レポートの処理をしていたらこんな時間になってしまいました…。
追記:バイパーとジャッカルの容姿について、記憶違いにより誤った描写をしておりました。現在は正しい容姿に修正済みです。お見苦しい点があり失礼いたしました。
数日後、私たちはアウターリムとの境界にそびえ立つ防護壁の近くまでやってきた。
灰色の天井に向かって伸びる鋼鉄の壁の麓には、見慣れた制服姿の少女が一人、静かに佇んでいた。
「遅れてごめんなさい!ジャンヌさん」
「いいえ、別に構いません。私も今しがた到着したところです」
ジャンヌは柔和な笑みを浮かべ、私の背後に続く二人――ソフィーとリアに視線を向けた。
「そこのお二方も、同行されるのですか?」
「うん。アウターリムに行くなんて放っておけないって……」
「そりゃそうでしょ!あんたみたいな危なっかしい子が、アウターリムみたいな無法地帯に行くのを黙って見過ごせるわけないじゃない!」
ソフィーが腕を組み、柳眉を逆立てて私を睨みつける。その剣幕に、私は苦笑いで返すしかなかった。
これまで二人に黙ったまま散々迷惑と心配をかけてきた手前、あまり強気で言い返せないのだ。
「ふふ、良き友人ですね」
「そ、それほどでも……」
ジャンヌの微笑みに毒気を抜かれたのか、ソフィーとリアはばつの悪そうな顔で口籠もる。そんなやり取りを、巨躯の王が見下ろしていた。
「さて、ルーラーよ。無駄話もそこそこに、そろそろ行くとしようか」
「ええ、行きましょう」
イスカンダルの言葉に、ジャンヌは一転して表情を引き締めて力強く頷いた。
「え? 行くって……どうやって?」
私は眼前に立ちはだかる防護壁を見上げた。
高さは優に十数メートルはあるだろうか。アークとアウターリムを隔絶するこの壁には、当然ながら出入り口など存在しない。正規のルートを通るならば、厳重な警備が敷かれている検問所を経由する必要があるはずだ。
「それは勿論、
「「「はい???」」」
私たち三人の声が重なった。
私たちが首を傾げていると、ジャンヌは顎に手を添え、私たちをじっと見つめた。
「私では一人が限界ですね……。ライダー、そのお二方を頼めますか?私はあなたのマスターを」
「うむ、心得た」
イスカンダルはジャンヌの意図を完全に理解しているのか、事もなげに頷いた。
私たちが事態を飲み込めずに困惑していると、不意にジャンヌの手が伸び、私の身体を抱き寄せた。
「え?」
突然、彼女の端正な顔立ちが至近距離に現れた。金色の髪から、ふわりと清廉な香りが漂う。
「ジャ、ジャンヌさん…?」
あたふたとする私の隅で、今度はソフィーとリアが「きゃあっ!?」と悲鳴を上げた。振り返ると、イスカンダルが両腕で二人を小脇に抱え上げていた。米俵か何かのように軽々と扱われているが、ニケの重量は見た目に反して凄まじい。人間ならば腰を粉砕しかねない重さのはずだが、彼の顔には苦悶の色一つない。
「ほう……先日の戦いでも感じたが、貴様らの身体は見た目よりも随分と身が詰まっておるな」
「ちょ、ちょっと!降ろしてよ!」
「あ、あの……」
ソフィーはイスカンダルの腕の中で暴れ、リアは借りてきた猫のように小さく震えていた。
そんな二人の様子に気を取られていると、今度はジャンヌは私の耳元で優しく囁いた。
「しっかり掴まっていてください。舌を噛まないように」
次の瞬間、世界が反転した。
「――っ!?」
――――ゴォォォォンッ!!
大気を震わせる轟音と共に、私の身体は宙へと弾き飛ばされていた。
……いや、違う。ジャンヌが地面を蹴り、跳躍したのだ。
凄まじいGが全身を襲う。
風切り音が鼓膜を打ち、眼下の景色が一瞬にして遠ざかる。
アークの防護壁が、まるで玩具の積み木のように下へと過ぎ去っていく。
「うぇええええ!?」
私の口から情けない悲鳴が漏れる。
防護壁の頂点を難なく越え、身体が浮遊感に包まれたのも束の間、今度は内臓がせり上がるような落下の感覚が襲ってきた。壁の向こう側――薄汚れた灰色の街並みが、恐ろしい速度で迫ってくる。
ズガンッ!!
