星旅の覇者   作:エビーフ

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剛毅果断の日

 

 

ダービーから一週間後

 

新緑の風が、天城厩舎の馬房を静かになでていく。

 

日本ダービーを制したその翌日から、アストライターの馬房の前には毎日のように花束やメッセージが届いた。

 

けれど――

当の本人であるアストライターは、どこか落ち着かない表情をしていた。

 

(……次は、どこへ行く?

 我輩の旅路は、まだ続くはずだ……)

 

鼻先を外に向けて、静かに風の匂いを嗅ぐ。

 

芝の匂い。汗の匂い。遠くの馬の嘶き。

そして、ずっと向こう……海の匂いも。

 

(世界が、我輩を呼んでいる)

 

桐生創太が馬房に顔を出した。

 

「アスト。やっぱり、お前……海外を見てんな?」

 

アストライターは軽く耳を動かした。

 

(気づいてたか、桐生)

 

「ふふ……俺もだよ。

 ダービーを勝った時、確かに見えたんだ。

 ――“その先”があるって」

 

そこへ天城調教師が歩いてくる。

厳しい顔をしているが、その奥には確かな光があった。

 

「アストライター。調子は……よさそうだな。」

 

我輩は胸を張ってみせる。

 

「やっぱりな。お前は分かりやすいよ」

 

桐生は天城の表情を読み取って、息を呑んだ。

 

「テキ……

 まさか、あの話……!」

 

天城はゆっくり頷いた。

 

「ああ。蓮オーナーと話がついた。」

 

一拍置いて、言った。

 

「アストライター。

 凱旋門賞に挑戦する」

 

その瞬間、馬房の空気が震えた。

 

アストライターは動かなかった。

 

けれど、その瞳に灯った色だけが

熱い彗星のように輝いた。

 

(……やっとか)

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

天城誠調教師、蓮オーナー、新人ジョッキー桐生創太

三人が横一列に並んでいた。

 

報道陣で部屋は埋まり、フラッシュが止まらない。

 

「本日は、ダービー馬アストライターに関する重大発表があるとのことで……」

 

司会者が合図すると、天城がマイクを握った。

 

「アストライターは

 秋、フランス・ロンシャン競馬場で行われる

 凱旋門賞に挑戦します。」

 

会場が爆発したようにざわめいた。

 

「本気ですか!?」

 

「日本ダービー直後の海外挑戦は異例では?」

 

「輸送や気候への対応は?」

 

天城は落ち着いて答えた。

 

「もちろんリスクは大きい。

 だが、アストライターは世界で活躍できる。

 むしろ日本に留めておく方が不自然だ。」

 

蓮オーナーが続けた。

 

「アストライターはデビュー前から世界制覇を目標としてきました。

 血統的にも、勝負根性、スタミナ、加速力……

 どれも世界トップクラスです。」

 

最後に、桐生創太がマイクを握った。

 

 

 

「アストライターとなら、行けると思ったんです。

 ダービーの直線で、俺は確かに感じました。

この馬は世界のに通用すると。」

 

 

 

会場は、静寂のあと

大きな拍手に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凱旋門賞のためのトレーニングは、すぐ始まった。

 

ロンシャンの深い芝に合わせて、

ウッドと芝コースでのロングキャンター、

坂路の強化、……

すべてが変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日――

天城が桐生に言った。

 

「創太。アストはな、流してるんじゃない。

 手を抜いてるんでもない。」

 

「え?」

 

天城は、アストライターが馬場へ向かう背中を見ながら続けた。

 

「日本の調教じゃ、あいつは天井に当たってしまう。

 本気を出せば、誰も追いつけない。

 だから仕方なく抑えてるんだ。」

 

「……そんな……」

 

桐生は息を呑んだ。

 

「だからこそ、凱旋門賞なんだよ。

 世界でしか、あいつは本当の姿を見せない。」

 

桐生は拳を握りしめた。

 

「……必ず、走らせます。

 アストの天井を……俺が開けます」

 

天城は小さく微笑んだ。

 

「その意気だ」

 

 

 

アストライターはというと――

 

(ふん……やっと我輩に本気を出せと言ってきたか)

 

(桐生。天城。蓮。)

 

(お前ら、ちゃんと掴まってろよ)

 

栗毛の星は、静かに燃えていた。

 

 

 

 

出発前日 ―― 夜の馬房で

 

出国を翌日に控えた夜。

 

桐生創太は、アストライターの馬房にひとりで来ていた。

 

「なあ、アスト……」

 

アストライターは振り向く。

 

桐生は静かに笑った。

 

「俺……怖いんだよ。

 ロンシャンで……

 もし、お前を勝たせられなかったらって。」

 

アストライターは、そっと鼻面を桐生に押しつけた。

 

(怖くていい)

 

(我輩がいる)

 

(お前は乗っていろ。あとは我輩がやる)

 

桐生は気付いたように、目を細めた。

 

「……ありがとう。

 本当に、お前は喋れないだけで……全部分かってるんだな」

 

アストライターは軽く鼻を鳴らした。

 

(最初から言っているだろうが)

 

(喋れないが、わかる)

 

(喋れないが、伝わる)

 

(喋れないが――一緒に世界を獲る)

 

桐生は静かに頭を下げた。

 

「頼む。

 世界一の馬に――俺を乗せてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発の朝

 

朝日が昇る頃、厩舎にはスタッフが揃っていた。

 

「アストライター、行ってこいよ!」

 

「日本の誇りだ!」

 

「気をつけてな!」

 

アストライターは堂々と胸を張り、

ゆっくり馬運車へ乗り込んだ。

 

(この旅は……)

 

(星の旅 Astra Iter)

 

(我輩の名が示す通り

 星を掴むための旅路だ)

 

桐生が最後に声をかけた。

 

「行こうぜ、アスト。

 世界へ――二人で。」

 

アストライターは静かに頷いた。

 

そして馬運車の扉が閉じる。

 

ゴウン……ゴウン……

腹の底に響く低い音。

 

(また、この音だ……)

 

(でも、今回は違う)

 

(牧場へ行く音でも、転厩する音でもない)

 

(世界へ向かう音だ)

 

アストライターは、ゆっくり目を閉じた。

 

(我輩は行く。

 世界最強の称号を手に入れに)

 

馬運車は、ゆっくりと走り出した。

 

行き先は

フランス・パリ。

ロンシャン競馬場。

 

栗毛の稲妻は、

今まさに世界へ向けて 旅立った。

 

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