実は来月から新社会人になるため、大学の行事や採用先の研修などに追われていました。
来月から全く新しい生活スタイルに変わりますし、世間一般ではかなり仕事が多いとされる職に就いたため、今後どれだけの時間を執筆に割けるのか全く不透明な状況です。
アイディア自体は全然ありますので、生活が安定するまでは不定期投稿で続けていきたいと思っております。
『受けて立つ』と宣言したは良いものの、足の震えは完全に止まってはいなかった。
銃を構えたまま、荒い呼吸を必死に押し殺す。
指先が鉛のように冷たい。足はガタガタと震え、今にも崩れ落ちそうだ。
それでも、銃口だけは下げなかった。
私の眼前には、彼の背中がある。
はためく真紅のマント。燃え立つような赤い髪。
……その背中に隠れているだけでは、私は彼のマスター失格だ。
「あらあら、威勢が良いですね」
ドロシーの唇が、侮蔑を隠そうともせずに歪んだ。
「その虚勢、いつまで保ちますか?1分?2分?それとも、30秒も保ちますでしょうか」
彼女の瞳は、路傍の石ころでも見るかのように冷え切っている。事実、彼女が一発でも私に攻撃を当てれば、私の命など容易く刈り取られるだろう。
恐怖が背骨を駆け上がり、思考が麻痺するような感覚を覚える。
だが、眼前に立つイスカンダルが、それを掻き消すように笑い声を上げた。
「ハッハッハッ!そういうお主こそ、己が領分を弁えるべきではないか?」
ドロシーが眉を吊り上げた。
「……は?」
「確かに、貴様と比べれば此奴の力などひよっこも良い所だろう。だがな、戦において重要なのは決して『力』だけではないぞ?」
「……意味が分かりません。一体、何を」
ドロシーが更に言葉を紡ごうとした瞬間だった。
――――ドドドドドドッ!!
乾いた炸裂音が空気を引き裂いた。
周囲の小屋の陰から無数の火線が迸り、給水塔の上のドロシーへと殺到する。
「――!?」
ドロシーは翼を大きく広げ、ふわりと宙へ跳躍した。その直後、弾丸は彼女の身体を掠めることなく、給水塔に無数の傷を刻んだ。
耳鳴りがするほどの銃声の中、小屋の陰から現れたのは白い毛皮のコートを翻す女だった。
「ロザンナさん!」
「チッ、避けられたか」
ロザンナは忌々しげに舌打ちすると、肩を竦めてこちらを見た。
「あんたたち、こんなところで何してんの。あんなド派手な乗り物で空を駆け回っておいて、結局撃ち落されたっての?みっともないじゃない」
彼女の後ろには、ドラムマガジンを装着したサブマシンガンを構えたヘッドニアの構成員たちがずらりと並んでいる。
一方、ドロシーはクリームヒルトのすぐ横に着地していた。
「……あらあら、随分と騒がしいゴロツキが増えましたね」
「へぇ?あたしのシマで勝手にドンパチ始めた分際で、随分と生意気な態度ね」
ロザンナは配下の一人からロケットランチャーのような武器を受け取ると、慣れた手つきでそれを肩に担いだ。
「まあいいわ。一人づつ相手にするのも面倒だし、まとめて吹き飛ばしてあげる!」
砲口が真っ直ぐに二人を捉える。
彼女が引き金を引くと、轟音と共に砲弾が射出された。
――ズガァァァァンッ!!