爆弾が炸裂したかのような衝撃音と共に、ジャンヌが着地した。
舗装されていない地面が蜘蛛の巣状に砕け、粉塵が舞い上がる。その衝撃で私は倒れかけたが、すぐさまジャンヌの腕が優しく私を支えた。
「お怪我はありませんか?」
「い、いえ……大丈夫……です」
心臓――いや、コアの回転数が異常なまでに跳ね上がっている。
呆然とする私の隣に、数秒遅れて巨大な影が降り立った。
ズズゥゥゥンッ!!
先ほど以上の地響き。まるで戦車が空から降ってきたかのような着地音と共に、イスカンダルが悠然と姿を現した。
その小脇には、目を回したソフィーとリアが抱えられている。
「ふむ、この程度の壁ならば造作もないな」
イスカンダルが二人を地面へと降ろすと、ソフィーとリアは力なくその場へへたり込んだ。
「死ぬかと思った……」
「おいおい、もっとしゃんとせんか。戦場では足元の揺れなど日常茶飯事であろう」
イスカンダルは豪快に笑いながら二人に手を貸した。
私は震える足で立ち上がり、改めて自分たちが飛び越えてきた壁を見上げた。
「この壁を飛び越えるなんて……」
「サーヴァントならこのくらいは朝飯前ですよ」
ジャンヌは何気ない表情でそう答えた。人間やニケにとっては大きな障害であっても、彼女にとっては道端に転がっている小石を飛び越えるようなものなのだろうか。サーヴァントという存在の規格外さを、改めて骨身に刻み込まれた気分だった。
「さて……」
ジャンヌが視線を前方の街並みへと向ける。
そこには、アーク内部の洗練された都市とは似ても似つかない混沌と退廃に満ちた光景が広がっていた。錆びついたトタン屋根、極彩色のネオン、そして何処からともなく漂う腐臭とオイルの匂い。
「このまま全員で固まって捜索をするというのも非効率的ですね。ここは二手に分かれましょう」
ジャンヌの提案に、イスカンダルが顎を撫でながら同意する。
「うむ、同感だ。…とはいえ、余はマスターの傍を離れる訳にはいかん。故に、この小娘どもを貴様の供とするのはどうだ?」
そう言ってイスカンダルはソフィーとリアの背中を叩いた。ジャンヌは一瞬だけ思案したが、すぐに頷いた。
「私は問題ありません。……お二人とも、それで良いですか?」
ジャンヌの言葉を聞き、ソフィーとリアは困ったように互いの顔を見合わせた。彼女たちがここに来たのは、あくまで私を心配してのことだ。私と離れて行動することに不安があるのは当然だろう。
「でも、私たちは08が……」
「私なら大丈夫。イスカンダルが付いてるから」
私は二人の不安を拭うように、努めて明るく振る舞った。実際、この征服王が傍にいるという事実は、数十人のニケが護衛として付くよりも心強い。
「それに今はとにかく人手が必要だから、二人は彼女と一緒に行動してくれる?」
私が頼むと、イスカンダルも自信満々に分厚い胸板を叩いてみせた。
「うむ、こやつのことは余に任せよ!この征服王が付いている限り、マスターには敵の指一本触れさせはせん。大船に乗ったつもりでいるがいい」
「……まあ、あなたがそう言うなら」
ソフィーとリアは渋々といった様子ながらも納得してくれたようだった。
彼女たちは服についた砂埃を払うと、覚悟を決めたようにジャンヌの傍へと歩み寄った。
「では、この組み合わせで行きましょう。何かあればすぐに端末から連絡をお願いします」
「08、無理しないでね……?」
「ありがとう、二人とも」
こうして私たちは二手に分かれ、アウターリムの闇へと足を踏み入れた。
アウターリムの空気は、湿った鉄錆と古い油の臭いで満ちていた。
頭上を覆う配管の隙間から、頼りないネオンの光が路地裏を照らしている。アーク中心の清潔で整えられた街並みとは比べようもないほど雑然とした光景だ。
私とイスカンダルは、そんな薄暗い路地を並んで歩いていた。
