サーヴァントを失い聖杯戦争から脱落したマスターは、監督役に保護される決まりとなっている。
マスターの身の安全の確保の意味もあるが、今回ばかりは監視と軟禁と言ったら良いだろう。聖杯戦争のルールと神秘の秘匿をガン無視して真昼間の商店街と深潮の住人たちを巻き込み、ラ・ヴォワザンと共にしっちゃかめっちゃかの大暴れをしてから気絶したエルウィンは、生き残って柳洞神社に運び込まれていた。目を覚ましたら、知らない天井の部屋に寝かされていたのだ。
聖堂教会や魔術協会から何らかの沙汰があるかは分からない。だが、商店街崩壊という被害を出したのだ……
監督役である柳蔵が魔術協会から彼の身柄を引き受けたが、今までやったことを考えるとこの部屋から一歩も出るなと言われる可能性だってあるだろう。まだ少し怠い身体を起こして、エルウィンは柳蔵と向き合っていた。
「エルウィンくんだね。私が監督役の柳蔵だ。早速だが」
「はい……」
「ここが君の部屋だ。自由に使ってくれ。トイレは廊下の突き当りを右に曲がったところ、洋式だから安心してね。洗面所もそこにある。1人では外出させることはできないから、何か欲しい物があったら私か娘の涼乃と一緒に買いに出かけよう。家の中も、母屋だけなら自由に歩いて良いよ。もうすぐ夕飯だから、気分がよくなったら居間に来てね」
エルウィンが寝ていた部屋は八畳ほどの畳敷きの和室だった。しっかりと掃除されていて清潔感がある部屋だ。襖の扉には鍵などないし、その気になれば蹴り壊せる素材である。あと、軟禁と言うには自由度が過ぎるルールを科せられた気がした。
夕飯は部屋で食べなくてもいいのか?運ぶのは面倒だからか?と、ちょっと警戒しながら居間へ向かうと、卓の前に座布団が敷かれて温かい食事が並んでいた。
~今夜の柳蔵家の夕飯(涼乃さん作)~
鶏の照り焼き
手作りポテトサラダ
ちくわとエリンギのバター胡椒炒め
魚のつみれと野菜たっぷりのスープ
「お箸は使える? フォークとスプーンもあるから遠慮しないでね」
そう言って、柳蔵は茶碗に炊き立ての白米を盛ってくれた。
その後も……。
「お風呂が沸けたよ。はい、バスタオル。シャンプーとボディーソープはこれを使って、私の悪いけど。湯舟に入らなかったら、蓋はしたままでいいから」
柔軟剤の香りがする柔らかいバスタオルを受け取って入浴して、エルウィンはホカホカに温まった。部屋に戻ると、柳蔵が布団の敷き方と片付け方を教えてくれた。その後、明日の朝食の時間と「おやすみ」の言葉を残して、柳蔵は部屋から退出する。今更気づいたが、自分が寝かされていた来客用の布団はフカフカで気持ちが良かった。
『……厚遇!』
とてもよく眠れた。
また、もう1人……柳洞神社へ招かれていた者がいた。褒賞を手にするために。
此度の討伐戦において、主犯であるキャスター:ラ・ヴォワザンを討伐したのはライダーこと巴御前。褒賞である一画の令呪は、マスターである桐月に与えられる。元の持ち主である涼乃と桐月の双方の承諾を得て、涼乃の右手の甲から令呪は消え、桐月の右手の甲に一画の令呪が復活した。
桐月は最初から、この令呪だけが目的だった。1騎のサーヴァントが脱落して更に令呪まで増えるならばと、キャスターの真名の探り入れや誘拐された住人たちの安否も頭の片隅に置かず、ただラ・ヴォワザンを討伐できる隙間だけを虎視眈々と狙っていたのだ。
結果は、二画の令呪によるゴリ押しになったため、桐月の令呪は一画が増えて残り二画となった。しかし、他のマスターたちにライダーの真名が知られた……令呪一画を得るためにしては、コストをかけすぎた感は否めない。
「令呪の譲渡、完了しました」
「確かに受け取った。行くぞライダー」
「……警察官の貴方が、どうして聖杯戦争に?」
「別に、参加理由を監督役に申告する義務はないでしょう」
