アンチ・ヒーロー:カレンモエ   作:ねじぇまる

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たまにはこんな話。


8話 SNSの洗礼

未勝利戦での圧勝から数日が過ぎた。

 

新潟でのレースは、カレンモエというウマ娘のポテンシャルを世間に知らしめるには十分すぎる結果だった。大差勝ち。レコードタイム。メディアは掌を返したように彼女を賛美し、「蘇る閃光」「帰ってきた"カレン"」という見出しがスポーツ紙を踊った。

 

だが当の本人は、あのレース以来どこか冷めている。冷めているというよりは、自分の中に生まれた虚無と折り合いをつけるのに必死なようだった。

 

トレーニングは真面目にこなしている。以前のような悲壮感漂うオーバーワークではなく、淡々と必要なメニューを消化する日々。

 

俺はトレーナーとして、彼女の精神状態をケアしつつ次の一手を考えていた。注目度が上がれば雑音も増える。彼女を守り、情報を収集するためのツールが必要だ。

 

そう思い立った俺は、スマートフォンを手に取った。

 

「……よし、やるか」

 

決意を込めてアプリのアイコンをタップした。「ウマッター」。現代のウマ娘界において情報戦を制するために必須とも言えるSNSツールだ。

 

これまで見る専門だったが、担当ウマ娘を持った以上、アカウントの一つも持っておくべきだろう。他の陣営の動向を探り、ファンの声を拾う。それも現代のトレーナーに求められるスキルだ。

 

設定画面を開く。名前、ID、プロフィール画像。特に隠すこともないだろう。誠実さが第一だ。サクサクと入力を進めた。

 

 

 

~~

 

 

 

放課後。トレーニング前のミーティングのためトレーナー室にやってきたカレンモエは、部屋に入るなり眉をひそめた。

 

「……なにやってるの、トレーナー」

 

机に向かいスマホと睨めっこしている俺の姿が奇異に映ったらしい。

 

「おお、モエか。情報収集のためにSNSを始めようと思ってな」

 

画面から目を離さずに答えた。

 

「SNS?」

 

反応は薄い。興味がないというよりは警戒しているような響き。

 

「モエはやってないのか?」

 

「やってないよ」

 

視線を逸らし、鞄をソファに置いた。

 

「昔、ママの真似してやってたこともあったけど、すぐやめちゃった。合わなかったから」

 

「そうか。まあ、君は有名人だからな。色々大変だろう」

 

「まあね」

 

「俺は裏方だから気楽なもんさ。よし、登録完了っと」

 

スマホを掲げた。ついでに記念すべき初投稿も済ませておいた。今日の昼に撮ったモエのトレーニングシューズの写真。「担当ウマ娘の靴。今日もいい走りでした。@トレセン学園グラウンド」というコメントを添えて。

 

「どれ、見せてみなよ」

 

モエが背後から覗き込んでくる。

 

「ほら、これだ」

 

自信満々に画面を見せた。

 

アカウント名:絢原(カレンモエ担当トレーナー)

ID:@Ayahara_Tracecen_Official

プロフィール画像:自分の顔写真

位置情報:トレセン学園

 

最新の投稿:

「担当のカレンモエです。彼女の応援よろしくお願いします!(モエの顔写真付き)」

 

画面を見た瞬間、モエの体が凍りついた。数秒の沈黙。

 

「……は?」

 

底冷えするような声。

 

「と、トレーナー……?」

 

「ん? どうだ、分かりやすいだろ? 誠実さをアピールするために本名フルネームにしてみたんだが」

 

「黙ってて! 信じられない。本名、顔写真、担当ウマ娘の名前、さらに位置情報まで垂れ流し!? トレーナー、自殺志願者なの!?」

 

絶叫がトレーナー室に木霊した。

 

「えっ?」

 

「貸して! 今すぐ貸して!」

 

俺の手からスマホをひったくると、鬼の形相で画面をタップし始めた。

 

「な、なんだよ急に」

 

「黙っててって言ってるでしょ! あーもう、何これ! 設定ガバガバじゃない!」

 

さっき投稿したばかりの写真は瞬く間に削除された。

 

「ちょ、せっかく書いたのに」

 

「作り直して。モエが教える通りに作り直して!」

 

俺を椅子に座らせると、横に仁王立ちして画面を指差した。

 

「まず名前! 本名はダメ! 特定されるでしょ! 『新人トレーナーA』とか適当なのにしなさい!」

 

「信頼性が」

 

「ネットに信頼なんていらないの! 次、ID! 学校名を入れるな! 検索で引っかかるでしょ!」

 

「はい……」

 

「アイコン! 顔写真は論外! この猫の拾い画でいいから、これにして!」

 

モエの指導は的確かつ容赦がなかった。俺のアカウントは没個性的な匿名アカウントへと改造されていく。

 

「位置情報はオフ! 写真へのタグ付けも禁止! 過去の投稿も全部チェックするからね!」

 

「あの……モエさん?」

 

「トレーナー、バカなの?」

 

心底呆れたジト目。ダメな父親を見る娘のそれだった。いや、それ以上に冷たい、デジタルネイティブから情弱おじさんを見る視線。

 

「油断すると簡単に特定されるんだから。トレーナーが特定されたら、担当である私にも迷惑がかかるの。分かる?」

 

「返す言葉もない」

 

「個人情報はちゃんと隠して。お礼はいいから、しっかりしてよね」

 

ため息をつきながら最後の手順を終えると、スマホを突き返してきた。

 

