籠った歌で『
「これで、そこの爺さんたちは用済みだろう。後は参加したい人たちだけでやってくれ。俺とアリアはそこら辺で隠れているから」
「確かに、38人の「
キャスターのサーヴァントのクラススキル『陣地作成』。魔術師として自らに有利な陣地を作り上げ、ランクによっては「工房」だけではなく「神殿」の形成さえも可能だ。
ラ・ヴォワザンの持つ『陣地作成』のクラススキルは、「
エルウィンだって「
エルウィンは注射器を取り出した。ペンタイプのそれに入っているのは、毒薬の解毒剤と回復薬が混合されたラ・ヴォワザンの霊薬だ。まだ本調子ではないエルウィンに持たされたそれは、栄養ドリンクの凄い版程度のドーピングができるが、投薬して暴れた後は安静に寝ていなさいと言われた代物である。エルウィンはそれを投与した。そして、二画目の令呪を発動させた。
「令呪をもって命じる。キャスター……真名、ラ・ヴォワザン! 黒ミサを続けろ!!」
「
エルウィンの魔術回路が躍動する。グラスフィード家の魔術刻印がエルウィンの肉体で稼働した。爆発はしない、きちんと動く。
夜の帳が顔を出し、時間帯は本来の聖杯戦争の開幕に足を踏み入れた。夜に開かれる妖しい儀式には、不気味な煙がよく似合うだろう……かつては近づいただけで死に至る呪われた土地だと恐れられていた盆地は、近代になって低い場所に蓄積した硫酸が原因だと化学によって証明された。それを応用したグラスフィード家の魔術によって、土地に呪いを振り蒔くのだ。
こんなの、キャスターの援護をするバフにもならないかもしれない。だけど、なりふり構わず、
どうせ、呪いが効かないバク野郎は降りるのだから。
「やる気を出させちゃった。何かごめん」
「さすがに、マスターは感動してくれないみたい」
「二画目の令呪を切らせてしまった罪悪感があって良かったよ。あーあ……アーチャー、必要だったら奥の手を使う」
「承知しました、マスター」
「本音を言えば、もう少し隠しておきたいな」
「でも、儀式の参加者が減ったのは大分助かりますよ。で、あそこで失神している人たちどうします?」
「主は結界を張れるだろう」
「私ですかぁ? そりゃ張れますけど……低級霊ならまだしも、サーヴァントの攻撃に耐えられる防御力はないので、巻き込まないでくださいよ」
「さあ、どうだか」
心護とアリアがケジメをつけて、杏華たちへの義理を返すために散々苦しめられていた宝具のバスを剥がしたと思ったら、マスターが覚悟完了させた上に絶対命令のブーストがかかってしまった。この後、討伐戦から降りる宣言をして引っ込む身としては、アルジュンや杏華の視線が痛かった。
「
気に入った相手に対するキャスターさんは、火曜日夜10時の恋愛ドラマに登場する、主人公の背中を押してくれる仕事のできる女上司のような存在になる。