アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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10話 恐怖の仕送り(カワイイ)

 

トレーナー室に戻ると、俺の椅子に段ボール箱が座っていた。

 

正確には、座面から大きくはみ出す箱を、背もたれでどうにか支えていた。机との隙間は完全に塞がれ、横を通ろうとすると、膝に角が当たる。

 

「モエ。この荷物は?」

 

「私も今、それ考えてた」

 

ソファの端で、モエがスマホから顔を上げた。薄手の黒いシャツに短いパンツという身軽な格好で、隣には練習着を入れた鞄がある。タキオンに見てもらうようになってから、練習の後にはここで映像を確認することが増えていた。

 

今日もそのつもりだったのだが、まず俺が座れない。

 

「事務室から電話が来てね。寮に送る分と、こっちに送る分、間違えたんじゃないかって」

 

「寮にも届いているのか」

 

「うん。同じくらいのが」

 

俺は伝票を確かめた。宛名はカレンモエ。差出人には、見覚えのある実家の住所が書かれている。

 

モエがスマホの画面を向けてきた。

 

『お洋服はトレーナーさんにも見てもらってね♡』

 

「間違いじゃなかった」

 

「……そうか」

 

「寮の方には何が入ってると思う?」

 

答えられずにいると、モエはスマホを伏せ、ソファの背へ頭を預けた。頭の上の耳まで、うんざりしたように横を向いている。

 

8月も終わりに近いというのに、箱を床へ下ろしただけで汗が滲んだ。俺はブラインドを少し閉め、引き出しからカッターを出した。

 

「開けていいか」

 

「どうぞ。中身が飛び出しても、私のせいじゃないから」

 

冗談だと思った。

 

テープを切った途端、押し込まれていた薄紙が持ち上がり、箱の蓋が勝手に開いた。

 

「……本当に出てきた」

 

「言ったじゃん」

 

中には、服が詰まっていた。

 

淡いピンク、空色、クリーム色。薄紙を1枚退けるたびに、リボンやレースが顔を出す。個別の袋に綺麗に畳まれているのに、それが隙間なく重なっているせいで、底がまるで見えなかった。

 

タグには金色の文字で、L'eclat C。

 

レクラ・シー。カレンチャンが手掛けるブランドだ。

 

俺が知っているだけでも、新作の発売日に販売ページが繋がらなくなったことがある。今、目の前にある服の中には、まだ店頭へ出ていないものもあるはずだった。

 

「全部、新しいの?」

 

モエは1番上の袋を持ち上げ、挟まっていたカードを読んだ。

 

「『モエちゃんへ。どれも絶対似合うと思うの。ママとお揃いもあるから、着たら写真を送ってね』……だって」

 

裏返すと、さらに文字があった。

 

「『迷っちゃったから、全部入れました』」

 

それは、箱を開けた時点で分かっていた。

 

モエはカードを机へ置き、袋を順に取り出し始めた。ブラウス、スカート、ワンピース。俺は渡されるものを受け取っていたが、途中で抱え切れなくなり、ソファの空いている側へ積み直した。

 

「これだけあれば、しばらく服を買わなくて済むな」

 

「着ればね」

 

モエが淡いピンクのブラウスを広げた。胸元に大きなリボンがついている。

 

「私が普段、こういうの着てる?」

 

「……あまり見ないな」

 

「家でも着てないよ。分かってて送ってくるんだから」

 

言いながら、畳む手つきは慣れていた。袖を内側へ折り、リボンが潰れないように上へ出してから、袋へ戻す。

 

次に出てきたのは、淡いブルーのワンピースだった。白いレースが裾に沿い、袖口には小さなリボンがある。先ほどのブラウスよりも飾りは控えめで、モエは袋から出した後、しばらく生地を眺めていた。

 

「これもお揃いかな……」

 

肩の部分を持ち、自分の身体へ当てる。裾の長さを確かめてから、こちらを向いた。

 

「ねえ。どう?」

 

俺は、受け取ろうとしていた手を止めた。

 

白い髪に、水色がよく映えていた。普段は黒っぽい服が多いせいか、いつもより顔立ちが柔らかく見える。顎を少し引いているのは、こちらの反応を窺っているからだろう。

 

よく似合っている。

 

それだけ答えればよかった。

 

だが、母親から届いた服だと意識した途端、余計なことを言ってしまわないかと考えた。本人が嫌がっているものを、俺の好みで持ち上げてどうする。そう構えている間にも、モエはこちらを見ていた。

 

「……涼しそうだな」

 

「エアコンの感想?」

 

「いや、服の」

 

「それは分かってるよ。私に似合うかって聞いてるの」

 

「似合っていると思う」

 

「今、考えて言ったでしょ」

 

