征服王のマスターになった量産型ニケの話   作:福梅

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皆さん、量産型ニケの中だと誰が推しですか?
本編ではどうしても影が薄いですが、意外とそれぞれに個性があって可愛いですよね。
個人的には、ウンファの個別エピソードに出てきた量産型ニケたちが結構お気に入りです。
それから、三周年イベントではまーたプロダクト23が他人の脳を焼いてて笑いましたね。
閑話休題。どこまで続くか分かりませんが、よろしくお願いします。


序章
その日、女神は…


 

 死とは、冷たいものだと思っていた。

 

 機能の停止。思考の断絶。

 脳髄を循環する液体触媒が淀み、コアが止まる。

 ニケにとっての死とは、詰まるところ単なるシステムのシャットダウンに過ぎない。

 そこには痛みもなければ、恐怖も、ましてや救いなどあるはずがない。

 そして今、私の目の前では、数えきれない程のラプチャーのコアが赤く明滅している。

 無機質な殺意を孕んだ砲口が、逃げ場のない瓦礫の山で蹲る私を捉えている。

 

 …終わりだ。

 所詮、私は量産型のニケ。

 個体名すら持たぬ消耗品。

 助けなど来るはずもない。

 量産型ニケにとっては、ありふれた最期。

 アークにとっても、ありふれた損失。

 私の最期は誰の記憶にも残らず、ただの鉄屑としてこの荒野に朽ち果てる。

 

 ―――そう、理解していたはずだった。

 

 刹那、世界が裂けた。

 砲声ではない。爆発音でもない。

 大気を焦がし、空間そのものを悲鳴と震動で満たすような轟然たる破壊の音色。

 視界が白く塗り潰される。

 崩落した天井の彼方から、それは降り注いだ。

 

 紫電。

 アークの人工的な照明とも、地上の太陽とも違う、荒ぶる雷光の奔流。

 落雷の直撃を受けたラプチャーたちが、断末魔を上げる暇もなく蒸発していく。鋼鉄の装甲が飴細工のように融解し、瞬く間にただの炭素の染みへと変わり果てる。

 

 「――――」

 

 私は呼吸すら忘れ、その光景に見入っていた。

 硝煙とオゾンが混じり合う濃密な熱気の中、蹄の音が響く。

 雷を纏いし二頭の巨牛。それらが牽引するは、古の戦場を蹂躙したという戦車(チャリオット)。車輪が回るたびに雷撃が迸り、残骸を、瓦礫を、そして“死”そのものを踏み砕いていく。

 あれは科学の理で動く兵器ではない。

 もっと根源的で、暴力的で、そして煌めかしいまでの――“神秘”。

 

 やがて、嵐が止むように雷光が収束し、静寂が訪れる。

 巻き上げられた粉塵が薄れゆく中、戦車の御者台からひとつの影が降り立った。

 

「――問おう」

 

 巨漢は腰に佩いた大剣の柄に手を置いたまま、厳かに口を開いた。

 その声は、地響きのように腹の底へと響き渡る。

 崩れ落ちた天井から差し込む陽光が、男の背を逆光で照らし出した。

 

「貴様が、余のマスターか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を遡ること一週間前。

 私は分隊の仲間たちと共に、地上で資源回収任務に勤しんでいた。

 

 その日は、鉛色の空が頭上を圧迫していた。 太陽が出ていない日は、特に鬱々とした気分になる。けれど、太陽出ていようが無かろうが、結局のところ地上で見える景色といえば錆びついた鉄骨の墓標と瓦礫の海だけだ。

 

 第二次地上奪還戦の敗退から既に60年。人類は地下のアークに閉じこもり、私たちはこうして「資源回収」という名目で、かつての繁栄の死骸を漁っていた。

 希望も、戦略的意義もない。ただアークを延命させるためだけの、終わりのない徒労。

 

「おい08(ゼロハチ)、遅れてるぞ。また道草か?」

 

 通信機越しの声に、私は視線を上げた。

 先行しているのは、同じ分隊のI-DOLL・オーシャンとソルジャーF.A.。私と同じ量産型の姉妹たちだ。彼女たちはそれぞれソフィーとリアという名前を名乗っているが、私は型式名称であるプロダクト08から取った番号をそのまま使っている。いくら私たちが名前を名乗った所で、それが世間に認められることはない。所詮は仲間の中でしか通じない、内輪の慰め。そう考えると、わざわざ名前を名乗るのも馬鹿らしくに感じるのだ。

