未熟なので、ひょっとしたら作中で矛盾点が出てきたりするかもしれません。
その際は遠慮なく指摘してください。
勢いで書きたいものを書いているので、モエちゃんを07世代にぶち込んでます。ご了承ください。
よろしくお願い致します。
閃光の残響
俺の人生を変えたのは、1回のウインクだった。
春休みの昼下がり。リビングの床に寝転がり、ミニカーを転がしていた。
ソファの脚にぶつけては引き戻し、また走らせる。少し前までつけていたゲームも、途中で飽きて放り出していた。退屈だったが、何かを始めるほどの気力もない。明日も休みだというのに、したいことが思い浮かばなかった。
父はテレビを見ていた。テーブルには飲みかけの缶と、手のついていないつまみ。普段なら俺にチャンネルを譲るのに、その日は中継が始まる前から動こうとしなかった。
音量が上がったので、なんとなく顔を向けた。
中京レース場。高松宮記念。芝1200メートル。
画面いっぱいに、白っぽい髪のウマ娘が映った。春の陽射しに目を細め、カメラを見つけると、顔の横で小さく手を振る。
カレンチャンだった。
名前くらいは知っていた。テレビをつければお菓子の宣伝に出ているし、学校では同じクラスの女子が髪飾りを真似していた。何がそんなにいいのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「カレンチャン、走るの?」
「走るぞ。レースは見たことなかったか」
「歌ってるのは見た」
父は短く笑い、画面を指した。
「じゃあ、見とけ。速いから」
ふうん、と返した。
カメラが隣のウマ娘へ移る。背が高く、引き結んだ口元には愛想の欠片もない。足元を確かめるように地面を踏み、それから真っ直ぐにコースを見た。
そっちの子の方が、ずっと強そうだった。
運動会のリレーでさえ、俺は走る前から腹が痛くなる。転ぶな、バトンを落とすな、抜かれるな。周りに迷惑をかけないように、そればかり考えていた。
あんなに大勢に見られて、にこにこしていられる気が知れない。
どうせアイドルだろう。
歌って踊るのが上手くたって、速く走れるとは限らない。あの怖い顔の子に抜かれて、泣きべそをかいて終わるんだ。
ろくにレースを見たこともない子供が、ずいぶん勝手なことを考えていた。
ゲートへ向かう直前、カレンチャンが振り返った。
歓声が上がる。彼女はそれに片手を上げて応え、笑顔のまま前へ向き直った。声に押される様子も、隣を気にする仕草もない。
少し、不思議だった。
あの場所で、どうしてあんな顔ができるのだろう。
ゲートが開いた。
白い髪が飛び出す。
速い。
さっきまで横一列にいたはずなのに、もう前にいる。周りも必死に腕を振っている。それでも、足を出すたびにカレンチャンが抜け出していく。
思わず上体を起こした。
カメラが走る姿を横から捉えた時、顔が見えた。
笑っていた。
口を開けて息をして、髪を風に流しながら。それでも、楽しくてたまらないという顔をしていた。
後ろの子たちは、あんなに苦しそうなのに。
「すごいなあ」
父が言った。俺は返事をしなかった。
カーブへ入ると、後ろから影が迫った。さっき強そうだと思った子だった。大きく腕を引き、外側から白い髪へ近づいていく。
差が縮まる。肩が並びかける。
あ、と思った。
捕まる。
直線へ向いた瞬間、カレンチャンが伸びた。
並びかけた肩が離れる。相手も追う。必死に脚を動かし、もう一度その横へ出ようとしている。
届かない。
ほんの少しだった隙間が、はっきりとした差に変わっていった。
『カレンチャン! ここから突き放す!』
実況の声が跳ね上がった。
「うわ……」
声が漏れた。
あんなに追っているのに。さっきまで、もう抜かれるところだったのに。
彼女だけが、まだ速くなる。
最後の坂へ入った。追う側の顔が歪む。前傾を深め、地面を蹴りつける。その必死さを置き去りにして、白い髪が駆け上がっていく。
カワイイのに、容赦がない。
どれだけ追われても、前を譲らない。笑ったまま、全員をねじ伏せている。
なんだ、これ。
俺が知っていたアイドルは、お菓子を持って笑う子だった。曲に合わせて踊り、カメラに向かって手を振る子だった。
その同じ子が、今、誰よりも強い。
「いけ」
気づいたら、膝立ちになっていた。
「いけ、いけっ!」
ミニカーは床に転がっていた。いつ手を離したのか、覚えていない。
父が何か言った。聞こえなかった。
もう誰も追いつけない。子供の目にも、それは分かった。それでも声を出さずにはいられなかった。
カレンチャンが、先頭でゴールを駆け抜けた。
圧勝だった。
ゆっくりと速度を落とす彼女へ、歓声が降り注ぐ。汗をかいた額に、白い髪が貼りついていた。胸が大きく上下している。それを見て初めて、息が切れるくらい走っていたのだと気づいた。
カメラが寄った。
彼女の顔が、こちらを向く。
口元がほころび、片目が、ぱちんと閉じられた。
俺は息を止めた。
――俺にした。
本気で、そう思った。
父にも、スタンドを埋めた何万人にも、全国のテレビの前にいる人にも、同じ顔が見えているなんて考えもしなかった。
見てた?
