今週は少々予定が立て込んでいて、執筆が遅れていました。
なんと、今回で総文字数が20万字に達しました!一般的な文庫本は一冊あたり10万字前後らしいので、これで二冊分は書いたことになりますね。……そんなに書いてたっけ?
カンザスの大草原は、空も大地も、すべてが灰色に染まっていました。
見渡す限りの乾いた平原。かつては若く美しかったエムおばさんも、働き詰めのヘンリーおじさんも、厳しい暮らしの中で瞳の輝きを失い、風景と同じ灰色をしていました。笑い方さえ忘れてしまったような世界で、ドロシーの心を彩っていたのは、陽気な黒い小犬のトトだけでした。
ある日、恐ろしい竜巻がその静寂を破りました。
おじさんとおばさんは避難しましたが、怯えたトトを助けようとしたドロシーは逃げ遅れ、家ごと空高く巻き上げられてしまいます。漆黒の闇と風の咆哮の中、家は長い時間をかけて遥か彼方へと運ばれ、やがてドンッという衝撃と共に着地しました。
おそるおそる扉を開けたドロシーの目に飛び込んできたのは、目がくらむような色彩の洪水でした。柔らかな緑の芝生、たわわに実る果実、美しい鳥たちのさえずり。そこは、灰色のカンザスとはまるで違う世界でした。
呆然とするドロシーの前に、不思議な服を着た小柄な人々と、一人の上品な老婦人が現れました。老婦人は「北の魔女」と名乗り、ドロシーに深く頭を下げました。
「ようこそ、気高い魔術師さま。あなたの家が東の悪い魔女の上に落ちたおかげで、人々は自由になれました」
ドロシーは否定しましたが、確かに家の下からは、悪い魔女が履いていた銀の靴の足だけが突き出ていたのです。
予期せぬ出来事で、ドロシーは英雄として迎えられました。しかし、彼女の心は晴れませんでした。ここは美しく、人々は親切です。けれど、ここは『家』ではありません。
「あたし、カンザスに帰りたいのです。おばさんとおじさんが心配しているわ」
ドロシーは涙ながらに訴えました。どれほど灰色で何もない場所だとしても、愛する家族のいる場所こそが、彼女にとって唯一の帰るべき場所なのです。しかし、オズの国は死の砂漠に囲まれており、簡単には出られません。
同情した北の魔女は、ドロシーに一つの希望を示しました。「世界の中心にあるエメラルドの都へ行き、偉大なる魔法使いオズに助けを求めなさい」と。
魔女はドロシーを守るため、その額にキスを授けました。善い魔女のキスを受けた者には、誰も手出しができないのです。
「黄色いレンガの道を辿っていけば、道に迷うことはありません」
そう言い残して、魔女は姿を消しました。ドロシーは遺された銀の靴を履き、トトを強く抱きしめました。
目の前には、どこまでも続く光り輝く道。見知らぬ世界へ不安が募ります。けれども、家へ帰りたいという願いはそれを上回っていました。ドロシーは勇気を振り絞り、静かに一歩を踏み出したのでした。
ミシリス・インダストリー本社、最上階。
シンプルながらも洗練された会議室には、呼吸すら憚られるような重い沈黙が横たわっていた。
私は椅子の上で、これまでにないほどの冷や汗をかいていた。コアが破裂しそうなほどに早鐘を打っている。視線を僅かに横へ向ければ、ソフィーとリアもまた、借りてきた猫どころか、蛇に睨まれた石像のようにガチガチに固まっている
……無理もない。何せ今の私たちは、アークを実質的に支配する「三大企業」のCEOたちと同じテーブルに着いているのだから。
エリシオンCEO、イングリッド。
テトララインCEO、マスタング。
そしてミシリスCEO、シュエン。
彼らは皆一様に頭を抱えて項垂れていた。
何故か?答えは単純明快。彼らの視線の先―――すなわち私たちの背後には、「我関せず」といった表情を浮かべるイスカンダルとジャンヌが立っているからだ。
「……一つ、言わせてもらうわ」
静寂を破ったのは、この中で最も小柄な少女――シュエンだった。
彼女は組んだ腕に顔を埋めたまま、地を這うような低い声で呟いた。その矛先は、同じく会議室に同席していたカウンターズの指揮官へと向けられた。
「……何だ?」
指揮官が疲れたように顔を上げ、短く応じる。
その瞬間、シュエンがバンの音と共にテーブルを叩き、鬼の形相で立ち上がった。
