アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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ひょっとしたらミスってあげた61話を見た人いるかもしれませんが、わすれてくださいおねがいします


幕間 撮影会

「……なんで私が」

 

たづなさんが、申し訳なさそうな顔でトレーナー室に来た。

 

事情はこうだった。

 

カレンモエが出走登録されるたびに、レースの格に不釣り合いな数の観客が押し寄せる。オープン特別にGⅢ並み、京阪杯にはGⅡ並み。阪神カップに至っては、GⅠ級の入りになった。

 

「ありがたいことなんです、本当に。でも、警備計画もチケット配分も全部、レースの格に合わせて組んでいるので……」

 

たづなさんの目の下にクマがある。本当に寝てないんだと思う。

 

「カレンモエさんの次走が発表されるたびに、急遽警備を増員して、臨時の導線を組み直して、チケットの追加販売の手配をして……正直、毎回バタバタで」

 

「……それは、すみません」

 

「いえいえ、カレンモエさんが悪いわけでは! ただ、その……もし公式の媒体で事前に特集を組ませていただければ、ファンの方の期待値をコントロールしやすくなるんです。『次はこのレースに出ますよ』という情報を、URA側で先に出せれば、現場の準備が格段に楽になります」

 

なるほど。私がたづなさんに協力すれば、現場の負担が減る。

雑誌の表紙撮影は、その一環。

 

「……でも、私は別に人気者になりたいわけじゃ——」

 

「もちろん分かっています。ですから、撮影は最小限で。表紙と、中のインタビュー数ページ分のカットだけ。お時間は半日もいただきません」

 

たづなさんが頭を下げる。深く、丁寧に。

 

……困ってるのは、本当なんだろう。

この人個人のせいでもない。私が出走するたびに、この人たちが裏で走り回ってくれていたのだ。

 

それに。

 

桜花賞の時、ターフに入ってしまったのを不問にしてくれたのはURAだ。

オークスの後、絢原さんがコース内に入る特例を認めてくれたのもURAだ。

あの二回、URAが融通をきかせてくれなかったら、今の私はここにいない。

 

「……一回だけ」

 

「ありがとうございます!」

 

たづなさんの顔がぱっと明るくなった。本当に助かったんだな、という顔。

 

「一回だけですからね」

 

念を押して、トレーナー室を出た。

 

後ろで絢原さんが「……恩返しだと思えば悪くないだろう」と小さく言った。

分かってる。分かってるけど、面倒くさいものは面倒くさい。

 

 

 

~~

 

 

 

撮影当日。

 

URAの施設内にあるスタジオ。

白いホリゾントの前に、照明機材が何台も並んでいる。

 

カメラマンは、四十代くらいの落ち着いた人だった。穏やかな目。でもカメラを構えた時の手つきに迷いがない。

 

「衣装は三パターン用意してあります。最初は制服で」

 

メイクが終わって、ホリゾントの前に立つ。照明が当たる。眩しい。

 

「はい、じゃあまず何枚か。リラックスして」

 

カシャ。カシャ。

 

「……うん、硬いですね。大丈夫、最初はみんなそうです」

 

硬い。当たり前だ。パドックやライブでカメラに向けるのは「アイドルモード」の仮面であって、こういう「撮らされる」状況とは全然違う。

 

「肩の力、抜きましょうか。……いいですね。顎を少し引いて」

 

カメラマンの指示が的確だった。

体のパーツを一つずつ調整してくる。言われた通りにすると、確かに体のラインが綺麗に出る。

 

「いい。その角度、すごくいい。目の力が出てきた」

 

褒め方も上手い。「可愛い」「綺麗」じゃなくて、「力が出てきた」「芯が見える」。

私の中のアイドルの部分じゃなくて、競走ウマ娘としての鋭さを引き出そうとしている。

 

……この人、分かってる。

 

カシャ。カシャ。カシャ。

 