「考えずに言う方が失礼だろう」

 

モエは何か言いかけ、結局、ワンピースを身体から離した。

 

「もういい。聞き方が悪かった」

 

俺は返事をしくじったらしい。

 

彼女はワンピースを畳んだ。他の服の山へ重ねるかと思ったが、自分の鞄の上へ置いたので、着る気が全くないわけではなさそうだった。

 

そこへ何か言い添える度胸は、もうなかった。

 

服を出し切ると、底から硬い箱と、ずっしりした袋が現れた。モエは先に平たい箱を開け、出てきた本を見た途端、顔をしかめた。

 

「うわ。何でこれまで入れてるの」

 

ピンク色の表紙に、金の箔押し。写真の中で、カレンチャンが笑っていた。

 

『カレンチャン(ママ)のすーぱーかわいい未公開フォトブック♡』

 

右下には、小さく『門外不出!』とある。

 

既に家から出ている。

 

モエが表紙を開くと、挟まっていたカードが落ちた。

 

『トレーナーさんにも見せてあげてね♡』

 

俺は、拾うために屈んだ姿勢のまま動けなくなった。

 

「ママ、暇なのかな」

 

「忙しいんじゃないか」

 

「じゃあ、忙しいのに何やってるの」

 

もっともな疑問だった。俺に聞かれても困る。

 

モエは立ったまま、ぱらぱらと頁をめくった。自宅らしいソファで眠っている写真。食堂で、大きな丼を前に笑っている写真。見覚えのある勝負服姿で、パドックの裏手に立っている写真。

 

最後の1枚を見た瞬間、思わず背筋が伸びた。

 

あのレースの日か。

 

髪飾りも、勝負服も、間違いない。中継が始まる前の、誰も見ていなかった時間だ。次の頁には、レースを終えた後なのか、タオルを頭に載せて座る姿があった。

 

見たことがない。

 

当然だ。未公開と書いてある。

 

分かっていても、もう少しゆっくりめくってほしかった。

 

「毎日見てた顔を、わざわざ本にして送ってくるんだもん」

 

モエは本を閉じ、ソファへ放ろうとした。

 

「角が」

 

声が出た。

 

彼女の手が止まる。

 

「角?」

 

「硬い表紙だ。そこへ投げると、服に引っ掛かるかもしれない」

 

青いワンピースは鞄の上だったが、ソファにもまだレースの服が積まれていた。助かった。いや、何が助かったというのか。

 

モエは本を見下ろし、それから俺へ差し出した。

 

「じゃあ、そっち置いて。寮へは持って帰らないから」

 

「ああ」

 

両手で受け取った。

 

重い。

 

印刷と製本が、妙にしっかりしている。これを個人的に作ったのか。何冊ある。いや、考えるな。今は机へ置くだけだ。

 

「……トレーナー、そんな端に置いたら落ちるよ」

 

「ああ。そうだな」

 

平静を装うことに気を取られ、机の端へ寄せすぎていた。書類を退けて、安定した場所へ置き直す。

 

モエは既に箱の底へ向き直っていた。

 

「で、パパからはこれね」

 

取り出したのは、プロテインの袋だった。見たことのある市販品で、味はココア。隣には新品のシェイカーがあり、こちらにもカードがついている。

 

丸みのある母親の文字と違い、几帳面な小さい字だった。

 

『前に、粉っぽいのは嫌だと言っていたので。いくつか試したが、これは飲みやすかった。水でもいける』

 

「お父さんが選んだのか」

 

「うん。家でも色々飲んでるから」

 

「いくつか試した、と書いてあるぞ」

 

「だから寮にも箱が来たんじゃない?」

 

俺はカードの続きを読んだ。

 

『他の味は寮へ送っておいた』

 

モエが、ほらね、という顔をした。

 

「お母さんとお父さんで、分担しているんだな」

 

「しなくていいんだけどね」

 

俺は袋の裏面へ目を通した。量の表示を確かめ、シェイカーの袋も開ける。以前ここで用意したものは、随分念入りに振ったつもりでも底に粉が残り、モエから『最後だけ砂』と不評だった。

 

「これなら、飲みやすいかもしれないな」

 

「気になるなら作ってみたら。味見くらい、していいよ」

 

「君も飲むか?」

 

「ちょっとだけね。夕飯の前だし」

 

手を洗ってから、表示どおりの量で作った。シェイカーを振る音が、服だらけの部屋に響く。蓋を開けると、馴染みのあるココアの香りがした。

 

モエの分をコップへ注ぎ、残りから自分の味見の分を取る。

 

飲んでみて、少し驚いた。

 

「……これはいいな」

 

モエがコップを口元へ運びかけたまま、俺を見た。

 

「そんなに?」

 