「お前は!!どうして!!クソ忙しい時に限って!!厄介ごとを持ち込むのよ!!」
ヒステリックな叫び声が、広い会議室に反響する。あまりの剣幕に、ソフィーとリアが「ひっ」と声を漏らして縮こまった。
シュエンはあどけなさが残る顔を怒りで歪ませ、人差し指を指揮官の鼻先へと突きつけた。
「ラプチャーの侵入に、ヘレティックの襲来!それだけで頭がパンクしそうだってのに、何よ今の話は!?英霊?魔術?聖杯戦争!?頭が沸いてるんじゃないの!?」
「文句を言われても困る……。私だって巻き込まれた側なんだ」
「こいつらを連れて来たのはあんたでしょう!責任持ちなさいよ!」
シュエンが指さした「こいつら」には、間違いなく私たちも含まれている。
CEOからの直々の指名……というか、もはや罵倒だが。普段なら絶対にあり得ない栄誉だが、今はただただ恐怖で震えるしかなかった。
そんな修羅場を前に、私の背後でイスカンダルが「やれやれ」とわざとらしく息を吐いた。
「ほれ見たことか。だから余は止めておけといったのだ。まともに軍隊すら運用できない連中の長なんぞに、理解できる筈もなかろう」
「ライダー、言葉を慎んでください……。一応、この土地の有力者なのですから」
ジャンヌが小声でイスカンダルを窘めたものの、その顔には諦めの色が浮かんでいる。
火に油を注ぐようなイスカンダルの発言が聞こえていないはずもなく、シュエンのこめかみに青筋が浮かんだ。だが、彼女が噛みつくよりも早く、イングリッドが重々しい口調で口を挟んだ。
「……まあ、お前に全責任があるとは思わないが、今回ばかりはシュエンの言いたいことも分かる」
「ふ~む、否定できませんNE」
サングラスの奥で目を光らせたマスタングも、大仰な仕草で肩をすくめた。
「エンターテイメントにはハプニングが付き物ですが……今回のは少々、刺激が強すぎMASU」
「……」
イングリッドとマスタング、比較的冷静に構えていた二人からも同調され、さすがの指揮官も反論の言葉を失ったようだった。
彼はがっくりと項垂れ、再び深く頭を抱えた。両隣に控えていたラピとアニスが、いたわるように指揮官の背中をさすっている。
「元気出してください、指揮官。……いつものことじゃないですか」
「そうよそうよ。私たちがトラブルに巻き込まれなかったことなんて、一度だってないんだから。今更よ、今更」
……アニスの慰めは、果たして慰めになっているのだろうか。
けれど、二人が指揮官を宥める様子は奇妙なほどに手慣れていてた。
(どうしてこうなった……)
内心でそう呟き、私は天を仰ぎながらため息をついた。
事の発端は数十分前、エニックの部屋での出来事に遡る。
* * * * * *
「「「聖杯戦争……???」」」
その場にいたニケたちの声が見事に重なった。
カウンターズ、そしてA.C.P.U.のポリとミランダ。
彼女たちの頭上に、巨大なクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えた。
―――万能の願望機。
―――英霊召喚。
―――七人のマスターによる殺し合い。
エニックから淡々と語られた内容は、ラプチャーとの戦争に明け暮れる私たちにとっては、あまりにも荒唐無稽な御伽噺にしか感じられない。
(……やはり、こうなるよね)
だが、私は彼女たちの反応を見て、少しだけ安堵していた。私が最初、イスカンダルから説明を受けた時と同じ反応だったからだ。むしろ、いきなり「はいそうですか」と納得する方が怖い。アークの常識で考えれば、頭がおかしくなったのかと疑うのが正常な反応だろう。
――――だが。
「なんだ、また『D-WAVE』?」
アニスが拍子抜けしたように、ぽん、と手を打った。
先ほどまでの困惑はどこへやら。「あーはいはい」と言わんばかりに納得した顔をしている。
「……は?」
今度は、私が間の抜けた声を上げる番だった。
困惑する私などお構いなしに、カウンターズの指揮官が真剣な顔でエニックに問いかける。
「今回も、ゲートキーパーの反応は確認されたのか?」
「……なるほど、
「
ラピとネオンも、二人が口にした「D-WAVE」と「ゲートキーパー」という単語を聞いた途端、憑き物が落ちたように表情を緩めていた。
……一体、この人たちは何を言っているんだ?
