2話が今の所1番納得いっていないので、多分そのうちまるっと書き直します。
今はこれで勘弁してください。
放課後。
俺は校門の前で、胃薬を飲み込んでいた。
今日の予定は一つ。担当ウマ娘の実家への挨拶回り。
普通なら緊張するほどのことじゃない。
普通なら。
「どうしたのトレーナー。これから処刑される囚人みたいな顔して」
制服姿のモエがやってきた。
「誰のせいだと思ってるんだ。これから『カレンチャン』と『有名トレーナー』に、『娘さんに適性外の距離を走らせます』って言いに行くんだぞ?」
「大丈夫だって。パパ、基本的には優しいから」
「それが一番怖いんだよ」
校門へ向かう途中、前方から猛スピードで走ってくる人影。
ジャージ姿。ハチマキ。ポニーテール。学級委員長にして短距離の絶対王者。
「げっ。バクシンオーさん……」
モエが俺の背後に隠れようとする。遅い。
「ッハーーハッハッハ! カレンモエさん! トレーナーさん! 奇遇ですね!」
急ブレーキ。靴底が地面を擦るギュッという音。
「お二人でお出かけですか! 門限までにはバクシンして戻ってきてくださいね! ……ところで!」
真面目な顔になった。
「先日の宣言、しかと記憶しておりますよ! 『私はスプリンターにはならない』。その意志は、揺らいでいませんね?」
「……うん。変えるつもりはないよ」
モエが身構える。「スプリントに来い」と言われると思ったのだろう。
だが、バクシンオーは腕を組み、うんうんと深く頷いた。
「結構! 実に結構です! その困難に挑む姿勢こそ、バクシン精神の極みです! 迷わず行きなさい! あなたが選んだ道を、誰よりも速く駆け抜けるのです!」
ガシッ、とモエの肩を叩く。痛いほどの力強さだ。
「バクシンバクシ~~ン!!」
砂煙を巻き上げて去っていった。
嵐のような先輩だ。でも、その底抜けの全肯定が、これから重い場所へ向かう俺たちの背中を少しだけ押してくれた。
「……疲れる人」
モエがため息をつくが、表情はさっきより明るい。
~~
都内某所。閑静な高級住宅街。
表札には、苗字と並んで『Curren』の文字。
「……城じゃないか」
「ただの家だよ」
インターホンを押す。
『はーい♪ どなたかしら〜?』
カレンチャンの声だ。プロとして感情を封印すると決めていても、脊髄が反応する。
「モエだよ。トレーナーも一緒」
『あらっ♪ 待っててね〜、すぐ開けるからね〜♪』
玄関が開いた。
「おかえりなさい、モエちゃん♪ トレーナーさんもいらっしゃい♪」
カレンチャン。
母親になった今でも、その輝きは衰えていない。むしろ大人の余裕と母性が加わって、「カワイイ」の概念そのものが服を着て歩いているような存在感。
この人が玄関に立っているだけで、高級住宅街の空気がさらに三割ほど華やかになっている。
「は、初めまして! 担当トレーナーの絢原と申します!」
直角に腰を折る。
「ん〜っ、そんなに硬くならないで♪ カレンだよ♪」
名刺を受け取りながら、小首を傾げて上目遣い。その瞳が、俺の全部を透かし見ているように感じるのは、気のせいじゃないだろう。
「さ、上がって♪ パパも待ってるよ♪」
リビングに通される。
カレンチャンの現役時代の記念品がセンスよく飾られた、広い空間。
ソファに、一人の男が座っていた。
「やあ、いらっしゃい」
穏やかな笑みで立ち上がったのは、仕立ての良いシャツをラフに着こなしたスマートな男性だった。整った顔立ちに知的な優しさ。「優男」が似合う。
だが、立ち居振る舞いに隙がない。この人はかつてカレンチャンを育て上げた有名トレーナー。モエの父親だ。
「初めまして、絢原です」
「モエの父です。楽にして」
対面のソファに座る。隣にモエ。
カレンチャンが紅茶を運んできた。
「はいどうぞ♪ カレン特製のブレンドだよ♪」
