ヘルガが大怪我を負ってから数日がたち、ようやく魔力も体力も戻った。
まだうっすらと傷の名残が疼く瞬間があるけれど、こうして庭に立って風を浴びると、やっと日常が戻った気さえした。
けれど――そのささやかな感覚はすぐに現実に引き戻される。
元の村の空気は相変わらず不穏だった。怯えたように閉ざされた扉、ささやかれる声、人間たちの恐怖が怒りへ形を変え、魔法族への非難として膨れ上がっていく。
チェシャ猫が庭ごと転移してくれたおかげで薬草は無事だった。
ヘルガは葉を摘みながら、静かに考える。
どうすれば魔女狩りは終わるのか。
「・・・やっぱり、私たちだけじゃ止められないわよね」
となりで丸くなっていたチェシャ猫が、片目だけ開く。
「当たり前だ。恐怖と愚かさは底知れないものだからな」
「だから、私たち以外の協力者が必要だと思うの。優秀で、私たちの考えを理解してくれるような仲間が・・・!」
ヘルガの声は揺れているのに、不思議と凛としていた。
チェシャ猫はため息をついた。
ヘルガの“こうと決めた”表情は止められない。
「それで?誰を頼るつもりだ」
「魔法族が集まるカフェで噂を聞いたの。呪文構成の天才ロウェナ・レイブンクロー、勇敢なゴドリック・グリフィンドール、それから魔法薬学の天才サラザール・スリザリン・・・まずはこの人たちを当たってみるつもりよ」
チェシャ猫は耳を伏せた。
「・・・聞くだけで胃もたれしそうなメンバーだな」
ヘルガはふふっと笑う。
「会ってみないとわからないわよ。意外と話が合うかもしれないわ」
「能天気」
「もう、本当に失礼な猫ね」
⸻
石造りの塔のような邸宅。扉を叩くと、ひんやりとした魔法の風がふっと吹き付けた。
その冷たさは、まるで家そのものが来訪者を選別しているようだった。
現れたのは、鋭い瞳に黒髪を流した、精巧に作られた彫像のような美女。
その姿だけで空気が張りつめる。
ヘルガが名乗るより先に、ロウェナは見透かすように言った。
「あなた達が来るのは見えていたわ。ヘルガ・ハッフルパフ。人助けばかりしている“お優しい魔女”だとか」
「それから、魔女に対して礼儀も知らない猫」
チェシャ猫の毛がぶわっと逆立つ。
「なんだその言い方は。気に入らねぇ」
ロウェナは眉ひとつ動かさない。
「魔女狩りの話をしに来たのでしょう?私の研究を中断して関わる価値なんてないわ」
ヘルガの言葉もろとも斬り捨てるような態度に、チェシャ猫が吠えそうになった瞬間、ヘルガがそっと尻尾を押さえた。
「そんな・・・でも、あなたの力が必要なのよ」
「知ったことじゃないわ。さぁ、帰って。時間の無駄よ」
冷たく突き放され、ヘルガは小さく頭を下げた。
「Ms.レイブンクロー。気が変わったら、ぜひ力を貸してね。・・・行きましょう、チェシャ猫」
「なんだあの女!あんな失礼なやつが猫に礼儀を説くな!」
ヘルガはふふっと笑う。
「彼女の知識は必要なのよ。でも・・・そうね、時間がかかりそうね。次はゴドリック・グリフィンドールのところへ行きましょう。正義感が強いって聞いたし、きっと話は合うわ」
「・・・期待しないでおくよ」
⸻
赤い布が揺れる、暖かみのある大きな屋敷。
控えめにノックをすると、扉の向こうに炎のように明るい笑顔の青年が立っていた。
「ようこそ!ヘルガさん、だよな?」
ゴドリック・グリフィンドールは決闘の跡を残す逞しい体で、話を聞くなり勢いよく立ち上がった。
「魔女狩りだって?そんなの黙って見てられるわけないだろう!もちろん俺も行く!」
「ありがとう!あなたならきっとわかってくれると思ってたわ!」
「ノン!俺のことはゴドリックって呼んでくれ!」
勢いに押されながらも、ヘルガは微笑んだ。
「じゃあ、よろしくね。ゴドリック!」
しっかりと握手を交わす2人。
チェシャ猫は呆れながらも、ヘルガの明るい笑顔を見て心のどこかが少し温かくなる。
「・・・単純な奴だな」
⸻
次の家は薄暗い森の奥、黒い蔦に覆われた屋敷。
サラザール・スリザリンは静かに扉を開け、冷たい瞳で二人と一匹を見下ろした。
事情を説明し終えると、彼は退屈そうに言った。
「魔女狩り?捕まるのは無能な魔法使いだけだ。私にメリットがないな」
チェシャ猫は立ち上がる。
「この――」
「待って、チェシャ猫」
ヘルガが制し、スリザリンは初めて興味深そうにチェシャ猫を眺めた。
「喋る猫・・・知能も高いようだ。何ができる?」
「お前ができることなら大抵できるさ」
「落ち着いて、チェシャ猫。あの、この子は結界魔法や治癒魔法が得意なの」
「ふむ。魔法薬学に使えそうだ。ではお前の唾液や体毛を提供するなら協力してやろう」
「・・・は?」
「何も臓物をよこせと言っているわけじゃない。良心的だろう」
「何でお前に――」
「もちろん、OKよ!」
ヘルガが元気よく答えてしまい、チェシャ猫はその場で固まった。
スリザリンは満足げに握手を交わす。
「ふっ、交渉成立だな」
⸻
スリザリンにロウェナの話をすると、彼は紙の山から手紙を取り出した。
『あなたといつか魔法薬学について話し合いたいです ロウェナ・レイブンクロー』
「ファンレター?」
「私が論文を出すたびに質問を寄越す人でね。ふむ・・・使えるな」
翌日、2人と一匹でロウェナの邸宅を訪れると、彼女はスリザリンを見て瞳を大きく揺らした。
「あなた・・・本当にMr.スリザリン?あの論文を十五本書いた・・・?」
憧れの人を前に、態度は一変して熱を帯びている。
スリザリンもどこか誇らしげに言う。
「いかにも」
「Oh!!!もちろん私も協力させてもらうわ!」
チェシャ猫は毛が逆立つのを感じた。
気に食わない奴と気に食わない奴が仲良くしている・・・ますます気に食わない。
しかしヘルガは心の底から安堵していた。
「こほん。・・・あなたたちの話、聞きましょう」
ロウェナは部屋の中に案内し、やっと四人がそろった。
チェシャ猫は小声でぼそり。
「最初からスリザリンを誘えばよかったじゃないか・・・」
⸻
後日、グリフィンドール邸宅。
ロウェナが地図を広げ、ゴドリックが拳を鳴らし、スリザリンは集めてきた資料を整え、ヘルガは温かい茶を配る。
チェシャ猫はテーブルの端で尻尾を丸め、彼らをじっと見ていた。
誰も気づいていなかったが・・・
その表情は、ほんの少しだけ柔らかかった。
こうして、魔女狩りを止めるための“最初の作戦会議”が始まった。
後に“ホグワーツの創設者たち”と呼ばれる四人と一匹の、最初の夜だった。