週が明けて月曜日がやって来た。大衆一般の感情としてはやって来て欲しくはないが、やって来てしまうのが世の常だ。現実は非情である。
いつもの心護だったら、夜が明けない内に起き出して徳田と一緒に野木の船に乗り込み海に出るが、本日は日が昇ってから起床した。漁禁止は未だに続いていたのだ。
聖杯戦争を知った今なら分かる。ゴールデンタイムである夜の時間帯に漁師たちにうろつかれたくないための措置だろう。心臓のない遺体が漂流して来たことも関係あるのだろうが、柳洞神社を始めとした監督側の組織が規制を敷いているのだ。
しかし、仕事が休みになっても素直に喜べない。特に、ここ最近の心護は支出が激しい。つい先日も、ワークランでちょっと高価な安全靴を買ったので、やはり食費が出奔したのだ。
「トイレと倉庫の蛍光灯の交換、終わりました」
「次は、そこの壊れた冷蔵庫を外に出して。冷蔵庫出したら裏のビールケース入れてね」
「っス」
ということで、心護はちょっとした小間使いをしていた。お小遣い程度の報酬で、若手・男手が欲しいところへお手伝いに行くのである。移住当初に同じようなことをしていたのを思い出して、漁が禁止の間の収入源として一時的に復活したのだ。
本日は、深潮の飲み屋街にあるスナック『メルヘン』に来ていた。女将さんの伝手で、彼女の同級生である
遺体が漂流して物騒な雰囲気になったことや、それによって警察の巡回が多くなったことにより夜の飲み歩きが減っているらしい。このままだと商売上がったりだと、今週から昼間営業をお試しで始めたと香名子ママが言っていた。
店内は半分以上席が埋まっており好評なようだ。見知った顔の漁師もいる……みんな海に漁がなくて暇なようで、かと言って家にいても居場所がないと愚痴っている。過半数は追い出されたようだ。
そして、店のカラオケマイクを握るアリアは、リクエストされた昭和の歌謡曲を歌い昼間から酔っぱらうオヤジらの歓声を浴びていた。
「いいぞ姉ちゃん!!」
「次、次は俺のリクエストを歌ってくれ!」
「歌えたら歌います」
「ほら、これお捻り!」
「ありがとう、ミスター」
アリアがオヤジらのリクエストに応えて歌い、お捻りとして千円札を受け取った。レオンモールの失態は繰り返してはいないため、オヤジらは失神していない。アリアの異常な歌唱力に素直な拍手とお捻りを贈っている。
アリアは無邪気に微笑みながらお捻りをメンダコのポーチの中に入れた。いつだったか、女将さんが「可愛かったからいっぱい買っちゃった。心ちゃんにもあげる!」と置いて行った、ふわふわの生地でできたメンダコ型のポーチをアリアはいつの間にか発掘して自分の財布としていたのだ。
ほどよくいい感じに酔っ払ったオヤジらからのお捻りで、順調にメンダコが肥えている。確実に、本日の心護の稼ぎよりアリアの方が稼いでいる。
ちなみに、昨夜テレビで放映されていた昭和と平成のヒットソングTOP50的な番組を観ていたアリアは、大体のメジャーな邦楽はすっかり覚えてしまいオヤジらのリクエストに応えられていたのだ。
「凄いわねあの子。昔、ここらに出入りしていた流しよりも稼いでいるんじゃない?」
「流しって何スか?」
「お黙り平成生まれ!」
心護が香名子ママに怒られたのを他所に、アリアは再び酔っ払いのリクエストを受けてカラオケ機はメジャーな演歌のイントロを流し始めた。
あの夜、杏華とランサーを見送ってから心護とアリアはたくさん話し合った。
これからのことについて、聖杯戦争について。そして、アサシンとしてのアリアについて……マスターとサーヴァントとして話し合い、死なないように聖杯戦争を生き抜こうと進路目標を決めた心護は、動きやすくて足元をしっかりと守ってくれるちょっと高価な安全靴を買ったのだ。足元は大事なのである。
アリアの真名は本人も心護も分からないが、彼女ができることは大体分かった。やはり、一番の武器になるのは、観客の心を感動で殺すほどの歌唱力だろう。アリアが
それでも、鄙びた田舎には不釣り合いな歌姫の歌唱は、片隅のスナックをスポットライトの当たる舞台かと錯覚させるまでの力がある。店内から漏れるアリアの歌声に引き寄せられて入店する客もいるぐらい、彼女の歌には確かに魔力があった。
