「……なんで私が」
たづなさんが、申し訳なさそうな顔でトレーナー室に来た。
事情はこうだった。
カレンモエが出走登録されるたびに、レースの格に不釣り合いな数の観客が押し寄せる。オープン特別にGⅢ並み、京阪杯にはGⅡ並み。阪神カップに至っては、GⅠ級の入りになった。
「ありがたいことなんです、本当に。でも、警備計画もチケット配分も全部、レースの格に合わせて組んでいるので……」
たづなさんの目の下にクマがある。本当に寝てないんだと思う。
「カレンモエさんの次走が発表されるたびに、急遽警備を増員して、臨時の導線を組み直して、チケットの追加販売の手配をして……正直、毎回バタバタで」
「……それは、すみません」
「いえいえ、カレンモエさんが悪いわけでは! ただ、その……もし公式の媒体で事前に特集を組ませていただければ、ファンの方の期待値をコントロールしやすくなるんです。『次はこのレースに出ますよ』という情報を、URA側で先に出せれば、現場の準備が格段に楽になります」
なるほど。私がたづなさんに協力すれば、現場の負担が減る。
雑誌の表紙撮影は、その一環。
「……でも、私は別に人気者になりたいわけじゃ——」
「もちろん分かっています。ですから、撮影は最小限で。表紙と、中のインタビュー数ページ分のカットだけ。お時間は半日もいただきません」
たづなさんが頭を下げる。深く、丁寧に。
……困ってるのは、本当なんだろう。
この人個人のせいでもない。私が出走するたびに、この人たちが裏で走り回ってくれていたのだ。
それに。
桜花賞の時、ターフに入ってしまったのを不問にしてくれたのはURAだ。
オークスの後、絢原さんがコース内に入る特例を認めてくれたのもURAだ。
あの二回、URAが融通をきかせてくれなかったら、今の私はここにいない。
「……一回だけ」
「ありがとうございます!」
たづなさんの顔がぱっと明るくなった。本当に助かったんだな、という顔。
「一回だけですからね」
念を押して、トレーナー室を出た。
後ろで絢原さんが「……恩返しだと思えば悪くないだろう」と小さく言った。
分かってる。分かってるけど、面倒くさいものは面倒くさい。
~~
撮影当日。
URAの施設内にあるスタジオ。
白いホリゾントの前に、照明機材が何台も並んでいる。
カメラマンは、四十代くらいの落ち着いた人だった。穏やかな目。でもカメラを構えた時の手つきに迷いがない。
「衣装は三パターン用意してあります。最初は制服で」
メイクが終わって、ホリゾントの前に立つ。照明が当たる。眩しい。
「はい、じゃあまず何枚か。リラックスして」
カシャ。カシャ。
「……うん、硬いですね。大丈夫、最初はみんなそうです」
硬い。当たり前だ。パドックやライブでカメラに向けるのは「アイドルモード」の仮面であって、こういう「撮らされる」状況とは全然違う。
「肩の力、抜きましょうか。……いいですね。顎を少し引いて」
カメラマンの指示が的確だった。
体のパーツを一つずつ調整してくる。言われた通りにすると、確かに体のラインが綺麗に出る。
「いい。その角度、すごくいい。目の力が出てきた」
褒め方も上手い。「可愛い」「綺麗」じゃなくて、「力が出てきた」「芯が見える」。
私の中のアイドルの部分じゃなくて、競走ウマ娘としての鋭さを引き出そうとしている。
……この人、分かってる。
カシャ。カシャ。カシャ。
シャッターの音が心地いい。パドックで浴びるカメラの音とは質が違う。あっちは無差別の機関銃。こっちは、一発一発に意味がある。
悪くない。ちょっとだけ、楽しくなってきた。
でも——まあ、この程度でいいか。
表紙一枚分。プロのカメラマンに七割で合わせて、そこそこの写真が撮れればそれでいい。
本気を出す理由がない。レースじゃないんだから。
「次、勝負服でいきましょう」
着替える。漆黒と銀の勝負服。
鏡の前で背筋が伸びた。この服を着ると、自動的にスイッチが入る。
……いや。入りかけて、止めた。
七割。七割でいい。勝負服を着てるからって、本気になる必要はない。