シャッターの音が心地いい。パドックで浴びるカメラの音とは質が違う。あっちは無差別の機関銃。こっちは、一発一発に意味がある。

 

悪くない。ちょっとだけ、楽しくなってきた。

 

でも——まあ、この程度でいいか。

 

表紙一枚分。プロのカメラマンに七割で合わせて、そこそこの写真が撮れればそれでいい。

本気を出す理由がない。レースじゃないんだから。

 

「次、勝負服でいきましょう」

 

着替える。漆黒と銀の勝負服。

鏡の前で背筋が伸びた。この服を着ると、自動的にスイッチが入る。

 

……いや。入りかけて、止めた。

 

七割。七割でいい。勝負服を着てるからって、本気になる必要はない。

 

ホリゾントの前に戻ると、スタッフの空気が変わった。制服の時とは纏っているものが違う。

 

「そのまま。……少し顎を上げて。見下ろすように」

 

見下ろす。

 

カチリ。体の奥で何かが嵌りかけた。でも、押し込まない。七割。

 

レンズを見下ろす。その向こうにいる、まだ見ぬ読者を。

「私を見ろ」——の手前で止める。全力は出さない。

 

カメラマンが、小さく息を呑んだ。

 

「……いい。そのまま」

 

カシャ。カシャ。カシャ。

 

シャッターの速度が上がった。

七割でも、プロの腕と合わされば形になる。嫌々来たにしては上出来。

 

カメラマンが、ふとシャッターを止めた。

 

「ちょっと休憩しましょうか。……あ、トレーナーさん」

 

スタジオの隅で腕を組んで立っていた絢原さんに声をかけた。

 

「すみません、照明の角度を確認したいので、モニターの横に立っていただけますか。逆光の入り方を見たいんです」

 

「……分かりました」

 

絢原さんが、壁際からモニター横に移動した。

ホリゾントの前——つまり私から真正面に見える位置。

 

カメラマンが「ありがとうございます」と言って、照明のアングルを少しだけ調整した。

 

何でもない指示。ただの技術的な確認。

 

でも、結果として——絢原さんが、レンズのすぐ後ろに立つことになった。

私が正面を向けば、レンズの向こうに、あの人がいる。

 

カメラマンが再びファインダーを覗いた。

 

「はい、じゃあ再開しましょう」

 

レンズを見る。

その向こうに、絢原さんの顔が見える。腕を組んで、いつもの無表情。

でも、目だけが——こっちを見ている。

 

ちょっとだけ、嬉しかった。

見てくれてる。この人が、私を。

 

……あ。

 

そういえば。

 

この人、ママのファンだったんだよね。

 

引き出しいっぱいのファングッズ。擦り切れるほど読み返したフォトブック。出すことのなかったファンレター。

カレンチャンがカメラの前でどんな顔をしていたか、どんなふうに笑って、どんなふうに世界を支配していたか。全部知ってる人。

 

この人の中に、キラキラ輝いているママがいるんだ。

あの伝説のアイドルの最高の瞬間が、この人の記憶の中に住んでいる。

 

…………。

 

……気に食わないな。

 

別に、絢原さんがママのことを好きだったのは知ってる。もう怒ってない。あの引き出しの件は、とっくに許した。

この人が私を「カレンモエ」として見てくれていることも、疑っていない。

 

でも。

 

この人の記憶の一番いい場所に、ママが座ってるのは——気に食わない。

 

絢原さんは、私のだから。

パパにもママにも、あげないって決めたんだから。

 

なら——塗り替えてやる。

 

この人の中のキラキラしたママを、今日の私で上書きする。

 

体の角度を変えた。肩を落として、首を傾けて、レンズを睨みつける。

 

ママの「カワイイ」じゃない。私の「カワイイ」を。

 

カシャ。

 

「……おお」

 

カメラマンの声が変わった。さっきまでの穏やかなトーンじゃない。

 

「いい。すごくいい。もう一段、もう一段いけますか」

 

もう一段。

 

