アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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20話 サンタクロースは黒い影を纏って

20話 サンタクロースは黒い影を纏って

 

 

 

十二月二十四日。

 

世間はクリスマスイブの喧騒に包まれていた。街中が赤と緑で彩られ、どこからともなくジングルベルが聞こえてくる夜。

 

ここ、トレセン学園も例外ではなかった。校舎のあちこちにイルミネーションが飾られ、寮やトレーナー室から、楽しげな笑い声や音楽が漏れ聞こえてくる。普段は規律と静寂を重んじる学園も、今夜ばかりは無礼講だ。「羽目を外しすぎない限りは、多少の騒ぎも大目に見る」。そんな暗黙の了解が、学園全体を温かく包み込んでいた。

 

粉雪が舞うホワイトクリスマス。恋人たちにとっては最高のシチュエーションだろうが、俺たちにとっては、有記念を控えた、ただの火曜日だ。

 

とはいえ、今日はトレーニングも早めに切り上げた。暖房の効いたトレーナー室には、外の寒さを忘れるような、静かな時間が流れている。

 

「……はい、これ」

 

ソファに座っていたカレンモエが、立ち上がりながら小さな包みを差し出してきた。

 

綺麗にラッピングされた、手のひらサイズの箱。リボンの結び目ひとつにも、丁寧な仕事が見て取れる。

 

「え、俺に?」

 

「当たり前でしょ。……今日はクリスマスだし」

 

プイと顔を背けて、素っ気なく言った。だが、耳は少しだけ赤い。

 

「いつも迷惑かけてるし、その……お礼」

 

恐縮しながら受け取った。担当ウマ娘からプレゼントを貰うのはどうかとも思うが、純粋に嬉しい。

 

「ありがとう。開けてもいいか?」

 

「……うん」

 

包装紙を丁寧に剥がし、箱を開けた。中に入っていたのは、革製のパスケースだった。

 

シックな黒色で、有名ブランドのロゴが控えめに入っている。手触りが良く、縫製もしっかりしている。

 

俺が普段使っている、ボロボロで糸がほつれ、角が擦り切れたパスケースを見かねて選んでくれたのだろう。

 

「……いい革だな」

 

「店員さんが、長く使えば使うほど味が出るって。……トレーナー、物持ちだけは良さそうだし」

 

「ああ。大事にする」

 

素直に礼を言った。自分よりずっと年下の少女に、安くないものを買わせてしまったことが申し訳なくもあり、同時にその気遣いが嬉しくもある。

 

阪神JFでの敗北から数週間。彼女は確実に、前を向いている。その証のようなプレゼントだった。

 

「で、トレーナーからは?」

 

モエが、掌を上に向けて差し出してきた。

 

期待に満ちた瞳。レースの時の冷めた鋭さとは違う、年相応の輝き。

 

……やはり、こうなるか。

 

「あー……うん。ある」

 

俺はデスクの下から、用意していた紙袋を取り出した。少し大きめの、ずっしり重い袋だ。

 

「はい」

 

「わっ、大きい! なになに?」

 

モエは目を輝かせて袋を受け取り、ガサゴソと中身を取り出した。そして、固まった。

 

「……入浴剤?」

 

彼女の両手にあるのは、『全国名湯巡り・薬用入浴剤セット〔疲労回復・肩こり・腰痛に〕』と書かれた、渋いパッケージの箱だった。しかもドラッグストアで一番高い、業務用サイズだ。

 

「ああ。タキオンに成分分析を依頼してな。炭酸ガス濃度が通常の五倍で、血行促進効果が凄いらしい。毎日のケアに最適だ」

 

アスリートにとって、リカバリーは命だ。激戦で疲弊した彼女の体を気遣った、実用性重視のチョイスだった。

 

だが。

 

「……」

 

モエは無言で箱を見つめ、それからゆっくり俺を見た。その瞳は、冷え込んでいた。

 

「……マジ?」

 

「え?」

 

「クリスマスだよ? なんで『薬用』なわけ? 普通もっと、あるでしょ。バスボムとか、アロマキャンドルとか」

 

「いや、でも実用性が」

 

「そういうところが色気ないんだよ。トレーナーは」

 

モエはソファにあったクッションを掴み、全力で投げつけてきた。俺はそれを顔面で受け止めた。

 

「……まあ、使うけどさ」

 

ひとしきり暴れた後、モエはぶつぶつ言いながら箱を鞄にしまった。その顔は、怒っているようでいて、少しだけ嬉しそうにも見えた。口では文句を言いつつ、体を気遣っていることは伝わったらしい。