完全に置いてけぼりの私たちをよそに、エニックは淡々と答えた。
「いえ。私が認識できる範囲では、ゲートキーパーの反応は確認できていません。少なくとも、現在もゲートキーパーが活動中である可能性はありません」
「え?じゃあ、この方たちは『こちら側の世界』に迷い込んできたという訳ではないんですか?」
ネオンが眼鏡を指で押し上げながら身を乗り出した。
「先ほど説明した英霊や聖杯戦争といった概念そのものは、間違いなく『外部』から持ち込まれたものです。しかし、アークに出現したサーヴァント……そこにいるイスカンダルやジャンヌ・ダルクを含めた彼らは、外部からの来訪者ではなく、アークに持ち込まれたシステムによって召喚された『こちら側の存在』です」
「「なるほど???」」
アニスとネオンが同時に首を傾げた。口では「なるほど」と言いつつ、語尾のイントネーションは完全に疑問形だ。分かっていないのに分かったふりをする。妙なところで息の合った人たちだなと、私は内心で突っ込んだ。
だが、それにしても彼女たちは「異常事態」に対する許容範囲が広すぎる。
「あの……皆さんは、以前にもイスカンダルやジャンヌさんのような人たちと会ったことがあるんですか?」
リアがおずおずとカウンターズに向かって問いかけた。
すると、アニスが「まあね」と軽く肩をすくめた。
「私たちってそういう星の下に生まれてるっていうか、こういう摩訶不思議なことに巻き込まれやすいのよ」
「そうですね!これまでも、ユニークな方々とたくさん交流してきました!チェーンソーを振り回すデビルハンターな人たちとか、黒い服を着たアンドロイドな人たちとか、あと異世界ファンタジーなメイドさんとか!」
ネオンが指を折りながら、事もなげに羅列した。
「……本当に、色々なことに巻き込まれたわよねぇ」
二人は互いに顔を見合わせると、「アハハハハ!」と乾いた笑い声を上げた。
それを隣で聞いていた指揮官とラピもそれを否定せず、むしろ「あったな、そんなことも」という顔で目を細めていた。
「…………」
その場にいた、カウンターズ以外の全員の表情が死んだ。
本当に、この人たちは一体何を経験してきたんだ?
「……とりあえず、これまでの事案とは状況が異なるということだな?」
咳ばらいをして場を取り持った指揮官が、低い声でエニックに話しかけた。
「はい、その通りです」
「……ゲートキーパーを倒せば解決する問題ではない、か」
彼は顎に手を当て、短く息を吐いた。そして覚悟を決めたように顔を上げると、恐る恐るといった様子でイスカンダルとジャンヌの正面に立った。
身長差は歴然だ。彼とイスカンダルでは、巨人と子供ほどの差がある。けれど、彼は一歩も引かずに、まっすぐに二人の瞳を見据えていた。
「私たちは特殊別働隊カウンターズ。右から順に、ラピ、アニス、ネオン。私は彼女たちの指揮官です」
彼は流れるような動作で部下を紹介し、最後に自分自身を指し示した。
「……よろしくお願いします」
そう言って、彼はイスカンダルに向かって右手を差し出した。武器を持たぬことを示し、友好を築きたいという証。だが、それは同時に、相手がその気になれば即座に腕をねじ切られる距離に身を晒すということでもある。
彼の行動に、イスカンダルは「ほう」と感心したように片眉を上げた。
「余を前にしても動じぬと来たか。お主、相当な修羅場を潜り抜けてきたな?」
「……まあ、死線をさまよったことは何度かあります」
イスカンダルは赤色の双眸を細め、指揮官の全身を値踏みするように観察する。
やがて、その口元が満足げに吊り上がった。
「察するに、貴様は前線で兵と共に戦う将であるな?」
指揮官が静かに頷く。
イスカンダルはニカっと豪快に笑い、差し出された手をガシッと握り返した。
「余はマケドニア王フィリッポス二世が子、アレクサンドロス三世。またの名を、征服王イスカンダル」
万雷のような名乗りが、狭い室内に響き渡る。
ギリギリと骨が軋む音が聞こえてきそうなほど強い握手だ。だが、指揮官は表情一つ変えずにそれを受け止めている。
「悠久の時を超え、兵と共に歩む将と出会えたことを嬉しく思う」
「……光栄です」
次いで、指揮官は傍らに控えるジャンヌの方へも体を向け、同じように手を差し出した。
「あら」
