アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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7話、マーチャンはカメラを持ち歩いていると思っていたんですけど、どうやら勘違いっぽいので後半の会話を修正しました。

マーチャンもってないのじゃよ。


10話 恐怖の仕送り(カワイイ)

8月も終わりの、ある日の放課後。

 

夏合宿を目前に控えたトレセン学園は、独特の熱気と祭りの前のような浮ついた倦怠感が入り混じった空気に包まれていた。蝉の声は心なしか勢いを失い、夕暮れの風には秋の気配が混じり始めている。だが西日は依然として強く、ブラインドの隙間から差し込む光がトレーナー室の床を容赦なく焼いていた。

 

そんな気怠い午後の静寂を破るように、部屋の中央に異質な「物体」が鎮座していた。

 

「なにこれ」

 

ソファに深く沈み込んでいたカレンモエが、心底嫌そうな顔で呟いた。彼女の視線の先にあるのは、俺の腰ほどの高さの巨大な段ボール箱。宅配業者が台車を使って運び込んだ時、廊下の床がミシミシと音を立てた。

 

宛名ラベルには達筆すぎる筆文字で「カレンモエ様」。差出人の欄には「カレン家一同」。

 

「実家からの仕送りみたいだな」

 

伝票を確認して告げると、モエはあからさまにげんなりした顔をした。

 

「はぁ。またぁ?」

 

「また?」

 

「定期的に送ってくるの。ママとパパが。もう開けたくないなぁ」

 

重いため息。カレンチャンと名トレーナーからの贈り物だ。世間のファンなら垂涎もの。だが当の娘にとっては「ありがた迷惑」でしかないらしい。

 

「開けないわけにもいかないだろう。生ものが入ってたら腐る」

 

「入ってるわけないよ。あの人たちが送ってくるものなんて、どうせ……」

 

言いかけて口を噤んだ。「予想はつくけど認めたくない」という諦めの色。

 

カッターナイフで梱包を解いた。

 

その瞬間、甘く華やかな香りが室内を侵食した。柔軟剤か香水か。トレーナー室には似つかわしくない、「カワイイ」を凝縮したような匂い。

 

「うわ」

 

モエが悲鳴に近い声を上げた。

 

箱の中身の8割は、色とりどりの洋服だった。フリル、リボン、レースをあしらったパステルカラーの私服たち。淡いピンク、空のようなブルー、クリームイエロー。お菓子の国のクローゼットをひっくり返したような光景。

 

タグにはL'eclat C(レクラ・シー)のロゴが金色に輝いている。カレンチャンがプロデュースする爆発的人気のアパレルブランド。新作が出れば即完売。その非売品が、ここにある。

 

「『モエちゃんへ♡ 今度の合宿で着てね! ママとお揃いだよ♪』……だって」

 

ピンク色のメッセージカードを読み上げて、モエは頭を抱えた。

 

「信じられない。私がこういうの着ないって分かってるくせに」

 

文句を言いながらも、山積みの服の中から一着のワンピースを摘み上げた。淡いブルーの生地に白いレース。袖口に小さなリボン。

 

体に当ててみると、くるりと振り返った。スカートの裾がひらりと舞う。小首を傾げ、上目遣いで俺を見た。

 

「ねぇ、トレーナー。これ、私に似合うと思う?」

 

棘のない声色。少し悪戯っぽく、試すような響き。

 

——ッ。

 

俺は息を飲んだ。似合う以前の問題だ。そこに立っていたのは、かつて俺が憧れた「閃光」の幻影そのもの。カレンチャンの面影に、モエ特有の凛とした空気が混ざり合い、強烈な引力を放っている。

 

可愛い。悔しいが認めざるを得ない。「似合うぞ」と言いたい衝動が喉元までせり上がる。

 

だが。ここでデレてはいけない。俺が顔を緩めたら、彼女は「結局アンタもカレンチャンの影を見てるだけのファンなのね」と軽蔑するかもしれない。共犯関係にヒビが入る。

 

俺はプロのトレーナーだ。彼女を「アイドル」として消費する側の人間ではない。

 

湧き上がるファン心理を鋼の意思でねじ伏せた。呼吸を整え、冷徹な指導者の仮面を被る。

 

「さあな。俺はファッションのことは分からん」

 

視線を逸らし、資料に目を落とすふりをした。

 

「トレーニングには不向きだ。動きにくいし、洗濯の手間もかかる。合宿に着ていくのは推奨しない」

 