ホリゾントの前に戻ると、スタッフの空気が変わった。制服の時とは纏っているものが違う。
「そのまま。……少し顎を上げて。見下ろすように」
見下ろす。
カチリ。体の奥で何かが嵌りかけた。でも、押し込まない。七割。
レンズを見下ろす。その向こうにいる、まだ見ぬ読者を。
「私を見ろ」——の手前で止める。全力は出さない。
カメラマンが、小さく息を呑んだ。
「……いい。そのまま」
カシャ。カシャ。カシャ。
シャッターの速度が上がった。
七割でも、プロの腕と合わされば形になる。嫌々来たにしては上出来。
カメラマンが、ふとシャッターを止めた。
「ちょっと休憩しましょうか。……あ、トレーナーさん」
スタジオの隅で腕を組んで立っていた絢原さんに声をかけた。
「すみません、照明の角度を確認したいので、モニターの横に立っていただけますか。逆光の入り方を見たいんです」
「……分かりました」
絢原さんが、壁際からモニター横に移動した。
ホリゾントの前——つまり私から真正面に見える位置。
カメラマンが「ありがとうございます」と言って、照明のアングルを少しだけ調整した。
何でもない指示。ただの技術的な確認。
でも、結果として——絢原さんが、レンズのすぐ後ろに立つことになった。
私が正面を向けば、レンズの向こうに、あの人がいる。
カメラマンが再びファインダーを覗いた。
「はい、じゃあ再開しましょう」
レンズを見る。
その向こうに、絢原さんの顔が見える。腕を組んで、いつもの無表情。
でも、目だけが——こっちを見ている。
ちょっとだけ、嬉しかった。
見てくれてる。この人が、私を。
……あ。
そういえば。
この人、ママのファンだったんだよね。
引き出しいっぱいのファングッズ。擦り切れるほど読み返したフォトブック。出すことのなかったファンレター。
カレンチャンがカメラの前でどんな顔をしていたか、どんなふうに笑って、どんなふうに世界を支配していたか。全部知ってる人。
この人の中に、キラキラ輝いているママがいるんだ。
あの伝説のアイドルの最高の瞬間が、この人の記憶の中に住んでいる。
…………。
……気に食わないな。
別に、絢原さんがママのことを好きだったのは知ってる。もう怒ってない。あの引き出しの件は、とっくに許した。
この人が私を「カレンモエ」として見てくれていることも、疑っていない。
でも。
この人の記憶の一番いい場所に、ママが座ってるのは——気に食わない。
絢原さんは、私のだから。
パパにもママにも、あげないって決めたんだから。
なら——塗り替えてやる。
この人の中のキラキラしたママを、今日の私で上書きする。
体の角度を変えた。肩を落として、首を傾けて、レンズを睨みつける。
ママの「カワイイ」じゃない。私の「カワイイ」を。
カシャ。
「……おお」
カメラマンの声が変わった。さっきまでの穏やかなトーンじゃない。
「いい。すごくいい。もう一段、もう一段いけますか」
もう一段。
顎の角度を変えた。ほんの数ミリ。それだけで、レンズに映る私の印象が変わる。
知ってる。ママがテレビでやっていたのを、ずっと見ていたから。
でも、ママの真似をしても意味がない。
もっと冷たく。もっと鋭く。
カシャ。カシャ。
「目線、カメラから少し外して——」
カメラマンが指示を出しかけた。
でも、私の体はもう動いていた。
視線を外す。窓の方へ。首を傾けて、髪が肩から落ちる。
カメラマンが言おうとしていたことを、言われる前にやっていた。
「——あ。……はい。そう。それです」
カメラマンが黙ってシャッターを切った。追いついてきた。
次。
振り返る。レンズを正面から。勝負服の襟元に指を添えて、ほんの少しだけ崩す。
カシャカシャカシャ。
カメラマンの立ち位置が変わった。膝をついて、煽りのアングル。
遅い。もう次に行ってるのに。
一歩、前に出た。
勝負服の裾が翻る。銀の装飾が照明を弾いて、白い光の線が走る。
カメラマンが慌ててピントを合わせ直している。
もう、指示を聞いていなかった。
というより、聞こえなくなっていた。
カメラマンの声も、スタッフの気配も、スタジオの空調の音も。