顎の角度を変えた。ほんの数ミリ。それだけで、レンズに映る私の印象が変わる。

知ってる。ママがテレビでやっていたのを、ずっと見ていたから。

 

でも、ママの真似をしても意味がない。

もっと冷たく。もっと鋭く。

 

カシャ。カシャ。

 

「目線、カメラから少し外して——」

 

カメラマンが指示を出しかけた。

 

でも、私の体はもう動いていた。

 

視線を外す。窓の方へ。首を傾けて、髪が肩から落ちる。

カメラマンが言おうとしていたことを、言われる前にやっていた。

 

「——あ。……はい。そう。それです」

 

カメラマンが黙ってシャッターを切った。追いついてきた。

 

次。

 

振り返る。レンズを正面から。勝負服の襟元に指を添えて、ほんの少しだけ崩す。

 

カシャカシャカシャ。

 

カメラマンの立ち位置が変わった。膝をついて、煽りのアングル。

遅い。もう次に行ってるのに。

 

一歩、前に出た。

 

勝負服の裾が翻る。銀の装飾が照明を弾いて、白い光の線が走る。

カメラマンが慌ててピントを合わせ直している。

 

もう、指示を聞いていなかった。

 

というより、聞こえなくなっていた。

カメラマンの声も、スタッフの気配も、スタジオの空調の音も。

全部、遠い。

 

私の世界に、入っている。

 

ここは私の場所。

このホリゾントは、私のステージ。

このレンズは、私のためにある。

この照明は、私を照らすためにある。

 

可愛い。

 

私は、可愛い。

 

ママとは違う可愛さ。もっと冷たくて、もっと傲慢で、もっと——触れたら斬れるような。

 

腕を組む。解く。髪を流す。視線を投げる。

全部、私のリズムで。私のタイミングで。

 

カメラマンが何か言っている。聞こえない。聞く必要がない。

シャッターの音だけが追いかけてくる。一歩遅れて、必死に。

 

 

 

合わせる気はない。

 

 

 

ついてきて。

 

 

 

私を愛せ。

 

レンズの向こうにいる全員に、そう命じている。

言葉にしていない。でも、体の全部がそう叫んでいる。

 

私を見ろ。私だけを見ろ。私を愛せ。

 

ママは関係ない。血統も関係ない。

これは私。私の可愛さ。私の傲慢。私だけのもの。

 

レンズを睨む。微かに口角を上げる。笑っているのか、挑んでいるのか分からない表情。

 

カシャ。

 

「…………」

 

スタジオが、静まっていることに気づいた。

いつから静まっていたのか分からない。

 

メイクさんが椅子から立ち上がっている。何かを見届けなきゃいけないみたいに。

アシスタントが手に持っていたレフ板を下ろして、ただ見ている。

たづなさんが口元を手で押さえたまま、微動だにしない。

 

全員が黙っている。声を出したら壊れる、と思っているみたいに。

 

でも、私はそれを見ていなかった。

周りの反応なんて、どうでもよかった。

私は私の世界にいた。「私は可愛い」だけが充満する、完璧な空間。

 

「……ねえ」

 

自分の口から声が出ていた。

 

「もっと撮りたいでしょ?」

 

カメラマンが、ファインダーから顔を上げた。

目が、驚いている。

 

「見たいでしょ? これだけじゃなくてさ」

 

勝負服の裾をつまんで、ひらりと翻す。

 

「他の衣装、持ってきなよ」

 

スタッフが一瞬固まって、それから弾かれたように動き出した。

たづなさんが「え、あの、私服のパターンも用意してありますが——」と慌てている。

 

「全部持ってきて」

 

何を言っているんだろう、私。

一回だけって言ったのに。表紙一枚だけって言ったのに。

 

でも、止まらない。

この空間が、気持ちいい。

レンズの向こうに「見る側」がいて、私が「見せる側」にいる。

この関係が、この力関係が、たまらなく心地いい。

 

スタイリストが慌ててラックごと持ってきた。ハンガーに並んだ私服が十数着。

 