「ふーん」

 

モエの口元から悪戯っぽい笑みが消えた。つまらなそうな、少し不満そうな顔。ワンピースを雑に箱へ戻す。

 

「相変わらず色気のない反応だね。ま、着ないけどさ」

 

危ない。冷や汗が背中を伝う。

 

服の山を掻き分けると、さらに別の「爆弾」が出てきた。

 

一冊のフォトブック。ハードカバー。表紙には現役時代のカレンチャン。書店で見かけるような煌びやかな写真ではない。自宅のリビングでリラックスした表情の、プライベートな一枚。

 

タイトルには「カレンチャン(ママ)のすーぱーかわいい未公開フォトブック♡(門外不出!)」が金の箔押し。

 

「ママの未公開フォトブック?」

 

モエがパラパラとページをめくる。パドックの裏側で集中を高める姿。合宿所の食堂で大盛りご飯を前に苦笑する姿。ソファでうたた寝する姿。メディアには絶対に出ない「素のカレンチャン」が満載。

 

俺の脳内で封印していたファン魂が絶叫する。激レアなんてものじゃない。国宝だ。重要文化財だ。

 

「いらない」

 

モエが無造作に放り投げようとした。

 

——やめろォォォ!!

 

スライディングでキャッチしたい衝動に駆られたが、動いてはならない。ここで反応すれば全てが水の泡。

 

爪が皮膚に食い込む痛みで正気を保った。

 

「ずいぶんとナルシストな贈り物だな」

 

喉から血が出る思いで冷淡な言葉を吐いた。

 

「え?」

 

モエが意外そうに俺を見る。少し安堵の色が見えた。

 

「親バカもここまで来ると凄まじい。フォームやコース取りの参考資料くらいにはなるか。そこに置いといてくれ」

 

そんなわけがあるか。自分で言ってて意味の分からない事を言った自覚しかない。

 

「ふーん」

 

拍子抜けしたように机の隅に置いた。ゴミ箱行きは免れた。

 

「で、最後はこれか」

 

俺は話題を逸らすため、箱の底に残っていた最後の物体を取り出した。

 

黒塗りの重厚な缶。ラベルには無骨な文字で成分表だけ。飾り気のないプロ仕様のパッケージ。

 

「プロテイン?」

 

「おそらくお父さんからだろう」

 

蓋を開け、粉末を指ですくって舐めた。そして目を見開いた。

 

「すごい」

 

演技ではなかった。純粋な感嘆。

 

「ホエイとカゼインの黄金比率。BCAAの含有量が市販品の倍以上。しかも人工甘味料を使っていない。天然素材だけで調整されている」

 

興奮気味に成分表を読み上げた。

 

「これはただの筋肉増強剤じゃない。過酷なトレーニングで損耗する筋繊維を即座に修復するための配合だ。出力を落とさずに、体の耐久性を底上げする。今の君が直面している課題にこれ以上ないほど合致した完全食だ」

 

缶を抱きしめんばかりの勢いで熱弁した。カレンチャンの写真を見た時よりも遥かに饒舌に、熱っぽく。

 

娘が無謀な道を選んだことを認めつつ、その体を気遣い、少しでも長く走れるようにと計算し尽くされた親父の愛の結晶。言葉はなくとも、この粉末が全てを語っている。

 

「これなら夏合宿のハードメニューにも耐えられるかもしれない。すごいぞモエ、最高の武器になる!」

 

笑顔でモエの方を向いた。きっと父親の不器用な愛を感じて喜んでくれるはずだ。

 

だが。

 

「なにそれ?」

 

氷点下の声。

 

「え?」

 

顔を上げると、軽蔑の眼差しを向けるモエがいた。

 

「さっき私が服を合わせた時は『分からん』とか棒読みだったくせに、プロテインにはそんなに食いつくわけ?」

 

ソファのクッションを掴んだ。生地が悲鳴を上げるほど強く握っている。

 

「冗談で『似合う?』って聞いた時、興味なさそうにしてたじゃない! なのになんで粉に対してはそんなに顔を輝かせてるのよ!」

 

「いや、このプロテインの質は極めて」

 

「うるさい! 私より粉の方が魅力的なわけ!?」

 

叫んだ。

 

「服や写真は資料扱いでスルーしておいて、なんで粉にだけ熱弁ふるってるの! 優先順位がおかしいでしょ!」

 