全部、遠い。
私の世界に、入っている。
ここは私の場所。
このホリゾントは、私のステージ。
このレンズは、私のためにある。
この照明は、私を照らすためにある。
可愛い。
私は、可愛い。
ママとは違う可愛さ。もっと冷たくて、もっと傲慢で、もっと——触れたら斬れるような。
腕を組む。解く。髪を流す。視線を投げる。
全部、私のリズムで。私のタイミングで。
カメラマンが何か言っている。聞こえない。聞く必要がない。
シャッターの音だけが追いかけてくる。一歩遅れて、必死に。
合わせる気はない。
ついてきて。
私を愛せ。
レンズの向こうにいる全員に、そう命じている。
言葉にしていない。でも、体の全部がそう叫んでいる。
私を見ろ。私だけを見ろ。私を愛せ。
ママは関係ない。血統も関係ない。
これは私。私の可愛さ。私の傲慢。私だけのもの。
レンズを睨む。微かに口角を上げる。笑っているのか、挑んでいるのか分からない表情。
カシャ。
「…………」
スタジオが、静まっていることに気づいた。
いつから静まっていたのか分からない。
メイクさんが椅子から立ち上がっている。何かを見届けなきゃいけないみたいに。
アシスタントが手に持っていたレフ板を下ろして、ただ見ている。
たづなさんが口元を手で押さえたまま、微動だにしない。
全員が黙っている。声を出したら壊れる、と思っているみたいに。
でも、私はそれを見ていなかった。
周りの反応なんて、どうでもよかった。
私は私の世界にいた。「私は可愛い」だけが充満する、完璧な空間。
「……ねえ」
自分の口から声が出ていた。
「もっと撮りたいでしょ?」
カメラマンが、ファインダーから顔を上げた。
目が、驚いている。
「見たいでしょ? これだけじゃなくてさ」
勝負服の裾をつまんで、ひらりと翻す。
「他の衣装、持ってきなよ」
スタッフが一瞬固まって、それから弾かれたように動き出した。
たづなさんが「え、あの、私服のパターンも用意してありますが——」と慌てている。
「全部持ってきて」
何を言っているんだろう、私。
一回だけって言ったのに。表紙一枚だけって言ったのに。
でも、止まらない。
この空間が、気持ちいい。
レンズの向こうに「見る側」がいて、私が「見せる側」にいる。
この関係が、この力関係が、たまらなく心地いい。
スタイリストが慌ててラックごと持ってきた。ハンガーに並んだ私服が十数着。
ざっと見る。三秒。
手が伸びた。
これ。白いシフォンブラウスと、ネイビーのスカート。
これ。黒ロリィタ。レースとフリルを重ねた漆黒のドレス。
これ。オフホワイトのワンピース。
三着。迷わなかった。
スタイリストが「あ、その組み合わせは——」と何か言いかけて、黙った。
私の手が一度も止まらなかったから、口を閉じるしかなかったのだと思う。
最初の一着。白いブラウス。
着替える。鏡の前で、一瞬だけ足を止めた。
……こっちの方が、ある意味怖い。
勝負服は鎧だ。着れば自動的にスイッチが入る。
私服は、素の私。鎧なしの、ただの「カレンモエ」。
でも。
ホリゾントの前に立つ。照明を浴びる。
素の私でも、この空間は支配できる。
カシャ。
カメラマンの指が、震えた。
二着目。黒ロリィタ。
鏡の前で、自分でも笑いそうになった。
黒いレース。幾重にも重なるフリル。リボン。膝上のスカート丈。
こんなあざとい服、普段なら絶対に着ない。フリルとリボンは、ママの領域。カレンチャンの武器。
でも、今の私が着ると——違う。
ママがこれを着たら、甘ロリになる。ピンクと白の、全部を包み込む可愛さ。
私が着ると、黒ロリになる。同じフリルなのに、纏う空気がまるで別物。
ママのフリルは太陽。全員を笑顔にする光。
私のフリルは、牙。可愛いの皮を被った、「私を愛せ」の暴力。
ホリゾントの前に立つ。首を傾ける。黒レースの袖口に指を添えて、小首を傾げる。
あざとい。分かってる。分かっててやってる。
カメラマンがアングルを変える前に、私が先に動く。もう、追いつかせる気もない。
カシャ。カシャ。カシャ。
三着目。オフホワイトのワンピース。