ざっと見る。三秒。

 

手が伸びた。

 

これ。白いシフォンブラウスと、ネイビーのスカート。

 

これ。黒ロリィタ。レースとフリルを重ねた漆黒のドレス。

 

これ。オフホワイトのワンピース。

 

三着。迷わなかった。

 

スタイリストが「あ、その組み合わせは——」と何か言いかけて、黙った。

私の手が一度も止まらなかったから、口を閉じるしかなかったのだと思う。

 

最初の一着。白いブラウス。

 

着替える。鏡の前で、一瞬だけ足を止めた。

 

……こっちの方が、ある意味怖い。

勝負服は鎧だ。着れば自動的にスイッチが入る。

私服は、素の私。鎧なしの、ただの「カレンモエ」。

 

でも。

 

ホリゾントの前に立つ。照明を浴びる。

 

素の私でも、この空間は支配できる。

 

カシャ。

 

カメラマンの指が、震えた。

 

二着目。黒ロリィタ。

 

鏡の前で、自分でも笑いそうになった。

 

黒いレース。幾重にも重なるフリル。リボン。膝上のスカート丈。

こんなあざとい服、普段なら絶対に着ない。フリルとリボンは、ママの領域。カレンチャンの武器。

 

でも、今の私が着ると——違う。

 

ママがこれを着たら、甘ロリになる。ピンクと白の、全部を包み込む可愛さ。

私が着ると、黒ロリになる。同じフリルなのに、纏う空気がまるで別物。

 

ママのフリルは太陽。全員を笑顔にする光。

私のフリルは、牙。可愛いの皮を被った、「私を愛せ」の暴力。

 

ホリゾントの前に立つ。首を傾ける。黒レースの袖口に指を添えて、小首を傾げる。

あざとい。分かってる。分かっててやってる。

 

カメラマンがアングルを変える前に、私が先に動く。もう、追いつかせる気もない。

 

カシャ。カシャ。カシャ。

 

三着目。オフホワイトのワンピース。

 

これを選んだ理由が、自分でも一番分からなかった。

柔らかい生地。飾り気のないシルエット。勝負服とも、さっきの黒とも真逆。

 

でも、ホリゾントの前に立った瞬間——分かった。

 

これが、一番怖い。

 

武器を全部下ろした、丸腰の私。

それでもレンズを支配できてしまう私。

 

カメラマンが、シャッターを切る手を一瞬だけ止めた。

今日初めて。この人が、止まった。

 

「…………すみません。少し、圧倒されました」

 

プロが、弱音を吐いた。

でもすぐにファインダーに目を戻して、シャッターを切り直した。さすが。

 

レースの最終直線で、スタンドが一瞬だけ静まる瞬間がある。何かとんでもないことが起きている時、歓声すら追いつかない瞬間。

 

今日、このスタジオで、何度もそれが起きている。

 

「……最後に、一枚」

 

カメラマンが、かすれた声で言った。

この人の声だけは、届く。プロの声は、私の世界にも届く。

 

「レンズを、真正面から」

 

真正面。

 

レンズの向こうに、絢原さんがいる。

あの人の記憶の中のキラキラしたママを、今日の私で塗り替える。

 

これが最後の一撃。全部出す。

 

カシャ。

 

静かなシャッター音。

 

カメラマンが、ファインダーからゆっくりと顔を上げた。

 

「…………」

 

何も言わなかった。

数秒間、ただ私を見ていた。

それから、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございました」

 

それだけ。プロの、静かな降伏。

 

 

 

~~

 

 

 

撮影終了。

 

着替えて、メイクを落として、素の顔に戻った。

鏡の中の私は、さっきまでレンズを支配していた人と同じ顔のはずなのに、全然違う。ただの、ちょっと疲れた、耳が赤い女の子。

 

……やりすぎた。

 

絶対やりすぎた。何あれ。何あの私。

 

スタジオを出ると、絢原さんが廊下で待っていた。

 