 

「……ごめん。すぐに追いつく」

「またガラクタ拾い?いい加減にしなよ。そんなの持ち帰っても、リサイクルショップじゃ二束三文にもならないって」

 

 ソフィーの呆れたような声に、リアがクスクスと笑う声が重なる。

 彼女たちの言うことは正しい。私が背嚢に入れているのは、欠けたマグカップやインクの乾ききった万年筆、色が褪せた布の切れ端。アークの市民にとっても、ニケにとっても、それは無価値なゴミだ。

 けれど、私にはどうしても捨て置くことができなかった。

 かつて、ここに「人」が生きていた証。

 誰かが使い、愛し、そして無念と共に手放した遺物。

 それらは、私のような工場で生産され、消費されるだけの「製品」には決して持ち得ない――“物語”を宿している。そう感じて止まないのだ

 

「ラプチャー反応なし。今のうちにノルマを済ませちゃおうぜ」

「了解。さっさと終わらせて、シャワー浴びたいね」

 

 緊張感のない会話を背中で聞き流しながら、私は瓦礫の陰へと足を向けた。指定された回収ルートから、ほんの数メートル外れた場所。崩れかけた石造りの建物が、私の嗅覚に奇妙な“匂い”を訴えかけていた。

 急ぎ足で向かうと、そこは図書館の廃墟だった。かつては知識の殿堂であっただろう場所も、今は風雨に晒され、書架は朽ち果てている。床を覆い尽くしているのは、無惨に散乱した紙屑の山だ。湿気とカビ、そして古い紙の匂い。埃っぽさが鼻腔を突くが、私にとってはアークの匂いよりもずっと心地よかった。

 

(……きっと、ここにも何かがある)

 

 根拠のない確信に導かれるように、私は瓦礫を乗り越え、奥へと進んだ。

 そして、半ば崩落した壁の隙間に、奇跡的に原形を留めた一角を見つけた。分厚いガラスケース――おそらくは貴重書を展示していたスペースだ。強化ガラスはひび割れているものの、中の空気を辛うじて守り抜いていた。

 その中に、一冊の古書が鎮座していた。

 

「――――」

 

 私は無意識のうちに、震える指先でガラスを押し開けていた。

 革の装丁は乾ききって硬化していた。ページを捲れば、それだけで崩れてしまいそうなほど脆く見える。けれど、その背表紙に刻まれた金文字は、長い歳月を経てもなお鈍い輝きを放っていた。

 

 『ILIAD』

 

 アイ、エル、アイ……。綴りを目で追うが、意味は分からない。

 そっと、革に包まれた分厚い表紙をめくった。

 

 

 歌え、女神よ

 

 ペレウスの子アキレウスの怒りを。

 

 それはアカイアの軍勢に幾多の苦悩をもたらし、

 

 数多くの勇者の魂をハデスに投げ込み、彼ら自身は犬やあらゆる鳥の餌食とした。

 

 ゼウスの意志がそのように成就したのである。

 

 すべてはアトレウスの子、人々の王と、神に等しきアキレウスとが、

 

 争って別れたあの時から始まったのだ――

 

 

 一体、何の物語なのだろうか。

 私はポケットから携帯端末を取り出し、慣れない手つきで本のタイトルを検索バーに打ち込んだ。地上の電波状況は最悪だが、テキストデータ程度ならなんとか受信できるはずだ。

 数秒のロード時間を経て、ひび割れた液晶画面に検索結果が表示される。

 

「……"イリアス"?」

 

 ――古代ギリシアの詩人ホメロスによって作られた叙事詩。

 ――トロイア戦争。英雄アキレウスの怒り。ヘクトールの死。

 

 画面をスクロールさせながら、要約されたテキストを目で追う。

 そこには、神と英雄たちが血を流し、死に、そして栄光を掴もうとした激しい戦争の記録が記されていた。

 遥か昔、本当に気が遠くなるような大昔に書かれた物語。神だの英雄だの、そういった類の伝説など、ラプチャーという現実の脅威の前では何の役にも立たない。ただの空想、過去の遺物…。

 だというのに、なぜだろう。私の胸の奥、心臓の位置にあるコアが早鐘を打っている。ドクン、ドクンと、まるで生き物のように脈打ち、熱い血潮を全身に送り出しているかのような感覚。