これを選んだ理由が、自分でも一番分からなかった。
柔らかい生地。飾り気のないシルエット。勝負服とも、さっきの黒とも真逆。
でも、ホリゾントの前に立った瞬間——分かった。
これが、一番怖い。
武器を全部下ろした、丸腰の私。
それでもレンズを支配できてしまう私。
カメラマンが、シャッターを切る手を一瞬だけ止めた。
今日初めて。この人が、止まった。
「…………すみません。少し、圧倒されました」
プロが、弱音を吐いた。
でもすぐにファインダーに目を戻して、シャッターを切り直した。さすが。
レースの最終直線で、スタンドが一瞬だけ静まる瞬間がある。何かとんでもないことが起きている時、歓声すら追いつかない瞬間。
今日、このスタジオで、何度もそれが起きている。
「……最後に、一枚」
カメラマンが、かすれた声で言った。
この人の声だけは、届く。プロの声は、私の世界にも届く。
「レンズを、真正面から」
真正面。
レンズの向こうに、絢原さんがいる。
あの人の記憶の中のキラキラしたママを、今日の私で塗り替える。
これが最後の一撃。全部出す。
カシャ。
静かなシャッター音。
カメラマンが、ファインダーからゆっくりと顔を上げた。
「…………」
何も言わなかった。
数秒間、ただ私を見ていた。
それから、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
それだけ。プロの、静かな降伏。
~~
撮影終了。
着替えて、メイクを落として、素の顔に戻った。
鏡の中の私は、さっきまでレンズを支配していた人と同じ顔のはずなのに、全然違う。ただの、ちょっと疲れた、耳が赤い女の子。
……やりすぎた。
絶対やりすぎた。何あれ。何あの私。
スタジオを出ると、絢原さんが廊下で待っていた。
「……お疲れ」
「……うん」
並んで歩く。駐車場へ向かう廊下。
絢原さんが、いつもより口数が少ない。いつも言葉少ないけど、今日のは質が違う。
「……ねえ、トレーナー」
「……ああ」
「……どうだった」
長い沈黙。
「……俺は、カレンチャンのファンだった」
知ってる。
「あの人のステージも、写真も、結構な数見てきた。あの人がカメラの前に立った時の姿を、何度も見てきた」
「…………」
「お前は……違った」
「……違う?」
「カレンチャンとは違う。似ていない。……でも、目が離せなかった」
絢原さんが、前を向いたまま、静かに言った。
「あの人は太陽だった。全部照らして、全部包んで、誰もが笑顔になる光だった。お前は、そうじゃない。もっと冷たくて、鋭くて、見る側を射抜いてくるような——」
言葉を探して、見つからなくて、小さく息を吐いた。
「……うまく言えない。ただ、違うものだった。お前だけのものだった」
……お前だけのもの。
ママが気に食わなくて、塗り替えてやるつもりで全力を出した。
なのに、出てきたのはママとは全然違うもの。
なんだか、おかしい。ママを消そうとしたのに、出てきたのは「私だけのもの」。
最初から、ママと同じ土俵になんかいなかった。
「……悪くなかった」
「何が」
「撮影。一回だけって言ったけど。……悪くなかった」
「……そうか」
駐車場に出る。風が、火照った頬を冷やす。
悪くなかった。
面倒くさくて、嫌で、恥ずかしかったけど。
悪くなかった。
~~
同じ頃。
撮影スタジオ。片付けを終えたカメラマンが、機材ケースに腰掛けて電話をしていた。
「……ええ。おっしゃる通りでした」
電話の相手は、この撮影を依頼したたづな——ではなかった。
「最初は七割……いや、六割くらいでしたかね。プロとして十分なクオリティは出てたんですが、本気じゃないのは分かりました」
電話の向こうから、鈴を転がすような声が聞こえる。
『でしょ♪ あの子、やる気ない時は「そこそこ」で済ませちゃうの。器用だからね♪ でも——トレーナーさんを目に入るところに置いたら、変わったでしょ?』
「……変わったどころじゃありません。別人でした」
カメラマンは、データを確認しながら首を振った。