炸裂。衝撃波が周囲の瓦礫を揺らし、爆風が砂塵を巻き上げる。
もうもうと立ち込める煙の中から、二つの影が揺らめく。
黒煙が晴れた後、そこに現れたのは、ドロシーを守るように巨大な黒剣を構えるクリームヒルトだった。彼女は、黒剣の一振りで砲弾を叩き斬っていたのだ。
「ったく、バケモノ退治だって聞いちゃいたけど、本当にシャレにならない奴らね」
ロザンナが舌打ちと共に吐き捨てる。
「あんたたち!時間は稼いでやるから、とっとと倉庫へ向かいなさい!」
その声で、はっと我に返った。
ロザンナと目が合う。彼女の瞳には焦りも恐怖もない。ただ、私を真っ直ぐに見据えている。
私は無言で頷くと、隣に立つ王を見上げた。
「……イスカンダル!」
「うむ、心得た」
彼が天に向かって剣を掲げる。
「来い!―――ブケファラス!」
彼の呼び声に応え、地面から漆黒の奔流が噴き上がる。
空間が歪み、魔力の粒子が渦を巻く。
高揚を煽る嘶きと共に、稲妻の中から漆黒の馬が姿を現した。
「乗れ、マスター!」
イスカンダルは軽々と私の腰を掴むと、ひょいとブケファラスの上へ乗せた。そのまま自身も鞍に飛び乗り、手綱を握る。
「行くぞ!」
イスカンダルが叫び、ブケファラスの腹を踵で蹴った。
ヒヒィィィーン!!という雄叫びと共に、巨大な蹄が大地を蹴った。凄まじい加速力で、私たちの体は後方へ強く引かれた。
「全員、撃ち続けなさい!奴らを一歩も近づかせるな!」
ロザンナの号令で、再び銃撃が始まった。
銃弾の雨に晒されながらも、ドロシーとクリームヒルト少しも怯むことなく、ヘッドニアの構成員たちへ肉薄しようとしていた。
「イスカンダル、もっと速く!」
「言われるまでもない!」
風が鼓膜を激しく叩く。アスファルトを砕く蹄の音が、腹の底までびりびりと響き渡る。視界の両端を、無数のバラック小屋が物凄い速度で通り過ぎていく。私は振り落とされまいと、必死にイスカンダルの背中へしがみついていた。
そのまま、入り組んだ角を曲がろうとした時だった。
「――お待ちください!」
黒いスーツを着た女が一人、道の真ん中に立っていた。
イスカンダルが手綱を強く引く。甲高い嘶きを上げ、ブケファラスの前脚が天を突いた。
私は反射的にライフルを構えかけたが、目の前の女は一切の動揺を見せず、私たちに向かって一礼した。
「ヘッドニアのコンシリエーレです。ボスの命により、こちらでお待ちしていました」
「ロザンナさんの……?」
「はい」
コンシリエーレと名乗った女は、自身の肩に担いでいた円筒状のものを私へ向けて突き出した。
「これを受け取ってください」
「えっ?」
有無を言わさぬ物言いに、私は弾かれたように手を伸ばす。
受け取った瞬間、ズン、と腕のフレームが軋むほどの質量がのしかかった。外見を確認すると、先ほどロザンナが構えていたのと同じものだった。
「これは……」
「無反動砲です。対ラプチャー用の榴弾が装填してあります」
黒光りする無骨なグリップを握り締める。油の匂いとザラついた金属の感触が肌に張り付く。
「ボスからの伝言があります」
コンシリエーレは表情一つ変えることなく、まっすぐに私を見上げる。
「『二発しかない虎の子よ。一発はあんたに渡すから、うまく活用しなさい』……以上です」
短い言葉であったが、ロザンナが苛立ち交じりに舌打ちする様子が鮮明に浮かび上がってきた。
汗が背筋を伝い落ちるのを感じながら、私は無反動砲を抱え直した。
「……ありがとうございます。必ず、役に立てます。ロザンナさんにも、そうお伝えください」
「はい」
コンシリエーレが短く頷いた直後、頭上の大気がチリチリと焼ける音を立てた。
ズドォォォォンッ!!