一口飲む。美味い。……いや、美味いが、何かが混じっている。柚子? シナモン? 紅茶に入れるものじゃないものが、確実に入っている。
モエが横から小声で囁いた。
「……ママのアレンジ。全部飲まなくていいから」
「……了解」
本題に入る。
育成計画書と同意書をテーブルに置いた。
「モエさんの担当トレーナーとして、正式にご挨拶に伺いました」
パパトレーナーが書類を手に取る。
ページをめくる音。
その手が、止まった。
『目標レース:トリプルティアラ路線(桜花賞・オークス・秋華賞)』
沈黙。
パパトレーナーが顔を上げた。笑顔のまま。でも、目が笑っていない。
「……絢原君。これは」
「はい」
「マイルから中長距離。スプリンターの娘に」
「はい」
静かな声だ。怒鳴らない。威圧しない。ただ事実を並べるように。
「彼女の骨格、筋肉の質、心肺機能。どこをどう見ても1200m、長くても1400mが限界だ。……君は、それを分かっていてこれを書いたのか」
「はい。分かっています」
「分かっていて、なぜ」
「彼女が望んだからです」
「パパ——」
モエが口を開こうとした。
「モエ」
パパトレーナーが娘の名を呼んだ。それだけで、モエが黙った。
「僕はこのトレーナーに聞いている」
この人の圧は、声量ではなく精度で来る。笑顔のまま、言葉のナイフで急所を突いてくる。
「……覚悟は分かった。だが、覚悟だけでは走れないよ、絢原君。具体的にどうするつもりだ」
「タキオンと組みます。彼女の肉体を、科学的に再構築する」
「タキオン? ……あの子か」
パパトレーナーの目が、初めてほんの少しだけ動いた。タキオンの名前には、さすがに反応するらしい。
「それでも、2400mは無謀だ」
「承知しています。でも——」
「あらあら♪」
不意に、カレンチャンの声が割り込んだ。
紅茶のカップを持ったまま、ソファの肘掛けに腰掛けている。さっきからずっと黙っていたのに、笑顔のまま。
「パパ、そのくらいにしてあげたら? トレーナーさん、顔真っ青だよ♪」
「カレン、今は——」
「ねぇ、トレーナーさん」
カレンチャンが、パパトレーナーを遮って、俺に直接話しかけてきた。
声のトーンは変わらない。♪がついてる。でも、空気が変わった。
「一つだけ聞いてもいい?」
「……はい」
「トレーナーさんは、モエちゃんのこと、どのくらい見てる?」
「……どのくらい、とは」
「うん。例えば——」
カレンチャンが、人差し指を頬に当てた。
「モエちゃんが、笑う時に左の口角だけ先に上がるの、知ってる?」
「…………」
知っている。知っているが、ここで答えるべきなのか分からない。
「怒ってる時に耳がぴくぴく動くの、気づいてる?」
「……気づいています」
「嘘をつく時だけ、ほんの少し声が高くなるの、知ってる?」
「……知っています。0.5音くらい上がります」
カレンチャンの目が、ほんの一瞬——本当に一瞬だけ、細くなった。
♪が消えた瞬間。
「……ふぅん」
それだけ。
それだけ言って、♪が戻った。
「パパ♪ この人、大丈夫だよ♪」
「……は? 今の三問で何が分かるんだ」
「全部♪」
カレンチャンが立ち上がった。紅茶のカップをテーブルに置く。
「モエちゃんの嘘が分かるトレーナーさんなら、大丈夫。あの子が本当に辛い時に、ちゃんと気づいてくれる人だから♪」
パパトレーナーが、口を開きかけて、閉じた。
この人が黙るのを、初めて見た。
「データとか、計画とか、そういうのはパパの方が詳しいでしょ♪ でも、カレンが知りたかったのは、そういうことじゃないの」
カレンチャンが俺を見た。
さっきまでの小悪魔のウインクでも、アイドルの営業スマイルでもない。
母親の目。
「トレーナーさん。あの子は強がりだから、本当に辛い時ほど笑うの。『大丈夫』って言う時が、一番大丈夫じゃない時なの。……それだけは、忘れないで」
「……はい」
「お願いね♪」
