アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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6話 王道と覇道

 

未勝利戦から数日が過ぎても、カフェテリアへ入る時には少し身構えた。

 

昼休みの席はほとんど埋まっている。トレーを持ってテーブルの間を歩くと、こちらを見た子が隣へ何か囁いた。私の話だとは限らないのに、目が合う前に顔を背けてしまう。

 

パスタとサラダだけでも、今は多い気がした。盛りつけてもらった時には食べられそうだったのに、漂ってくる揚げ物の匂いで胃が重くなる。飲み物を取るのを忘れたことに気づいたが、入口へ戻るのも億劫だった。

 

奥の席を探していたところで、窓際から腕が上がった。

 

「モエ! こっち、空いてるぜ!」

 

ウオッカだった。短い茶色の髪を跳ねさせ、向かいの椅子に置いた鞄を足元へ下ろしている。制服のネクタイは少し緩んでいて、もう片方の手には箸があった。

 

何人かが私を見た。呼ばれてしまえば、そのまま通り過ぎるわけにもいかない。テーブルへ近づき、空けてもらった椅子の前へトレーを置いた。

 

「……ありがと」

 

「おう。あっち、混んでたろ」

 

向かいへ腰を下ろすと、ウオッカは私の皿を見て眉を寄せた。

 

「それだけかよ。足りるのか?」

 

「足りるよ。ウオッカと一緒にしないで」

 

相手のトレーには、大盛りのご飯にハンバーグ、唐揚げの小皿まで載っていた。牛乳のパックも開いている。私が見ている間にも、箸で切ったハンバーグをご飯に載せ、大きな一口で頬張った。

 

「今朝、結構走ったからな。午後もあるし」

 

「私は体重管理があるの」

 

言ってから、サラダへフォークを入れた。誰かに減らせと言われたわけじゃない。それでも、食べたくない理由をそのまま話すよりは言いやすかった。

 

ウオッカは私の顔を見ていたが、何も聞かずに箸を伸ばした。小皿から持ち上げた唐揚げが、私のパスタの上へ置かれる。

 

「ちょっと。いらないってば」

 

「うまいぜ、それ。今日、揚げたてだった」

 

「今、体重管理って言ったでしょ」

 

「1個くらい食ったって、いきなり重くなんねえだろ。……あ、嫌いだったか?」

 

「嫌いじゃないけど」

 

戻すにも、もうソースがついていた。ウオッカは残りの唐揚げを自分の口へ運んでいる。文句を言い続けるのも面倒になり、私はフォークの先で衣を割った。

 

まだ温かいところから肉汁が出た。半分を口に入れると、噛むたびに醤油と生姜の味がした。思っていたよりすんなり飲み込めて、もう半分にもフォークを刺した。

 

「な?」

 

「……何、その得意そうな顔」

 

「うまかっただろ」

 

「まあね。ありがと」

 

そう答えると、ウオッカは満足したらしく、自分の食事へ戻った。私はパスタを少し巻き取り、唐揚げを載せていたところから食べ始めた。

 

向こうのテーブルで笑い声が上がった。さっきなら顔を伏せていたかもしれないが、今はウオッカのご飯が減る速さに気を取られていた。

 

「そんなに急いで食べなくても、逃げないよ」

 

「ちょっと教室で寝てえんだよ。昼休み、もう半分もねえし」

 

「食べてすぐ寝るの?」

 

「少しだけな。……そうだ。お前のレース、見たぜ」

 

巻きかけたパスタが、フォークから落ちた。

 

ウオッカは箸を止め、私へ顔を向けた。さっきまで食べていた口の中のものを飲み込んでから、言葉を続けた。

 

「最後、前のヤツを抜いた時は来ると思ったんだけどな」

 

「……3着だったね」

 

「見てたから知ってるって」

 

「だったら、話すことないでしょ」

 

自分でも棘のある言い方だと思った。せっかく席を空けてくれて、食べ物までくれた相手にする返事じゃない。でも、惜しかったねと言われるのも、次は勝てるよと言われるのも、もう嫌だった。

 

ウオッカは怒らず、少し身を乗り出した。

 

「直線で、外からもう1回来られただろ。あそこ、抜かせなかったじゃねえか」

 

私は皿から目を上げた。

 

「あの時は……抜いたばっかりだったから。戻されるの、嫌で」

 

「だろうな。腕、すげえ振ってたもんな」

 

ウオッカは自分の肘を少し引いてみせた。

 