 まるで、この本が私を呼んでいた気がした。

 遥か神代の英雄たちが「ここにあるぞ」と囁きかけているような――魔力めいた引力。

 

「……08、何やってんの?置いてくよ!」

 

 遠くから響く仲間の声に、私はハッと我に返った。慌てて古書を手に取り、丁寧に埃を払う。 そして、誰にも見つからないように、そっと制服の懐――コアに一番近い場所へと滑り込ませた。

 

 ただの気まぐれだった。

 収集癖が生んだ、些細な好奇心。

 けれど、この時の私はまだ知らなかったのだ。

 この一冊の書物が、やがて私の運命を決定づける「触媒」となることを。

 灰色の空の下、名もなき私が、王の中の王と邂逅するための鍵になることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーク外縁地区。量産型ニケの兵舎。そこは、私たちのような「代用品」が詰め込まれるコンクリートの箱だ。

 12人部屋の狭苦しい空間には、安っぽい柔軟剤の香りと電子機器の排熱、そして少女たちの熱気が淀んでいる。ここには私の所属する分隊を含め、計4つの分隊が共同生活を送っていた。

 

「あははっ!見てよこれ、またテトラの新作だって!」

「うっそ、マジで?その服、超カワイくない?」

 

 部屋の中央、ホログラム・ディスプレイの周りには、ルームウェア姿のニケたちが群がっている。映し出されているのは、アーク全土で人気のバラエティ番組だ。着飾ったアイドルたちが、司会者の際どいジョークに大袈裟なリアクションを返し、スタジオの観客が沸く。そこに映る「地上」は、私たちが知る灰色の地獄とは似ても似つかない書き割りのセットだ。

 俗悪な色彩と、人工的な笑い声。それが彼女たちにとっての酸素であり、明日もまた壊れずに稼働するための潤滑油だった。しかし、それは同時に思考を鈍らせ、現状への不満を麻痺させる甘美なる麻薬でもある。

 私はその喧騒から一人背を向け、二段ベッドの上段、自分に割り当てられたわずかな領分に丸まっていた。手元には、地上から持ち帰った『イリアス』がある。ボロボロだった表紙は透明なポリマーシートで丁寧にラッピングし、これ以上の崩壊を防いでいた。

 

「……ねぇ08。あんたもこっち来なよ」

 

 不意に、下から声をかけられた。

 ベッドの縁から顔を覗かせたのは、同じ分隊のソルジャーF.A.――リアだ。彼女の手には、開封されたばかりのスナック菓子の袋が握られている。

 

「今日のゲスト、マスタング社長だよ?社長のエンターテインメントが見れるって!」

「……パス。ちょっと疲れてるから」

「またその古臭い本?よく飽きないねぇ」

 

 リアは呆れたように肩をすくめると、興味を失ってディスプレイの方へと戻っていった。彼女たちに悪気はない。むしろ、仲間外れを作らないように気遣ってくれているのだろう。だが、その優しさが私には痛い。

 

 彼女たちは、この閉塞した箱庭に順応している。地上奪還なんてお題目は、もはや誰も信じちゃいない。今日を生き延びて、配給のチケットで少し贅沢をして、週末にはアークの繁華街で人間ごっこに興じる。それが量産型(わたしたち)に許された、ささやかで、そして最大限の幸福なのだと。彼女たちはそう信じて疑わない。

 

 ――違う。

 ページを捲る指に、力が籠もる。

 そんなものは、飼い慣らされた家畜の安寧と変わらない。

 私たちは戦うために作られた。

 女神(NIKKE)という名を冠された兵器だ。

 ならば、その生にはもっと、燃えるような意味があって然るべきではないのか。

 

 やがて、消灯ラッパの電子音が鳴り響いた。

 部屋の照明が落ち、喧騒は静寂へと変わる。

 数分も経たないうちに、あちこちから寝息が聞こえ始める。誰もが、明日も続く変わらない日常のために、泥のような眠りへと落ちていく。

 

 けれど、私の意識だけは冴え渡っていた。私は毛布を頭から被り、外部の光を遮断すると、携帯用の小型ライトを点灯させた。狭い毛布の中、淡い光が古びた紙面を照らし出す。まるでそこだけが、この窒息しそうなアークの中で私が呼吸できる唯一の聖域のように感じられた。