「はい、設定完了。パスワードは複雑なのに変えておいたから、絶対忘れないでよ」

 

「ありがとう……」

 

画面には無難な風景画のアイコンに変わった新しいプロフィール。フォロー数0、フォロワー数0。完全に生まれ変わった安全なアカウント。

 

……いや、待てよ。

 

「あれ?」

 

通知欄に赤いマークがついている。

 

「もうフォローされたぞ? 誰だ?」

 

フォロワーの名前は「黒い猫(@black_cat_moe)」。アイコンは真っ黒な背景に小さな星が一つだけ。

 

「スパムか?」

 

首を傾げていると、横からモエが覗き込んでボソッと言った。

 

「……それ、モエのアカウント」

 

「へ?」

 

「作り直した時に、相互フォローしといたから」

 

「は?」

 

俺は二度見した。さっき「やってない」と言っていなかったか。

 

「やってないんじゃなかったのか?」

 

「……表向きはね」

 

自分のスマホを取り出して見せた。「黒い猫」のアカウント。鍵マーク付きの非公開。

 

「本当はやってるの。鍵付きで、あまり書き込んでないけど」

 

投稿数は少ない。最新の投稿には「今日のパスタ、茹で加減最悪」という日常的な愚痴。

 

「それ、モエのアカウントだって絶対言いふらさないでよね」

 

真剣な目で睨んだ。

 

「ママと、本当に仲のいい友達にしか教えてないんだから」

 

「そうなのか」

 

「昔ね……一回だけ、ママの真似をしてウマスタをやったことがあるの」

 

遠い目をした。

 

「顔も出さず、ただの日常の写真を上げただけだった。でもすぐに特定された」

 

「えっ」

 

「『カレンチャンの娘のアカウントだ』って。一晩で十万単位のフォローが飛んできたの」

 

声が少し震えた。

 

「怖かった。私が何を言っても、どんな写真を上げても、全部『カレンチャンの娘』として消費される。私の言葉なんて誰も聞いてない。だから即消した」

 

彼女のトラウマ。そして「自分」にこだわる理由の一端。

 

「だから、これは……私が私でいられる、数少ない場所なの」

 

「黒い猫」のアカウント画面を愛おしそうに撫でた。

 

「そんな大事なアカウントで、俺をフォローしていいのか?」

 

フンと鼻を鳴らした。

 

「監視用だよ、監視用。トレーナーがまたバカなことして炎上しないように、私が見張っててあげるの」

 

「なるほど」

 

「それに……」

 

少し声を落とした。

 

「トレーナーなら……私の愚痴くらい、聞いてもいいかなって」

 

「え?」

 

「なんでもない! ほら、練習行くよ! 遅れちゃう!」

 

顔を赤らめ、逃げるように部屋を出て行った。バタンとドアが閉まる。

 

残された俺はスマホの画面を見つめた。「黒い猫」。真っ黒なアイコンに小さな星。彼女の抱える孤独と、その中で微かに光る「自分自身」を表しているようだった。

 

「しっかりしないとな」

 

苦笑しながらフォローバックボタンを押した。「相互フォローになりました」。

 

デジタルな繋がりの向こうにある、彼女の本当の心。その鍵を渡されたことの重みを感じながら、ジャージを羽織って彼女の後を追った。

 

 

 

~~

 

 

 

その夜。寮の自室に戻った俺は、ベッドに寝転がりながらスマホを眺めていた。

 

モエの裏垢「黒い猫」。フォロワー数は俺を含めてたったの3人。残りの二人は親友か、壁打ち用だろう。

 

投稿を遡る。

 

「今日も走った。足が痛い。でも止まりたくない」

「食堂の唐揚げ、カロリー高すぎ。でも美味しかった。ウオッカのバカ」

「ママから電話。元気そうでよかったけど、やっぱり声を聞くと苦しくなる」

「私は私になりたい」

 

表の顔——クールで強気な「カレンモエ」ではない、等身大の少女の言葉が並んでいた。迷い、苦しみ、小さな喜び、そして誰にも言えない孤独。

 

彼女はずっと一人で戦っていたのだ。鍵をかけた小さな箱庭の中でだけ、本音を吐き出していた。

 

俺はその箱庭の鍵を渡されたのだ。「共犯者」としての信頼の証。

 

今日の出来事を投稿しようと指を動かした。場所も個人情報も特定されないように細心の注意を払って。

 

「今日は担当ウマ娘に怒られた。ITリテラシーの欠如を指摘された。面目ない。でも、彼女の頼もしい一面が見れてよかった。」

 

送信。すぐに通知が来た。

 

「黒い猫さんがウマいねしました」

 

思わず吹き出した。まだ起きていたのか。

 

画面の向こうの彼女を想像する。きっとベッドの中でむすっとした顔をして、それでも「いいね」を押してくれたのだろう。

 

「黒い猫:次からは気をつけてよね。バカトレーナー」

 

リプライが飛んできた。口は悪い。でもその言葉の裏にある体温を、俺は感じ取っていた。

 

「ああ、気をつけるよ」

 

スマホに向かって呟いた。

 

SNSの洗礼は手痛かったが、怪我の功名だろうか。デジタルな数字の羅列の向こう側で、少しだけ本当の心を通わせることができた気がした。

 

画面を閉じて目を閉じる。明日からまた過酷なトレーニングの日々だ。だが今の俺には彼女の「本音」が見えている。

 

それだけで、少しだけ強くなれる気がした。




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