「……お疲れ」

 

「……うん」

 

並んで歩く。駐車場へ向かう廊下。

 

絢原さんが、いつもより口数が少ない。いつも言葉少ないけど、今日のは質が違う。

 

「……ねえ、トレーナー」

 

「……ああ」

 

「……どうだった」

 

長い沈黙。

 

「……俺は、カレンチャンのファンだった」

 

知ってる。

 

「あの人のステージも、写真も、結構な数見てきた。あの人がカメラの前に立った時の姿を、何度も見てきた」

 

「…………」

 

「お前は……違った」

 

「……違う?」

 

「カレンチャンとは違う。似ていない。……でも、目が離せなかった」

 

絢原さんが、前を向いたまま、静かに言った。

 

「あの人は太陽だった。全部照らして、全部包んで、誰もが笑顔になる光だった。お前は、そうじゃない。もっと冷たくて、鋭くて、見る側を射抜いてくるような——」

 

言葉を探して、見つからなくて、小さく息を吐いた。

 

「……うまく言えない。ただ、違うものだった。お前だけのものだった」

 

……お前だけのもの。

 

ママが気に食わなくて、塗り替えてやるつもりで全力を出した。

なのに、出てきたのはママとは全然違うもの。

 

なんだか、おかしい。ママを消そうとしたのに、出てきたのは「私だけのもの」。

最初から、ママと同じ土俵になんかいなかった。

 

「……悪くなかった」

 

「何が」

 

「撮影。一回だけって言ったけど。……悪くなかった」

 

「……そうか」

 

駐車場に出る。風が、火照った頬を冷やす。

 

悪くなかった。

面倒くさくて、嫌で、恥ずかしかったけど。

悪くなかった。

 

 

 

~~

 

 

 

同じ頃。

 

撮影スタジオ。片付けを終えたカメラマンが、機材ケースに腰掛けて電話をしていた。

 

「……ええ。おっしゃる通りでした」

 

電話の相手は、この撮影を依頼したたづな——ではなかった。

 

「最初は七割……いや、六割くらいでしたかね。プロとして十分なクオリティは出てたんですが、本気じゃないのは分かりました」

 

電話の向こうから、鈴を転がすような声が聞こえる。

 

『でしょ♪ あの子、やる気ない時は「そこそこ」で済ませちゃうの。器用だからね♪ でも——トレーナーさんを目に入るところに置いたら、変わったでしょ?』

 

「……変わったどころじゃありません。別人でした」

 

カメラマンは、データを確認しながら首を振った。

 

「トレーナーさんをモニターの横に立たせた瞬間から、目の色が変わりました。こちらの指示を全く聞かなくなって、自分のリズムで動き始めて……正直、僕は途中から追いつくのが精一杯で」

 

『あはは♪ そうなると思った♪』

 

電話の向こうの声が、楽しそうに笑っている。

 

カレンチャン。

 

この撮影の前日に、カメラマンの元に一本の電話があった。旧知の仲——カレンチャンの現役時代に、何度か撮影を担当したことがある。

 

『モエちゃんね、たぶん本気出さないと思うの♪ あの子、カメラの前では器用に七割で合わせちゃうから♪ でもね、一つだけ方法があるの♪』

 

『……なんですか』

 

『トレーナーさんを、あの子から見えるところに置いてあげて♪ 適当な理由つけて♪ そしたら、たぶんスイッチ入るから♪』

 

半信半疑だった。

だが、結果は——カレンチャンの言った通りだった。

 

「……いやぁ、とんでもないですね、モエちゃんは」

 

『でしょ♪ カレンの娘だもん♪』

 

嬉しそうな声。でも、その声の奥に、ほんの少しだけ別の色が混じっているのを、カメラマンは聞き逃さなかった。

 

誇り。そして——ほんの少しの、寂しさ。

 

「ただ、一つだけ言わせてください」

 

『ん?』

 