「夏にS市で起きた飲酒運転による交通事故の被害者のお名前が「桐月」でした。もしかして、お身内ですか?」
涼乃の問いかけに桐月の表情が強張った。涼やかで美しい声が、彼の一番柔らかくて痛い部分に食い込んだ。
魔術師でもない、巻き込まれた一般人でもない、ただの警察官であるはずの桐月がどうして聖杯戦争に進んで参加したのかは涼乃も柳蔵もずっと気になっていた。
もしかして、と言った柳蔵が貯め込んでいた古新聞を引っ張り出して来て、どこかで目にした「キリツキ」という名を思い出していた。飲酒運転による信号無視の交通事故で、被害に遭って意識不明の重傷となった大学生の名前が「桐月」だったと思い出したのだ。この事故は、飲酒運転をした側があまりにも悪質だったため、県内では新聞でもテレビでも大きく取り上げられていた。あれから被害者が退院したという報道は聞いていない。
「聖杯の奇跡に縋ってでも、どうしても叶えたい願いがあるのですね。ただ……激化していくこの戦争で、貴方の命の保証はありませんよ」
「……私の命と引き換えというのならば、本望です」
桐月の両目の下には薄っすらと隈が残り、頬には最低限しか手入れがされていない髭が目立つ。涼乃の目には、今の桐月の姿が彼の追い込まれている状況を表しているように見えた。
なりふり構わず、自らの命に代えようとも叶えたい願い……もしかしたら、本当に力ずくで叶えることができてしまうかもしれない。だって、桐月は此度の聖杯戦争において最も強力とも言えるサーヴァントの召喚に成功していたのだ。
巴御前―――多くの日本人が彼女の名を知っているだろう。
源平合戦に語られる伝説の女武者にして、主君であった木曽義仲と生き別れてしまった悲劇のヒロイン。その勇猛果敢武芸百般の逸話は、嘘真か、その剛力によって敵の首を素手で引き千切ったとも伝承されている。
サーヴァントは、魔術師ができるだけ使役しやすいように元となった英霊からはグレードダウンされて召喚される者たちが殆どだ。だが、聖杯戦争の開催地における知名度……すなわち、現地の人々の信仰の多さによっては弱体化が剥がれて元の能力に著しく近づくと、魔術協会が送って来た聖杯戦争のマニュアルに書かれていた。
強力なサーヴァントを召喚しようとしたグラスフィード家のアプローチはその点で正解だった。冬木のそれとは違い、東洋由来の英霊も召喚できるのならば開催国である日本に縁のあるサーヴァントを召喚するためにその触媒を用意する。真名が判明する危険はあるが、そんな杞憂さえも力ずくでぶっ飛ばすことができるなら何も問題はない。魔術師ではない桐月がマスターである現状でも、十分な強敵として聖杯戦争を引っ掻き回していた。
桐月に伴って神社を去る巴御前は、兜も面もして顔を隠したフル武装状態だった。兜の飾りかと思われていた二本の角は彼女の額から生えた自前の物であり、それは彼女が人ならざるモノの血縁であることを物語っている。
「真名を知られたが、謝罪は不要だ。遅かれ早かれバレてしまうものだ。息子のまま誤解されていても、いずれはボロが出て怪しまれていただろう」
「ありがとうございますマスター。御身の具合はいかがですか。魔力の供給に聊か無理をされていたようですが」
「これぐらい……」
「貴理弥のためならば、これぐらい平気だ。そうでしたね。しかし、ご子息の完治を見届けずに斃れられてはいけません……マスターは、生きて再会なさってくださいませ」
「……考えておく」
グラスフィード家が用意してエルウィンに与え、桐月がエルウィンから奪った触媒は鎌倉時代の鎧の欠片だった。その欠片の縁で召喚されたのが巴御前だったが、本来であれば真の鎧の主―――朝比奈義秀が召喚されるはずだった。
時に、巴御前の伝説のその後を知っている者はどれぐらいいるだろうか?