高熱の波が頬を叩きつける。
私たちのすぐ横のアスファルトがビームによって融解し、一瞬にしてすり鉢状のクレーターに変わった。
すぐさま背後を見上げれば、くすんだ空を背に、純白の翼を広げたドロシーが滑空してきていた。彼女の腕の中には、巨大な黒剣を携えたクリームヒルトが抱えられている。……ロザンナたちの足止めも長くは持たなかったようだ。
「全く、しぶとい連中だ!」
イスカンダルが忌々しげに舌打ちをする。
「行くぞ!」
鋭い掛け声とともに、彼は再び踵で馬の腹を蹴り上げた。
ブケファラスの巨体が躍動し、溶けかけた地面を蹄が踏みしめる。
「きゃっ!」
「しっかり捕まっておれ!舌を噛むぞ!」
無反動砲を胸に抱え込み、残る片腕で彼に必死にしがみつく。
背後で、コンシリエーレが建物の陰へ身を翻すのが見えた。その直後、彼女のいた場所に光線が降り注ぎ、瓦礫が天高く吹き飛んだ。
ドロシーたちの気配を背後に感じながら、ひたすら前を見続ける。熱波の残滓を突き抜けるにして、ブケファラスが猛然と路地裏を駆ける。
目指すは、モランが用意した廃倉庫だ。
コンクリートの壁に囲まれた薄暗い地下通路。等間隔に配置された赤色の非常灯が、水溜まりの広がる床と天井を這う無数の配管を照らし出している。
指揮官はゆっくりと身じろぎをし、上体を起こした。数メートル先で横たわっていたラピも、彼とほぼ同時に瞼を開ける。二人は無言のまま片膝をつき、周囲へ視線を巡らせた。
「あ、おはようダーリン♡」
甘い声が通路に反響する。
二人は弾かれたように声のした方へ顔を向ける。
そこには、金属製の配電盤の上に腰掛けるバイパーがいた。彼女のすぐ横の壁際には、ソフィーとリアが座り込んでいる。二人の手首には、金属のリングと極太のワイヤーを繋いだ拘束具が巻き付けられていた。
「バイパーッ!!」
ラピが即座に臨戦態勢を取ろうと踏み出したが、バイパーは人差し指を唇に当ててそれを制した。
「ストップ。変な真似はしない方が良いよ」
バイパーは手元の小さな端末を指で弄りながら配電盤から飛び降りる。
「ここの壁、全部火炎放射器になってるの。……燃やされたくないなら、大人しく従ってくれるよね?」
そう言って、バイパーは壁に等間隔で開いた暗い穴を指した。
「それにね……ここは強い妨害電波が流れてるから、外への通信は無理だよ♡ 」
「……目的は何だ?」
指揮官の問いに、バイパーは可笑しそうにくすくすと笑う。
「知りたい?なら、私についてきて。クロウに会わせてあげるから。あ、ダーリンとラピは前を歩いてね♡」
選択の余地はなかった。
指揮官とラピは互いに無言で視線を交わし、指示通りにゆっくりと歩き出した。
バイパーがソフィーとリアの拘束ワイヤーの端を引く。二人はコンクリート壁に背を擦らせながら立ち上がり、指揮官たちの後ろへと移動した。
先頭に指揮官とラピ。その後ろをソフィーとリアが進み、最後尾にバイパーが続く。
靴底が水溜まりを踏む音と、拘束ワイヤーの擦れる金属音だけが響く中、ソフィーが俯いたまま絞り出すように声を上げた。
「……すみません、不覚を取りました」
「私たちのせいで、申し訳ありません」
ソフィーの隣で、リアも唇を噛み締め肩を落とす。
指揮官は歩みを止めず、振り向きもしないまま軽く右手を上げてみせた。気にするな、というように、彼の横顔には微かな笑みが浮かんでいた。
数分ほど歩き続けた後、ソフィーが首をわずかに後ろへ向けた。歩調はそのままに、背後を歩くバイパーへ声をかける。
「……ねえ。あんた、なんでクロウなんかに従ってんの?」
「んー?そんなこと聞いて、どうするの?」
バイパーは髪の毛を指先に絡ませながら、楽しげに問いをはぐらかした。
今度は、リアが後ろを振り向きながら口を開く。
「……あなた、指揮官のことをずっとダーリンって呼んでたよね。一体どういう関係なの?」
「決まってるじゃない。ダーリンが愛しいから、そう呼んでるだけだよ♡」
バイパーは悪びれもせず微笑む。
だが、リアは彼女から一切目を逸らさなかった。