 活字を目で追う。ここ一週間、私は暇さえあればこの物語を読み耽っていた。イリアスで語られるのは、神代の戦場。英雄たちが叫び、血を流し、そして死んでいく様。

 今読んでいるのは第12歌。リュキアの王サルペドンが、友であるグラウコスに語りかける場面だ。

 

『――友よ、もし我らがこの戦いを避けて、いつまでも老いることなく死ぬこともなく生き永らえるならば、私も戦場の最前線で戦ったりはしないだろう』

 

 機械の身体を持ち、老いることのないニケである私にとって、その言葉は痛烈な皮肉のように響く。

 サルペドンは続ける。

 

『……だが、死の運命は数え切れぬほど我々を取り巻いている。人間である以上、これを逃れることはできないのだ。いざ行かん、敵に栄誉を与えるか、我らが栄誉を勝ち取るか』

 

 文字の羅列が、熱を持ってコアに染み込んでくる。

 彼らには、私が求めて止まない「何か」がある。

 テレビの中の作り笑いにはない、鉄と血の匂いがする「本物」の輝き。

 

 もしも――。

 もしも私に、彼らのような最期が訪れるとしたら。

 ただの量産品として消費され、誰の記憶にも残らず廃棄されるのではなく――

 たった一度でもいい。この命を燃やし尽くすような、鮮烈な輝きを放つことができたなら…。

 

「……羨ましい」

 

 昏い嫉妬にも似た感情を抱きしめながら、私はページを捲り続けた。

 隣で眠る姉妹たちの安らかな寝息を、どこか遠い世界に感じながら。

 来るはずのない「その時」を、ただ夢想することしかできない自分の無力さを嚙み締めながら。

 

 

 

 

 

 

 運命の歯車が狂ったのは、ほんの一瞬の隙だった。あるいは、あの一冊の本を拾った時から、破滅へのカウントダウンは始まっていたのかもしれない。

 私は再び、地上での資源回収任務に就いていた。場所はかつての港湾地区。巨大なコンテナや倉庫が墓石のように立ち並ぶ、迷路のような廃墟地帯だ。

 私の視界の端が、瓦礫の隙間に埋もれた“それ”を捉えてしまっていた。風に靡く、ボロボロの布切れ。泥にまみれ色は褪せているが、そこにはかつて人類連合軍が掲げた紋章が刺繍されていた。

 ――軍旗だ。どこの部隊のものかは分からない。敗走の最中、誰かが命を賭して守り、そして力尽きて手放した栄光の残滓。

 

(……欲しい)

 

 理性が警告を発するよりも早く、渇望が身体を動かしていた。隊列を離れ、瓦礫の山へと足を踏み入れる。

 

「おい08、何やってるの!そっちはルートじゃないよ!」

 

 背後からソフィーの鋭い声が飛ぶ。私は足を止めず、振り返りもせずに通信機ごしに応答しようとした。

 

「ごめん、すぐに戻る。ちょっと気になるものが――」

『馬鹿、戻って!このエリア、さっきからエブラ粒子の濃度が急上昇してる!』

 

 リアの切迫した警告が、ノイズ混じりに響く。

 エブラ粒子。高濃度のそれは通信を阻害し、ニケのセンサーをも狂わせる。そして何より、強力なラプチャーが近くに潜んでいる予兆でもある。

 

『08、聞こえてる!?すぐに合流して!……08!……――ザザッ……』

 

 唐突に、通信が途絶えた。耳元のインカムから聞こえるのは、無機質なホワイトノイズだけ。視界の端に表示されていた仲間たちのマーカーが、フツリと消滅した。世界から音が消え、私一人が切り離されたような感覚に陥る。

 

 ――マズい。

 背筋を冷たいものが走り抜ける。

 軍旗に伸ばしかけた指を引っ込め、踵を返そうとした時だった。

 

 ギギ、ギ……ガガガ……。

 

 コンテナの影から、耳障りな駆動音が響いた。赤く明滅する単眼が、暗がりから次々と浮かび上がる。――――ラプチャーだ。

 

「ッ……!」

 

 私は背負っていたスナイパーライフルをひったくり、全力で駆け出した。

 仲間の方へ逃げれば彼女たちまで巻き込んでしまう。私は彼女たちがいるのとは逆方向、数百メートル先に見える大型倉庫へと進路を取った。

 肺を焼くような呼吸音。軋む関節。背後から迫る金属の足音は、死神の足音そのものだった。倉庫へ滑り込み、重い鉄扉を蹴り閉める。閂を下ろす暇はない。私は最奥のキャットウォークへと駆け上がり、銃を構えた。

 私の武装は、汎用型の対ラプチャー用狙撃銃。長大なバレルは遠距離からの精密射撃には適しているが、閉所での乱戦には絶望的に向かない。それでも、これしか生き残る術はない。

 

 ――ガァンッ!