倶利伽羅峠の戦いを始めとした戦場で平氏に勝利して多くの武功を上げた木曽義仲だったが、軍の統率ができずに京の治安を悪化されたことから始まり、数多の因果の連なりによって朝廷より討伐令が出されることとなる。宇治川の戦いで惨敗を喫したのち、巴御前を含めた数名の家臣と共に落ち延びた義仲であったが粟津にて討死した。この時、義仲は巴御前を逃がし、2人は生き別れとなったのだ。
その後の巴御前は、義仲や共に散った兄弟たちの菩提を弔って長寿を全うしたとの伝説があるが、他の書物によれば、彼女は後に和田義盛の妻となり朝比奈義秀を産んだという逸話がある。
桐月が巴御前を召喚した当初、彼がネットで調べたその逸話を語ったところ、半分正しく半分異なると言っていたのだ。
「義秀には2人の父がおります。1人は、あの子を本当の息子として育てた義盛様。そしてもう1人……血縁上の父は、義仲様です」
「そういう伝説もあるみたいだが、義秀の生年を理由に否定されているのでは?」
「義盛様が偽ってくれたのです。幸いにも、あの子は成長が早く身体も大きかったので誰にも怪しまれることはありませんでした。義仲様は、私が義秀を身籠っていたことに気づき、私を逃がしたのです……生きろと言って」
しかし、義仲と生き別れて落ち延びた巴御前だったが、源頼朝の手の者に捕縛されてしまう。自身の胎に義仲の子がいると知られたら、この子は殺される……それだけは何としてでも阻止しなければ、この子を守らなければと暴れる算段を立てていた。
そんな彼女の前に現れたのが後に鎌倉幕府が初代侍所別当となる和田義盛であった。義盛は、巴御前を自分に妻にと求めたのだ。
「板額御前が如き武芸に秀でた勇婦……うむ! 実に良い女だ! うちの妻たちも良い女ばかりだが、如何せん大人しすぎて……ちょっと力を入れただけで壊れそうで怖くて。あれほどまでの武者ならば、伴うに張り合いがありそうで実に良いではないか!」
ということで、巴御前は義盛の妻となった。
よし、この方を殺して逃げよう。お腹の子を守ることに思考を全振りしていた巴御前は、義盛に娶られる気などこれっっっぽっちもなかった。
膨れ始めた胎を抱えて義盛の下に送られた巴御前だったが、そんな彼女の様子を目にした義盛は彼女が身籠っていることに気づいてしまったのだ。子を守る母熊と同じ目をしていたとのことだ。
「腹の子の父親は、義仲殿か?」
「……そう思うのならば、私ごと斬りなされ。しかし、私はこの子のためにも黙って斬られる訳にはいきません。貴方の首を引き千切り、屋敷に火を放ってでも逃げ出しましょう。頼朝へ報せることもさせません。地の果てまでも逃げてこの子を産み落としましょう」
「ならば、産めば良い」
「え……」
「子を孕んだとしても、十月十日まで育つとは限らぬ。十月十日まで育ったとしても、産声を上げて産まれるとは限らぬ。産声を上げて産まれたとしても、七つまで健やかに育つとは限らぬ。無事に産まれるか分からぬ赤子を、平たい腹のうちに潰してもただの手間だろう。下手をすればお主まで死ぬこともある。もし、丸々太った赤子が生まれても、夜明けには冷たくなっていることなど珍しいことではない」
義盛の言葉は、巴御前にとってあまりにも拍子抜けだった。殺気と警戒が解けてしまっている。
身体を冷やすなと、巴御前に打掛を着せた義盛はあまりにも滔々と語った。巴御前に同情したとか、産まれてくる子供に罪はないだとか、そんな言葉は一言も発せず、ただ堕胎することを「手間」と言い切ったのだ。
この時代において、子供が無事に産まれてくることも、無事に元服まで育つことも多くの幸運を重ねた奇跡だった。巴御前の胎にいるたった一粒種は無事に産まれない可能性の方が高かったのだ。
「この子が産まれたら、もし男児だったらどうするおつもりなのですか?」
人質として鎌倉に預けられていた義仲の嫡男・義高はわずか12歳で討取られていた。もし、巴御前が産んだ義仲の子供が男の子だったのなら、父や兄の報復という大義名分を掲げて頼朝に反旗を翻して内乱の種になる可能性もある。可能性を潰すため、産まれた男児はその場で殺されることとなるだろう。
巴御前の声は震えていた。彼女にとって、唯一の生きる理由はこの子だった……この子がいなければ、義仲の後を追って自害していたはずだ。
だから、どうかこの子だけでも。せめて仏門に入れて、世俗から断ち切って生き延びさせて欲しいと、義盛へ懇願するつもりだったが……巴御前の言葉に少し悩んだ義盛は、熊のような見目に違わず豪快に笑い飛ばしたのだった。
「では、これはその子と儂の賭けだな! もしも、この子が無事に産まれて健やかに育ったのならばそれは天命。この子は儂との賭けに勝ったということ。賭けに負けた儂は、観念してその子を儂の子として強く育てなければならぬな!」
その言葉で、頑なだった巴御前の心は完全に解けた。彼女は義盛の妻になることを受け入れ、丸々太った健康な男児を産んだのだ。
賭けに負けた義盛は、産まれた男児を自分の息子として育てた。他の息子たちと分け隔てなく、厳しくも優しく、千切っては投げ谷底に突き落とすが如く鍛え上げ……無事に元服したその子は、和田義盛の三男として朝比奈義秀と名乗ることとなる。
ライダーの真名を巴さんにするか、そのまま朝比奈義秀にするかギリギリまで悩んだ。
自分がイメージする和田義盛は、熊々しい見た目で日常では熊牧場の熊だけど戦場ではキレた羆になる。
大体大河のイメージや。