投稿前に必ず推敲はしているんですけど、やはり自分ではどうしても見落としてしまうみたいですね…
熱い湯が、頭頂部から爪先へと流れ落ちていく。
個室に据え付けらえたシャワーブースは、白く濃密な湯気に満たされていた。
私は壁に背を預け、目を閉じたまま、ただただ降り注ぐ温もりに身を委ねていた。
「……はぁ」
深い溜息が漏れる。
ニケの皮膚は人間と見分けがつかないガッデシアムで構成されているとはいえ、所詮は作り物だ。人間のように新陳代謝を繰り返すわけでもなければ、毛穴から老廃物を排出するわけでもない。理論上、洗浄剤で表面の汚れを拭き取るだけでメンテナンスは完了する。
だが、今の私にとってこの時間は、単なる身体の清掃以上の意味がある。
湯が肌を叩く感触。
神経を伝う熱の刺激。
そして何より、誰にも邪魔されることのない
以前の共同兵舎では、シャワーは単なる作業だった。決められた時間内に、他のニケたちと順番を争いながら慌ただしく済ませるだけのルーチンワーク。そこに安らぎなど存在する余地はなかった。
だというのに、今はどうだ。時間の制限もなければ、外で待つ誰かの視線を気にする必要もない。ただ湯に打たれているだけで、コアの鼓動が穏やかになり、張り詰めた思考回路が解きほぐされていくのを感じる。
「……幸せだなぁ」
独り言が、湯気に溶けていく。こんな些細なことが幸せだと感じるなんて、我ながら安上がりなものだ。けれど、死の淵を覗いた後だからこそ、この生ぬるい平和の味が骨身に染みる。
私は蛇口をひねり、たっぷりと時間をかけてから、名残惜しくもシャワーを止めた。
バスタオルで身体を拭い、新しいラフな部屋着に袖を通す。
火照った身体には、冷たい飲み物が丁度いいだろう。冷蔵庫から炭酸水を出し、ソファに座って静かに読書でもしようか。手元にはまだ読みかけの『イリアス』がある。最近は忙しくて読めていなかったが、今はある程度余裕もできた。
この際だ。英雄たちの叙事詩の続きを、この静寂の中でゆっくりと噛み締めるのも悪くな――
「ガハハハハ!見ろ、あの男の壮絶なることよ!」
「うわぁ、すっごい迫力!」
「きゃあッ!あぶなーい!」
……そんな私のささやかな計画は、部屋の中央から響く馬鹿でかい笑い声と嬌声によって、無惨にも打ち砕かれた。
ピクリ、と眉が跳ねる。
若干の不機嫌さを滲ませながらリビングの方へ視線を向けると、そこには予想通りの光景が広がっていた。壁際に設置された大型モニターの前、本来なら私が座るはずだったソファを占領している三つの影。我が物顔で鎮座するイスカンダルと、その左右でポップコーンを片手に画面へ釘付けになっているソフィーとリアだ。
「……何見てるの?」
私がタオルで髪を拭きながら近づくと、リアが興奮気味に振り返った。
「古い歴史もののアクション映画だよ。剣闘士奴隷に落とされた元将軍が、実力だけでどん底から這い上がるっていうストーリーなんだけど、これが面白くってさ!」
「はあ……」
「この人カッコよすぎるよ!王子様とかじゃないのに、こんな白馬が似合うのって反則じゃない?」
ソフィーが目をキラキラさせて画面を指差す。
モニターに目を向けると、そこには古代のコロッセオと思しき闘技場が映し出されていた。
砂煙が舞い、華麗な装飾を施されたチャリオットの軍団が剣闘士たちを狩り立てている。
だが、一人の男が戦況を覆している。件の元将軍とおぼしき剣闘士が、横転した敵のチャリオットから奪った白馬に跨り、槍と剣を振るって無双の活躍を見せているのだ。
「……あなたも、こういう映画見るんですね」
私が呆れたように声をかけると、イスカンダルは画面から視線を外さずに、ニカリと口端を吊り上げた。
「うむ、勿論だとも。食も然り、娯楽も然り、当世に存在するものは余すところなく味わうのが、征服王たる余の心得である」
彼は膝の上に抱えた大盛りのポテトチップスを、バリバリと豪快に咀嚼した。
「それにしても……ふん、戦車を操る敵の兵達が脆弱に過ぎるわ。車輪の捌きが甘い。余であれば、あの程度の障害など瞬きする間に突破してみせるものを……」