「ああ。前のより、ずっと飲みやすい。水で作っても薄い感じがしないし、後に変な甘さが残らない」

 

底にも粉の塊がなかった。シェイカーを傾けて確かめてから、袋の表へ目を戻す。

 

「前のは、冷やしたり、水の量を変えたりしてみたんだが、どうしても最後に残っただろう。これなら普通に振るだけで済む。あれで飲むのが嫌になるくらいなら、こっちの方がいい」

 

「……へえ」

 

「しかも、これなら牛乳を用意しなくていいんだな。遠征先でも作りやすい。買い足す時のために、商品名を控えておこう」

 

袋を机に立て、手帳を開いた。父親のカードも横へ置き、後でお礼を伝えようと考えていたところで、モエがコップを置く音がした。

 

「トレーナー」

 

「ああ。味はどうだった?」

 

「私の服は、涼しそう」

 

ペンが止まった。

 

「粉は、飲みやすくて、変な甘さがなくて、水でも薄くなくて、持っていくのも楽」

 

俺は手帳から顔を上げた。

 

モエはソファに座り直し、膝の上にクッションを抱えていた。

 

「ずいぶん喋るね」

 

「いや、これは前に使っていたものと比べられるから」

 

「私はいつも目の前にいるけど」

 

返す言葉を探した。

 

彼女が身を乗り出す。

 

「さっき、似合うって言うまで何秒かかった?」

 

「そんなものは測っていない」

 

「粉の感想はすぐ出てきたのに?」

 

机の上には、開いた手帳とペンがある。自分でも、随分熱心な姿勢を取っていたことに気づいたが、今さら閉じても遅かった。

 

「……服には、あまり詳しくないんだ」

 

「じゃあ私、成分表つけとけばよかった?」

 

モエがクッションを抱え直した。口調は静かなのに、全く落ち着いているように見えない。

 

「別に、褒め倒せって言ってないよ。どうかなって聞いただけ。それなのに、何で粉にはそんなに嬉しそうなの」

 

「嬉しそうだったか?」

 

「自覚もないんだ」

 

それは、まずかった。

 

写真のことから頭が離れたせいもあったのだろう。ようやく普通に話せるものが出てきて、必要以上に喋ってしまった。だが、その事情を説明できるはずもない。

 

「モエ。さっきの服は、本当に似合っていた。それをうまく言えなかったのは、悪かった」

 

「今、プロテインの横で言われても」

 

俺は袋を横へ退けた。

 

「そういうことじゃない!」

 

クッションが飛んできた。

 

胸元で受け止めたが、弾みで机の袋が倒れかけ、咄嗟に片手を伸ばした。開いている口を押さえ、どうにか粉がこぼれるのを防ぐ。

 

モエの目が、そこへ落ちた。

 

「……大事そうに守るじゃん」

 

「開いていたんだ。こぼれるだろう」

 

「もう、それと結婚すれば?」

 

まさか、粉との結婚を勧められるとは思わなかった。

 

モエは立ち上がり、鞄の上に置いていたワンピースを袋へ戻した。服の山から大きな紙袋を見つけ、そこへ入れてから、残りも次々と詰めていく。

 

「手伝おうか」

 

「いい。新婚さんは座ってて」

 

俺は立ったまま、プロテインの袋を持っていた。

 

座るのも違う気がした。

 

彼女は紙袋を2つに分け、片方を俺の机の脇へ置いた。

 

「こっちは明日、持って帰る。今日は寮の箱も片づけなきゃいけないから」

 

「分かった」

 

「本も、そこに置かせて。部屋にまでママの顔、増やしたくない」

 

「ああ。預かっておく」

 

「じゃあ、お疲れさま」

 

扉へ向かう途中で、モエがふと足を止めた。戻ってくると、机に残っていたコップを持ち上げ、中身を飲み干す。

 

そのまま流しへ運び、水でゆすいで伏せた。

 

「……味はいいね」

 

俺が何か答える前に、今度こそ出ていった。

 

廊下の足音が遠ざかってから、袋を机へ置き、抱えたままのクッションをソファへ戻した。

 

部屋には甘いココアの匂いが残り、俺の手帳には、商品名が半分だけ書かれていた。続きは後でいい。先に服を踏まないように片づけ、箱を畳まなければならなかった。

 

机の脇へ紙袋を寄せ、段ボールの底を開く。薄紙をまとめていると、あのピンク色の表紙が、どうしても目に入った。

 

俺は手を止めた。

 

見せてあげて、と書いてあった。本人も、ここに置くと言っていた。

 

読んでもいいのだろう。

 

廊下に誰もいないことを確かめてから椅子へ座り、表紙を開いた。先ほど見えたパドックの写真を探すつもりが、最初の頁で指が止まる。

 