「トレーナーさんをモニターの横に立たせた瞬間から、目の色が変わりました。こちらの指示を全く聞かなくなって、自分のリズムで動き始めて……正直、僕は途中から追いつくのが精一杯で」
『あはは♪ そうなると思った♪』
電話の向こうの声が、楽しそうに笑っている。
カレンチャン。
この撮影の前日に、カメラマンの元に一本の電話があった。旧知の仲——カレンチャンの現役時代に、何度か撮影を担当したことがある。
『モエちゃんね、たぶん本気出さないと思うの♪ あの子、カメラの前では器用に七割で合わせちゃうから♪ でもね、一つだけ方法があるの♪』
『……なんですか』
『トレーナーさんを、あの子から見えるところに置いてあげて♪ 適当な理由つけて♪ そしたら、たぶんスイッチ入るから♪』
半信半疑だった。
だが、結果は——カレンチャンの言った通りだった。
「……いやぁ、とんでもないですね、モエちゃんは」
『でしょ♪ カレンの娘だもん♪』
嬉しそうな声。でも、その声の奥に、ほんの少しだけ別の色が混じっているのを、カメラマンは聞き逃さなかった。
誇り。そして——ほんの少しの、寂しさ。
「ただ、一つだけ言わせてください」
『ん?』
「あの写真は、カレンチャンとは全然違うものでした。太陽じゃなくて、月みたいな。……カレンチャンには撮れない写真です」
電話の向こうが、一瞬だけ黙った。
『…………ふふ♪ そっか♪ よかった♪』
声のトーンは変わらない。いつもの鈴のなるような声。でも、その声が少しだけ——ほんの少しだけ、震えたように聞こえたのは、気のせいだろうか。
『ありがとね、カメラマンさん♪ また撮ってあげてね、あの子のこと♪』
電話が切れた。
カメラマンは、しばらくスマートフォンの画面を見つめてから、撮影データのフォルダを開いた。
最後の一枚。レンズを真正面から射抜くモエの目。
……あの母親にして、この娘。
全然似ていない。でも、カメラの前に立った時の覚悟の座り方だけは、そっくりだった。
~~
一週間後。
トレーナー室で、絢原さんが神妙な顔をして電話を切った。
「……たづなさんから連絡があった」
「え、何。また撮影? 一回だけって言ったのに」
「違う。撮影データの話だ」
絢原さんがタブレットを操作して、画面を見せてきた。
メールに添付された、撮影データのサムネイル一覧。
「……は」
息が止まった。
サムネイルの一枚一枚が、小さい画像なのに、圧がすごい。
勝負服のカット。レンズを睨みつけている私。制服のカット。少しだけ柔らかい表情の私。
「たづなさんの話では、カメラマンが『こんな写真は初めてだ』と」
「……え」
「当初は表紙一枚と中ページ数カットの予定だったが、データの出来が良すぎて、編集部が特集を組みたいと言い出したらしい」
「特集って……」
「三週にわたる連続企画。表紙は三号連続。中身はインタビュー、レース振り返り、それから撮り下ろし写真のグラビア」
「さ、三週……? 三号連続表紙……?」
「たづなさんが電話口で興奮していた。『こんなことは前例がない』と」
「……ちょっと待って」
一回だけって言ったのに。表紙一枚だけって言ったのに。
……いや、途中から自分で「全部持ってきて」って言ったの、私だった。
「……私が悪いんじゃん」
「そうだな」
「……トレーナー、止めてよあの時」
「止められる空気じゃなかった」
それはそう。あの時の私は、たぶん誰にも止められなかった。
絢原さんが、少しだけ——ほんの少しだけ、口の端を緩めた。
この人にしては珍しい、笑いを噛み殺しているような顔。
「……笑ってる? トレーナー、今笑ってるでしょ」
「笑ってない」
「笑ってる! 目が笑ってる!」
「……事実を述べている」
絶対笑ってる。この人のポーカーフェイスは、もう騙されない。
「……で、三週連続はどうするんだ。断るか」
「……」
断る、のが正解なんだろうけど。
あの写真のサムネイルを見た時の、胸の奥のざわつきが消えない。
あれは、私だ。
ママのコピーじゃない、私だけのもの。
絢原さんがそう言った、あの「私だけのもの」が、写真の中に写っている。
「……断らなくていい」
