Fate/Deep Engage   作:ゴマ助@中村 繚

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06_柳洞神社の怪人

 涼乃の1日は、朝一番に祖霊舎の水を淹れ替えることから始まる。

 母が亡くなってから進学で深潮を出るまで、それはずっと涼乃の仕事だった。そして、深潮に帰って来てからは父の崇観(たかみ)が何も言わずとも自然と涼乃の仕事に戻っていた。

 柳蔵涼乃は、元助産師であり柳洞神社の1人娘である。だが、神社の跡取りとかそんな重圧もなく、「神社のことは良いから好きなようにしなさい」という父の言葉のとおり、専門学校を卒業後は東京の総合病院に就職して忙しい日々を過ごしていた。

 それももう過去形で、病院を辞めて故郷である深潮に帰って来てから、気づくと1か月以上経っている。思ったより経っていなかったなと感じた理由は、最近の日々の濃度が濃すぎたからだ。

 特に、ここ1週間は異常に過剰な非日常だった。

 万能の願望器、聖杯を奪い合う7人7騎の魔術儀式・聖杯戦争。柳蔵家が深潮に古くから根付く神道の家系だったからか、近々深潮で開かれる聖杯戦争を中立的な立場として監督しろとの話が聖堂教会及び魔術協会の双方から降って来たのだ。宗教だって違うし寝耳に水すぎる。

 監督役が担うのは、脱落したマスターの保護や神秘の秘匿。更には一般人を巻き込んだ大量破壊等、神秘の秘匿を著しく破るようなタブーを犯したマスターへ罰則さえも与える役割もある。かつての冬木聖杯戦争では、サーヴァントの能力によって大量殺人に手を染めたマスターの討伐令を出したこともあったと言う。

 マスターの保護という役割があるため、深潮内で最も濃い魔力に溢れてなおかつ清浄な霊地の上に建つ柳洞神社が選ばれる理由は多少理解できる。しかし、半ば押し付けられる形で降って湧いてきた話は、はっきり言って傍迷惑な話である。

 涼乃と柳蔵が溜息を吐いても、どこかの誰かが起動させてしまった聖杯戦争の開幕へ着々と足を進めてしまっていた。涼乃の右手の甲に弧を描く赤い痣が出現したことにより、足音はすぐ側まで迫って来ていた現実を目の当たりにしてしまった。

 

「これって、中立的立場としてどうなの? 一回、教会側に問い合わせた方が良いの?」

「うーん……」

 

 魔術師と思われる者が幾人かが深潮周辺をウロウロしているのが確認されている現状で、参加の意志を持たないどころか監督側にいる涼乃に令呪の兆しが出た。更には、前々から霊地の整備を依頼していた魔術使いの女性(参加の意志なし)にも同じく令呪の反応が出たのが確認されている。

 何故、参加したくないと確固たる意志を持っているのに聖杯は選びやがるのか。

 もしも、ここで涼乃が辞退したらまた別の素養のある者がマスターに選ばれることとなるだろう……最悪の事態は、素養はあるけれど魔術に関わりのない者が選ばれてしまうことである。所謂、巻き込まれ一般人が爆誕する危険がある。

 それに更に輪をかけて最悪の事態になると、その巻き込まれ一般人がサーヴントや聖杯戦争を動画投稿サイトやSNS経由で全世界に拡散して、「神秘の秘匿? ナニソレ、美味しいの?」としらばっくれるような怖ろしい行動に出るかもしれないのだ。

 監督不行き届きで柳蔵の身が危ない。参加者の選出方法が素養ランダムなのが非常に危なっかしい。

 親子2人であーだこーだ考えて相談した結果、何も知らないただの馬鹿に引っ掻き回されるよりは、涼乃がマスター権を保有したままの方が被害が少ないのではないかという結論に達した。

 

神社(うち)の霊地なら魔力も十分かな。あとは、触媒?」

「うーん……うちは結構歴史がある神社だしな。関わりのある方や、もしかしたら主神様のご縁が触媒になってくれるかもしれない」

 