ふと、周囲の視線を感じる。建物の陰、積み上げられたコンテナの隙間から、ここの住人たちが私たちを品定めするように覗き見ていた。彼らの瞳に宿るのは、よそ者に対する警戒と獲物を狙うかのような下心だ。
私の姿を見た数人の男たちが道を塞ぐように出てこようとした――が、背後に続くイスカンダルの姿を視界に収めた途端、男たちの顔色がさっと変わった。
彼らは蜘蛛の子を散らすように目を逸らし、足早に路地の奥へと消えていった。
「……どこかに行ってしまいましたね」
「ああ。この手の場所では、力のありそうな相手とは関わらぬが定石なのだろう」
イスカンダルは面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、逃げ去る背中を一瞥した。
彼は身長二メートルを超える筋骨隆々の大男だ。その全身から放たれる威圧感は、言葉など無くとも「関われば死ぬ」と本能に訴えかけてくるのだろう。戦場であれスラムであれ、弱肉強食の理屈は変わらないということかもしれない。おかげで無益な争いを避けられているのは助かるが、聞き込みをするのは難しそうだ。
「それよりも、向かう先は決めておるのか?」
「ええ」
私はジャンヌから拝借したアウターリムのマップを取り出した。アウターリムの詳細な地図は存在しないため、これは彼女が独自で調査して書いたものらしい。盤面には、魔力の痕跡を示すマーカーが幾つかつけられている。
「……可能なら全て見て回りたいですが、まずはここから一番近い場所に行ってみましょう」
私が指し示したのは、ここから数ブロック先にある廃棄された倉庫街のあたりだ。
それを確認したイスカンダルは鷹揚に頷いた。
「心得た。案内を頼むぞ、マスター」
私たちは周囲の警戒を怠らないよう気を引き締め直し、再び歩を進めた。
ジャンヌとソフィー、リアの三人も、極彩色のネオンと汚水が混ざり合った独特の臭気が漂う路地裏を進んでいた。治安の悪さは壁の向こう側とは比べ物にならない。すれ違う住民の誰もが、獲物を探すような濁った目をしている。
狭い路地を曲がろうとした矢先、薄汚れた男がぬらりと行く手を塞いだ。
「よう、姉ちゃんたち。見ない顔だな?」
男は卑猥な笑みを浮かべ、値踏みするようにジャンヌの顔から胸元へと視線を這わせた。
そのねっとりとした視線に、ジャンヌの後ろにいたソフィーが眉を吊り上げた。
「ちょっとあんた、退きなさいよ!」
ソフィーが前に出ようとするが、ジャンヌが片手でそれを制した。
彼女は穏やかな表情を崩さず、男の目の前まで歩み寄った。
「何かご用でしょうか?」
「へへ、用ってほどじゃねえがよ。ここらは危ねえからな、俺が案内して――」
男がジャンヌの肩に手を伸ばしかけた、その時だった。
「――いいえ、貴方には他に急ぐべき用事があるはずです。そうでしょう?」
ジャンヌの瞳が僅かに光り、男の瞳を射抜いた。
男の動きがピタリと止まる。焦点の合わない虚ろな目で宙を彷徨った後、男は夢遊病者のように頷いた。
「あ、ああ……そうだった。行かなきゃなんねえ……」
「ええ、急いだほうが良いでしょう」
男はジャンヌへの興味を完全に失った様子で、ふらふらと路地の向こうへと走り去っていった。
あまりに呆気ない幕切れに、ソフィーとリアは開いた口が塞がらなかった。
「今の何?魔法?」
「似たようなものです。無益な争いは避けるに越したことはありませんから」
ジャンヌは事もなげに微笑むと、「さあ、行きましょうか」と二人を促して歩き出した。
しばらくの間、三人の間に沈黙が流れた。
前を行くジャンヌの背中を見つめながら、ふとリアが口を開いた。
「あの……ジャンヌさん」
「はい、何でしょう?」
「あなたって、本当に
リアの問いかけに、ジャンヌは歩調を緩めることなく「ええ」と短く答えた。
