厩舎の朝は早い。
いや、我輩も早いのだが、今日はさらに嫌な予感がする。
佐藤が、妙に静かな顔で近づいてくる。
「ボー……いや、アストライター。今日は覚悟しとけよ」
(やっぱり来たか……ついにあれか)
佐々木はニヤニヤしている。
「ついに馴致開始っすよ。ハミ付けて、鞍乗せて、人を乗せるやつです!」
(おい、そんな楽しそうに言うな)
佐藤は我輩の首を優しく撫でる。
「ボー、お前は話が分かるんだからよ。
できれば協力的でいてくれ。頼む。俺の肋骨が何本生き残るかに関わる」
(わかったよ。佐藤が死んだら誰が飯を持ってくるんだ)
佐藤は笑っているが、目は本気だ。
佐々木がハミを構える。
「じゃ、口あけてくださーい」
(あけると思うか?)
「ほらボー、日本語わかるだろ? あけろって」
(うるさいわ)
佐藤がため息をつく。
「ほらボー、口。あけろ」
(あけるかボケェッ)
佐藤「お前今ボケェって言っただろ絶対」
佐々木「発声してないのに意味伝わるのすごいっすね」
ぐぬぬ……。
我輩は佐藤をチラッと見た。
「頼む、ボー。これはお前が世界に行く第一歩だ」
……ぐっ。
(……しかたない。我輩の旅路はここからだ)
我輩はおとなしく口をあけ、ハミを受け入れた。
佐々木「うわっ……素直……!」
佐藤「やっぱ日本語わかるって便利だな……」
(いや素直って言うな)
ハミが終わったら次は鞍だ。
佐々木「よし鞍のせまーす」
(待て、その重そうなやつはなんだ)
佐藤「これがないと人が乗れないんだよ」
(いや乗るなよ)
佐藤は笑った。
「乗るんだよ。お前は走るために生まれたんだろ?」
(……その言葉には弱い)
鞍が背に乗る。
(重ッ!? おい佐々木、石を乗せたのか!?)
佐々木「いや普通っすよ!? ボーのリアクション大げさすぎ!」
しかし乗せて数分もすると、我輩はもう慣れていた。
(……ふむ。悪くない。旅の用意という感じだ)
佐々木「え、もう落ち着いた……?」
佐藤「やっぱ天才だな……いや、話がわかるからか?」
(違う。我輩が天才なのだ)
いよいよ来た。
佐藤がヘルメットを締める。
「ボー。最初はゆっくりいくからな。
危なくないようにするから……頼むから落とすなよ?」
(落としたくないのは我輩も同じだ)
佐藤は慎重に背中へ手を置く。
「じゃあ……乗るぞ」
(……来い。佐藤。お前なら許す)
佐々木が息をのみ、佐藤が我輩の背にまたがる。
重心が乗る。
ほんの少しだけ緊張する。
でも――嫌じゃない。
むしろ。
(……背中に人がいると、体が締まるな)
佐藤「ボー……お前……すげぇ落ち着いてんな……」
佐々木「普通ここで跳ねたり暴れたりするんすよ……?」
(父上譲りの気性で暴れようか?)
佐藤「やめろ!!!」
我輩はゆっくり歩き出す。
一歩。
また一歩。
地面の柔らかさ、佐藤の体重、手綱の微妙な震え。
すべてが新しい。
(……なかなか悪くないじゃないか)
佐藤がそっとつぶやく。
「……ボー、ありがとな」
(ふん。礼はいらん)
「お前となら……きっと世界まで行けるよ」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
我輩は父上の名を、祖父ステゴのレースを思い出す。
血の奥から、何かが燃え上がった。
(ああ、佐藤。我輩は走る。
世界の果てまで行ってやる)
佐藤の笑い声が背中から伝わる。
「いい顔してんなアストライター」
(当然だ)
佐々木「先輩……ボーが日本語わかる前提で訓練進むの、普通におかしくないっすか?」
佐藤「もうあきらめた。俺たちの馬は喋るんだ」
(喋るは間違いだ。我輩は心で語っているだけだ)
「ほら、もう返事してるっすよ」
「……でもよ、佐々木。
あいつが理解してくれるなら、馴致も育成もぜんぶやりやすくなる。
その分、デビューも……夢も近くなる」
(ああ。夢なら、我輩が引っ張ってやる)
佐々木は笑った。
「じゃあボー、世界に行く準備はできてます?」
YES。
「ひえぇぇ……返事されると震える……!」
佐藤は口元をゆるめ、
「行こうぜ、ボー お前の旅はこれからだ」
(もちろんだ。
我輩はアストライター
星をめぐる旅人だ)
そして、世界を目指す物語は加速していく