間違えて書き直す前の原稿を上げていたのと、前話の会見をフェブラリーSの数日前に修正しました。(4/3 12:08)
――Gangstar: Espoir City
翌日。練習場。
朝の調整を終えて、ダートコースの脇にあるベンチに座り込んだ。
汗を拭きながら、スマホを弄る。
昨日の会見の後、気になって調べた。
カレンモエ。芝時代のレース映像。
阪神ジュベナイルフィリーズ。チューリップ賞。桜花賞。そして、オークス。
全部見た。
寝る前に全部見て、朝起きてもう一回オークスだけ見直した。
「…………」
正直、舐めてた。
芝のスプリンターがダートに来る。それだけ聞いたら、普通は「物見遊山か?」って思う。
ダートはそんな甘い場所じゃねーし。砂を被ったことない奴が、あーしらの庭で戦えるわけがない。
……そう思ってた。
チューリップ賞の映像を見るまでは。
あの第三コーナーからのイン突き。スカーレットの内側に、一頭分の隙間もないところに体をねじ込んで、ハナ差で差し切った。
計算じゃない。あんなの、体が勝手に動かなきゃできない。隙間を見つけて、考える前に飛び込む。獣の嗅覚。
あーしの先行と似てる。
先頭に立つ瞬間の判断は、頭じゃなくて体がやる。
あの子にも、それがある。
で、オークス。
あの映像は、見たことある奴は多いと思う。再生数が億に届きそうな勢いで回ってる。
前半1000メートルを57秒台で飛ばして、最後はボロ雑巾みたいになって、意識も朦朧のままゴール板を越えた。
……頭おかしいだろ。
2400メートルだぞ。スプリンターが。
最初から持つわけないって分かってて、それでも先頭に立って、最後まで止まらなかった。
止められなかったんじゃない。止まらなかった。
あれは、あーしの知ってる「根性」とはちょっと違う。
根性で走ったんじゃなくて、もっとこう……自分を燃料にして走った、みたいな。
薪をくべるんじゃなくて、自分の体を炉に突っ込んでる。
「……ったく」
スマホをポケットにしまった。
ちょうどそのタイミングで、隣にすとんとトランセンドが座ってきた。
練習着姿。メガネはかけてる。日常モード。手にはタブレット。
「見た?」
開口一番それだ。何をとは言わない。
「……見たし」
「だよね〜。あれ見ないわけないっしょ」
トランセンドがタブレットをくるくる操作して、画面を見せてきた。
何かのグラフと数字が並んでる。
「チューリップ賞と阪神JFのラスト3ハロン、比較してみたんだよね。面白いことに、チューリップ賞の方が阪神JFよりラスト3ハロンが速いの。1600メートルで我慢させられた後の末脚が、1600メートルを好位で追走した時より速い。普通逆じゃん?」
「……何が言いたいの」
「この子、抑えた後の爆発力が異常なんだよね。溜めれば溜めるほど速くなるタイプ。スプリンターなのに。矛盾してるでしょ? スプリンターって普通、最初から飛ばしてナンボじゃん。なのに、溜めた方が強い」
トランセンドの目が、メガネの奥でキラキラしてる。
データの中に「予測不能」を見つけた時の顔。あーしはこの顔を何度も見てきた。大体ロクなことにならない。
「で、警戒すんの? しねーの?」
「考慮には入れとくよ〜。ただ、優先順位はかなり下かな」
タブレットをまたくるくる。
「そもそも芝とダートは根本的に別物でしょ。蹴り方も体の使い方も全然違う。で、この子のGⅠ実績はゼロ。阪神JFは二着、桜花賞は十六着、オークスは最下位。芝ですら頂点に立ててない」
指を折りながら、淡々と。
「しかも本職は1200メートル。フェブラリーSは1600メートル。ダートのマイルは芝のマイルより脚に来るから、400メートルの上乗せは芝以上にキツい。チューリップ賞の末脚がヤバいのは事実だけど、あれは芝の上の1600メートル。砂の上の1600メートルとは別の話」
「じゃあ、切るんじゃん」
「切りはしないよ。データ屋として完全に無視するのはダサいし。でもさ、そこに意識割きすぎてエスポんやアキュさんに足すくわれたら、それこそ元も子もないでしょ」
トランセンドがメガネを押し上げた。
「だからウチの本線はエスポんとアキュさん。カレンモエは端っこに置いとく。走ってみてデータが出たら、その時また考える。それでいーじゃん?」
「……まあ、そうだし」
あーしも同じ結論だった。
映像を見て、一瞬ギクッとしたのは事実だ。あのチューリップ賞のイン突きは凄かった。
でも、あれは芝だ。芝と砂は別の競技だ。