弁解しようとしたが言葉が出ない。ファン心理を隠そうと必死になるあまり、完全にバランスを間違えた。年頃の少女のファッションショーには鉄仮面、父親の粉には満面の笑み。意味の分からない「デリカシーのない筋肉バカ」にしか見えないだろう。

 

「デリカシーなさすぎ! 筋肉オタク! プロテインと結婚すれば!?」

 

豪速球のクッションが顔面に直撃した。

 

「ぶべラッ!?」

 

よろめいた拍子にプロテインの缶を取り落としそうになり、慌ててキャッチする。中身をぶちまけなくてよかった。

 

「ふんっ! もう知らない!」

 

モエは顔を真っ赤にして、フリフリの服が入った箱を蹴飛ばしてトレーナー室を出て行った。

 

バタンッ。廊下を走る足音が遠ざかる。

 

残されたのは、散らばった洋服と、国宝級の写真集と、最高級プロテイン。そしてクッションの直撃でジンジンと痛む俺の鼻。

 

「理不尽だ」

 

呟いた。俺はただ、彼女のプライバシーと俺の秘密を守るために写真をスルーし、トレーナーとして有益なアイテムを正当に評価しただけなのに。

 

いや、そうか。これでよかったのかもしれない。俺があの写真集や服を見てデレデレしていたら、彼女はもっと軽蔑しただろう。「結局ママのファンなのね」と。「デリカシーのない筋肉バカ」の方が、まだマシだ。

 

俺は立ち上がり、机の隅のフォトブックを震える手で取った。誰も見ていないことを確認し、そっとページを開く。

 

女神がいた。

 

——ありがとうございます、お父さん、お母さん。

 

心の中で五体投地した。この糧をエネルギーに変えて、必ず娘さんを勝たせます。

 

フォトブックを引き出しの最深部(鍵付き)に封印し、プロテインの缶を棚に飾った。

 

俺はカレンチャンに興味がない、仕事熱心な朴念仁トレーナー。その仮面を被り続けることが、モエとの共犯関係を守る唯一の道だ。

 

 

 

~~

 

 

 

その夜。寮の自室で、モエはベッドに顔を埋めていた。

 

——バカトレーナー。

 

思い出すだけで顔が熱くなる。ママが送ってくれた可愛い服。着たいわけじゃない。「アンチ・スプリンター」の私にはヒラヒラした服は似合わない。

 

だけど、ちょっとくらい「可愛い」って言ってくれてもいいじゃないか。冗談めかして聞いたのに、あんなに素っ気なくて。そのくせプロテインには目を輝かせて。成分表を読み上げる時のあの熱っぽい口調。私に向ける言葉よりずっと情熱的だった。

 

「私、粉以下かよ」

 

枕に八つ当たりしながら呟いた。女の子として見られていないことがこんなに腹が立つなんて。

 

スマホを取り出して裏垢を開いた。「黒い猫」。

 

「今日、実家から爆弾が届いた。トレーナーは私より(プロテイン)に興奮してた。本当に色気のない人」

 

書き込みながら、口元は少し緩んでいた。

 

もし彼があの服や写真集を見て目を輝かせていたら。「やっぱりカレンチャンは可愛いな」と言っていたら。きっと彼を許せなかっただろう。他の大人たちと同じように、私を通してママを見ているのだと絶望しただろう。

 

彼はカレンチャンを見なかった。私にも興味を示さなかったけど、少なくとも「ママの影」は見ていなかった。あくまでアスリートとして見てくれている。不器用な彼なりの誠実さだ。

 

——まあ、いいや。あの人らしいし。

 

それが演技だとは露知らず、モエは安堵していた。デリカシーはないけど、嘘はつかない人。

 

送信ボタンを押した。すぐに「ウマいね」がつく。無機質な風景アイコン。トレーナーのアカウント。

 

「お父様の(プロテイン)、大事に飲みましょう。明日のトレーニング後に用意しておきます」

 

クソ真面目なリプライに「ふふっ」と吹き出した。どこまでも仕事熱心で、どこまでもズレている。

 

「ほんと、バカ」

 

スマホを胸に抱き、目を閉じた。

 

あのプロテインは飲んでやることにしよう。悔しいけど、今の私に必要な成分であることは彼が保証してくれた。強くなるためなら、粉に負けるくらい我慢する。

 

窓の外で秋の虫が鳴き始めていた。阪神ジュベナイルフィリーズまで、あと3ヶ月。




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