ブツブツと文句を言いながらも、その目は楽しげに輝いている。どうやら、彼なりにこの現代の娯楽を満喫しているようだ。
私はため息を一つつき、彼らの後ろで黙って画面を眺めることにした。
気が付けば、シーンはクライマックスを迎えていた。元将軍の指揮と武勇により、剣闘士たちは不利な状況を覆し、チャリオット部隊を見事に打ち破る。
砂塵と鮮血にまみれた英雄が、剣を天に向けて突き上げる。
その瞬間、闘技場を埋め尽くす数万の市民たちが、爆発するような歓声を上げた。
皇帝の不満げな表情とは対照的に、民衆は新たな英雄の誕生に熱狂し、彼らの『勝利』を讃えている。壮大なオーケストラが、そのカタルシスを最高潮へと盛り上げていた。
「………」
ソフィーとリアが「やったぁ!」とハイタッチを交わす横で、私は無言で画面を見つめていた。
作り物の映像だ。分かっている。
けれど、その熱狂には、私の胸の奥にある何かをざわつかせる力があった。
「……やはり憧れるか?」
不意に、野太い声が鼓膜を叩いた。
ハッとして視線を落とすと、イスカンダルは画面を向いたまま、私に語りかけていた。
「え?」
「いかなる時代、いかなる場所であれ、民草というものは娯楽を求める。そして、為政者は民を満足させるために、体の良い
先ほどまでの陽気な声とは違う。どこか冷徹で、それでいて深い思慮を含んだ声だった。
「………」
「それが闘技場の殺し合いであれ、機械の箱に写る動く絵であれ、民草にとって“物語”は不可欠なのだ。辛い現実を一時的に忘れ、幻想の中で喜びと快楽に浸るためにな」
イスカンダルはゆっくりと首を巡らせると、真紅の双眸で私を捉えた。
「だが、それでは満足しない者も中にはおる。張りぼての喜びと快楽を拒絶し、血と肉の通った本物の“物語”を求める者がな。……人の歴史は、度々そのような偽物では満足できぬ大うつけ者どもによって作られてきたのだ」
「……あなたも、そうなのですか?」
問わずにはいられなかった。
彼はニヤリと、不敵に笑った。
「然り。余もまた、その一人である」
そして、彼は丸太のような腕を伸ばし、私の肩にポンと手を置いた。
その掌から伝わる熱が、風呂上がりの肌に心地よく染み渡る。
「貴様もまた、その“愚か者”たちの仲間入りを果たしておるのだぞ、マスター」
「……それ、褒めてます?」
「勿論だとも。まあ、まだまだ半人前の小娘ではあるがな」
「ガハハハハ!」と、部屋の空気を震わせるような豪快な笑い声が響く。
私はむうっと頬を膨らませたが、不思議と悪い気はしなかった。
偽りの空の下、閉塞したアークの中で、与えられた娯楽にどこか満足できず、瓦礫の中に埋もれた本物の“物語”を探し続けていた自分。
確かに、傍から見れば疑いようのない愚か者だ。
けれど、その響きが何故か誇らしく思えた。
もしかするとその言葉は、偽りの安寧よりも傷だらけの現実を選んだ者へ対する、王からの賛辞だったのかもしれない。
私は冷蔵庫から取り出した炭酸水のプルタブを開けた。
プシュッ、という軽快な音が響く。
喉に流し込んだ炭酸の刺激は、いつもより少しだけ強く、そして鮮烈に感じられた。
翌朝。エターナルスカイの太陽が昇りきらぬ早朝、私たちは中央政府の副司令室へと呼び出されていた。
重厚なデスクの向こうで、アンダーソン副司令官は眉間に深い皺を刻んで待っていた。
「早朝にご苦労。緊急で君たちに任せたい任務がある」
まだ眠気が抜けきらず、あくびを噛み殺していたソフィーとリアが、その切迫した声を聞いて反射的に背筋を伸ばした。
ただ事ではない。彼の纏う空気がそう告げていた。
「先日からメティスが戦線に復帰したというのは知っているな?」
「…ええ、存じています」
ミシリス最強の部隊、メティス。
彼女たちは任務中に侵食の汚染を受けたが、ミシリスの奇跡的な処置により生還し、トラウマを乗り越えて見事復活したと聞いている。少し前まで、アーク中がそのニュースで持ちきりだった。
「ああ。それで、彼女たちはこれまで同様に作戦を遂行できるようになったわけだが……」
アンダーソンはそこで言葉を切り、重い溜息をついた。
「数時間前から、音信不通になっている」
「え?」