「その……歴史の教科書に載っているような過去の偉人が、私たちと同じように目の前を歩いていて、こうしてお話できているなんて、未だに実感が湧かないんです」
「…………」
それを聞いて、ジャンヌは足を止め、振り返った。
その表情はどこか寂しげで、それでいて困ったような苦笑を浮かべていた。
「他の方々がどうかは分かりませんが……少なくとも私は、偉人などではありませんよ」
「えっ? でも、あなたはオルレアンの乙女で、フランスを救った救国の聖女でしょ?」
「……後世ではそう語り継がれているようですが、私は主の啓示に従って立ち上がった一介の村娘に過ぎません」
ジャンヌの言葉に、ソフィーが身を乗り出して反論する。
「そんな!謙遜が過ぎますよ!世界中の誰もが知ってる英雄じゃないですか」
ソフィーが食い気味に言うも、ジャンヌは静かに首を横に振った。
「いいえ。私はイエス・マリアの旗を掲げましたが、その瞬間から私は、
「でも、それは国や人々を救うためだったんじゃ……!」
「勿論、動機がそうであったことに違いありません。けれども、私が戦場で旗を振ったことで、多くの人を死地に追いやりました」
「………」
「敵兵だけではありません。私を信じて付いてきてくれた兵士たちもまた、私の旗の下で命を落としたのです」
彼女の声には悲壮感はない。彼女はただ、動かしようのない事実だけを淡々と述べるが如く、自身の過去を語っている。
「私は決して聖女などではない。私は剣を振ることはありませんでしたが、この手は血でまみれているのです。動機がどうであれ、その結果から目を背けてはならない」
ジャンヌの澄んだ瞳が、真っ直ぐにソフィーとリアを見据える。その瞳はどこまでも静謐な水面のようであったが、その奥には罪を背負った咎人のような昏い色があった。
彼女の視線を受け、ソフィーとリアは思わず目を伏せてしまった。
「……ごめんなさい、重い話をしてしまいましたね」
ふっと空気が緩む。顔を上げると、ジャンヌはいつもの柔和な表情に戻り、困ったように眉を下げていた。
「そもそも、私たちサーヴァントは所詮『英霊』。過去の人間が仮の姿を得ただけの、幽霊と変わらない存在です」
ジャンヌは二人の肩に優しく手を置いた。
「どれだけ強大な力を持っていようと、今を懸命に生きるあなた達の方が、ずっと尊い存在なのですよ」
そう言って微笑むと、ジャンヌは再び二人に背を向け、歩き始めた。
遠ざかる背中を見つめながら、ソフィーとリアは顔を見合わせる。
「……なんか、想像していたよりも悲しい人だね」
「うん。…でも、ちょっとだけ親近感が湧いたかも」
「どうして?」
ソフィーが首を傾げると、リアは少し照れたように笑った。
「間接的にとはいえ、人を殺してしまったことを
ソフィーとリアがジャンヌの背中を追うと、彼女は前を向いたまま彫像のようにピタリと足を止めていた。
「どうしたんですか?こんな所で立ち止まって…」
不審に思った二人がジャンヌの背中越しに前方を覗き込むと、そこには一人のニケが立っていた。
黒いコートと、上半身のはだけた肌から覗くタトゥー。
見る者を不安にさせるような、底知れない虚無を湛えた瞳。
彼女は気怠げに紫煙を吐き出すと、緑色の瞳でジャンヌを値踏みするように見つめた。
「……退いていただけませんか?」
ジャンヌが警戒心を露わにしながら声をかけると、目の前のニケは口元をフッと歪ませて笑った。
「悪いが、それはできない」
「何故ですか?」
「あんたには用は無いが……後ろにいるおチビちゃんたちに用があってね」
煙草を指に挟んだまま、彼女は顎でソフィーとリアをしゃくってみせた。まるで屠殺場の家畜を見るかのような冷たい視線が、ソフィーとリアに向けられる。
「一体、何の用だというのですか?」
「さあね。少なくともあんたには関係ないよ。まあ、正確には私も用があるわけじゃないけど」