「……それなら、どうして指揮官を後ろから撃ったの?」
ピタリ、と。バイパーの足取りが止まった。彼女はまばたきを二度繰り返し、小さく首を傾げてほほ笑んだ。
「撃ったのは私じゃなくてクロウ。勘違いされたら困っちゃうわよ。私は戦闘とか得意じゃないからね♡」
「言い訳するなよ。その行為を横で見ていて、何も咎めなかった時点で、お前も同罪だよ」
ソフィーが間髪入れずに吐き捨てる。
バイパーの口角が引きつるように上がった。
「へぇ~、言うじゃない。量産型の分際で」
だが、今度はリアがバイパーを真っ向から睨み返した。
「そもそも、あなたと指揮官は『愛しい』と言えるだけの関係を築いてるの?その呼び名に相応しい時間を、一緒に過ごしたの?」
バイパーの額に微かな皺が寄る。
リアはさらに声を張った。
「あなたは口では『愛しい』などと言いながら、行動が全く伴っていない。そんな実態の伴わない言葉は、指揮官に対する欺瞞に他ならないわ」
リアの瞳がバイパーを真っ直ぐに射抜く。
「これまでどんな人生を歩んできたのかは知らないけど、ハリボテの呼び名を平然と使って恥ずかしくないの?」
リアがそう口にした次の瞬間、ダンッと大きな足音が鳴り、バイパーがリアの前へ踏み込んだ。
ピンク色のネイルが塗られた細い両手が、リアの首に深々と食い込む。
「がッ……ぁ……」
リアの身体が持ち上がり、両足が床から数センチ浮いた。
「リア!」
異常に気付いた指揮官とラピが足を止める。だが、バイパーはもう一方の手をポケットへと滑り込ませ、何かのボタンらしき装置を二人に見せつけた。
「動かないでッ!火炎放射器があるのを忘れた?」
リアはバイパーの腕を掴もうともがいているが、リングとワイヤーが干渉して上手く力が入らない。
バイパーの親指が、さらにリアの首元へ沈み込む。
「……ニケを大事にするダーリンに免じて生かしておいたけど、もう限界♡あなたは私が直接壊してあげる」
「く、ぅ……!」
「生意気な子。そもそも、私の言葉がハリボテだって言うなら、あんたは何なの?」
リアの顔を覗き込みながら、バイパーはせせら笑う。
「ロット番号でしか区別されない癖に。あんたには、その口に相応しい特別な呼び名でも付いてるっていうの?」
「……もち、ろん」
意識が薄れゆく中、リアの口元が微かに歪んだ。
苦痛に顔を歪めながらも、彼女は決して目を伏せない。
「だけど、あなたとは、違うッ!」
「は?」
「私の……
その叫びに、バイパーは苛立ちを隠そうともせず眉を寄せた。
彼女が更に力を込めようとした直後、バチンッという硬質な金属音が木霊した。
「……え?」
バイパーが目を向けるより早く、一つの黒い影がその視界に割り込んだ。
「はああぁぁッ!!」
ソフィーの拳が、空気を引き裂いてバイパーの側頭部へ直撃した。
ドゴォッ! と凄まじい衝撃音が鳴り響き、バイパーの体がコマのように吹き飛ばされる。
バイパーの手から解放されたリアが両膝をつき、激しく咳き込む。
「ゲホッ、ゴホッ……!」
水溜まりを踏み砕く音が短く鳴る。
「ソフィー!良くやった!」
そう叫びながら、指揮官はすぐさまリアの傍らへ膝をついた。彼の指先が、バイパーの爪跡が残るリアの首元に触れる。
一方、コンクリートの床に倒れ伏していたバイパーは、フラフラと上体を起こした。彼女は乱れた髪ごと側頭部を押さえ、目の前のソフィーを睨み上げる。
「い、いつの間にッ!?」
ソフィーは床に転がるワイヤーの残骸をブーツで踏みつけ、バイパーの顔を見下ろした。
「手が拘束された状態からの抜け出し方なんて、シミュレーションルームで何度も訓練してたのよ。もう二度と同じ轍を踏まないようにってね」
バイパーの口角が引きつったように上がる。
「……泥臭いわね」
「己の分を弁えた上で、藻掻いただけだよ」
吐き捨てるようにそう言って、ソフィーは顎を引いた。
バイパーは短く息を吐き出すと、再びポケットの奥へ手を差し込んだ。
「……ねえ、私が言ったこと忘れた?燃やされたいの?壁が火炎放射器になってるって言ったよね?」
――――ドンッ!