 この時は、霊基盤の情報でセイバーのサーヴァントだけ召喚が確認されていたが、本当に深潮の地で7騎のサーヴァントが召喚できるかどうかが曖昧であった。聖杯戦争の開幕が宣言されるかどうかだって怪しい状況で、深夜の柳洞神社では半信半疑のサーヴァント召喚が行われた。

 触媒は、強いて言うならば柳洞神社そのもの。何百年もの歴史の積み重ねに編み込まれている縁を期待して、涼乃はサーヴァントの召喚に臨んだのだが……。

 正直言って、成功したのは失敗したのか分からない。

 祖霊舎に新鮮な水を備えた涼乃は、柏手を打って少しの沈黙の後に外へ出た。鳥居の向こうに見慣れた海が広がっている……何も変わらない、変わる様子も見られない故郷の景色だ。寂しい色の海に臨むこの街で、とんでもなく傍迷惑な儀式が行われているなんて、今でも信じられなかった。

 

「クリスティーヌ、クリスティーヌ。朝露に濡れた花も、君の麗しさの前では枯れ萎むだろう。どうか歌っておくれ、囁いておくれ。此度の幕は、君の独唱で始まるのだから」

「……おはよう、エリック」

 

 涼乃がそう語りかけると、彼―――エリックは、優しい弧を描きながら銀縁眼鏡越しの双眸を嬉しそうに細めた。

 シンプルなシャツとカーディガンを着た背の高い青年は、涼乃が召喚してしまったサーヴァントである。クラスはバーサーカー。

「狂戦士」の英霊、バーサーカー―――

 神話や伝承において、狂気を得た英霊が該当するクラス。故に、「狂化」のスキルによって彼らは理性を失い、英霊ではなく破壊兵器と言わんばかりに暴れる回る狂戦士と化す。

 戦闘と破壊に特化しているため、マスターとなった者の魔力消費も尋常ではないらしい。かつての聖杯戦争では、バーサーカーのサーヴァントを召喚したマスターたちは特例を除き魔力切れで自滅していると報告されている。

 しかし、涼乃はこうして元気に朝を迎えている。彼女の持つ魔術回路が極上なものだとか、魔術師として天才的な潜在能力を有しているとかではない。涼乃がこうして毎朝を無事に迎えられているのには、理由が二つある。

 一つ目は、バーサーカーを召喚した場所がここ、柳洞神社だったから。

 涼乃と柳蔵はサーヴァントを召喚する際、深潮で最も魔力が潤沢な霊脈に接続したことにより、バーサーカーは現界の魔力のほとんどを神社の霊脈から溢れる魔力で補っていた。彼が神社に留まっている限り、涼乃への負担は非常に少ないのだ。

 そして二つ目は、彼の真名にある。

 サーヴァントは真名を知られてはいけないというのが聖杯戦争に参加する上での基本的な戦略であるが、文学や歌劇に精通する者ならバーサーカーの言動で彼の真名にすぐ気づいてしまうだろう……実際に、彼が名乗らずとも涼乃は気づいてしまった。

 深夜の本殿で召喚されたサーヴァントは、顔に白い仮面を着けていた。“怪人”と言わんばかりの異形の両手、迷宮の深淵から誘いかけるかのような甘美な声。かの怪人は、実在の存在だったというのか。

 

「我が顔を見る者は恐怖を知ることになるだろう―――お前も」

「っ! こ、これが……英霊?」

「お父さん、落ち着いて。貴方が、私の召喚に応えてくれたサーヴァントね?」

「……君の声は、クリスティーヌ」

「え」

「可憐で涼やかなその声は、春の雪解けよりも清らかな甘露の如く。そうだ、君は愛しのクリスティーヌ! 我が歌姫! 我が魂は君に捧ぐべく」

「……貴方は、()()()()?」

「ああ、呼んでおくれ。その声で。歌っておくれ、愛しの歌姫(プリマ・ドンナ)よ」

 