私たちが驚愕するのを横目に、アンダーソンは淡々と続けた。
「想定外のトラブルが起きたか、あるいは連絡したくてもできないのか。原因は不明だが、いずれにしても現在メティスの行方が分かっていない」
「…それで、私たちは何を?」
「メティスが最後に定時連絡をした座標に向かい、彼女たちを捜索してほしい」
そう言って、アンダーソンは机に置かれていた端末を操作し、ホログラムマップを展開させた。
映し出されたのは、高層ビルの残骸が林立する市街地だ。
「場所は地上にある廃墟都市の中心だ。資源回収部隊なら本来行かない危険地帯だろうが、特殊遊撃部隊となった君たちなら問題あるまい」
リアが「ほら、やっぱり」と、諦めを含んだ顔で眉を顰めた。
昇格の代償として、これまで以上に危険な任務が回ってくる。彼女の懸念は正しかったわけだ。
「……でも、メティス部隊に異常が発生したということは、強力な敵がいる可能性も高いですよね」
「その通りだ」
「それなら、私たちよりも『カウンターズ』に任せた方が合理的ではないんですか?私たちと違って、メティスとの面識もありそうですし……」
私の指摘に、アンダーソンは目を閉じた。
数秒の沈黙の後、彼はおもむろに口を開いた。
「……カウンターズは現在、特別な事情で地上の奥深くへ調査に赴いている。わざわざ呼び戻す訳にはいかない」
アンダーソンの雰囲気が少し硬くなった気がした。
……これ以上は詮索しない方が良い。直感的にそう感じた。
恐らく、何か私たちが触れてはならない極秘事項が動いているのだ。
「……分かりました。では、すぐに出撃の準備を整えます」
「頼んだぞ」
短いやり取りを終え、私たちは足早に司令室を後にした。
数時間後、廃墟と化した都市の中心部。
かつては人々の営みがあったであろう大通りも、今は崩れた瓦礫と錆びついた鉄骨の山に埋もれている。アンダーソンから渡された座標を頼りに、私とソフィー、リアは足場の悪い瓦礫の山を乗り越えていく。
「うぇぇ、また塵が身体に付いちゃった!せっかくシャワー浴びたのに台無しじゃん!」
「文句言わないの。ほら、そこ足場が脆いから気をつけて」
「分かってるってば。あーあ、どうせならショッピングモールとかの探索が良かったなぁ。服とか残ってないかな」
「残ってても百年モノのボロ布だよ」
ソフィーの軽口を叩きながら周囲を警戒していたリアが、ふと真面目な顔つきになった。
「……それにしても、連絡すらつかないって少し変だよね」
彼女は手元の計器を確認する。
「エブラ粒子の濃度は正常値。そこまで濃くはないから、少なくとも地上にいれば通信はできるはずだよ。それでも通信できないとなれば、部隊が全滅したとか……」
「それはありえない」
私が即答すると、リアも頷いた。
「うん。そもそも、メティスがそんなことになる可能性はもっと低い」
侵食から回復したばかりとはいえ、メティスはアーク最強戦力の一角だ。特にリーダーのラプラスに限れば、単騎の戦闘力ではアーク最強のニケとも称される。万が一にも、彼女たちが無言のうちに全員倒されるという可能性はないだろう。少なくとも、何らかの痕跡や、激しい戦闘の跡が残っているはずだ。だが、周囲は不気味なほどに静まり返っている。
「……なら、一体何が原因なの?」
ソフィーが呟くも、私もリアも答えられない。
やがて、アンダーソンから渡された座標――メティスが最後に通信を行った地点に到着した。そこは十字路の交差点だったが、やはりと言うべきか、そこにメティスの姿はなかった。
戦闘の痕跡もない。ただ、風が吹き抜けてるのみ。
「……本当にどこに行っちゃったのかしら」
リアが困惑した様子で周囲を見渡すのを横目に、私は霊体化して傍らに控えているイスカンダルに話しかけた。
「どう思いますか?」
『……ふむ。何とも判断できぬな』
私は小さくため息をついた。
「ですよね、分かり切った質問でし……」
『だが、行き詰まった時は物の見方を変えてみるべきであろう』
イスカンダルの低い声が、脳裏に響く。
『先ほど、貴様らが使う通信は
「はい……」
『ならば、答えは一つ。彼奴等は
「それって、どういう……」
彼の言葉を反芻する。
……地上にいない。