 

「最近、足の疲れが取れにくいし。……ありがと」

 

「おう。……無理はするな」

 

「分かってる」

 

少し気まずく、しかし温かい沈黙が流れた。

 

窓の外から、遠くの部屋で騒ぐウマ娘たちの笑い声が微かに聞こえてくる。二人きりのクリスマスイブ。恋人同士のような甘さはないが、戦友としての確かな絆がある。これでいい。

 

そう思っていた、その時だった。

 

 

 

バンッ。

 

ノックもなしに、ドアが勢いよく開いた。

 

「メリクリ〜っ☆」

 

静寂を打ち破る、底抜けに明るい声。そして、サンタクロースのコスプレをしたウマ娘が飛び込んできた。

 

「……ママ!?」

 

モエが絶叫する。そこにいたのは、カレンチャンだった。

 

ミニスカートのサンタ衣装を着こなし、両手には山のようなケーキの箱とチキンを抱えている。現役時代と変わらぬ——いや、母になってさらに深みを増した「カワイイ」を身に纏っている。

 

そして、その背後から。トナカイの角をつけた大柄な男性——モエの父親であり、俺の大先輩にあたる名トレーナーが入ってきた。

 

「お邪魔するぞ、絢原君」

 

「せ、先輩!? ……カレンチャンさんまで!?」

 

俺は椅子から立ち上がった。まさかの親御さん乱入。しかもクリスマスイブに。

 

「驚いた? ふふっ、サプライズ大成功♪」

 

カレンチャンは悪戯っぽく笑い、ケーキの箱をデスクの上に広げた。

 

「今日はね、家族水入らず……にトレーナーさんも加えて、パーティーしに来たの!」

 

「意味わかんない! なんでここに来るのよ!」

 

モエが抗議するが、カレンチャンは「いいじゃない、固いこと言わないの」と柳に風で受け流す。

 

廊下からは他の部屋のパーティーの音が聞こえている。「今日はどこも騒いでるんだから、私たちだっていいでしょ」という理屈らしい。

 

「ほら、パパも。シャンメリー開けて」

 

「よし」

 

パパさんが、慣れた手つきで準備を始める。俺のデスクがあっという間にパーティ会場へと変貌していく。抵抗する隙はなかった。これが、カレン家のペースか。

 

「……すみません、先輩。お気遣いなく」

 

恐縮していると、パパさんは「いいんだ」と笑って、クーラーボックスから缶ビールを取り出し、俺に手渡した。

 

「飲め。今日は無礼講だ。学園側にも話は通してある」

 

「はい。……いただきます」

 

プシュッ、と缶を開ける音。

 

乾杯もそこそこに、パパさんは俺の隣に座って、低い声で言った。

 

「……阪神JF、見たぞ」

 

空気が一変する。俺は背筋を正した。

 

あのレース。三着という結果。娘を預けた父親として、そしてかつて短距離界を席巻した名トレーナーとして、どう評価されているのか。叱責か、失望か。

 

「……申し訳ありません。勝たせてやれませんでした」

 

俺が頭を下げると、パパさんは首を横に振った。

 

「謝るな。……いいレースだった」

 

ビールを一口飲んで、遠くを見るような目をした。

 

「モエは、俺たち夫婦の言うことなんて聞きゃしない。頑固で、天邪鬼で……誰に似たんだか」

 

チラリとカレンチャンの方を見る。彼女はモエにケーキを食べさせようとして、「太るからいらないってば!」と全力で拒絶されている最中だった。微笑ましい親子の攻防。

 

「1600m。……正直、俺は反対だった。あいつの適性じゃない、と」

 

パパさんは俺の目を見た。

 

「だが、お前はあいつを信じた。……そして、あいつに夢を見させてくれた。あんなに必死な顔で走るあいつを、俺は初めて見たよ」

 

ゴツゴツした手が、俺の肩を叩いた。

 

「……よくやった」

 

「……」

 

胸が熱くなった。同じ職業の先人からの言葉が、重く響く。

 

「ただし」

 

パパさんの目が、鋭く光った。

 

「次は勝てよ。あいつを泣かせたまま終わらせたら、承知せんぞ」

 

「……はい。肝に銘じます」

 

その様子を見ていたカレンチャンが、「あー! パパだけズルい! 私もトレーナーさんとお話するー!」と割り込んできた。

 

「ほらトレーナーさん、あーん♡」

 