 

 鉄扉が吹き飛ぶ。雪崩れ込んでくるラプチャーの群れ。スコープで照準をつけていては間に合わない。勘だけを頼りに引き金を引いた。

 

 ――ドンッ!

 

 発砲の反動が肩を殴る。先頭の一体のコアが粉砕された。だが、コッキングが間に合わない。その隙に二体目、三体目が距離を詰めてくる。

 排莢。装填。発射。……

 一体を沈黙させるたびに、三体がその死骸を乗り越えて迫ってくる。

 

 衆寡敵せず。そんな当たり前の故事が、絶望的なリアリティを持って脳裏を過った。キャットウォークへと飛び移ってきたラプチャーが、鎌のような前脚を振り上げた。

 

「――あ」

 

 回避行動を取ろうとした私の視界が、赤く染まる。高出力のレーザーが、ライフルを構えていた私の右腕を薙ぎ払ったのだ。

 

 激痛――。神経系が許容量を超えた信号を処理しきれず、視界が明滅する。

 ガラン、と虚しい金属音が響く。

 右腕とライフルが、遥か下のコンクリートへと落下していくのが見えた。切断された肩口から人工血液が勢いよく噴出し、空気を汚す。

 私はバランスを崩し、無様に床へと転がった。全身のフレームが軋みを上げ、衝撃が内臓代わりの機関を揺さぶる。

 

「……っ、あ……!?」

 

 その衝撃で、右目の視覚センサーが砕け散った。

 世界が割れる。視界の半分が、瞬時にして砂嵐と警告の赤色に塗り潰された。平衡感覚が狂い、自分が床に這いつくばっているのか、それとも奈落へ落ちているのかさえ判然としない。

 

 その混乱の中で――制服の懐から、何かが滑り落ちた。

 軋む首を、無理やり動かす。ノイズ混じりの視界、わずかに残された正常な領域に映ったのは、ビニールで丁寧に包まれた『イリアス』だった。

 衝撃でページが開いている。

 薄暗い倉庫の中、死にかけの私の眼前に突きつけられたのは第22歌。トロイアの王子ヘクトールが、死を覚悟してアキレウスに挑む場面だった。

 

 ――栄光もなく、戦いもせずに死ぬのではない。未来の人々が語り継ぐような、何か大きなことを成し遂げた上で死にたいものだ――

 

 ラプチャーたちが私を取り囲む。無機質なレンズの奥に、嘲りすら感じられる。

 …惨めだ。仲間の制止も聞かず、分不相応な栄光に憧れた結果がこれだ。

 ガラクタに釣られて野垂れ死ぬ。

 誰の記憶にも残らない。

 何の価値もない、スクラップとしての最期。

 まさに自業自得。

 それ以上に的確な言葉はない。

 

「……いやだ」

 

 喉の奥から、声が漏れた。

 恐怖ではない。悔しさだ。

 あんなにも憧れた英雄たちの死に様と今の私の、あまりにも大きな隔たりへの絶望。

 

「……こんなところで……こんな風に、意味もなく死にたくない……!」

 

 震える左手で、地面を掴む。

 右腕の断面から人工血液が溢れ出し、命を刻一刻と削っていく。

 それでも、私のコアは叫んでいた。

 ――まだだ。まだ終われない。

 

 血を吐くような思いで、身体を無理やり起こした。  

 私を包囲する死の群れを、ただ一つの左目で睨みつける。

 

「戦いもせず、栄光もないまま殺されてたまるか!!」

 

 それは、祈りであり、呪いであり、そして――世界そのものへの宣戦だった。

 

「私が死ぬのは――未来永劫語り継がれる、偉大なことを成し遂げてからだ!!」

 その叫びが、因果の糸を手繰り寄せたのか。

 あるいは、空の彼方で何者かがその意気に感じ入ったのか。

 

 ――轟。

 

 天から雷鳴が落ちた。

 轟音と共に、天井が崩落した。

 …いや、それは崩落などという生温い物理現象ではなかった。

 