「あの写真は、カレンチャンとは全然違うものでした。太陽じゃなくて、月みたいな。……カレンチャンには撮れない写真です」

 

電話の向こうが、一瞬だけ黙った。

 

『…………ふふ♪ そっか♪ よかった♪』

 

声のトーンは変わらない。いつもの鈴のなるような声。でも、その声が少しだけ——ほんの少しだけ、震えたように聞こえたのは、気のせいだろうか。

 

『ありがとね、カメラマンさん♪ また撮ってあげてね、あの子のこと♪』

 

電話が切れた。

 

カメラマンは、しばらくスマートフォンの画面を見つめてから、撮影データのフォルダを開いた。

 

最後の一枚。レンズを真正面から射抜くモエの目。

 

……あの母親にして、この娘。

 

全然似ていない。でも、カメラの前に立った時の覚悟の座り方だけは、そっくりだった。

 

 

 

~~

 

 

 

一週間後。

 

トレーナー室で、絢原さんが神妙な顔をして電話を切った。

 

「……たづなさんから連絡があった」

 

「え、何。また撮影? 一回だけって言ったのに」

 

「違う。撮影データの話だ」

 

絢原さんがタブレットを操作して、画面を見せてきた。

メールに添付された、撮影データのサムネイル一覧。

 

「……は」

 

息が止まった。

 

サムネイルの一枚一枚が、小さい画像なのに、圧がすごい。

勝負服のカット。レンズを睨みつけている私。制服のカット。少しだけ柔らかい表情の私。

 

「たづなさんの話では、カメラマンが『こんな写真は初めてだ』と」

 

「……え」

 

「当初は表紙一枚と中ページ数カットの予定だったが、データの出来が良すぎて、編集部が特集を組みたいと言い出したらしい」

 

「特集って……」

 

「三週にわたる連続企画。表紙は三号連続。中身はインタビュー、レース振り返り、それから撮り下ろし写真のグラビア」

 

「さ、三週……? 三号連続表紙……?」

 

「たづなさんが電話口で興奮していた。『こんなことは前例がない』と」

 

「……ちょっと待って」

 

一回だけって言ったのに。表紙一枚だけって言ったのに。

……いや、途中から自分で「全部持ってきて」って言ったの、私だった。

 

「……私が悪いんじゃん」

 

「そうだな」

 

「……トレーナー、止めてよあの時」

 

「止められる空気じゃなかった」

 

それはそう。あの時の私は、たぶん誰にも止められなかった。

 

絢原さんが、少しだけ——ほんの少しだけ、口の端を緩めた。

この人にしては珍しい、笑いを噛み殺しているような顔。

 

「……笑ってる? トレーナー、今笑ってるでしょ」

 

「笑ってない」

 

「笑ってる! 目が笑ってる!」

 

「……事実を述べている」

 

絶対笑ってる。この人のポーカーフェイスは、もう騙されない。

 

「……で、三週連続はどうするんだ。断るか」

 

「……」

 

断る、のが正解なんだろうけど。

 

あの写真のサムネイルを見た時の、胸の奥のざわつきが消えない。

 

あれは、私だ。

ママのコピーじゃない、私だけのもの。

絢原さんがそう言った、あの「私だけのもの」が、写真の中に写っている。

 

「……断らなくていい」

 

「いいのか」

 

「撮影は一回だけ。その通り。追加の撮影は受けない。でも、一回で撮ったデータを使うなら……別に、いい」

 

「……分かった」

 

絢原さんがタブレットにメモを打ち込んでいる。たぶんたづなさんへの返信の下書き。

 

「……ねえ、トレーナー」

 

「ん」

 

「写真、どれが一番いいと思った?」

 

「……全部いい」

 

「そういうのじゃなくて。一枚だけ選ぶなら」

 

絢原さんの指が、タブレットの上で止まった。

少し考えてから、一つのサムネイルをタップした。

 

勝負服のカット。最後の方に撮った一枚。

レンズを真正面から射抜くような目。口元はほんの少しだけ上がっている。笑っているのか、挑んでいるのか分からない表情。

 