そう聞かれた気がして、大きく頷いた。
胸がうるさかった。レースは終わったのに、まだ叫びたかった。もう一度走ってほしかった。あの白い髪が、誰にも追いつかせずに駆けていくところを、もっと見ていたかった。
父に肩を叩かれて振り向くと、何がおかしいのか、にやにやしていた。
「速かっただろ」
頷いて、すぐにテレビへ向き直った。
次にいつ走るのか、聞かなければならなかった。
~~
それから、十数年。
俺の部屋は、カレンチャンで埋まった。
雑誌、ポスター、レースのパンフレット。小遣いを貯めて買った写真は、日に焼けないよう机の奥へ置いた。録画したレースは、実況を覚えるほど見返した。
勝つと分かっていても、直線では身を乗り出した。負けたレースは、何度見ても悔しかった。誰かが彼女を褒めているだけで、自分のことのように嬉しくなった。
熱狂的なファンだった。
閃光と呼ばれた彼女はターフを去り、結婚し、母親になった。だが、引退しても世間の目から消えなかった。SNSには毎日のように新しい写真が上がり、現役時代を知らない世代まで彼女を真似た。
カレンチャンは、今もカワイイ。
そこを少しも譲らないから、昔の映像だけを見ていれば済むようにはならなかった。俺が参考書を買う年齢になっても、部屋の写真は増えていた。
いつからか、レース前後の映像で、彼女の隣に立つ男を目で追うようになった。
担当トレーナーだった。
ゲートへ向かう前に、短く言葉を交わしている。勝って戻ったカレンチャンが、真っ先にその男を見つける。マイクには届かない会話のあとで、いつもの笑顔が少しだけ崩れた。
何を言ったのだろう。
俺が何度も巻き戻して見たその表情を、あの男はすぐ傍で見ていた。
羨ましかった。
「俺も、あんなウマ娘の担当になりたい」
進路を決めた理由は、そこだった。
あれほど強く、あれほど鮮やかに走るウマ娘を、自分の手で育てたい。いつか同じ舞台に立って、送り出す側になりたい。
憧れを仕事にするために、勉強を始めた。
筋肉の働き、呼吸、距離への適性。走っている間に身体のどこで何が起きているのかを知ると、見慣れた映像にも、今まで見えていなかったものが増えていった。
スタートの速さだけではない。加速しても崩れない姿勢、その速度を維持できる力。相手が迫った時に、もう一度脚を使える余裕。
俺がただ「速い」と叫んでいた走りは、その全部が揃って成り立っていた。
映像を止め、ノートに書き込む。別のレースを見て、同じところでまた止める。分かったつもりになっていたことを消し、余白へ書き足した。
学ぶほどに、彼女が凄くなる。
同時に、目指していたものが遠ざかっていった。
同じように飛び出せる子はいても、最後まで脚が持つとは限らない。終盤に強い子が、同じ速さで入れるとも限らない。姿勢を真似たところで、身体の作りも、力の使い方も違う。
あの走り方を教えれば、カレンチャンになれる。
そんな方法は、どこにもなかった。
身体だけ揃えたところで、あの顔で走れるだろうか。
苦しい時も、追い詰められた時も、自分のカワイイを手放さない。勝つために鍛えることも、人前で笑うことも、彼女には同じくらい譲れないものだったのだと思う。
子供の俺には、何もかも簡単そうに見えていた。
その笑顔ごと、彼女にしかできない走りだった。
カレンチャンになれるのは、カレンチャンだけだ。
そこまで分かってしまうと、もう「第二のカレンチャンを育てたい」とは言えなかった。
誰かを連れてきて、同じ練習をさせ、同じ距離を走らせる。その先であの姿になれなかったら、俺は何を言うつもりだったのだろう。
もっと速く。もっと強く。まだ彼女には及ばない。
そんな注文を、いつまで続けるつもりだったのか。
ノートを閉じた。
机の前では、あの日のカレンチャンが笑っていた。ゴール直後の写真だ。擦り切れるほど見てきた映像の、一瞬を切り取ったものだった。
あの光景を、俺の手でもう一度。
ずっと、それが夢だった。
しばらく写真を見ていた。やがて手元へ目を落とし、翌日の試験範囲を開いた。
第二のカレンチャンを目指すのは、やめる。
それでも、トレーナーにはなりたかった。
あれだけ必死になってゴールを目指すウマ娘たちの傍で、自分にもできる仕事があるなら、やってみたかった。覚えたことはまだ少ない。試験に受かったところで、いきなり誰かを勝たせられるわけでもない。
まずは、資格を取らなければ話にならなかった。
それからも、ノートは増えた。
試験前には朝まで机に向かい、通学中も参考書を開いた。覚えたはずの内容を間違えると、腹が立った。こんなことで本当に担当を持てるのかと、不安になる夜もあった。
机の前の写真は、そのままにしておいた。
新しい写真集の発売日も、忘れなかった。
好きなものは、好きだった。
~~
初出勤の朝、俺はトレセン学園の正門の前に立っていた。
真新しいトレーナーバッジが、胸にある。鞄には筆記用具とノート、それから事前に渡された書類。家を出る前に確かめたのに、駅でもう一度、中身を確認してしまった。
門の奥から足音が聞こえた。
ジャージ姿のウマ娘たちが、朝のコースへ向かっている。並んで話していた子が先に駆け出し、もう片方も笑いながら追いかけた。
ここからは、毎日あの速さを間近で見ることになる。
鞄の持ち手を握り直した。
誰の担当になるのか。何を任され、何ができるのか。まだ何も分からなかった。胸のバッジだけが、先に俺をトレーナーにしていた。
正門脇の受付で足を止める。
「本日から勤務する、絢原朔也です」
名乗った声は、思っていたより落ち着いていた。
案内された校舎へ歩き出すと、遠くのコースから、練習を始める声が聞こえた。
俺は一度だけ、そちらを振り返った。
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