 ――紫電。

 

 高密度の魔力が励起し、物質界の法則をねじ伏せる神威の雷。

 それが倉庫の屋根を瞬時に溶解させ、巨大な空洞を穿っていた。

 

 直撃を受けたラプチャーたちが、断末魔を上げる暇もなく蒸発する。超硬合金の装甲が飴細工のように融解し、ただの炭素の染みへと変わり果てる。ノイズ混じりの視界の中で、その紫の光だけが焼き付くように鮮烈だ。

 爆風が吹き荒れ、私を囲んでいたラプチャーの群れが将棋倒しに吹き飛ぶ。その混乱の只中へ、雷光を纏った()()が舞い降りた。

 

「――――」

 

 呼吸を忘れ、私はその威容を見上げた。

 蹄の音が、大気を震わせた。

 現れたのは、筋肉の鎧を纏った二頭の巨牛。鼻孔から紫電を噴き上げ、宙を駆ける神獣。 それらが牽引するのは、古の戦場を蹂躙したという重厚なる戦車(チャリオット)

 

 ――着地。

 

 その一撃だけで、倉庫の床が悲鳴を上げ、コンクリートが波打つように砕け散る。

 生き残ったラプチャーたちが即座に反応した。敵性存在の排除。無機質な殺意と共に、レーザーサイトが無数に戦車へと集中する。

 一斉射撃。かつて人類を地上から駆逐した死の光条が殺到する。

 

 だが――無意味。

 

 ラプチャーの砲火は、戦車が纏う雷の結界に触れた瞬間に霧散した。傷一つつけることすら叶わない。

 桁が違う。出力も、装甲も、存在としての(レベル)も。

 

「蹂躙せよ、『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』!!」

 

 御者台から放たれた豪放な号令に応え、神牛が嘶く。

 戦車が疾駆した。車輪が回転するたびに雷撃が迸り、立ち塞がるラプチャーを鉄屑へと変えていく。ある個体は蹄に踏み砕かれ、ある個体は車輪に轢断され、またある個体は放たれる雷撃によって回路を焼き切られる。

 もはや戦闘ですらなかった。一方的な、あまりにも一方的な、神話という名の暴力。

 

 やがて嵐が去るように雷光が収束し、静寂が訪れた。 巻き上げられた粉塵が、崩れ落ちた天井から差し込む陽光に照らされ、金色の粒子のように舞っている。

 残されたのはスクラップの山と化したラプチャーの残骸と、腰を抜かして蹲る私だけ。痛覚信号が遮断されたかのように、右腕の痛みも死への恐怖も消え失せていた。ただ、圧倒的な“生”の塊を前にして、魂が震えている。

 軋む音を立てて、戦車が停止する。その御者台から、巨漢が降り立った。

 

 ――大きい。

 

 さっきは逆光でよく見えなかったその姿が、今ははっきりと網膜に焼き付く。

 丸太のように太い腕と、鋼よりも硬く盛り上がった厚い胸板。

 燃え立つような赤髪と、荒々しく蓄えられたあご髭。

 肩に羽織った豪奢な真紅のマントが、熱風に煽られてバサリと翻る。

 

 そして何よりも、その双眸。

 眼前のちっぽけなニケを射抜く、炯々と輝く眼差し。

 そこには一切の陰りも、迷いもない。ただ世界そのものを睥睨するような、強烈な自我の光が宿っている。

 

 男は瓦礫の山を物ともせずに歩み寄り、私の前で立ち止まった。

 彼は不敵に口端を歪めると、腰に佩いた大剣の柄に手を置き、地響きのような声で名乗りを上げた。

 

「我が名は征服王イスカンダル。召喚に応じ、ライダーのクラスを得て現界した」

 

 ――イスカンダル。その真名()を耳にした瞬間、懐に抱えていた『イリアス』が熱を帯びた気がした。

 男は私の返答を待たず僅かに身を屈めると、真紅の瞳で私の瞳を――砕けた右目と、涙で滲んだ左目を、真っ直ぐに見据えた。

 

「問おう」

 

 天井の大穴から差し込む一筋の光が、彼の背中を後光のように照らし出す。

 その眩しさに思わず目を細めた。

 

「貴様が、余のマスターか?」

 

 その日。

 灰色の空の下、瓦礫の墓場で。

 名もなき女神(NIKKE)は、運命(Fate)に出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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