あの子の足音は覚えていた。横に並びかけられ、もう1回だけと思って踏んだ。前の2人を追う余裕なんてなかった。ゴールまでに抜き返されるのが怖くて、それでも顔だけは前へ向けていた。

 

「必死だったんだよ。もう、脚が動かなくて」

 

「レースを見てた時は、脚を残してんのかと思った。後で映像を見直したら、コーナー入る前からきつそうだったけど」

 

「ずっと抑えてたから。近づくとぶつかりそうになるし、離れたら追わなきゃいけないし。最後には、走り方まで分かんなくなってた」

 

口にすると、また腿の張りを思い出した。緩めようとしても脚が突っ張り、踏み直すとすぐに前との差が詰まる。隙間が開いた時には、そこから飛び出す力がほとんど残っていなかった。

 

ウオッカは椅子の背へ身体を預けた。

 

「見てて、窮屈そうだなとは思ったぜ。前に出る時のお前、もっと伸びるだろ」

 

「スカーレットにも言われた。それじゃ勝てないって」

 

「あいつに?」

 

「レース場まで来てたの。早く勝ち上がってこいって、言うだけ言って帰っちゃった」

 

「ハハッ。言いそうだな」

 

「笑い事じゃないんだけど。こっちは、その1勝ができなくて困ってるんだから」

 

「悪い。……でも、わざわざ福島まで行ったのか、あいつ」

 

ウオッカは少し意外そうに呟き、牛乳へ手を伸ばした。私はフォークでパスタを寄せたが、まだ口には運べなかった。

 

食事中に、こんな話をするつもりはなかった。走れない話なら、トレーナーと毎日している。ご飯を食べる間くらい忘れていたかったのに、自分から続きを話していた。

 

「それで、また練習を考え直してるところ。何をやっても、最後は同じになるんだけどね」

 

「トレーナーと?」

 

「うん。この前のメニューもやめた。今朝はプールで、次のレースはまだ」

 

ウオッカは空になった牛乳のパックをトレーへ戻し、私を見た。

 

「なあ。そこまでして、ティアラに行きたいんだな」

 

フォークを置いた。

 

その聞き方をされると、次に何が来るのか身構えてしまう。短い距離にすればいい。そっちの方が勝てる。聞く前から相手の返事を思い浮かべ、いつもの言葉を口にした。

 

「ママと同じ道を行きたくないから」

 

「……そっか」

 

それだけで、ウオッカは少し黙った。私が続きを待っていると、箸を置いて考え込んだ。

 

「でも、違う道なら、ティアラ以外にもあるだろ。あそこがいいのは、何でなんだ?」

 

答えようとした口が止まった。

 

ウオッカは、何で短距離にしないのかとは聞かなかった。私が黙っていると、言いにくけりゃいいけど、と付け足した。

 

「……そこで勝ったら、みんなが見るから」

 

自分の声が思ったより小さくて、一度息を吸った。

 

「桜花賞も、オークスも、秋華賞も。大勢が見て、勝った子の名前を覚えるでしょ。ママが勝ってないところで私が勝てば、私の話になると思ったの」

 

窓の向こうに、昼のコースが見えた。遠くを走っている子の姿を、目で追った。

 

「小さい頃から、レースに出たいって言うと、ママみたいになりたいんだねって言われた。勝ちたいって言っても同じ。まだ、どのレースに出たいかも話してないのに」

 

ウオッカは口を挟まなかった。急かされないので、私は次の言葉を探せた。

 

「私が短距離を走れば、みんな喜ぶと思う。やっぱりって。勝てばママに似て強いんだねって言われて、負ければ、まだママには遠いねって言われるんだよ」

 

皿の上で、パスタのソースが乾き始めていた。

 

「……もう、嫌なの。同じ顔で、同じところを走って、どこまで行ってもママと比べられるの」

 

話しているうちに、声が強くなった。ウオッカの向こうを通った子がこちらを見たので、私は少し声を落とした。

 

「ママのこと、嫌いなわけじゃないよ。すごいのは分かってる。どれだけ頑張ってきたかも、少しは知ってる。でも、私がこれからやることまで、全部ママの続きにしないでほしい」

 

言い終えてから、こんなことを話してよかったのかと思った。

 

羨ましいと言われたこともある。あのカレンチャンが家にいて、同じ顔に生まれて、何が不満なのか。自分には贅沢に聞こえると、困った顔をされたこともある。

 