「いいのか」
「撮影は一回だけ。その通り。追加の撮影は受けない。でも、一回で撮ったデータを使うなら……別に、いい」
「……分かった」
絢原さんがタブレットにメモを打ち込んでいる。たぶんたづなさんへの返信の下書き。
「……ねえ、トレーナー」
「ん」
「写真、どれが一番いいと思った?」
「……全部いい」
「そういうのじゃなくて。一枚だけ選ぶなら」
絢原さんの指が、タブレットの上で止まった。
少し考えてから、一つのサムネイルをタップした。
勝負服のカット。最後の方に撮った一枚。
レンズを真正面から射抜くような目。口元はほんの少しだけ上がっている。笑っているのか、挑んでいるのか分からない表情。
あれは、絢原さんがレンズの後ろにいた時の一枚だ。
ママに負けたくないと思った瞬間の。
「……この一枚は、カレンチャンには撮れない」
絢原さんが、静かに言った。
「…………」
返す言葉が出なかった。
胸が熱くて、目の奥がじわっとして、でも泣くようなことじゃなくて。
ただ、この人の前でだけは、ちゃんと「私」でいられた。
それが分かっただけで、今は十分。
~~
雑誌が発売された日。
朝の共有スペースで、マーチャンが目を輝かせていた。
「モエちゃん! 表紙見ました! すっごいです! マーちゃんの取材ノートに永久保存します!」
「……やめて」
「三号連続表紙ですよ! 歴代でも滅多にないんですよ! マーちゃん調べでは、三号連続はカレンチャンさん以来——」
「やめて。その名前出さないで。今」
マーチャンが不思議そうに首を傾げたけど、それ以上は言わなかった。
教室に行くと、知らないウマ娘たちの視線が、いつもより多い気がした。
雑誌を見たのだろう。廊下でひそひそ声が聞こえる。
「あの表紙の子、うちの学園の」「え、あのカレンモエ?」「すっごい綺麗……」「怖い……」
綺麗と怖いが半々。
……まあ、あの写真なら仕方ないか。あれは確かに怖い。自分で見ても怖かった。
放課後。
フジキセキ先輩がにこにこしながら寄ってきた。
「見たよ、表紙。いい写真だね。寮長として鼻が高いよ」
「……別に、頼まれただけです」
「それでもさ。モエちゃんの底力が出てたと思う。……ちょっとだけ、お母さんに似てたかな」
「……似てません」
「ふふ。似てないところが、似てるんだよ」
何を言っているんだこの人は。
帰り道、絢原さんの車に乗り込んだ。
助手席に座って、スマートフォンを見る。
SNSのトレンドに「カレンモエ」が入っている。
雑誌の表紙画像がシェアされて、拡散されている。
「……見ない方がいいぞ」
「分かってる」
分かってるけど、ちょっとだけ見た。
『この表紙やばくない? カレンチャンの娘でしょ? 遺伝子すごい』
『カレンチャンとは全然違う雰囲気だけど、めちゃくちゃカッコいい』
『怖い。でも目が離せない。何これ』
『月みたい。冷たくて鋭くて、でも綺麗』
……月、か。
マーチャンが前に、私のことを「月」と言っていた気がする。
スマートフォンを伏せて、窓の外を見た。
「……ねえ、トレーナー」
「ん」
「一回だけって言ったのに、大事になっちゃったね」
「お前が本気を出しすぎた」
「……トレーナーのせいだよ」
「何がだ」
「トレーナーが見てたから。あの時、スタジオで目が合ったから。……あれがなかったら、たぶんあんなことにはならなかった」
絢原さんが黙った。
しばらく車を走らせてから、ぽつりと言った。
「……俺のせいか」
「うん。全部トレーナーのせい。責任取ってよね」
「……何の責任だ」
「知らない。でも、トレーナーのせい」
窓に額をつけて、目を閉じた。
面倒くさくて、恥ずかしくて、やりすぎて。
でも、悪くなかった。
あの瞬間、レンズの向こうにいたのは読者じゃなかった。
絢原さんだった。
あの人の中のキラキラしたママが気に食わなくて、塗り替えてやりたくて。
結果として出てきたのは、ママとは全然違う、「私だけのもの」。
……次にカメラの前に立つことがあったら、もうちょっと手加減しよう。
たぶん。
たぶん、ね。
感想、評価ここ好きなどよろしくお願いします。