その魔力が人々を魅了するのは、異常な歌唱力でも表現力でもない。『メルヘン』で多くのリクエストを受けて、多くの邦楽を歌う彼女を見ていて分かった……アリアは、歌姫は、その肉体を通して楽曲の登場人物たちを現実に出力するのだ。
田舎から上京する期待と不安が入り混じった少女。
都会へ出て行った幼馴染を待つ素朴な田舎の乙女。
そして、愛した男が自分のものにならないのならば、いっそ殺して誰のものにもならないようにする情念の女……アリアは、そんな女たちの人格と感情を、歌を用いて己に憑依させている。
今、歌っている演歌も、いじらしくも恐怖を感じるほどの女の執念を歌っている。男を追って雪山を超え、力尽きて真っ白な純雪の世界で終焉を迎えようとする女は、愛した男に看取られずに死ぬ無念を歌詞で嘆く。アリアの姿で出力された女は、誰も知らないところでその生命を終えようとしているが、死に間際の感情は呪いにも似た男への恋慕だ。
心護は、アリアへこの演歌をリクエストしたオヤジへ視線を向けた。クライマックスのサビを歌うアリアへ視線を向けられたオヤジは、さっきまで酒精で染まっていた赤い頬を白く青褪めている。凍死寸前の冷たい身体を愛した男の腕で温めてもらいたいなど、歌詞だけ読めば色っぽいかもしれないが、現実に起きてみれば恐怖を感じるほどの執着だ。普通に怖い。
次に目を覚ましたら、雪になって貴方の肩に降って下りたいと、女の人生がこと切れて伴奏が終わった瞬間にアリアは戻って来た。一拍置いてから、店内は再びの拍手に満たされた。リクエストしたオヤジは、無意識に自身の肩に手を添えて雪を払うような仕草をした。
「アリア、そろそろ休憩したらどうだ?」
「そうよ、さっきから歌いっぱなしじゃないの。何か飲みなさい、あたしの奢りよ」
「ありがとう、マダム」
「マダムなんて、何かくすぐったいじゃないの! ママで良いわよ。アリアちゃんだっけ? 本当に歌が好きなのね。好きじゃなきゃこんなに歌えないでしょ」
「いいえ……好き、と言うよりも。わたしは、歌うことしかできないから」
「……」
たくさん話し合ったが、アリアが持っているはずの聖杯にかける願いが何かは話してくれなかった。
アリアは言う。自分は、歌うことしかできない。歌しか自分の中にないと言う。
やはり彼女は、「歌姫」として歴史に刻まれた英霊なのだろうか?
『メルヘン』の扉が開いた。また、アリアの歌に引き寄せられたオッサンかと視線を向けると、完全に出来上がった酔っ払いが入って来た。
「酒くれ、酒!」
「式尾の爺さん。また昼間から飲んでるのね」
「うるせー昼間っからやってんだから飲むに決まってんだろ! 酒出せ、酒! 金ならいくらでもあるんだからよー!」
「ほら、こっちの席に座りなさい。酒の前にアラ汁でも飲んで酔いを醒ましな!」
香名子ママが見かねて入店して来た式尾の爺さんをボックス席へと手を引いた。
式尾の爺さんは深潮ではそこそこの有名人だ。悪い意味で。
「式尾の爺さん、最近羽振りが良いよな。盗みでもしたのか?」
「知らないのか。親父さんの病院が売れたんだってよ。ほら、兄貴が死んで、親父さんの病院だった土地と建物を相続したって言ってただろ」
「鷹鉾の式尾歯科か。でも、二束三文にもならないのに毎年固定資産税はかかるって文句言ってたじゃねえか。売れたのか? あんな不便なところにあるのが。どんな物好きだよ」
「かなり高く売れたみたいだぜ。ここ最近、あんな風に飲み歩いて散財しているし。この間も、『鳥信』で妙な恰好の女の子に焼き鳥奢ってたし……で、どんな奴に売ったのか訊いてみたらさ、爺さん覚えていないって言うんだよ」
「騙されたんじゃないの? その内、外国の会社がソーラーパネルでも建てるんじゃないのか?」
カウンターのオッサン2人の会話に耳を澄ませれば、式尾の爺さんの現状がよく分かった。田舎は情報の伝達が早い。
マジで騙されたかもしれないという考えと、そんなに高値で売れたのならば税金が大変なことになるのではないかという要らぬ心配が心護の中で駆け巡る。市役所の税務課で大騒ぎする式尾の爺さんは有名である。悪い意味で。
また来年、いつもより盛大にやり合うんだろうなーと、心護はオッサンらが空けたビール瓶を回収しつつそう思っていたら……突如、声をかけられた。
「その建物と土地、私が買ったんだ」
「っ!?」
