「暗殺者」の英霊、アサシン―――
自身の気配を消して相手の寝首をかく『気配遮断』のスキルを有した、マスター殺しに適したサーヴァント。
かつての冬木聖杯戦争においては、「アサシン」のクラスそのものを触媒とすることにより、『暗殺教団』の歴代教主、ハサン・サッバーハが召喚されていた。また、暗殺を始めとした殺害に関する逸話の側面を召喚しているため、反英霊として人理に刻まれたサーヴァントが召喚されるケースもあり得るとのこと。
柳蔵によって開催が宣言された深潮聖杯戦争においては、観客の心を感動で殺すほどの歌姫が召喚されてしまったが、これは何かの事故なのかそれとも再現された術式に応用が加えられたのか。あるいは、マスターである心護と何か繋がりがあったのか、そもそも事故のような召喚だったので数々のバグが発生してしまったのか。
理由は分からないが、深潮聖杯戦争においてはオリジナルとは異なる法則でサーヴァントが召喚されているようだ。まあ、召喚されてしまったのだからしょうがない。
アリアとの契約が有効な限り、心護はアサシンのマスターなのである。
「と言う訳で、魔術のことをいくらか教えてください」
「急に来るなぁー」
柳洞神社を出た心護が杏華にこう頼んだのはどう言う訳かというと……いくら腹を括ったと言っても、魔術の「ま」の字も知らない素人が聖杯戦争のど真ん中に放り込まれても流石に無理なので、教えてくれる存在が欲しかったのである。
魔術を使うことができなくても、知識として知っておけば損はないのだ。
「また襲われる可能性もあるんで。自衛しないと」
「まあ、あのライダーは貴方たちを標的にしているみたいですからね」
「俺が低レベルの雑魚なのは紛れもない事実ですが、ただ狩られるのはマジでふざけんなって思うので、何度も抵抗します」
「と言うか、良いんですか? 一応、敵の立場にいる私たちにそんなことを頼んで。特にこの人、正直言って基本的に物騒なサーヴァントですよ」
「否定はせん」
「何も知らない一般人相手はフェアじゃないって理由で神社に運んでくれたし、アリア相手じゃ気分が乗らないって言うのなら、今ここで俺たちを刺し殺すなんてことしないと思っていますけど」
「それはしませんね」
心護を二度に渡って襲撃してきた鎧武者は、ライダーのサーヴァントであると判明している。アリアが召喚される前から心護を付け狙っていたところを見るに、ライダーのマスターは形振り構わず聖杯を獲りに来ているのだろう。
二度あることは三度あるとも言うし、今度来たら魔力切れで倒れるなんて醜態は晒したくない。
「シンゴはこう言っていけれども……もしも、あなたたちがマスターに敵意を向けるのなら、わたしが戦って守るわ。今度は、彼が魔力切れにならないようにする」
「どうする、マスター」
「んー……彼の自宅の周辺も気になるところですし。私が教えられる魔術は限られていますけど、それでいいのなら」
「よろしくお願いします」
「お願いします。キョウカ、さん」
心護は杏華の協力を得ることができた。同盟、などという大それたものではなく、マスターとしてはマイナススタートの位置にいる心護をゼロの地点まで進ませるために手を貸すだけである。お礼に、深潮の美味しいお店を教えるぐらいはしようと思う。
ということで、すっかり暗くなった夜道を歩いて心護の自宅へ杏華とランサーを案内していた。
「三渓さんは魔術使いって名乗ってましたけど、魔術師とは違うんスか?」
「私みたいに魔術を商売の道具にしているのを「魔術使い」って呼びます。「魔術師」は、簡単に言えば研究者で、魔術を極めてこの世界にある根源という場所に至ろうとしている人たちのことを言います」
「へえー」
その話は長くなるから横に置いておこう。心護も興味がなさそうなので。
「私の仕事は、霊脈が正常に機能するように魔術を使用して整備することなんです。今回は、柳蔵さんに深潮の霊脈を診て欲しいと依頼を受けてやって来て……この人が隣にいる現状な訳です」