空か?いや、それなら遮蔽物がない分、通信は地表面より届きやすくなるはずだ。
ならば―――逆だ。
私は首を巡らせ、周囲の景色を改めて観察した。
ただの瓦礫の山に見える風景。だが、違和感を探して目を凝らすと、ある場所が目に留まった。
崩れかけたビルの影。瓦礫に埋もれかけてはいるが、そこには人工的な空洞が口を開けていた。
地上から下へと向かって降りていく階段。
「地下鉄……?」
「……08?何か見つけたの?」
瓦礫の山に登って遠くを見渡していたソフィーとリアが、私の視線を追って近づいてくる。
「……ありがとうございます、活路が見えたかもしれません」
『何、余はヒントを与えただけ。そこから解を導き出したのは貴様だ』
彼が満足げに笑う気配を感じながら、私は二人に告げた。
「……多分、メティスがいる場所が分かった」
「え?ホント?」
「うん。とりあえず行ってみよう」
そう言って、私は薄暗い階段へと足を踏み出した。
階段の奥からは、ひやりとした冷気と微かな鉄の臭いが漂ってくる。
「え、ちょっと!そっち!?」
「ほら、汝等も行くぞ」
困惑する二人を、実体化したイスカンダルの豪快な声が後押しする。
私たちは光の届かぬ地下へと、その身を沈めていった。
地下へと続く階段を降りきると、そこには濃密な闇が横たわっていた。
かつては多くの市民を運んだであろう地下鉄のトンネルも、今はひび割れたコンクリートの壁面と淀んだ空気しか残されていない。
タクティカルライトの光束が闇を切り裂くように伸びる。
その頼りない光だけを道標に、私たちはその巨大な空洞を進んでいく。
「うぅ……、ここ本当に大丈夫?」
リアが不安げに眉を寄せ、稀にひび割れた箇所から土が落ちてくる天井を見上げた。
「進んでも進んでも真っ暗闇じゃない。空気もなんだかジメジメしてるし……」
「もしかしたら、お化けが出るかもよ~?」
「縁起でもないこと言わないでよ!」
ソフィーが幽霊のように両手をだらりと下げ、ゆらゆらと揺れて見せる。
それにリアが本気で抗議する声をBGMに、私は先頭を歩くイスカンダルの背中に声をかけた。
「……本当にここで合ってるんでしょうか」
「分からん。だが、貴様はそう考えたのだろう?」
彼は足を止めず、迷いのない足取りで進んでいく。
「はい。エブラ粒子の濃度は高くない、そして捜索対象がダウンしている可能性も低いとなれば、通信ができない場所にいるとしか考えられません」
私は自身の推論を再確認するように言葉を紡ぐ。
「マップで確認してみたしたが、この地下鉄は地上からかなり深い位置にあるようです。中継機を設置しない限り、外部との通信は遮断されるはず。メティスがこの付近で消息を絶ったのならば、おそらくはここかと……」
「うむ。ならば貴様の判断を信じよう」
即答だった。
根拠は私の推測のみ。確証などどこにもない。
だというのに、彼は微塵も疑う素振りを見せない。
「……貴方は、失敗するのが怖くないんですか?」
思わず、口をついて出た。
「どういうことだ?」
「……私の判断が間違っていたりとか、このまま帰れなくなってしまうのではないかとか、そんな心配は無いんですか?」
それを聞いたイスカンダルは一瞬だけ沈黙し、そして鼻を鳴らして笑った。
「……無いな」
「何故ですか?」
「余は人生の殆どを“征服”という事業に捧げた。宿敵ペルシアとの決着をつけた後も、余は遠征を続けた。東へ、ひたすら東へと」
彼の視線が、暗闇の奥――あるいはその向こうにある"何か"を見つめていた。
「余の歩んだ道はことごとく未知の世界であった。ペルシアを滅ぼした後に踏み入れた土地など、まさに伝説でしか語られていない異界そのものよ。頼れるものと言えば、己が技量、そして臣下との絆だけ」
王の声が、地下道に朗々と響く。
「“この道は間違っているのではないか”、“このままでは故郷へ帰れなくなるのではないか”などという女々しい憂いにかまけていては話にならん。未知を恐れて何が征服王か。今更、貴様が間違っているかどうかなど心配する筈が無かろう?」
―――なるほど。
私は内心で深く得心した。