だから、もう話さなくなった。短距離は嫌だとだけ言って、相手が諦めるのを待っていた。

 

ウオッカはまだこちらを見ていた。私は、先に目を逸らしたくなるのを堪えた。

 

「ティアラで勝って、私の名前を覚えさせたい。カレンチャンの娘って呼ぶ前に、カレンモエが勝ったって言わせたいの」

 

最後まで言うと、ウオッカはゆっくり口の端を上げた。

 

「いいじゃねえか」

 

「……そんな簡単に言わないでよ。1勝もしてないんだから」

 

「今のは、お前がやりたいことの話だろ。オレ、そういうの好きだぜ」

 

照れもなく言い、ウオッカは自分の胸へ親指を向けた。

 

「オレだって、最高にカッコいいウマ娘になりたくて走ってんだ。自分で、これだって思ったことをやりてえし、まだ誰も見たことねえ走りで、客席を沸かせたい」

 

そこまで一息に言ってから、少し笑った。

 

「だから、『お前はこっちにしとけ』って決められたら腹立つのは、分かる。そいつが正しそうだと、余計にな」

 

「……うん」

 

「自分で選んで、最後までやって勝ったら、最高だろ。お前、それをティアラでやりたいんだな」

 

私は頷いた。

 

そんなふうに勝つところなら、何度も思い描いた。スタンドの前を先頭で駆け抜け、誰より早くゴールへ届く。息が苦しくても、脚が重くても、自分が勝ったと分かって笑うところまで。

 

今は、直線で置いていかれた景色ばかり思い出してしまうけれど。

 

「でも、走れないんだよ。飛ばしても持たないし、抑えても駄目。この前だって、勝つつもりで行ったのに」

 

「そこはオレにも分かんねえ。あの走りをどうすりゃ直せるかなんて、今ここで言えねえよ」

 

ウオッカは少し眉を寄せたまま答えた。

 

「ただ、あれだけ踏ん張って3着まで来たお前に、諦めろとは思わなかった。次、どうやって走ってくるのか見てえって思ったぜ」

 

私は口を開きかけ、何も言わずに閉じた。

 

ずっと、失敗したレースの説明をしていた。どうしてあんなに前へ出たのか。どうして今度は伸びなかったのか。自分でも分からないことを聞かれ、最後には距離の話になる。

 

ウオッカは、次の私を見たいと言った。

 

「また負けるかもしれないよ」

 

「そりゃ、レースだからな。オレだって絶対勝てるなんて言えねえし」

 

箸を取り直し、残っていたご飯を寄せた。

 

「でもよ。お前が本気で狙ってるんなら、勝ち上がってこいよ。一緒のレースで走ろうぜ」

 

「スカーレットと同じこと言ってる」

 

「一緒にすんなって。……ま、そこは同じかもな。お前、レース前から負けてくれそうにねえし」

 

「当たり前でしょ。走る前から諦めるくらいなら、出ないよ」

 

言い返すと、ウオッカが声を立てて笑った。

 

「そういうヤツと走りてえんだよ、オレは」

 

私も少しだけ笑ってしまった。さっきまで食べる気になれなかったパスタを巻き取り、口へ運んだ。冷めていたが、食べられた。

 

「ウオッカ。やっぱりここにいたのね」

 

横から声がして、ウオッカの笑顔が止まった。

 

スカーレットが、テーブルの脇に立っていた。長いツインテールが歩いてきた勢いで揺れ、腕には薄いノートとプリントを抱えている。

 

「げ」

 

「何よ、その声。食べ終わったなら教室に戻るわよ」

 

「戻るって。今から少し寝ようと思ってたんだよ」

 

「寝る? 午後の小テスト、忘れてるでしょう」

 

ウオッカは箸を持ったまま止まった。スカーレットが深く息を吐き、プリントを1枚抜いて差し出す。

 

「昨日、ここまでは覚えるって言ってたわよね。終わったの?」

 

「……大体な」

 

「じゃあ、これは?」

 

指したところを見て、ウオッカが黙った。

 

私にも答えが見えそうになったが、覗く前にプリントがウオッカの方へ向いた。さっきまでの勢いを失った相手へ、スカーレットは容赦なく続けた。

 

「補習になったら、放課後のトレーニングに間に合わないでしょう。自分で出した予定くらい守りなさいよ」

 

「分かってるって。飯、あと一口だから待てよ」

 

ウオッカが急いでご飯を口へ運ぶ。その間に、スカーレットが私へ顔を向けた。

 