フォークに刺したイチゴを差し出してくる。至近距離。甘い香り。あざとすぎる上目遣い。

 

「ちょ、ママ! 何してんの!」

 

モエが慌てて止めに入る。

 

「えー? 感謝の印だよ? モエちゃんもする?」

 

「しないわよバカ!」

 

「ふふっ、照れ屋さんなんだから。……トレーナーさん、これからもあの子のこと、よろしくね」

 

カレンチャンが、ふと真面目な顔で微笑んだ。その笑顔は、アイドルではなく、母親の優しさに満ちていた。

 

「はい。……必ず、頂点に立たせます」

 

騒がしくて、温かくて、少しだけ胃が痛い夜。俺たちは、束の間の安息を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

翌日。十二月二十五日、有記念。

 

日本中が注目する、年末のグランプリ。中山場の芝2500m。俺とモエは、トレーナー室のテレビでそのレースを観戦していた。

 

『さあ、第四コーナー! 先頭は——』

 

画面の中で、歴戦のシニア級たちが死闘を繰り広げている。

 

距離2500m。モエの本職1200mの、倍以上。スタミナ、スピード、精神力。全てが試される、過酷な舞台。

 

冬の中山の直線を、一頭の漆黒の影が駆け抜けていく。

 

『マンハッタンカフェだ! マンハッタンカフェ、悲願のグランプリ制覇!』

 

菊花賞に続く、GⅠ二勝目。長距離の過酷なレースを制したのは、あの静かな、影のようなウマ娘だった。

 

スタミナ。そして、まだ見ぬ何かを追いかけるような、鬼気迫る末脚。ゴールした後も、遠くを見つめていた。

 

「……あの人、タキオンさんの」

 

モエが呟いた。アグネスタキオンの同室。タキオンが「興味深いサンプル」と呼ぶ長距離ウマ娘。

 

「……かっこいい」

 

モエは、画面に釘付けになったまま言った。

 

「長い距離を、あんなに力強く走るの……。限界を超えていく走り」

 

瞳には、純粋な憧れがあった。

 

自分の適性を呪うのではなく、自分にないものを持つ者へのリスペクト。そして、そこへ近づきたいという渇望。マンハッタンカフェの走りが、彼女の中の何かに、新たな薪をくべたようだった。

 

「トレーナー」

 

モエがこちらを向いた。クリスマスの時の少女のものではなく、アスリートの顔。

 

「私、決めたよ」

 

「何を」

 

「来年のローテーション。やっぱり、変えない」

 

ホワイトボードに貼られたカレンダーの、五月の日付を指差した。

 

「オークス。……2400m」

 

それは、阪神JFの1600mでガス欠を起こした彼女にとって、あまりに遠い距離だ。誰に話しても「やめておけ」と言われるだろう。

 

だが、彼女は逃げなかった。

 

「今回のマイルで分かった。私は、止まるのが怖いんじゃない。挑戦しないまま終わるのが怖いんだって」

 

拳を握りしめた。

 

カフェが駆け抜けた2500mの栄光が、彼女の網膜に焼き付いている。自分には無理だ、と諦める理由にはならなかった。むしろ、「私もあそこに行きたい」という燃料にしかならなかった。

 

「有記念を見て思ったの。……あんな風に走りたい。距離の壁なんて関係ない。私の全てをぶつけて、あの景色の中に立ちたい」

 

「……それが、どれだけ無謀な道でもか」

 

「うん。……どうせ、楽な道なんて私には似合わないし」

 

ニカっと笑った。その笑顔は、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。

 

無謀だ。トレーナーとして、止めるべきかもしれない。「君の適性はスプリントだ。高松宮記念を目指そう」と言うのが正解かもしれない。

 

だが、俺は首を縦に振った。

 

「……ああ。分かった」

 

止めたところで、この少女は止まらない。

 

なら、俺がすべきことは一つだ。彼女が2400mを走り切れるよう、あらゆる手を尽くして支えること。

 

タキオンの協力も、もっと必要になるだろう。カフェの走りを見た彼女なら、きっと手を貸してくれるはずだ。

 

「行こう、モエ。……無茶な道だが、一緒に行く」

 

「うん。……連れてって、トレーナー」

 

俺たちは、画面の中で歓声を浴びる勝者を見つめながら、静かに誓った。

 

来年。クラシック級。俺たちは「常識」を覆しに行く。

 

カレンダーをめくる。新しい年が、すぐそこまで来ていた。




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1年目はサクサク。
2年目はもう少し更新遅くなります。
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