ジャンヌが驚いたように目を丸くする。
「確か、ジャンヌ・ダルクさんでしたか」
「ええ……」
「よろしくお願いします」
「……ふふ、こちらこそ」
ジャンヌは柔らかく微笑むと、陶磁器のような白い手で、指揮官の手をそっと握り返した。
イスカンダルとは対照的に、今度は穏やかで静謐な握手だった。
私はただ、呆然とその光景を見守ることしかできなかった。
これが、カウンターズの指揮官。イスカンダルやジャンヌのような英霊を前にして、怯むどころかこの対応力である。相手が人間だろうとニケだろうと、それこそ英霊だろうと関係ない。ただ一人の「対等な存在」として敬意を払い、信頼関係を築こうとする姿勢。
(……凄い)
単純な感想だが、それ以外の言葉が見つからなかった。これこそが、彼が多くのニケたちから慕われ、数々の奇跡を起こしてきた理由なのかもしれない。
彼ならば、この異常な事態もどうにかしてしまうのではないか。そんな根拠のない期待すら抱いてしまいそうだった。
「――――そろそろ、本題に入ってもよろしいでしょうか?」
ふと、エニックがそこへ割り込むように声を上げた。
彼は慌ててジャンヌからそっと手を離すと、バツが悪そうに咳払いを一つした。
「あ、ああ……すまない。話が脱線してしまったな」
「いえ、お気になさらず……」
ジャンヌも少し頬を赤らめ、淑やかに一歩後ろへ下がった。
全員の視線が集まったのを確認し、エニックは再び口を開いた。
「現状、早急に対処すべき問題は大きく分けて二つあります」
彼女の淡々とした声が、部屋の空気を再び引き締めた。
「第一に、今回の事件を実質的に首謀した『エキゾチック部隊』を捕縛すること」
「なっ!?」
その名を耳にした瞬間、私の隣でソフィーの肩がビクリと跳ねた。
エキゾチック。アウトローが集う無法地帯、アウターリム出身のニケたちで構成された部隊。
そして何より――――つい数日前、ソフィーとリアを拉致した張本人たちだ。
「……あいつらが、首謀者?」
ソフィーの声が震えていた。きっと、あの時の記憶が脳裏に蘇ってきたのだろう。
「ラプチャーがアークに入ってきたの、あいつらの仕業だったの?」
「はい」
エニックはにべもなく肯定した。
ソフィーの肩がわなわなと震え始める。
「あいつら、私たちだけに飽き足らず、今度はテロまで……!」
ギリリ、とソフィーが拳を握り締める音が聞こえた。
怒りで過呼吸になりかけるソフィーの背を、同じく顔面蒼白になったリアが必死に支えていた。彼女の瞳にも、エキゾチックという名前に対する恐怖と、それ以上の憎悪が揺らめいている。
そんな二人の様子を横目に、エニックは更に話を続ける。
「そして第二に、ピルグリム・ドロシー、及びバーサーカー・クリームヒルト両名を管理下に置くこと」
「……
私が思わず聞き返すと、エニックがこちらに視線を向けた。
「はい、管理です」
「
私の問いに、エニックは淡々と答えた。
「本来であれば両名をアークから排除することが、安全上もっとも望ましいでしょう。しかし、彼女たちがヘレティック・ニヒリスターを撃退した力を鑑みるに、現有戦力で力づくによる排除を試みた場合、甚大な被害を被る可能性が極めて高いと推測できます」
エニックは空中にホログラムを展開し、クリームヒルトがニヒリスターを一方的に蹂躙する映像を投影した。……あの混乱の只中においても、彼女はしっかりあの出来事を記録していたらしい。
「したがって、現時点では両名の排除を目的とするのではなく、可能な限りアーク市民の目から遠ざけつつ、万が一戦闘が発生した場合も被害を最小限に抑えられる場所に誘導するべきであると結論しました」
「……なるほど」
確かに、あの化け物たちと市街地で戦えば、勝敗に関わらずアークに対する被害は避けられないだろう。それならば、せめて監視の届く範囲で行動させるか、被害のないエリアへ押し込める方が合理的であると。……さすがはアークの菅理AI、判断が的確かつ合理的だ。
私が頷いたのを確認すると、エニックは今度はカウンターズの指揮官へと視線を向けた。
「先ほども説明した通り、アーク内部へ侵入したラプチャーの掃討、そしてエターナルスカイに空いた穴の補修は順調に進んでいます。よって、カウンターズはこれより、特殊遊撃部隊サリッサ、そして英霊イスカンダル及びジャンヌ・ダルクらと共同し、前述した二つの問題に対応してください」