♪が戻った。一瞬で。切り替えが鮮やかすぎて、今の真剣な顔が幻だったのかと思うほど。
パパトレーナーが、大きくため息をついた。
「……カレン。君がそう言うなら」
「パパは心配性だからね♪ でも、モエちゃんが自分で選んだ人だよ? パパが紹介した優秀なトレーナーさんたちは、全員追い返しちゃったのに、この人だけ連れてきたんだから♪」
パパトレーナーが、ペンを取り出した。
同意書に、さらさらとサインした。
「……絢原君」
「はい」
「一つだけ。モエを泣かせるな」
短い。脅迫の演説はない。でも、その一言の方がずっと重い。
「レースで負けて泣くのはいい。だが、君のせいで泣かせたら——その時は、僕が出る」
「……肝に銘じます」
「よし」
パパトレーナーが書類を渡してきた。表情が柔らかくなっている。
「頼んだよ。モエは、僕たちの宝物だ」
「……ありがとうございます」
「パパ……」
モエが、少し潤んだ目で父親を見ている。
「頑張りなさい、モエ。お前が選んだトレーナーだ」
「……うん」
「じゃあ♪ お祝いにケーキでも食べましょうか♪」
カレンチャンが手を叩いた。修羅場が嘘のように、空気が一瞬で変わる。
ケーキが出てきた。美味い。だが、上にかかっているソースが明らかにおかしい。マーマレードとはちみつと……何かよく分からないもの。
「ママ特製のソースだよ♪ 美味しいでしょ♪」
「……美味しいです」
嘘だ。でも、カレンチャンが自信満々に微笑んでいるのを見たら、本当のことは言えなかった。
隣でモエが小声で囁く。
「……全部食べなくていいから。お腹壊すから」
「……了解」
帰り際。玄関で靴を履いていると、カレンチャンが後ろから声をかけてきた。
「トレーナーさん♪」
「はい」
「さっきの質問、三つとも正解だったけど——一個だけ、カレンしか知らないこと、教えてあげる♪」
「……なんですか」
「あの子ね。怒ってる時より、甘えたい時の方が、もっと口が悪くなるの♪ 気をつけてね♪」
ウインク。
「……覚えておきます」
カレンチャンが、最後にもう一度だけ、♪なしで言った。
「あの子のこと、よろしくね」
短い。飾りがない。だからこそ、重い。
俺は深く頭を下げた。
~~
玄関を出て、しばらく歩いたところで、俺は盛大にため息をついた。
「……死ぬかと思った」
「情けないなぁ。私のトレーナーでしょ」
モエがクスクスと笑う。
「……お前のお母さん、お父さんより怖いぞ」
「え? ママが? ……どこが?」
「あの三つの質問。あれで全部見抜かれた。パパトレーナーの圧より、あの笑顔の裏の方がよっぽど怖い」
内心、冷や汗が止まらなかった。
あの三つの質問に答えている間、カレンチャンの目は俺の全部を見ていた。
俺がモエをどう見ているか。どのくらい真剣に見ているか。
……そしてたぶん、俺がカレンチャン本人に対してどういう感情を持っているかも。
あの人には、全部バレているかもしれない。
「……トレーナー? 何ぼーっとしてるの」
「いや、何でもない」
「変なの」
モエが肩をすくめた。それから、ぽつりと言った。
「……ねえ、トレーナー」
「ん」
「ありがとう。逃げないでくれて」
「ちょっとだけ逃げたかったけどな」
「ちょっとだけ、ね」
モエがニカッと笑った。アイドルの笑顔でも、自嘲でもない。等身大の、生意気な笑顔。
「行こう、共犯者さん。……これから忙しくなるよ」
モエが差し出した拳に、俺は自分の拳を軽くぶつけた。
コン、という小さな音。
夕暮れの街を、二人で歩く。
カバンの中には、パパトレーナーのサイン入りの同意書。
背中には、カレンチャンの「よろしくね」。
重い。でも、温かい。
才能の壁というものが、覚悟だけで越えられるほど甘くないことは、まだ知らなかった。
誤字報告、評価や、感想、ここすきなど、よろしくお願いいたします。
キャラエミュ難しいよね(白目)