「……二人とも、私の傍から離れないでください」
ジャンヌがそう言って、庇うように背後へ手を回した。しかし、彼女の手は虚空を切り、誰の身体にも触れなかった。
「なっ!?」
驚愕と共に振り返ると、既にソフィーとリアはそこにいなかった。
二人はジャンヌから数メートル離れた位置で、別のニケ二人に口元を抑えられていた。
「んー!んぐーッ!」
「あはは!はいはい、暴れないでね~♡」
「隊長~!捕まえたよ!」
ソフィーを押さえ込んでいるのは、茶色がかったブロンドの髪をした妖艶なニケだ。彼女は蛇のように瞳を細め、携帯電話を片手に楽しげに笑っている。
そしてリアの背中に乗っかっているのは、白に所々鮮やかなピンク色のメッシュが入ったツインテールのニケ。彼女は涎を垂らさんばかりの勢いでリアを押さえつけている。
「あなたたち、何をするのですか!!」
ジャンヌの柳眉が逆立つ。
「悪いが、そこのおチビちゃんたちは頂いていくよ。何、命を頂こうって訳じゃないし、あんたにも危害を加えるつもりはない」
「させるものですか!!」
ジャンヌの全身から、凄まじい魔力が噴出した。
光の粒子が収束し、瞬時にして白銀の甲冑へと身を包み込んだ。右手には、イエス・マリアの旗が巻かれた槍が握られている。
「おっと……これが噂の
目の前で超常現象が起きたにも関わらず、彼女は動じる素振りすら見せない。むしろ、実験動物の反応を確認しているかのように冷静だった。
「二人を離しなさい!!」
「嫌だね」
ジャンヌが槍の切っ先を彼女に向けるも、彼女はどこ吹く風といった様子だ。
「……仕方ありません。そこまで言うのであれば!」
「バイパー」
「は~い♡」
彼女が短く名を呼ぶと同時、バイパーと呼ばれたニケが手元で何かを弾いた。
次の瞬間、ポンッという乾いた音と共に、路地裏が濃密な白い煙に包まれた。
「っく!?」
ジャンヌは一瞬気圧されたものの、瞬時に目の前のニケがいた場所へと槍を振るった。
風を切り裂く轟音が響くも、手応えは空を切る感触だけだった。
「逃がしません!」
ジャンヌは一振りの風圧で煙を吹き飛ばし、慌てて背後を振り返る。
だが、そこには既に誰もいなかった。ソフィーとリアの姿も、跡形もなく消え失せていた。
「…やられました」
ジャンヌは悔しげに唇を噛み締め、旗槍を降ろした。
「……ソフィーさん、リアさん。必ず見つけ出します」
まだ煙の匂いが残る周囲を見渡すと、ジャンヌの身体が金の粒子と共に身体を零体化させた。
やがて、彼女は音もなくアウターリムの闇へと溶けていった。
目的の倉庫は周囲の中でも一際大きく、不吉な沈黙を保っていた。錆びついたシャッターの隙間からは、内部の澱んだ空気が漏れ出している。鼻を突くのは古びたオイルと、僅かな鉄錆の臭い。
少しだけ嫌な予感を覚えながら、私は恐る恐る通用口の扉に手を掛けた。
ギィィィ、と蝶番が苦痛に満ちた悲鳴を上げ、重い鉄扉が開く。内部は外界の光が一切届かぬ暗黒に支配されていた。
「……暗いですね」
「ああ。足元に気を付けろよ、マスター」
私は腰のホルスターからタクティカルライトを取り出すと、スイッチを押し込んだ。カチ、という乾いた音と共に、強力なLEDの光条が闇を切り裂く。光の帯の中を、積年の埃が雪のように舞い踊るのが見えた。
「行きましょう」
頼りない光の円を道標に、私たちは倉庫の内部へと足を踏み入れた。
巨大な貨物棚が、まるで墓標のように整然と並んでいる。
「……どうですか?」
「うむ……確かに魔力の気配はあるな」
「キャスターでしょうか」
「……いいや、まだ分からん」
イスカンダルの声は、いつになく控えめだった。
そのまま棚の回廊を抜けて奥へと進むと、巨大な搬入口のような扉が闇の中に浮かび上がった。
「あれが正面扉みたいですね」
「ふむ……動いた形跡はないな」