「柳洞神社は霊地ってところなんスよね? 違うものなんスか?」
「土地に魔力が通る道のことを霊脈と言います。霊地は、魔力が湧き出る場所もしくは霊脈から流れる魔力が貯蓄される場所のことです。龍脈とも言いますね。柳洞神社さんは後者のタイプで、この土地を巡る霊脈の一番大きなジャンクションです。深潮に着いてから霊脈を色々と調べている最中ですが……どうも、詩ノ宮さんの自宅も霊脈の上にあるみたいで」
「え?」
柳洞神社を出てからライダーとの戦闘によって穴だらけになった道路を通り過ぎ(道路工事の看板が立てられて通行止めになっていた)て自宅へ帰ってくると、玄関先でポツンと留守番をしているバイクに出迎えられた。お前が無事でよかったよ。
「ほう、一軒家か」
「移住者支援の一貫で、通常の家賃より安く借りてます」
「リフォームされているみたいですね……ちょっと中を見せてもらってもいいですか?」
「別にいいですけど」
杏華とランサーを招き入れると、杏華は居間に飾られている神棚に目を向けた。心護に一言断ってから神棚を調べると、そこにはお札や数々のお守りが飾られている。お札は野木がくれた物であり(よく見たら柳洞神社の物だった)、お守りは心護の父が旅行のお土産で送ってくれる物である。
杏華は少し考えこむと今度は柱の根本に視線を向ける。大黒柱はどこかと聞いて教えると、それを見てやっぱり再び考え込んだ。
「うーん……庭に、祠みたいなもの? とかありませんか?」
「祠……あ、なんか、墓みたいな大きな石があります」
「それかな。ランサー、ライトをお願いします」
心護の家は庭付き一戸建ての貸家である。元は一般の住宅だったが、住人がいなくなり長年空き家だったところに行政が移住支援の一環として手を加えている。リフォームされた元空き家に住むならば、数年間は家賃が割引になるというので、深潮にやって来た当初からここに住んでいる。
独身の男1人暮らしにしては部屋数も多く庭も広い。その庭には、リフォームの際に植えられていた木や生垣が伐採されて元の面影は残っていないが、片隅には空き家になる遥か昔から墓石のように立つ大きな白い石があった。
ランサーが持つライトを頼りに杏華が白い石を調べると、「やっぱりそうかぁー」と声を上げる。絵画用の木炭を取り出した杏華が白い石に何か……神社の地図記号に似たマークを描き入れると、空気が変わった。
ぶわっと、心護とアリアの横をナニかが通り抜けたかのように風が吹き抜けて、澱みのない爽やかな心地になったのだ。上手く言い表せないが、ずっと住んでいるはずの自宅の庭がいつもより良い空気になった気がする。
「はい、これで霊脈が通りました」
「何をしたの? 指先にまでしっかりと魔力が通っているのが分かるわ」
「霊脈は魔力が通る道なので、塞がれていたり、通る道を指定しなければきちんと循環できなかったりするんです。この石が、ここら一帯の霊脈が通るための要だったのでしょう。何らかの原因で不通だった霊脈が正常に通るようになったということです」
「それじゃあ、これからは家でさっきみたいに魔力を補えるってことっスか」
「限りがありますけどね」
杏華が整備したことにより、塞がれていたか何かが原因で機能していなかった霊脈が息を吹き返し、土地の魔力が循環されるようになったということだ。霊地には劣るが、ここで生活していれば魔力を補給することが可能である。
つまり、セーブポイントのような回復ポイントを手に入れたということだ。実にありがたい。
「後は、ナトリウム以外の塩はありますか?」
「伯○の塩ならあります」
「簡易的なものですけど、結界をお教えします。早い話が盛り塩です」
「あれ結界だったの?!」
「民間風俗を舐めちゃ駄目ですよ。実績があるから現代まで残っているものもあるんです」
杏華の指導に従い、小皿を三枚用意して塩を持っていく。一つは神棚に、一つは玄関に、もう一つはあの白い石の前に設置する。