 白い仮面を着けた異形のサーヴァントは、恭しく涼乃の手を取って恍惚とした声で彼女を呼んだ。「涼乃」でもなく、ましてや「マスター」でもない。「クリスティーヌ」と、かつて愛した歌姫の名で涼乃を呼んだのだ。

 地下迷宮の上に建つ劇場に潜む怪人は、才能持つコーラス・ガールに恋をした。「音楽の天使」として彼女の才能を花開かせるが、彼女を愛するがあまり狂い、最後は殺人にまで手を染めた。

 ブロードウェイ史上最長ロングラン公演を記録し、勿論、日本でも有名な劇団で何度も何年も上演されている作品のタイトルは、『オペラ座の怪人』

 バーサーカー:ファントム・オブ・ジ・オペラ

 それが、彼の真名である。

 神話に語られる英雄ではなく、歴史を変えた戦士でもない。物語(フィクション)で語り継がれる恋に狂った怪人は、冬木の聖杯戦争で召喚されたバーサーカーたちと比べて魔力の消費がそこまで大きくはないのだ。

 召喚した場所の恩恵と、実際に召喚されたサーヴァントの霊基の規模のお陰で涼乃は魔力切れを起こして干からびるということはない。しかし、召喚されたサーヴァントのお陰で、成功したのは失敗したのか分からない現状なのである。

 

「エリック、おはよう」

「ああ、ムッシュ・ダーエ。今宵の舞台も5番ボックス席(私の席)へお招きしよう。愛しいクリスティーヌの舞台を共に」

「……夜まではまだ時間がある。さあ、こっちに」

 

 ファントムは、涼乃のことをクリスティーヌ・ダーエと誤認している。彼にとって涼乃は、狂うほどの恋をした歌姫であり、柳蔵はその父だった。バーサーカーは「狂化」スキルのせいで意思疎通ができないと聞いていたが、まさかこんな意味で意思疎通ができなくなるとは思ってもいなかった。

 ファトムは、クリスティーヌへの恋に狂い続けている。

 

「クリスティーヌ、クリスティーヌ。君の歌へ喝采を。歌姫へ手向けられる花は君だけに」

 

 ファントムは毎朝、神社の敷地内で花を摘んでいた。

 柳蔵が趣味の園芸で育てている落ちた花弁。境内の隅に咲く野生の花。時々、近所の氏子さんが早朝に持ってきたのを、いつの間にか受け取っていたりもする。

 花束にするには数も少ない花々をファントムは毎朝、手水舎の水盤に浮かべていた。数多の(いろ)が浮かぶ花手水は、朝日に照らされて美しく輝いている。見慣れた水盤がまるでライトアップされたかのように飾られているのを見た涼乃は、純粋に花の美しさに喜んだ。その彩に、幼い頃に母と一緒に集めたアクリル樹脂の宝石を詰め込んだお菓子缶を思い出したのだ。

 涼乃は花手水に喜んでくれると知ったファントムは、今朝も彼女へ捧げるべく花を集めて水盤を飾る。それもこれも、全ては愛しのクリスティーヌのために。そして、この花は自分に向けられている物ではないのに、毎朝の彩りを楽しみにしている自分がいることに涼乃はどうしようもなく呆れていた。

 ファントムがマスターである涼乃をクリスティーヌだと誤認しているお陰で、本来は殺人にも手を染める危険なサーヴァントは大人しく花を摘んでいる。もし、涼乃がマスター権と令呪を放棄して、また別の者がバーサーカーのマスターとなったのなら……怪人は暴走し、狂い果てて、地下迷宮での惨劇を繰り替える可能性もあるだろう。

 故に、涼乃は聖杯戦争を放棄することができなくなってしまった……否。

 

「……エリックが召喚されたのは、やっぱり私のせいかな」

 