歴史によれば、彼は東方遠征において最終的にはインドにまで到達したという。当時のギリシア世界にとって、インドとは世界の果て、神話の英雄ヘラクレスが訪れたという伝説の中にしか存在しない魔境だ。彼はそんな場所に、自らの足で、自らの意志で踏み入った。些細な不安に足を止めるような器では、到底成し遂げられぬ偉業である。
「だが、それとは別に……貴様の判断だから、という理由もあるぞ」
「え?」
予想外の言葉に、私は顔を上げた。
イスカンダルは歩みを緩め、肩越しに私を見下ろした。
「先の戦いにおいても、貴様は状況を冷静に分析し、的確な判断を下した。……例えその結果が敗北だったとしても、余は貴様の判断を悔やんだりはしなかったであろう」
真紅の瞳が、暗闇の中で力強く輝く。
「あの時、貴様は己が生き様を余に示したのだからな。ならば、王たる余には、それを見届ける義務がある。――だから、安心して己が判断を貫くが良い」
バンッ、と。
彼の手が私の背中を叩いた。
いつもより控えめで、少しだけ優しい衝撃。最初はその行動の意味が分からずに戸惑うことが多かったが、最近は段々と分かってきた。これは、不器用な彼なりの激励なのだと。
頬に熱が集まりそうになるのを必死に堪えつつ、私は頷いた。
「……はい!」
私はライトを握り直し、正面を見据えた。
それからしばらく、変化のない闇の中を歩き続けた頃だった。
トンネルの奥から、微かな反響音が鼓膜を震わせた。
「……、………!」
「………!?……!」
―――人の声だ。
私は即座に足を止め、ライフルを構えた。
ソフィーとリアも緊張した面持ちで武器を構える。
「聞こえた?」
「うん、聞こえた。……誰かいる」
「イスカンダル、霊体化してください」
「うむ、心得た」
私の指示に従い、彼の巨躯が黄金の粒子となって霧散した。
私たちは呼吸を殺し、壁伝いに慎重に前進した。じりじりと距離を詰めていくと、やがて前方の闇の中にぽつんと小さな明かりが見えた。ランタンのような光源。その周囲に、三つの人影が浮かび上がっている。
―――味方か、それとも敵か。
緊張がピークに達した時、空気を震わせる大音声が聞こえてきた。
「ふはは!ヒーローよ、貴様の言う通りに進んでいては、いつまで経っても外に出られないのではないか?やはり正義の味方というのは、方向感覚までおめでたいようだな!」
「ふはは!ヴィランよ、貴様はそう言って私たちを陥れようとしているのだろう!その手には乗らないぞ!正しき道は常に一つ、私が指差す方向だ!」
「あんたたち、いい加減にしなさい。頭がキンキンするのよ……」
高笑いと共に罵り合う二人と、頭を抱えて座り込む一人。
あまりにも幼稚な会話の応酬に、私の緊張の糸はプツリと切れた。
……えっと、これは一体どういう状況なのだ?
メティスなのは間違いない。テレビでも何度も見た容姿と声だ。
だが、ラプラスとドレイクは互いに指を突きつけ合って激昂し、マクスウェルがげんなりとした様子でそれを睨んでいる。
私は構えていたライフルの銃口を下げ、意を決して声をかけた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
私の声に、言い争っていたラプラスとドレイクが弾かれたように振り返った。
アーク最強の二人が、まるで迷子が親を見つけたような顔で目を輝かせた。
「おお!!助けが来た!!」
「見ろ、私が言った通りではないかヒーロー!!無闇に歩き回るのではなく、一カ所に留まって賢明に助けを待つべきだと!!」
「黙りなさい!あんたたちが言い争いを始めて動かなくなったから、結果的に立ち往生してただけじゃない!」
すかさずマクスウェルが鋭いツッコミを入れる。どうやらこれが彼女たちの日常茶飯事らしい。
私が「えーと……」と言い淀んでいると、頭を抱えていたマクスウェルが疲労の滲む顔を上げてこちらを見た。
「……ごめんなさいね、騒がしくて。えっと、あなた達は私達を捜しに来てくれたって認識でいい?」
「はい、そうです……」
「はぁ、助かったわ。本当にありがとう。このまま永遠に暗闇を彷徨うことになるかと思ってたわ」
彼女は心底安堵したように息を吐き、興味深そうに私たちを見渡した。