心護は思わず持っていた空のビール瓶を落とした。ビール瓶は割れずにカウンターの向こうにゴロゴロと転がった。
その声は、カウンター席の端から聞こえた。雑然としたスナックには不釣り合いな、穏やかで品のある低い声……心護の視線が捉えたその人は、艶のある長いブルネットと褐色肌のエキゾチックな雰囲気の美青年だった。
『っ、いつからいた? ってか、こんな客いたか……?』
「水を一杯いただけるかな」
「は、はい」
「三曲ぐらい、彼女の歌を拝聴したよ。先の大量の魔力放出の原因は君たちか」
「……アンタ」
「あなた、マスターね」
「うん、そうだよ。ちなみに。私のサーヴァントは外で待ってもらっている。戦う意志はない。サーヴァントの歌を肴に一杯やっていただけだよ」
心護が少し乱暴にお冷のコップを置き、アリアが青年の隣に立つと、彼は隠しもせずに右手の甲を見せた。褐色の右手には、三日月を戴く蓮の花に似た令呪がくっきりと刻まれている。
カウンターには日本酒のグラスとお通しの皿が置かれていて、中はどちらも空だ。アリアの歌を三曲聴いたということは、確実に30分は『メルヘン』に滞在しているはずなのに、心護は彼の記憶が全くない。オッサンばかりの客層の中で、こんな目立つ若い男を見逃すはずがない。と言うか、香名子ママも放ってはおくまい。
まるで、誰も知らない内に生えた花の芽のように、この魔術師は店内に現れたのだ。
しかもこの余裕。クラス的には「暗殺者」であるアリアにこんなに間近に立たれても、臆しもせず臨戦態勢も取ることなく、自身のサーヴァントはこの場にないとまで言った。戦う意志はないと口では言っているが、心護たちは戦うに値しないとでも語っているかのような雰囲気も感じる。
「本当にアンタが爺さんから土地を買ったのか?」
「深潮での拠点にするためにね。ご老体がそのことを覚えていないのは、忘れるように暗示をかけたから。大丈夫だよ、身体に害はないから。日本人に好ましい言い方をすれば、オーガニクな処置をしたんだ」
「いえそれ、特定の層しか喜ばないから」
「魔術師は、自分の拠点となる魔術工房を造るのが普通ですね」by杏華
そういえば、先日杏華から聞いた。つまり、この青年は式尾の爺さんから買った土地と建物を魔術工房にしたということか。外国産のソーラーパネルよりももっとヤバいものができたのは気のせいか。
ついさっきまで心護たちに認識されていなかったのは、彼が使用する魔術の影響なのだろう。式尾の爺さんと同じように、忘れるように暗示がかけられていたのかもしれない。
この青年は杏華とも涼乃とも違う。望んで聖杯戦争に参加する魔術師なのだ。
「折角だから、挨拶だけしていくよ。だから、彼女を退けてくれないかな。マスター殺しのサーヴァントと呼ばれるアサシンが隣にいては、流石に心穏やかではない」
「アリア、大丈夫だから。コイツ、香名子ママに迷惑をかけるようなことはしないと思う」
「シンゴ……」
「ありがとう。シンゴ、だったかな。私は、アルジュン・チャンドラパドマ。アーチャーのマスターだ。以後、お見知りおきを」
魔術師―――アルジュンは、日本酒とお通しの代金として一万円札をカウンターに置いた。両腕にはたくさんの腕輪を着けていて、お釣りはいらないと振った右手がジャラリと音を鳴らす。アリアの横をすり抜ければ、スパイスのような花粉のような、嗅ぎ慣れない芳香がふわりと漂った。
心配になった心護がアルジュンを追って『メルヘン』の外に出ると、アルジュンに恭しく頭を下げる男がいた。彼もまた、アルジュンと同じ褐色の肌をしている。パリっと糊の効いたスーツを着て少し癖のあるブルネットを撫でつけた美丈夫だ。
アルジュンが彼に目配せすると、美丈夫は執事の如くスっと背後に控えた。
心護は察した。彼がアルジュンのサーヴァント、アーチャーだ。
「弓兵」の英霊、アーチャー―――
弓や銃を始めとした狙撃による遠距離攻撃に秀でた英霊が該当するサーヴァント。
「三騎士」の一角であり、近距離における白兵戦は火力不足ではあるが、遠距離攻撃だけではなく後方支援にも優れている。
思い出した。心護が漁協でライダーに襲撃された夜、青い火が暗闇を切り裂いて飛んでいた。時にはライダーを妨害していたが、よくよく考えてみればあの青い火も心護を狙ってきた。あれは、このアーチャーの攻撃だったのでは?