「はい。もう少しあたりを見て回って……」
そう言いながら一歩踏み出した時だった。
私の右足が、床に転がっていた《何か》に絡めとられた。
「おっと…!?」
バランスを崩し、前のめりに倒れそうになる。
だが、冷たい床に顔を打ち付けるよりも早く、鋼のような剛腕が私の身体を強引に引き戻した。
「何をしておる」
「す、すみません……」
「暗闇では足元に気を付けろと言ったであろう」
「分かってたつもりなんですが。一体何に躓いたんだろう……」
私は乱れた呼吸を整えながら、自分が躓いた物体へとライトの光を向けた。
白い光の円が床を滑り、その物体の輪郭を闇から剥ぎ取る。
「――っ!?」
声にならない喘ぎを漏らし、私はその場へへたり込んだ。
「ひッ……!?」
「どうした!」
「ひ、人が……!?」
そこに転がっていたのは、一人の男性だった。作業服を着た中年の男。だが、ピクリとも動かない。まるで糸の切れたマリオネットのように手足を投げ出し、虚ろな瞳で天井の闇を見つめ続けている。その首元には、頸動脈をピンポイントで切り裂かれた跡が残っていた。
私の視線の先を追ったイスカンダルの顔色が、瞬時に硬直した。彼は無言で私からライトを奪い取ると、鋭い手つきで周囲の床を照らし出した。光が走るたび視線が動き、彼の眉間に刻まれた皺が徐々に深くなっていく。彼が見ているものが何なのかは、その面持ちが如実に物語っていた。
「………マスター」
「は、はい……」
「貴様はこれ以上、見ない方が良いだろう」
「……分かりました」
イスカンダルが静かにライトの光を床から逸らした。
「一体、誰がこのような真似をしたのだ」
イスカンダルは地を這うような唸り声を漏らした。
先ほどの見た男性は、首元の急所を的確に斬られていた。方法は分からないが、確実に何者かによって殺害されたと見るべきだ。首元以外に傷がなかったことから、ほぼ不意打ちに近い形で襲われたのだろう。
だが、抵抗する間もなく一方的に命を奪い去るような行いが、彼には許しがたい蛮行と映ったのかもしれない。彼の巨躯から立ち昇る怒気が、周囲の空気をピリピリと震わせていた。
そんな彼の横顔を眺めていると、ふと彼の頭上、暗闇に包まれた天井の梁で"何か"が瞬いたのが見えた。
「っ!!イスカンダル!!」
思考するよりも先に、喉が彼の名を叫んでいた。
刹那、天井の梁から
重力さえも置き去りにするような落下。凶弾のごとき刺突が、イスカンダルの太い首筋へと殺到する。
―――だが、イスカンダルの武人としての本能は、その不意打ちに反応していた。間一髪で腰の剣を抜き放ち、背後への一閃でその奇襲を弾き返した。
ガギィィィンッ!!
硬質な金属音が倉庫の静寂を引き裂き、散った火花が闇を一瞬だけ灼いた。彼の攻撃で弾かれた影は重さを感じさせない軽業で宙を舞うと、音もなく数メートル先のコンテナの上へと着地した。
「っ!!」
私はイスカンダルが床に投げ捨てたライトを拾い上げ、震える手で
闇を切り裂いた光の先に、その姿が浮かび上がる。
そこに立っていたのは、
闇に溶ける黒衣を纏い、褐色の肌を晒している。その顔は白い髑髏の仮面によって覆い隠されている。髑髏の仮面を被った謎の襲撃者。彼は両手に握った黒塗りの短刀を構え、仮面の奥から私たちを静かに見下ろしていた。
やっとキャスターとルーラー以外のサーヴァントを出せました。
当初はイスカンダルだけで話を回そうかとも思っていましたが、やっぱりFateと言えば対サーヴァント戦ですよね。
あと、お気に入り数が300を突破していました!
拙作ではありますが、こんなに多くの人に読んでいただいて本当に感謝しております!
来週も金曜日に更新予定です。もしかすると今回のように時間や曜日がずれ込んでしまうかもしれませんが、更新自体はしっかり続けていく所存です。
それでは、また来週!