「それで、あなた達は?」
「特殊遊撃部隊『サリッサ』です。私は08、隣の二人はソフィーとリアといいます」
私が名乗ると、マクスウェルは形の良い眉をひそめた。
「サリッサ?そんな部隊名、聞いたことないわね」
「最近正式に編成されたばかりでして……今回が部隊として初の任務なんです」
「へぇー」
マクスウェルは感心したように目を細め、私の肩をポンと叩いた。
「凄いわね。初の任務で、こんな都市部で迷子になった私たちを見つけ出すなんて」
「……恐縮です。あの、一つお聞きしてもいいですか?」
「何?」
「その……皆さんはどうして、こんな場所で迷子になっていたんですか?地上で任務中だったはずでは……」
私の問いに、ラプラスとドレイクが同時に反応した。
「「迷子じゃない!!」」
「いい加減黙りなさい!」
マクスウェルが低い声で睨みつけると、二人は渋々口を噤んだ。
彼女はやれやれと肩をすくめ、事の顛末を語り始めた。
「実はね、この都市区画でタイラント級ラプチャーの反応を検知したの。本当ならスルーして他の部隊に任せてもよかったんだけど……二人とも、復活してから初の任務ってことで張り切っちゃってね」
彼女の視線が、気まずそうに目を逸らす二人に向く。
「調子に乗って走り回っていたら、大規模な地面の崩落に巻き込まれて、ここに落ちてきちゃったというわけ。仕方なく出口を探して歩き回ってたんだけど、この地下鉄、構造が複雑すぎて進んでも進んでもキリがなくて困ってたのよ」
「なるほど……」
マクスウェルの後ろで歯ぎしりしているラプラスとドレイクに苦笑しつつ、私はマクスウェルに問いかけた。
「それで、そのタイラント級はどうなったんですか?一緒に落ちてきたんじゃ……」
「それがね、取り逃しちゃったの」
「え?」
「そもそも、地上にいた時も直接見てはいなかったのよ。地中からの反応だけがあって、それを追いかけていたら崩落に巻き込まれちゃって……奴が何処に潜んでいるのか見当もつかない」
「それって……」
その時だった。
ズズズズズゥゥゥゥン――――
私の声を遮るように、地の底から響くような重低音が鳴り響いた。
……いや、音ではない。
私たちが立つコンクリートの地面が、小刻みに震え始めた。
「な、何だ!?」
「お、おいヒーロー!貴様、また何か余計な真似をしたのではあるまいな!」
「失礼な!私が何をしたと言うんだ!貴様の悪巧みが暴発したんじゃないのか!」
「ええい、二人とも静かに!」
マクスウェルが叫ぶ。
振動は急速に強くなり、轟音へと変わっていく。天井からパラパラと埃が舞い落ちる。
音源は――メティスの背後。私たちが今しがた通ってきたのとは反対側の道からだ。
タクティカルライトを向けると、その光の先、闇の向こう側からそれは姿を現した。
トンネルを埋め尽くさんばかりの巨体。
先端部には無数の回転刃とドリル。
ドリルの周囲には、昆虫の複眼を思わせる不気味な赤色のセンサーがギラギラと輝いている。
まるで巨大な機械仕掛けのミミズのようだった。
「これって……
リアが短い悲鳴を上げ、その名を呼んだ。
―――グレイブディガー。地中を自在に掘り進む掘削機型のタイラント級ラプチャー。
メティスが追っていた反応の正体は、こいつだったらしい。
奴の赤く輝く複眼が、私たちを捉えた。
獲物を見つけた捕食者の歓喜を示すように、ドリルの回転音が一段と高くなる。
「っ!!……全員、逃げて!!」
マクスウェルの裂帛の叫びが、地下道に響き渡った。
それを号砲に、私たちは弾かれたように背を向けた。
「走れェェッ!」
「くそっ、何故ヴィランたる私がヒーローと一緒に逃げねばならんのだ!」
私たちは一目散に、グレイブディガーが来たのとは反対方向へと走り始めた。
背後から轟音と振動と迫ってくる。
振り返る余裕などない。
ただ一つ分かるのは、あの巨大なドリルが私たちをスクラップに変えるべく、トンネルの壁を削りながら猛スピードで迫ってきているという事実だけだった。
次回の投稿は金曜日の予定です。
もしかすると土曜日にずれるかもしれませんが、その時はご容赦ください。
それではまた次回!