「……分かった」
指揮官は短く頷くと、ゆっくりと身体の向きを変え、私の方へ視線を向けた。
「君たちとは、しばらく行動を共にすることになるな」
「あ、はい……そうですね」
突然話しかけられ、私は少しドギマギしながら答えた。
彼はおもむろにこちらへ歩み寄ると、自然な動作で右手を差し出した。
「あらためて、よろしく頼む」
……私のような量産型のニケにまで握手を求めるなんて、やはり変わった人だ。
普通、指揮官というものは量産型など消耗品としか見ていない。名前も呼ばず、ただの駒として扱うのが常だ。けれど、彼の目には私が一人の「人間」として映っているようだった。
内心で戸惑いながらも、私は恐る恐る彼の手を握り返した。
(……温かい)
それが最初の感想だった。
イスカンダルの、岩のようにゴツゴツとして、熱気を帯びた荒々しい手とは違う。
柔らかく、温かく、心臓の脈動を微かに感じる。それが、ひどく心地よかった。
「――――とはいえ、あなた方だけでこれらに対処するのはリスクが高いでしょう」
不意に、エニックが冷や水を浴びせるように告げた。
イスカンダルが不機嫌そうに眉をひそめる。
「おいおい、こやつらの力を見くびっておるのか?それに、余やルーラーも付いておるのだぞ?何を心配することがある」
彼にしてみれば、自身の能力を軽んじられたも同然だったのだろう。
だが、エニックは表情を変えずに首を振った。
「誤解を与えてしまい申し訳ありません。私は、あなた方サーヴァントの力も、そしてカウンターズやサリッサの実力も十分にあると考えています。決して、戦力不足とは捉えていません」
「では、何故?」
ジャンヌが不思議そうに問う。
「エキゾチックの追跡、そしてピルグリムとバーサーカーの誘導。それらは単純に戦闘能力だけで解決できる問題ではありません。勿論私も可能な限りサポートしますが、御存じの通り私は万能ではありません。私以外の者による助力があれば、作戦はよりスムーズに、余力を持って進められるでしょう」
……エニックの言葉に、不思議と嫌な予感が背筋を走った。彼女は何か、私たちにとって不都合なことを言おうとしている。そんな気がしたのだ。
彼女は淡々と、気が重くなるような事実を告げた。
「今のあなた方に最も欠けているのは、イレギュラーな事態にも柔軟に対応するための
「……まさか」
私の隣で、指揮官の表情が引きつった。
――まるで、これから訪れる胃痛を予感したかのように。
「はい。三大企業のCEOに現状を報告し、適切な助力を求めてください」
まるで処罰を宣告する審判人のように、エニックは無慈悲にそう言い放った。
* * * * * *
――――そして、現在に至る。
三人のCEOの視線が、それぞれ手元や互いの顔を行き来する。彼らから放たれる重苦しい威圧感だけで、思考がショートしてしまいそうだった。私は息を殺し、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように身体を硬くしていた。
最初にその沈黙を破ったのは、エリシオンのCEOイングリッドだった。
「……まあ、おおよその事情は把握した」
彼女は眉間に深いしわを刻み、こめかみを指で押さえながら重々しく口を開いた。
「元々アークでは聖杯戦争という異常事態が発生していて、M.M.R.がそれに関与していた、と」
「シュエン、あなたは知っていましたKA?」
イングリッドの問いかけに続き、マスタングがサングラスの奥から鋭い視線をシュエンへと投げる。
対するシュエンは、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「は?知るわけないでしょ」
彼女は組んだ足を苛立たしげに揺らしながら、吐き捨てるように言った。
「大体、M.M.R.の中で誰が何をしているかなんて、私でも全部は知らないんだから。M.M.R.は名前こそミシリスだけど、実際の運営と管理を行っているのは中央政府よ」
「……それもそうだな」
イングリッドは小さく頷くと、今度はその瞳を私へ向けた。
心臓がドクリと跳ねる。
ただ見られただけ。それだけで、全身が凍り付くような錯覚を覚える。