塩が黒ずみ始めたら相当ヤバい状況なので用心すること。毎日塩を取り換える必要があるが、古い塩は川か海に捨てるようにと指導ポイントはしっかりメモを取った。
「ここの霊脈が機能し始めたので、神棚のお札も多少は守りの効果を発揮してくれるでしょう。私が教えられるのはこれぐらいですかね」
「どうもありがとうございました」
最後に、盛り塩を添えた神棚に柏手を打つ。時々、心護が漁に出る前に気まぐれで柏手を打ったことはあったが、これからは毎朝やった方がいいかもしれない。神棚だけではなくあの白い石も拝んでおこう。
乾いた破裂音で締めて、これにて杏華による指導は終了である。
「お世話になりました。ちょっとしたお礼ですが、深潮の美味い店を教えます」
「やったー! 甘い物とかありますか?」
杏華へのお礼はこれで間違いなかったようだ。
色々会話をしているうちに、杏華が心護よりも年下だと判明した。魔術師として専門家知識を活かす自営業のようなことをしていて年下でもしっかりとしていると思ったが、心護が教えた美味しい店に喜ぶ表情は成人女性と言うよりはあどけない少年のような印象を受けた。
心護が教えた美味しい店をメモし終わった杏華がスマートフォンの時計を見ると、既に9時を回っている。人工的な光源が少ない田舎の夜は、玄関から見える海の色を更に濃く、深く、重い色に見せるのだ。
「周囲に魔力の気配はない。待ち伏せされてはいないようだ」
「それじゃあ、今の内にお暇しましょう。さっきの涼乃さんからの説明のとおり、聖杯戦争は夜が主戦場です。今この瞬間、闇討ちされてもおかしくない状況です」
「神秘の秘匿……でしたっけ? 一般人にバレちゃいけないって解釈しましたけど」
「まあいいでしょ。それでは。お互いに聖杯は手に入れられずとも、無事に生き延びましょうか心護くん」
「ありがとうございました。杏華さん」
心護があえて杏華を「さん」付けで呼んだ。彼女は魔術の師匠のようなものなので、生きるために必要な技術を教えてくれた彼女は野木と同列の存在となったからである。
ランサーがいるから夜道でも危険は少ないだろう。田舎は夜の訪れが早い。街灯がない場所も多いし、日が沈むと人の気配が全くなくなる場所もあちこちにある。
寂れた夜を背景に、手を振る杏華の右手のネイルは場違いのようにくっきり闇に浮かんでいた。
こうして、心護はランサーのマスターから大きな収穫を得たのだった。
***
「……彼、本当にただの一般人なのかな?」
心護の家を出て昼間に彼とすれ違った道路の信号に来たところで、杏華がポツリと呟いた。彼女の呟きと赤信号で、隣を歩いていたランサーも脚を止める。
「嘘は吐いていないんですよね。色にまったく変化がなかった。息を吐くように嘘を吐くような人間ではない限り、嘘を吐くと感情の色は切り替わるはずですから」
「奴が手を打った瞬間、家を囲む結界が一気に広がった。無意識に魔術を行使していたな」
「あの柏手がトリガーとなって、魔術回路が開いたのかもしれませんね」
心護が神棚に向けて柏手を打ったその瞬間、用意した三つの盛り塩を起点として霊脈の魔力が一気に詩ノ宮家全体に巡り、杏華が想定していた以上に強固な結界が張られた。魔術の「ま」の字も知らない一般人育ちの素人ができる芸当ではない、あの盛り塩――礼装で一般人が張れる結界は、通った霊脈の魔力を徐々に巡らせて悪い気が侵入しないように門前払いする程度だ。
しかし、現在の詩ノ宮家はプロの魔術師が簡易的に用意した工房レベルの結界に守られている。素人が張っていいレベルのものではない。
両親も魔術に関係のある育ちではなさそうだし、先祖の誰かに魔術師か陰陽師などがいたのだろうか。
「よく分からないと言えば、彼女……アサシンもそうですよね。サーヴァントが真名を忘却するケースってあるんですか?」
「さあな。真名を忘却したという主張が虚言である可能性も無きにしも非ずだが」