突然、バイパーの言葉を遮るようにラピが壁面を思い切り蹴り飛ばした。ひしゃげた壁材の奥から、金属の配管が露出する。
ラピは蹴り破った壁の断面に視線を落とした。
「……やっぱり、ガスや油の匂いはしないわね。そもそも、壁全体が火炎放射器であるはずがない。きれいすぎたのよ。油汚れもなく、熱による変形もない。本物の中に、偽物を隠す気がした」
「……」
バイパーは、ポケットの中に手を差し込んだまま沈黙していた。
「指揮官、早くアニスとネオンに連絡を」
「――――おいおい、誰の許可を得て通信してるんだ?」
不意に、通路の奥から低い声が響いた。
暗闇の中から、二つの影がこちらへ歩いてくる。
ラピが咄嗟に銃口を向けた直後、非常灯の明かりの下にクロウとジャッカルが歩み出た。
「久しぶりだな」
「あれ?指揮官だ!指揮官ー!へへっ!」
二人の姿を見たソフィーは、瞬時に床へ横たわるバイパーの背後に回り込んだ。左腕で首元を斜めに締め上げ、右手が後頭部を固定しつつ、バイパーの身体を盾にする形で起こす。
「それ以上動くな!こいつがどうなっても良いのか!」
ソフィーの声を聴き、二人の足が止まった。クロウは銃を下ろしたまま、首だけを僅かに動かしてバイパーを見つめた。
「……らしくないミスをしたな、バイパー」
バイパーは顔を俯かせ、気まずそうに唇を噛んでいる。
リアの背中を支えていた指揮官が、静かに立ち上がる。彼はソフィーに腕を締め上げられているバイパーを見やり、次いで前方で静止するクロウを真っ直ぐに見据えた。
「……バイパーはこちらの手にある。仲間を傷つけられたくないなら、大人しく投降しろ」
「く、ふ……あはははは」
クロウの口から、乾いた哄笑が漏れる。
一通り笑い終えると当時に、クロウは指揮官をえぐるように見据えた。
「そんなことを口にするとは思わなかったぞ。お前に、ニケを傷つけることができるのか?」
「さあ、どうだろうな。試してみるか?」
指揮官は眉一つ動かさなかった。その表情は、あくまでも自分は『本気』なのだと言外に告げているようだった。
そんな彼の態度を見て、クロウは目を細めた。
「いいや、遠慮しておくよ。……だがな、お前はそもそも根本的な誤解をしている」
指揮官が僅かに小首をかしげるのを見て、クロウの唇が吊り上がった。
「――――アウトローに、真の『仲間』なんていると思うか?」
その宣告と同時に、クロウの両腕が跳ね上がった。
彼女の手に握られていた二挺のサブマシンガンが、ソフィーとバイパーへ突き付けられる。
「っ!?」
ソフィーとバイパーが反応するよりも早く、クロウは引き金を引いた。
ダダダダダダッ――!!
オレンジ色のマズルフラッシュが、トンネルの内部に連続して爆ぜた。
* * * * * * * * * * * *
地上の空は、いつだって人間を拒絶している。
分厚い雲の絨毯が太陽を遮り、差し込む光は薄い。六十年以上にわたってラプチャーに支配され続けた大地は、かつての文明の骨格だけを痛ましくさらけ出しながら、ただ荒野として横たわっていた。
錆びついた鉄骨の残骸。崩落した橋の断面。砂塵と腐食が均等に塗り固めた、終わりのない廃墟の海。
それでも今、ラプチリオンはその空が好きだった。
正確には、その空を渡る感覚が、と言うべきか。背中に感じる、ゆったりとした波のような上下運動。眼下を流れていく大地の景色。擬装スーツの隙間から吹き抜けていく風の冷たさ。それらすべてが、この生き物の途方もない大きさを物語っている。
ホエリーは今日も、静かに空を泳いでいた。
タイラント級の中でも桁外れの巨体を誇るマザーホエールにして、その種のうちでも特に大型の個体。菜食の習慣を得てからというもの、ホエリーの外皮は浮雲を思わせる白へと変わっている。悠然と浮遊するその巨体は、もはや兵器というより、空を渡る大陸そのものに見えた。ラプチリオンはその背の上の、ちょうど首の付け根あたりに腰を落ち着け、前方に広がる荒野を見渡していた。
のんびりとした、いつもの空旅だった。
―――少なくとも、その光景を見つけるまでは。
「……ホエリー。高度、落としてくれるか」
ラプチリオンが告げると、白い巨体がゆっくりと傾いた。ホエリーは滑らかに降下していく。眼下の光景が、みるみる大きく輪郭を結んでいく。