「……漁協で、ライダーと一緒に狙ってきたのってまさかアンタらか」
「開戦前に行動していたライダーを追ってみたら、令呪の兆しがあった君を襲撃していたからね。別にライダー陣営と結託している訳ではないよ。サーヴァントが召喚される前にマスター候補に退場願うのも戦略だ。でも、結果として君はアサシンのマスターになった。かつての襲撃を詫びる気はないよ」
「別に。これ、“戦争”だし」
心護の言葉に、アルジュンは薄っすら微笑んだ。その表情に、心護への殺意は感じられなかった。
「心ちゃん! この一万円を置いて行ったの誰?」
「さっきのお客が、釣りはいらないって」
「ま、太っ腹! 常連の連中じゃないわね。あら、どんな客だったかしら?」
「……旅行者って言ってました」
「昼営業もやってみるもんだわ。そうだ! 心ちゃん、午後も暇? キタムラの美果ちゃんが、新しいテーブルを入れるから男手が欲しいって言ってたんだけど行く?」
心護の小間使いはまだ続くようである。
***
「アルジュナは彼をどう思う?」
「勘は悪くはないようです。ライダーと対峙しても諦め悪く逃げ回り、一般人でありながらアサシンと共に聖杯を求める気概は、戦士の視点としては好ましくはあります。しかし……本当にただの
「ふーん……やはり、
深潮市の北西部。合併する前は
平成の大合併によって周辺の町村と共に深潮市になり、現在は深潮市鷹鉾町として存在している。深潮の中心街や林市に近い地域は住宅地としてそれなりに人が集まり新しい家が多く建つが、かつての巨大工場や寮があった郊外はほとんど手付かずのまま残っている。
その寮の近くにあり、かつては巨大工場の従業員のほとんどが通っていた歯科医院『式尾歯科』の跡地をアルジュンが購入し、自身の魔術工房としている。かなりの金額をキャッシュ一括で式尾の爺さんに支払っていた。
「彼に何度か呪詛を送ってみたが、全て返されてしまった。本人に会ってみてはっきりしたが、彼はどうやら呪詛返しをした自覚すらないようだ。いやはや、まさか極東の僻地で随分な逸材を見つけてしまったものだ」
「自覚のない呪術師ですか。厄介な。ですがご心配なく、マスター。このアルジュナ、最高のサーヴァントとしてマスターに勝利を」
「流石、英雄アルジュナ。
「必ずや」
アルジュンの工房には歪に咲いた花の株がある。これらは全て、アルジュンがアサシンのマスターこと心護に送った呪詛が、術者へ返って来た呪詛を身代わりで受けた結果の歪みであった。
アルジュンの見立てでは、心護はこれらの呪詛を無意識に返している……彼にはそれを無意識できる呪術の才能があるということだった。
無意識に才能を奮う一般人が最も予測がつかない。
嗚呼、やはり……あの夜の漁協で、躊躇せずにアーチャーに指示を出して始末しておけば良かったかな。
決して口には出さず、アルジュンは再び薄い唇で弧を描いて微笑んだ。
才能を秘めた良い人材を発掘するのは、嫌いではなのである。
アーチャーのマスター:アルジュン・チャンドラパドマ[秩序・中庸]
年齢:27歳
身長:178cm
魔術回路:量・B+ 質・B(変質あり)
好き・特技:“息子”、旅行、ガーデニング
嫌い・苦手:弟としての自分、伝統、頭の硬い老人
令呪:線対称な三日月を戴く蓮の花と葉。
備考:表の顔はインド国内でも有名な製薬会社の創業者一族。ぶっちゃけ金持ち。セレブ。