ヘルガ・ハッフルパフと不思議な国の猫   作:桜日和

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出会い

――ホグワーツ創設より少し前。

 

月が薄雲に隠れ、森は静謐な闇に沈んでいた。

その中心で、ひとつの影が淡く浮かんでいる。

 

煙のように揺らぐ毛並み。

輪郭はところどころ透け、まるで存在が世界に馴染めず迷っているような――不安定な姿。

 

チェシャ猫だった。

 

(・・俺は、どこへ行けばいい・・・?)

 

耳を澄ましても、記憶の底は空白だ。

何かを失ったのではなく、最初から空っぽだったような虚しさだけが胸に残る。

 

そのとき。

ふわり、と草を踏む音がした。

 

淡い黄色のランタンが木々の隙間から現れ、その光が霧を照らし出す。

その光の中心には一人の少女――まだ若く、頬に幼さの残る女性が歩いていた。

 

柔らかな麦色の髪。

明るい琥珀色の瞳。

ローブの袖には土の汚れがつき、彼女が優しい性格であることをそれだけで感じさせた。

 

若き日の ヘルガ・ハッフルパフ だった。

 

彼女は霧の中で漂うチェシャ猫を見つけた瞬間、足を止めた。

 

驚きで目を丸くし――

次の瞬間、その瞳がきらりと輝く。

 

「……なんて綺麗な生き物なの! こんなの、見たことないわ!」

 

恐怖はまったくない。

むしろ胸の奥から湧き上がるような、ときめきと好奇心が彼女の頬を赤く染めていた。

 

チェシャ猫は揺れた。

こんな風に自分を見つめる瞳を、今まで誰からも向けられたことがない。覚えもない。

 

(俺は……消えそうなのに?)

 

ヘルガはその言葉を聞いたかのように歩み寄り、そっと周囲の空気を確かめるように手を伸ばした。

触れようとするのではない。

無理に近づけようともしない。

ただ、そこにいる存在を「ちゃんと見たい」と思ったのだ。

 

「大丈夫よ」

 

彼女は優しく微笑んだ。

若い顔に宿った光は、まるで春の陽だまりのよう。

 

「消えそうなんかじゃないわ。ただ……迷っているだけ。居場所が見えなくて、不安になってるだけよね?」

 

チェシャ猫の輪郭がふっと揺らぎ、霧が晴れるように形を取り戻した。

 

こんなにもあたたかい視線は、初めてだった。

 

ヘルガは胸の前で手を組み、ランタンの光を少しだけチェシャ猫に近づける。

 

「もしよかったら……私の家に来てみない?

 あなたみたいな子、放っておけないもの」

 

普段から魔法植物や怪我をした動物を助けていた彼女にとって、目の前の存在は怖いものではなく――

 

“世界でいちばん不思議で、いちばん愛おしい出会い”だった。

 

チェシャ猫は静かに揺れて、やがてふわりと彼女の足元へ寄り添った。

 

ヘルガは嬉しそうに息を弾ませ、小さくつぶやいた。

 

「ようこそ、私の……とっても特別なお友達」

 

その瞬間、チェシャ猫の世界に初めて「色」が戻った。

こうして――

迷子の魂は、若き魔女に出会い、ホグワーツへと導かれていく。

 

彼らの物語は、ここから始まった。

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