それは、紛れもなく異常な光景だった。
廃工場と思しき、錆びた鉄骨の骨格だけが残る広大な敷地の中心。そこに、ラプチャーたちが集まっていた。一匹や二匹ではない。セルフレス級、サーヴァント級、マスター級、種も大きさも入り混じった数十体の群れが、ひとつの中心点を取り囲むようにして、じっと動かずにいる。
通常であれば、あり得ない光景だ。ラプチャーたちがこのような密集した群れを成すのは、コーリングシグナルによって特定の目標へ向かうときか、あるいは獲物を追い詰めたときだ。
だが、この群れには、興奮も、殺意もない。
ただ、静止している。
まるで、何かを―――あるいは誰かを―――囲んで、待っているかのように。
「……これは」
ラプチリオンは思わず声を漏らしていた。
この光景の意味を読み取ろうとしたが、研究者として積み上げた膨大な観察の蓄積が、答えを返してくれなかった。いや、拒んでいたのではなく、ただ、前例がなかったのだ。
ホエリーが十分に高度を落とし、廃工場の縁に相当する位置の上空でゆるやかに静止した。ラプチリオンはその背から、眼下を見下ろした。
群れの中心にいたのは、ラプチャーではなかった。
「……少年?」
廃工場の床面、積もった砂塵の上に、まるで自室の寝台でくつろぐかのような無防備さで、少年が仰向けに横たわっていた。
年の頃は、八歳か、九歳か。金色の髪が砂の上に広がり、薄い光の下で穏やかに輝いている。チュニック風の衣装、そして首に巻かれた金色のスカーフが、寝息に合わせてかすかに揺れていた。
その周囲を無数のラプチャーたちがぐるりと取り囲んでいる。しかし、その誰一人として少年に触れようとしていない。まるで、人類を害するという本分をことごとく忘れてしまったかのように、彼らはただそこに在り続けていた。
ラプチリオンは、しばしのあいだ言葉を失っていた。
これほどの数のラプチャーに囲まれながら、傷一つなく、しかも眠れるとは。この大地で人間が生き延びることの難しさを誰よりも知る者として、その事実は理解の範疇をはるかに超えていた。
(……だ、大丈夫なのか、あの子は)
ふと、我に返るように、至極当然の疑問がようやく頭に浮かんだ。
ラプチャーたちの壁を掻き分けるような無謀な行為は、いくらラプチリオンとて避けたいところだった。だが、擬態スーツの内側でわずかに考えを巡らせた末、彼は行動することを選んだ。
この群れは、静止している。攻撃意図は、少なくとも今は、ない。
ホエリーがゆっくりと、廃工場の縁へと降下した。白い巨体が着地すると、周囲のラプチャーたちがわずかに揺れるように動いた。だが、彼らがラプチリオンに向かってくることもなかった。
ラプチリオンは、ゆっくりと少年に近づいた。
「だ、大丈夫かい!?」
声をかける。思いのほか緊張した声が出た。
少年の瞼が、ゆっくりと動いた。
夢と現実の境目を越えるのに、少しだけ時間がかかるようだった。碧色の瞳が半ば閉じたまま、宙の一点をぼんやりと見つめる。
眠気をたっぷりと湛えた目。けれど、その瞳は澄み渡っている。
焦点が定まっていくにしたがって、彼の視線がラプチリオンへと向いた。
少年は、ゆっくりと体を起こした。
金色のスカーフが、動きに合わせてひらりと揺れる。砂埃をまとった金髪が、乱れたまま光を含む。
少年はしばらくのあいだ、そのまま静止した。自分が今、どこにいるのかを確かめるように。あるいは、今自分の前にいる存在をじっくりと計測するように。
やがて、少年は口を開いた。
「うぇあ、あむ、あい?」
「……え?」
ラプチリオンは答えられなかった。問いの意味は辛うじて分かる。だが、答えを返す前に、少年はすでに次の言葉を口にしていた。
「あい、あすく、ゆー」
言葉が、ゆっくりと紡がれる。
少年が立ち上がる。
小さな体が、ぐらつきもせず、真っ直ぐに地に立つ。金色のスカーフが、静かな空気の中でゆらりと揺れた。碧色の瞳が、ラプチリオンを捉えて、離さない。
「あー、ゆー、わーじー、おぶ、びーいんぐ、まい、ますたー?」
静止したラプチャーたちの群れの中で、その問いは静かに、確かな意思と共に響き渡った。
前書きでもお話しましたが、恐らく次回の投稿はかなり先になると思います。
気長にお待ちいただければ幸いです。
それでは!