カレンチャンが、カメラに向かって笑っていた。

 

現役時代の写真だ。髪が少し乱れ、肩にはタオルが掛かっている。すぐ脇には、撮影した家族のものらしい手書きの短い言葉があった。

 

しばらく、頁をめくれなかった。

 

それから、目の前に置いたままのプロテインへ視線を移す。

 

これだけ送ってもらって、俺は娘さんを怒らせたのか。

 

本を閉じ、柔らかい包装紙で包み直した。机の1番下の引き出しを開け、古い資料の上へ平らに置く。折れたり汚れたりしないのを確かめてから、鍵を掛けた。

 

プロテインの方は、きちんと口を閉じて棚へしまった。

 

明日は、どんな顔で会えばいい。

 

椅子の背へ寄りかかると、机の上に、母親のカードが残っていた。

 

『着たら写真を送ってね♡』

 

撮影を頼まれなかったのは、幸いだったのかもしれない。

 

~~

 

寮の荷物は、予想どおりだった。

 

私は箱からプロテインを取り出して、床へ並べた。ココア以外にも、バニラ、いちご、抹茶。大きな袋を送ると飲み切らないと思ったのか、小さめの袋で、味ごとに数袋ずつ入れてある。

 

そこまで考えてくれるなら、最初に何味がいいか聞いてほしい。

 

袋の間から、パパのカードが出てきた。

 

『合わない味は無理に飲まなくていい。持って帰ってくれれば、こっちで飲む』

 

最初から一緒に飲み比べればよかったのでは。

 

私はカードを机へ置き、持って帰ってきた紙袋を開けた。水色のワンピースを取り出して身体へ当て、鏡の前に立つ。

 

……普通に、似合うと思うんだけど。

 

肩の位置を合わせ、少し横を向いた。白いレースがひらりと揺れる。涼しそうなのは間違っていない。でも、あそこで真っ先にそれを言う?

 

「私、粉以下かよ」

 

口に出すと余計に腹が立った。

 

あの人、商品名まで控えていた。服の時なんか、返事を待っているうちにこっちが恥ずかしくなったのに。

 

適当に褒めたり、ママによく似ていると言ったりしないのは、いいところだと思っていた。その結果、粉の感想ばかり充実するとは聞いていない。

 

ワンピースをハンガーに掛け、スマホを持ってベッドへ転がった。鍵をかけたアカウントを開き、今日のことを書く。

 

『服よりプロテインを褒められた。そんなことある?』

 

投稿してスマホを伏せようとしたところで、LANEの通知が来た。

 

ママからだった。

 

『荷物、届いた? お洋服も見てもらえたかな♡』

 

私はLANEを開き、返信を打った。

 

『届いたよ。服よりパパのプロテインの方が喜ばれてた』

 

『ココア味、おいしかったでしょ♡』

 

「そこじゃないんだってば……」

 

返信を考えている間に、もう1つ届く。

 

『どれを合わせてみたの?』

 

『水色のワンピース』

 

少し間が空いた。

 

『あれ、カレンもお気に入りなの。一緒に着ようね♡』

 

話が全く進まない。

 

私は返信を諦め、スマホを伏せた。ママへ言えば、もう1回着て見せてと言われる。トレーナーへ言えば、もう1回似合うと答えるだろう。さっきよりも真面目な顔で。

 

そこまでさせたいわけじゃないのに。

 

また通知が鳴った。今度はトレーナーからだった。

 

『今日は、悪かった。服のことを聞かれていたのに、うまく答えられなかった』

 

私はベッドに横になったまま、その文章をしばらく眺めた。プロテインについては何も書いていない。

 

『もういいよ』

 

そう返してから、続けた。

 

『明日まで落ち込まないでね。練習しに行くんだから』

 

『分かった。準備しておく』

 

本当に、あの人らしい返事だった。

 

私はスマホを胸元へ置き、床に並んだ袋を見た。いちご味の向こうに、空になった大きな箱がある。机の下もクローゼットも、既に服の紙袋でいっぱいだった。

 

このままでは、朝、寝ぼけて踏む。

 

『寮の方にも、いっぱい来てた。何袋か、明日そっちに持っていっていい?』

 

返事は早かった。

 

『棚を空けておく。何味があった?』

 

私は、入力欄を見つめた。

 

服の時にも、それくらい聞いてほしかった。

 

『自分で見て。明日連れていくから』

 

『分かった。待っている』

 

待っているそうだ。

 

私はいちご味の袋を手に取り、明日の鞄へ押し込んだ。

 

「よかったね。お迎えが来るよ」

 

明日、私より先にこの袋へ手を伸ばしたら、持って帰ってやろうと思った。

 




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