「ともかく、このことが表沙汰になれば大混乱が生じるのは間違いない。こんな時にそれを伝えてきたエニックには一言いってやりたいが、今まで秘匿してきた理由も分からないわけではない」
「Meも同感です。ヘレティックすらも圧倒するpowerを持った存在が、アークの中で殺し合いをするなどdangerous極まりまSEN。そんな事実が知れ渡れば、パニックどころではありませんYO。すぐにでも、中央政府やエニックに対する不信が噴出するでSHOW」
マスタングが大仰に肩をすくめてみせる。
「……M.M.R.がそれに関わっていたなんてことが筒抜けになったら、ミシリスの信頼がどん底に落ちるわ。ただでさえエキゾチックのせいで足元がぐらついてるっていうのに」
シュエンも、爪を噛みながらぼやいた。その表情には焦りの色が濃い。
エキゾチックの暴走、そしてM.M.R.が引き起こしたという今回の聖杯戦争。メティスの一件で信用はある程度回復したはずだが、それでも相次ぐ不祥事は彼女の立場を危うくするには十分すぎるだろう。
「という訳だ」
イングリッドがパン、と手を叩いて場を締めた。
「早急な問題解決を図るために、我々CEOの総意として今後は可能な限り君たちを支援しよう」
「……感謝します!」
指揮官が深く頭を下げるのを見て、私も慌ててそれに倣った。
……まさか、こんなにもすんなりと助力を取り付けられるとは。てっきり責任の押し付け合いや事実確認の詰問で時間を浪費するものとばかり思っていたが、さすがは三大企業のトップ。危機に対する嗅覚と、決断の速さは常人の比ではない。安堵で膝の力が抜けそうになる。
だが―――。
「とはいえ、我々もアーク内部に侵入したラプチャーの対処に手いっぱいだ。今すぐにできることは少ない」
イングリッドの言葉に、思わず顔が強張った。
「えっ?」と口にして顔を上げると、マスタングとシュエンも、イングリッド同様に渋い表情を浮かべていた。
……やはり、現実は甘くないということか。まあ確かに、アーク全体が火事場のような状況で、私たちに割けるリソースなど残っていないのが実情なのだろう。当然と言えば当然だ。
「―――だが、一部隊を支援に付ける程度であれば可能だ」
そう言い放ったイングリッドに、再び全員の視線が集まった。
「エクスターナー部隊。メイデンとギロチンを待機させておこう」
「「「エクスターナー?」」」
私とソフィー、リアの声が見事に重なった。
聞き慣れない名前だ。少なくとも、世間一般では聞いたことのない部隊だ。
だが私たちの隣では、カウンターズのニケたちが「ああ、彼女たちね」と言わんばかりに納得したような顔をしていた。
私の困惑など意に介さず、イングリッドは顎で指揮官を指し示した。
「まあ、詳細は彼から聞け。エキゾチックを追跡するならば頼りになるだろう」
「では、MeはMy Queenたちを動かしましょう」
重苦しい空気を切り裂くように、マスタングが高らかに指を鳴らした。
彼のサングラスが照明を反射し、怪しく煌めく。
「……アンダーワールドクイーンを?」
イングリッドが眉をひそめて聞き返す。
マスタングは「Yes!」と、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
「ピルグリムとバーサーカーなる者たちを誘導するのであれば、恐らくはアウターリムに近い場所になるでSHOW。その時に、My Queenたちは役に立つはずDESU」
そこまで言って、彼は大げさに肩をすくめた。派手な装飾がジャラジャラと音を立てる。
「でも、そうなると少々ProblemがありMASU」
「……何だ?」
指揮官が警戒するように問う。
マスタングは芝居がかった仕草でため息をつき、信じられない事実を口にした。
「副司令官、ドバンがアウターリムに向けて兵力を集めているそうDESU」
「……は?」
指揮官の口から、乾いた声が漏れた。
私も、自分の耳を疑った。
「ど、どうしてラプチャーが攻めてきているのにアウターリムへ!?」
喉から悲鳴のような声が競り上がった。
意味が分からなかった。今、アークの上空には大穴が空き、ラプチャーが現在進行形でアークを蹂躙している真っ最中なのだ。全戦力を防衛に回すべきこの瞬間に、なぜ内部へ銃口を向ける必要がある?