アイツの脚が砂の上で通用するかどうかは、走ってみなきゃ分からない。そして大抵の場合、通用しない。
トランセンドは、にやにやしてる。こいつ、完全に楽しんでる。
カレンモエがダートに来ることを、「面白い変数が増えた」くらいにしか思ってない。
あーしとは違う。あーしは、ムカついてる。
ダートはあーしらの場所だ。
血ヘド吐いて、砂を食って、泥にまみれて走ってきた。
芝の華やかな舞台に見向きもされなくても、この砂の上で誇りを持って走ってきた。
そこに、芝の子が来る。
「なめてません」って言ってた。「知りたい」って言ってた。
あの目は本物だった。あーしにはそれくらい分かる。
でも、本物かどうかと、通用するかどうかは別の話だ。
アイツの映像、全部芝だ。芝の上での切れ味。芝の上での反射。芝の上での爆発力。
砂の上で同じことができる保証はどこにもない。
ダートは足元が全部違う。蹴っても沈む。反発がない。砂が脚を掴む。
芝で速い奴が砂でも速いなら、とっくに芝のGⅠウマ娘がダートに来てるっつーの。来ないのは、来ても勝てないって分かってるからだ。
……結局、アイツも同じだと思う。
芝では化け物でも、砂に足を取られて終わる。初ダートなんてそんなもんだ。
「エスポん、怒ってる?」
「怒ってねーし」
「嘘じゃん。耳ピクピクしてるよん」
「うっさい」
ウマ耳を手で押さえた。……くそ、バレてんじゃん。
そこに、のんびりした足音が近づいてきた。
「あらあら。朝から賑やかじゃねぇ」
アキュさん。
練習着の上にタオルをかけて、手にはいつものタッパー。中身はどうせぽりぽりさん。
ベンチの端に腰を下ろして、タッパーを開けた。ぽりぽり。朝から大根かじってる。
「二人とも、昨日の子の映像を見とったかい?」
「見たし」
「見た見た〜」
「そうかいそうかい。ワシも見たよぉ」
アキュさんがぽりぽりしながら、穏やかに言った。
「オークス、ねぇ。あれはちょっと、胸が痛くなったわぁ」
「……胸が痛い?」
「うん。ワシはねぇ、長いこと走っとるから、色んな子を見てきたんよ。無茶して壊れた子も、壊れかけて踏みとどまった子も。でもねぇ、あの子のオークスは、ちょっと見たことないわぁ」
ぽりぽり。
「自分の体を全部使い切って、それでも止まらないっていうのはねぇ。根性とか気合とか、そういう話じゃないんよぉ。あれは……うん、何て言ったらいいかねぇ」
「狂ってる、って言いたいんじゃないの」
あーしが言った。
「あーし的には、あれは狂気だと思うし。2400メートルをスプリントで押し切ろうなんて、正気のウマ娘がやることじゃないし」
「ふふ。そうかもしれんねぇ」
アキュさんは否定しなかった。
「でもねぇ、エスポちゃん。狂ってるかどうかは、ワシらが決めることじゃないんよ。あの子はあの子の理由で走っとった。ワシらにはワシらの理由がある。砂の上で会ったら、そこで確かめればいいだけの話じゃないかねぇ」
「……」
「それにねぇ」
アキュさんが、タッパーの蓋を閉じた。
「あの子、会見の時の目ぇ。見たかい? 何かを探しとる目じゃった。自分の中の、何かをねぇ」
トランセンドが「お〜」と感心したように声を出した。
「さすがアキュさん。ウチもそう思った。あの子、レースの勝ち負けじゃなくて、もっと別の何かを確かめに来てる感じあるよね」
「だからって手ぇ抜く理由にはならねーし」
あーしは立ち上がった。
「探しものだろうが検査だろうが、あーしの前に来るなら全力でぶっ潰す。それがダートのルールだし」
「ふふ。そうじゃねぇ。それでいいと思うよぉ」
「エスポん、カッコつけてるけど、結構気にしてるよね〜」
「気にしてねーし!」
「耳〜」
「……っ!」
またウマ耳を押さえた。
くそ。
あーしの耳は正直すぎるんだよ。
「……もう一本走ってくる」
逃げるように立ち上がって、ダートコースに向かった。
背中に、トランセンドの笑い声とアキュさんの「無理しなさんなよぉ」が追いかけてくる。
砂を蹴る。
あーしの砂。あーしの場所。
芝の子が来る。
あの目をした子が、あーしらの場所に来る。
……まあ、砂で潰れるだろうけど。
初ダートで通用するほど、こっちは甘くねーし。
でも、万が一。万が一にでも。
あの目のまま砂の上に立てるなら。
その時は——全力で潰す。先頭はあーしのもんだ。
砂は誰にでも平等だ。
泥をかぶって、血ヘド吐いて、それでも前に出た奴だけが勝つ。
その覚悟があるなら、来い。
なかったら——ピヨッピヨにしてやんよ。