伝説の時代を束ねる者   作:千斗深雪

1 / 1
マルゼンスキー
第1話 『紅い閃光、その目覚め』


春の陽気が心地よい、トレセン学園の選抜レース会場。 未来のスターウマ娘を探そうと、多くのトレーナーたちが血眼になってコースを見つめる中、その「赤」は異彩を放っていた。

 

マルゼンスキー。 彼女の評判はすでに入学前から轟いている。良血、美貌、そして抜群のスタイル。 パドックを歩く姿は、これから走るアスリートというよりは、銀幕のスターがレッドカーペットを歩いているような華やかさがあった。

 

「あれが噂のマルゼンスキーか……」 「華があるなぁ。どこのベテラントレーナーが担当につくんだろうな」

 

周囲の感嘆の声をよそに、一人の新人トレーナーは手元のストップウォッチを握りしめたまま、眉をひそめていた。 彼は、彼女の笑顔の裏にある「違和感」を見逃していなかった。

 

    「各ウマ娘、ゲートイン完了……スタートしました!」

 

ゲートが開くと同時に、マルゼンスキーは好スタートを切った。 フォームは綺麗で、無駄がない。 コーナーを回るたびに歓声が上がる。 彼女は先頭を走り続け、そのまま危なげなく1着でゴールインした。

 

タイムは標準より少し速い程度。 それでも、2着のウマ娘には3バ身ほどの差をつけている。 ゴール後、彼女は息一つ切らさずに観客席へ手を振り、汗を拭う仕草さえ優雅だった。

 

「素晴らしい! 余裕の走りだ!」 「ぜひうちのチームに!」

 

レースが終わるや否や、彼女の元にはスカウトのトレーナーたちが群がった。 誰もが彼女の「勝利」を称賛し、その才能を褒めちぎる。 マルゼンスキーは「あらあら、困っちゃうわね」と笑いながらも、その瞳の奥はどこか冷めていた。 (……こんなものよね) 彼女にとって、今のレースはただの軽い運動と変わらなかった。 周りの子の呼吸音に合わせて、速度を調整して、最後だけちょっと前に出る。 そうしないと、誰もついてこられないから。 「速すぎる」ことは、時には「孤独」と同義だ。彼女はそれを幼い頃から知っていた。

 

  「――ねえ、君」

 

人垣をかき分けて、一人の男が前に出た。 まだバッジも真新しい、新人トレーナーだ。 マルゼンスキーは愛想笑いを浮かべて振り返る。

 

「あら、あなたも私のスカウト? 嬉しいけれど、今は順番待ちよ?」 「いや、スカウトじゃない。文句を言いに来た」

 

その場の空気が凍りついた。 ベテラントレーナーたちが「何だあいつは」とざわめく中、彼は真っ直ぐにマルゼンスキーを見据えて言い放った。

 

「今のレース、君はずっと手加減をしていただろ」

 

マルゼンスキーの笑顔が、ピクリと止まる。

 

「……どういう意味かしら?」 「コーナーの入り、直線の加速、ラストスパート。君は一度も地面を本気で蹴っていない。周りの速度に合わせて、ぶつからないように『気遣いの走り』をしてただけだ」

 

彼は一歩、彼女に近づく。

 

「退屈だったんじゃないか? そんな接待レースをして、楽しいか?」

 

図星だった。 あまりにも無遠慮で、しかし正確に核心を突いた言葉。 マルゼンスキーの瞳から、愛想の良い光が消え、鋭い観察者の色が宿る。

 

「……面白いことを言うボウヤね。じゃあ、どうすれば良かったって言うの?」 「証明してくれ。君の脚が、本当はどれだけの出力を隠しているのか」

 

トレーナーはコースのスタート地点を指差した。

 

「もう一本だ。今度は一人で走れ。周りに合わせる必要はない。抑制もいらない。  この学園のコースレコードを、君の全力で塗り潰してこい」

 

周囲からは「新人風情が何を」「オーバーワークだ」と野次が飛ぶ。 だが、マルゼンスキーは口元に挑戦的な笑みを浮かべていた。 こんなことを要求されたのは、初めてだった。 「速すぎるからもっと落とせ」ではなく、「もっと踏み込め」と言われたのは。

 

「いいわよ。その代わり……私が本気を出して、もしあなたの目が追いつけなかったら。  その時は私の荷物持ちからやり直してもらうわよ?」

 

「望むところだ」

 

    再び、ゲートに彼女が入る。 今度は一人きり。隣には誰もいない。 気を使う相手も、合わせる呼吸もない。

 

(思う存分、蹴っていいのね?)

 

ゲートが開く。 その瞬間、トレーナーたちが持っていた常識が砕け散った。

 

ドンッ!! という破裂音。 スタートダッシュの時点で、芝がめくれ上がる勢いが違う。 第一コーナーへ飛び込む角度が、速度が、異常だった。 遠心力をねじ伏せるような脚力。 赤い髪が残像となって尾を引く。

 

「な、なんだあの脚は!?」 「速すぎる! コースアウトするぞ!」

 

悲鳴は、瞬く間に沈黙へと変わった。 速い。ただひたすらに、速い。 ストップウォッチを押す指が震えるほどのタイムで通過しているのに、彼女の走りは乱れるどころか、加速するほどに安定していく。 強烈な向かい風さえも彼女を地面に押し付け、獣のような推進力が彼女を前方へと弾き飛ばす。

 

ホームストレッチ。 彼女の横を通り過ぎた風が、突風となって見ている者たちの帽子を吹き飛ばした。 新人トレーナーだけが、帽子を押さえもせず、その赤い閃光を目に焼き付けていた。 (これだ……僕が見たかったのは、この『怪物』だ!)

 

  ゴール板を駆け抜けた瞬間、掲示板に表示されたタイムを見て、会場が静まり返った。 選抜レースの域を超えている。 古馬のG1級のタイムを、デビュー前の新人が、単走で叩き出したのだ。

 

息を弾ませることなく、マルゼンスキーが戻ってくる。 その顔には、先ほどまでの作り物の笑みではなく、心の底からの高揚による紅潮があった。 彼女は柵に寄りかかり、唖然とする周囲を無視して、ただ一人、あの新人トレーナーに向かってウインクを投げた。

 

「……合格よ、トレーナー君」

 

彼女は手袋を外し、彼に向かって手を差し出す。

 

「私の隣、空けておいてあげる。  しっかりついて来なさいよ? 私、これからはもう、誰にも遠慮なんてしないから」

 

トレーナーはその手を強く握り返した。

 

「ああ。振り落とされないように、必死にしがみつくよ」

 

  これが、後に伝説となる「紅い閃光」と、その鍵を握る男の最初の契約だった。 日本中のウマ娘たちが、彼女の背中を拝むことすらできなくなる未来が、今ここで動き出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。