「理由は定かではありませんが、彼がアウターリムのPeopleを一掃しようとしているのは確かDESU」
マスタングの言葉に、全身が冷たく淀んでいく感覚を覚えた。
中央政府に腐敗が蔓延していることなど百も承知だった。シュエンやイングリッド、マスタングといったトップたちすらも一枚岩ではない。だが、この非常事態においてそんな暴挙に出るほど腐っていたとは思ってもいなかった。
「本来はMy Queenたちをドバンへ差し向けたかったのですが、ピルグリムとバーサーカーに対応しなければならないのも事実。これでは人手がたりませんNE~」
ふ~む、とマスタングがわざとらしく項垂れる。
そんな彼の様子を、ジャンヌが静かに見つめていた。
ふと、彼女は一歩前に出ると、凛とした声で「あの」と声を上げた。
「What?」
「もしよろしければ、私が向かいましょうか?」
「「ジャンヌさん!?」」
ソフィー、リアの声が重なった。
私も思わず叫びそうになったが、彼女の横顔を見て、言葉が喉に詰まった。ジャンヌは至って真面目だ。その瞳には、一点の迷いもなかった。
マスタングもサングラスの奥から鋭い眼光をジャンヌに突きつけた。
「……どういう意図がおありで?」
「私はサーヴァントです。当世の武器で私を傷つけることはできません。それに、私の宝具は誰かを守ることに特化しています。そのドバンという者が何者であれ、流血を避けて侵攻を妨害する程度であれば可能です」
ジャンヌはマスタングを正面から見据える。
節々の言動から底知れなさが滲み出る彼にも、ジャンヌは一歩も引かなかった。むしろ、彼女自身が放つ柔らかなオーラが、マスタングの威圧感を中和しているようにすら見えた。
「あなた、お名前は?」
「ジャンヌ・ダルク。聖杯戦争の運営を管理するルーラークラスとして召喚されました」
彼女の清らかな声が、静まり返った会議室に響いた。
「……聖杯戦争の運営において、人々に危害を与えることは良しとされていますKA?」
「いえ、聖杯戦争において殺し合うのはサーヴァントとそのマスターだけ。関係のない一般人を巻き込むことは御法度とされています」
マスタングはしばらくジャンヌを見続けていた。サングラスの奥にある瞳が、彼女の魂のありかを探っているようだった。
長い沈黙の後、マスタングはふっと息を吐き出すと、「OK~!!」と声を張り上げた。
「分かりました。あなたにお任せしまSHOW」
「……いいのか?彼女も、ヘレティックを一撃で葬ったというバーサーカーと同じ存在だというが?」
イングリッドが眉をひそめ、不安げにジャンヌを見る。
「そのようですね。But、彼女の瞳は嘘を付いている人間のものではありまSEN!」
「だとしても……」
「猫の手も借りたい今、贅沢は言っていられますKA?」
マスタングにそう詰められ、イングリッドは渋々といった様子で押し黙った。
「……その通りだ。我々にできることは限られている」
「では、Jeanne d'Arc!救国の聖女であるあなたに、アウターリムのPeopleを託してもよろしいですKA?」
「知っていたのですね」
「当然です。CEOたる者、そのくらいは教養として身に付けていMASU」
「……分かりました。あなたの信頼に応え、ルーラーとしての責を果たしましょう」
マスタングから了承を得たジャンヌは、くるりと踵を返して私の方を見た。
「では、また別行動になりますね」
「……大丈夫ですか?」
「ご心配なく。
そう言って、ジャンヌは悪戯っぽくウインクしてみせた。その仕草があまりにも自然で、眩しくて、私は思わず目を奪われた。
ただの少女のように無邪気に見える時もあれば、英雄としての風格もしっかり兼ね備えている。そんな彼女の姿を見ていると、不思議と安堵が湧いてくる。
「……ミシリスですぐに動かせる部隊は無いわね」
シュエンが退屈そうに自分の爪を眺めながら、ぞんざいに吐き捨てた。
「まあ、他所と違って資金や資材の余裕は多いから、必要なものがあれば送るわ」
彼女は組んだ足を組み替え、私の方を見た。……まるで路傍の石ころを見るような目つきだ。
「何か不足しているものはある?」
突然話を振られ、私は言葉に詰まった。
不足しているもの……。正直なところ、ありすぎて何から言えばいいのか分からない。けれど、これから強大な敵に立ち向かうために必要なものと言えば、あれしかない。
「えっと……強いて言えば、コアダストでしょうか」
「は?」
シュエンが目を丸くした。
数秒の静寂の後、彼女は堰を切ったように笑いだした。
「あははは!何言ってるの?量産型がコアダスト?」
彼女は腹を抱え、ひぃひぃと息を漏らしている。
「鉄屑は鉄屑でも、
心底おかしいと言わんばかりの高笑いが、会議室に響き渡る。隣では、アニスやネオンまでもが私を見て「え?」と困惑しているのが見えた。
カッと頬に熱が集まるのを感じた。恥ずかしさと惨めさで顔が焼けるようだ。
確かに、量産型ニケの成長限界が低いのは常識だ。貴重なコアダストを私たちに使うくらいなら、より高性能なニケに回すべきだという理屈も分かる。けれど、それをこんな形で、大勢の前で笑いものにされるなんて……。
唇を噛み締め、燃えるように熱い顔を伏せた。――――その時。
ヒュンッ!!