「そういうタイプには見えなかったけどなぁー彼女も」
涼乃の説明の中にあった重要事項の一つに、「サーヴァントの真名を知られてはいけない」という項目があったが、「俺も知らないんで大丈夫っス」と話す心護に絶句した涼乃と柳蔵の表情が忘れられない。
サーヴァントは歴史上の英雄たちの影法師。しかし、名を知られている英雄ほど、活躍も弱点も知れ渡っている。
サーヴァントの真名が知られるということは、所持している武器や能力を知られるということ。更には弱点も死因も知られるということだ。弱点を突かれ、死因を再現されてしまっては一騎当千の英雄は物語に紡がれる死を再現せざるを得ないのだ。
「彼女は、ライダーと戦闘を行いましたけど……思いつく真名がありますが、何かしっくり来ないんですよね」
「問いかけに答えられなかった男の首を刎ねる女。
「オペラをご存じで?」
「これでも読み物は嫌いではないぞ。童の頃は劇団にいたこともあったからな」
「でも、トゥーランドットってオペラの登場人物ですよね。サーヴァントとして召喚されるのかなぁー?」
ジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』
中国王朝の姫・トゥーランドット姫は絶世の美女であったが、結婚を嫌い、求婚者が現れるとある条件を出していた。三つの謎かけを行い、全て答えられたら結婚を了承する。答えられなかったら首を刎ねて処刑する。トゥーランドット姫の三つの謎かけに答えられた者はおらず、彼女は数多の求婚者の首を刎ね続けていた。
そんなトゥーランドット姫を一目見て惚れ込んだダッタン国の王子・カラフは、周囲の反対を押し切ってトゥーランドット姫へ求婚する。物語は、血生臭い斬首と恋の訪れで幕を開ける。
一つ、毎夜生まれて明け方に消えゆくものは?
それは、希望。
一つ、赤く炎の如く熱いが火では非ずものは?
それは、血潮。
一つ、氷の如く凍てつくが何もかもを焼き焦がすものは?
それは、トゥーランドット!
カラフはトゥーランドット姫の謎かけ全てに答えたが、トゥーランドット姫はカラフを拒絶した。頑なに結婚を拒むトゥーランドット姫に、カラフは逆に一つの謎かけをする……それが、オペラのあらすじだ。
謎かけに答えを出せなかった求婚者の首を刎ねる青龍刀。「氷の如く凍てつくが何もかもを焼き焦がす」と譬えられたのを反映しているかのように凍てつき焼き焦がす攻撃。オペラを知っている者が戦うアリアの姿を見れば、その名前が真っ先に叫ばれるはずである。だが、青龍刀を持たないアリアの姿は、どこからどう見てもトゥーランドット姫とは結びつかない。
そもそも、トゥーランドット姫はオペラの登場人物であり、下敷きとなった伝説や物語があったとしても実在した可能性は著しく低い。彼女は架空の存在なのだ。
「どちらかと言うと、歌姫である彼女が戦闘中にトゥーランドット姫を
「滾る相手ではないが、厄介な相手ではある。あの歌のこともある。鎧のライダーもそれを理解しているのか、はたまたあの男の言っていた通り雑魚狩りか。迂闊に手を出せん連中だ。だが、アサシンたちを餌にすれば、あのライダーと鉢合わせる確率は高い。儂はライダーと死合う。文句はないな、杏華」
「戦いには口を出さない約束ですから。でも、死にたくないから守ってくださいって契約は忘れないでくださいね、書文さん」
青信号になると、杏華とランサーは再び脚を進めて夜の中に消えて行く。
生き延びるために、戦うために……各々の思惑を孕みながら、聖杯戦争は始まった。
ランサーのマスター:三渓 杏華[中立・中庸]
年齢:24歳
身長:165cm
魔術回路:量・D+ 質・B
好き・特技:明るいオレンジ、凪いだ青、ネイルアート
嫌い・苦手:たくさん混ざって濁った色、人混み
令呪:三角の頭、両翼、尾翅で構成された左右対称な蝶
備考:左目に低ランクの魔眼を持つ