あれは、絢原さんがレンズの後ろにいた時の一枚だ。

ママに負けたくないと思った瞬間の。

 

「……この一枚は、カレンチャンには撮れない」

 

絢原さんが、静かに言った。

 

「…………」

 

返す言葉が出なかった。

 

胸が熱くて、目の奥がじわっとして、でも泣くようなことじゃなくて。

 

ただ、この人の前でだけは、ちゃんと「私」でいられた。

それが分かっただけで、今は十分。

 

 

 

~~

 

 

 

雑誌が発売された日。

 

朝の共有スペースで、マーチャンが目を輝かせていた。

 

「モエちゃん! 表紙見ました! すっごいです! マーちゃんの取材ノートに永久保存します!」

 

「……やめて」

 

「三号連続表紙ですよ! 歴代でも滅多にないんですよ! マーちゃん調べでは、三号連続はカレンチャンさん以来——」

 

「やめて。その名前出さないで。今」

 

マーチャンが不思議そうに首を傾げたけど、それ以上は言わなかった。

 

教室に行くと、知らないウマ娘たちの視線が、いつもより多い気がした。

雑誌を見たのだろう。廊下でひそひそ声が聞こえる。

 

「あの表紙の子、うちの学園の」「え、あのカレンモエ?」「すっごい綺麗……」「怖い……」

 

綺麗と怖いが半々。

……まあ、あの写真なら仕方ないか。あれは確かに怖い。自分で見ても怖かった。

 

放課後。

 

フジキセキ先輩がにこにこしながら寄ってきた。

 

「見たよ、表紙。いい写真だね。寮長として鼻が高いよ」

 

「……別に、頼まれただけです」

 

「それでもさ。モエちゃんの底力が出てたと思う。……ちょっとだけ、お母さんに似てたかな」

 

「……似てません」

 

「ふふ。似てないところが、似てるんだよ」

 

何を言っているんだこの人は。

 

帰り道、絢原さんの車に乗り込んだ。

助手席に座って、スマートフォンを見る。

 

SNSのトレンドに「カレンモエ」が入っている。

雑誌の表紙画像がシェアされて、拡散されている。

 

「……見ない方がいいぞ」

 

「分かってる」

 

分かってるけど、ちょっとだけ見た。

 

『この表紙やばくない? カレンチャンの娘でしょ? 遺伝子すごい』

『カレンチャンとは全然違う雰囲気だけど、めちゃくちゃカッコいい』

『怖い。でも目が離せない。何これ』

『月みたい。冷たくて鋭くて、でも綺麗』

 

……月、か。

 

マーチャンが前に、私のことを「月」と言っていた気がする。

 

スマートフォンを伏せて、窓の外を見た。

 

「……ねえ、トレーナー」

 

「ん」

 

「一回だけって言ったのに、大事になっちゃったね」

 

「お前が本気を出しすぎた」

 

「……トレーナーのせいだよ」

 

「何がだ」

 

「トレーナーが見てたから。あの時、スタジオで目が合ったから。……あれがなかったら、たぶんあんなことにはならなかった」

 

絢原さんが黙った。

しばらく車を走らせてから、ぽつりと言った。

 

「……俺のせいか」

 

「うん。全部トレーナーのせい。責任取ってよね」

 

「……何の責任だ」

 

「知らない。でも、トレーナーのせい」

 

窓に額をつけて、目を閉じた。

 

面倒くさくて、恥ずかしくて、やりすぎて。

でも、悪くなかった。

 

あの瞬間、レンズの向こうにいたのは読者じゃなかった。

絢原さんだった。

 

あの人の中のキラキラしたママが気に食わなくて、塗り替えてやりたくて。

結果として出てきたのは、ママとは全然違う、「私だけのもの」。

 

……次にカメラの前に立つことがあったら、もうちょっと手加減しよう。

たぶん。

たぶん、ね。




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