鋭利な風切り音が鼓膜を掠めた。
「っひ!?」
シュエンの口から、間の抜けた悲鳴が漏れる。
彼女の顔のすぐ横、数センチも離れていない壁に、無骨な剣が深々と突き刺さっていた。
パラパラと壁の破片が落ち、シュエンの髪が数本、ふわりと宙を舞う。
「――――なるほど、この街の軍がまともでない理由が分かったわい」
地を這うような低い声が、部屋の空気を震わせた。
恐る恐る振り返れば、イスカンダルがまるで汚物を見るような目でシュエンを射抜いていた。
「貴様がその地位にいるということは、相応の努力と運に恵まれたからであろう。だが、公然において他者を平気で辱めるような輩が上に立つ組織など、一たび力が弱まれば急速に瓦解する」
彼はゆっくりと、怒気を撒き散らしながら歩みを進めた。
全員の視線がイスカンダルに釘付けになった。彼が一歩踏み出すたびに、部屋の温度が下がっていくような錯覚を覚える。
「『コアダスト』とやらを使うのは彼奴ではなく、余である。サーヴァントとして現界を維持し、宝具を開放するための魔力としてそれが必要なのだ。だが、そんなものは所詮力の源でしかない。それを使って己が能力を高められるかどうかで、存在の優劣など決まらん」
イスカンダルがシュエンの前に立ちはだかる。
シュエンは椅子から転げ落ちるように腰を抜かし、無様に床を這いずりながら後退った。
「な、なによ!あんた私に…ミシリスのCEOに立てついて、ただで済むと思うんじゃないわよ!」
「貴様が何者であるかなど知らぬ。だが、貴様は余のマスターを
イスカンダルが無造作に手を伸ばし、壁に突き刺さった剣を引き抜いた。
ジャリ、と嫌な音が鳴る。
彼は切っ先をそのまま流れるように動かし――シュエンの喉元寸前でピタリと止めた。
「ッ……!!」
「余のマスターは断じて鉄屑などではない。王たる余と共に戦場へ立ち、大志を抱いて戦う戦士である」
切っ先が、シュエンの白い肌に触れるか触れないかの距離で固定される。
「次に余のマスターを侮辱することがあれば、マケドニアと
シュエンの瞳孔が開く。涙と脂汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、「あ、ああ……」と言葉にならない嗚咽を漏らしている。先ほどまでの傲慢な態度は見る影もない。
はっと我に返り、私は慌ててイスカンダルの元へと駆け寄った。
「イスカンダル!!」
彼の腕にしがみつく。ミシリスのCEOに対して、この仕打ちは流石にマズイ。
「………」
「もういいです!!こ、これ以上はやりすぎです!!」
そんな私の叫びを聞いたからか、イスカンダルはようやく視線をシュエンから外した。
ガクガクと全身を震わせ、床に失禁しそうなほど怯えているシュエンを一瞥すると、彼は呆れたようにため息をついた。
「ルーラー、今の行為は一般市民に対する不当な暴行と見なすか?」
「……いえ」
ジャンヌは静かに首を横に振った。
「多少手荒ではありますが、彼女の名誉を守るための行動であったと判断します」
ジャンヌはそう言い放ち、床に這いつくばったシュエンを冷ややかに見下ろした。
彼女の言葉を受け、イスカンダルはパチンと剣を鞘に収めた。金属音が響き渡り、部屋に再び静寂が戻る。
CEOたちも、カウンターズも、誰一として言葉を発することができない。この部屋にいる全員が、彼の圧倒的な「王」の気迫に呑まれていた。
「………」
「あの、イスカンダル……」
その沈黙に耐えかねて、私は震える声で彼の名を呼んだ。
すると、彼は顔を背けたまま、私の頭に大きな掌を乗せた。ごつごつとした指が、私の髪を乱暴にワシャワシャと撫で回す。
「うえっ!?ちょっと!?」
「―――貴様は何も恥じることはない。例え誰に罵られようと、胸の内に抱く願いを笑われようと、貴様がこれまで為したことは決して消え失せぬ」
彼の声はいつにも増して低く、落ち着いていた。
「貴様は胸を張って、堂々と奴らに言い返すが良い。『我こそが、征服王イスカンダルのマスターである』とな」
そう言って、彼は笑いながら私を見下ろした。
逆光を背負ったその笑顔は、やはり太陽のように眩しかった。
けれど、どうしてだろう。今はなぜか、視界がぼやけて、彼の顔がひどく滲んで見えていた。
彼の温かい掌の感触だけが、私はここにいてもいいのだと教えてくれているようだった。
原作では量産型ニケたちは全員「リプレイス」という部隊に入れられていますが、これも中々酷い名前ですよね。
いつの日か、原作でも彼女たちにも脚光が当たることを期待しています。(せめて面談の個別エピソードくらい欲しいな……)