「モエ。脚の方はどう?」

 

「もう、歩くのは平気。今朝はプールだった」

 

「そう。次はまだ決まってないのね」

 

頷くと、スカーレットはそれ以上聞かなかった。プリントをノートへ挟み、ウオッカが箸を置くのを待っている。

 

私は、あの日の通路で言い返せなかった言葉を思い出した。

 

「……2人とも、簡単に勝ち上がってこいって言うよね」

 

スカーレットがこちらを見る。ウオッカも水を飲みながら、私へ目を向けた。

 

「あんな負け方したのに。もっと他に、強い子がいるでしょ」

 

「いるわよ」

 

スカーレットはすぐに答えた。

 

「今だって、勝ちたい相手はいるわ。それでも、アンタとも走ってみたいと思ってるの。おかしい?」

 

「……おかしくは、ないけど」

 

「オレもそういう話してたんだよ」

 

ウオッカが言うと、スカーレットは少し意外そうに顔を向けた。それから、私へ視線を戻す。

 

「アンタが来るまで、待っていてあげるわけじゃないからね。アタシはアタシで勝つために走るし、同じレースに出たら負けるつもりもないわ」

 

「それは、分かってる」

 

「なら、いいじゃない。次に会った時も、まだ嫌味だと思う?」

 

福島で、見ていたのかと聞いた後に、自分が何を返したか思い出した。私は少し皿へ目を落とし、それから顔を上げた。

 

「……思わない。たぶん」

 

「たぶんなのね」

 

「負けた直後に言われたら、また腹立つかもしれないし」

 

ウオッカが噴き出した。スカーレットは呆れたような顔をしたが、私が見ていると、わずかに口元を緩めた。

 

「だったら、今度は勝ちなさいよ」

 

「そうする。……勝ったら、ちゃんと見ててよね」

 

「ええ」

 

向かいから、オレもな、と声が重なった。

 

ウオッカは空になった皿を重ね、椅子から立ち上がった。足元の鞄を拾うと、スカーレットもノートを持ち直した。

 

「じゃあな、モエ。次も楽しみにしてるぜ」

 

「その前に小テストよ」

 

「分かってるって言ってんだろ。……そのプリント、もう1回見せてくれよ」

 

「教室で。食器を持ったまま見ないの」

 

2人のやり取りを聞いていると、つい言いたくなった。

 

「仲いいね、2人とも」

 

「「良くない!」」

 

声が重なった。ウオッカはスカーレットを見て、スカーレットもウオッカを見た。どちらも嫌そうに顔を背けるので、今度は私が笑ってしまった。

 

「はいはい。テスト、頑張ってね」

 

ウオッカが何か言いかけたが、スカーレットに先を促され、トレーを持って歩き出した。返却口へ向かう途中でも、2人はまだ話していた。

 

私は皿に残ったパスタを集めた。

 

食べ終わってから、取っていなかった水を汲みに行った。戻ってサラダも口に運んでいると、鞄の中でスマホが震えた。

 

トレーナーからだった。

 

『放課後、次の出走について相談したい。授業が終わったら来てくれ』

 

画面を見ながら、コップを置いた。

 

次の作戦は、まだ聞いていない。練習を変えるとは言っていたが、それで2000を走り切れるようになるかは分からなかった。あの人も、前みたいに、抑えれば脚が残るとは言わなくなった。

 

『分かった。行く』

 

そこまで打って送った後、指が画面に残った。

 

もう少し、何か伝えようかと思った。今日、ウオッカと話したこと。スカーレットにも、勝ったら見ていてと言ってしまったこと。

 

でも、それは会ってからでいい。

 

スマホを鞄へ戻し、残っていた水を飲んだ。隣のテーブルでも椅子を引く音がして、昼休みの終わりが近いことに気づく。

 

空の皿をトレーへ重ね、席を立った。

 

返却口の前で列に並ぶと、壁に貼られたレースのポスターが目に入った。勝負服のウマ娘たちが、並んでこちらを見ている。その中に、まだ私の姿はない。

 

ウオッカもスカーレットも、あそこへ行くつもりなんだろう。先へ進んで、私が追いついた時には、きっと今より強くなっている。

 

その2人に、勝ったところを見せると言った。

 

順番が来てトレーを置いた後も、自分で口にした言葉が残っていた。教室へ戻る階段を上りながら、放課後に聞きたいことを考えた。

 




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