 ファントムが召喚されたのは、自分との縁が触媒として機能してしまったのではないかと涼乃は考えていた。

 ああ、そう言えば、彼との出会いも自分の声からだった。

 

『……それと』

「はい」

『君、凄く声が綺麗だね』

「はあ」

 

 涼乃が都内の総合病院に勤めていた頃、内線電話をかけて来た医者は業務連絡の後にそう言った。後に、婚約者になる男だった。

 それから、院内で直接顔を合わせ、何度か食事に行ってデートに誘われ、恋人関係になって1年と3か月後にプロポーズされた。彼の涼乃もプロポーズを受け入れて年内に籍を入れるはずだった。

 お互いの両親への挨拶の訪問日も両家の顔合わせの日取りも決めて、電話越しに柳蔵の嬉しそうな声を聞いた次の日に涼乃は彼から呼び出された。呼び出された先のカフェには、背を丸くして俯く彼がいた。その隣には、同じ産婦人科に勤める後輩看護師がいた……嫌な予感がした。

 結果だけ言ってしまうと、婚約は破棄となった。

 後輩看護師と一夜の関係を持ってしまい、後輩看護師が彼の子供を妊娠したというのだ。

 俯き続けて涼乃と視線を合わせようとしない元婚約者と、わざとらしく鼻を啜りながらアウターの袖で目元を拭く後輩看護師を一瞥もせずカフェを出たのが2か月前のことだ。だから涼乃は、彼らと同じ職場だった病院を辞めて故郷に帰って来た。スーツケースを一つだけ抱えて帰って来た涼乃を、父は何も聞かずに優しく迎え入れてくれた。

 両家の顔合わせの前で本当に良かったと、漠然とそう感じてしまった。

 東京で住んでいた賃貸を片付けた際に、ほとんどの持ち物を処分して帰って来たが、スーツケースの中には捨てられかった物もいくつか入っていた。その中には、元婚約者に告白された日のデートで観に行ったミュージカル『オペラ座の怪人』の半券があった……これが、触媒になってしまったのではないか。

 微かな繋がりや心残りがあれば、それが召喚者との縁となってサーヴァントの呼び水になってしまうのかもしれない。楽観視して、生半可な覚悟もなくサーヴァントを……歴史に刻まれた英霊を使役する目的で呼び出そうとしてはいけなかったのだ。

 巻き込まれた一般人のはずなのに、召喚されてしまったサーヴァントの願いを叶えるために聖杯戦争を生き残ると言った詩ノ宮心護の方が、涼乃よりもずっとマスターとして覚悟があるではないか。

 今日も、涼乃はクリスティーヌとしてバーサーカーを「エリック」と呼ぶ。彼が、オペラ座の怪人にならないように。故郷でオペラ座の惨劇が繰り返されないように。

 

「涼乃。ライダーとそのマスターのことなんだが……」

「まだ日が沈まないうちから詩ノ宮さんを襲撃して、漁協も荒らして。これって、監督役からペナルティを与えるべきなのかな」

「うーん……これ以上、一般人にも危害を加えるようなら、それも考えなければならないか。ライダーのマスター、分かっているのは桐月(きりつき)強石(きょうごく)と言う名前と、県警の警察官であるということだけだが」

「警察官?」

「でも、キリツキって名前……どこかで目にしたような気が」

「聖杯の奇跡に縋ってでも、どうしても叶えたい願いがあるというかしら」

 

 ミュージカル『オペラ座の怪人』の半券は、ファントムが召喚されたその日に台所で燃やして捨てた。

 婚約指輪は、まだ捨てられずにいる。




バーサーカーのマスター:柳蔵 涼乃[秩序・善]
年齢:28歳
身長:160cm
魔術回路:量・C 質・C
好き・特技:花、料理
嫌い・苦手:我慢が得意な自分、恋愛
令呪:線香花火にも似た点対称の三つ巴の弧
備考:高校卒業までは巫女をやっていた。言霊の素養がある。
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