征服王のマスターになった量産型ニケの話   作:福梅

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王の背中

 

 地上行きのエレベーターを降り、私たちは再び地上の荒野に立っていた。

 今日は非番。任務の予定はない。ソフィーたちには「射撃訓練をしてくる」と、嘘とも本当ともつかない言い訳をして抜け出してきた。

 灰色の空の下、吹き荒れる乾いた風が私の頬を叩く。隣に立つ巨漢――イスカンダルは、まるで我が庭のように堂々と腕を組み、地平線の彼方を睥睨していた。

 

「……それで。どうしてわざわざ地上へ来る必要があったんですか?」

 

 私は背負っていたスナイパーライフルを点検しながら問うた。アークの中ならまだしも、何の目的もなく地上へ上がるなど本来なら避けるべき行為だ。

 イスカンダルは視線を私に戻し、真剣な面持ちで頷いた。

 

「うむ。端的に言えば――()()()()()が必要だからだ」

「腹ごしらえ?また食べ物ですか?それならアークの売店で……」

「違う。食料のことではない」

 

 彼は自身の胸を拳で叩いた。

 

()()の話だ。サーヴァントが現界を維持し、十全に力を振るうためにはマスターからの魔力供給が不可欠となる。だが……」

 

 彼は少し言い淀むように眉を寄せた。

 

「はっきり言おう。マスター、貴様の魔力量は絶望的に少ない。魔術回路を持たぬ貴様が余を繋ぎ止めていること自体が奇跡に近いのだ」

 

 彼の指摘に、私は言葉を喉に詰まらせた。

 …否定できない。彼を召喚して以来、常に身体の芯が凍えるような底知れぬ倦怠感に苛まれていたからだ。まるで私を動かしている根源的な力を、見えない何かが常時啜り続けているような…。

 

「今のままでは存在しているだけで精一杯だ。もし再び宝具を使おうものなら、貴様の身体は限界を迎え、最初に出会った時のように昏倒するだろう。最悪の場合、そのまま機能停止()ぬぞ」

「……っ」

 

 ―――死。その単語が重く響く。

 

「今後の活動のためにも、あるいは他のサーヴァントから攻撃を受けた時のためにも、外部から魔力、あるいはその代替となるエネルギーを調達せねばならん」

「調達って……どうやって?」

 

 アークに魔力なんて売っている筈もない。…いや、そもそも魔力を集めるという行為自体、全く想像すらできない。

 私の問いに、イスカンダルはニヤリと不敵な笑みを浮かべて瓦礫の陰を顎でしゃくった。

 

「簡単なことよ。――そこに獲物がおるではないか」

 

 彼が示した先を見ると、崩れたビルの影から数体のラプチャーが這い出てきた。

 殺意を宿した赤い瞳がギラギラと明滅している。

 

「……ラプチャーですか?」

「然り。最初にあの鋼鉄の獣どもと干戈を交えた際に感じたのだ。奴らの一体一体から、貴様の身体に宿る魔力と似たような波長……生命力を転化した魔力の気配をな」

 

 ――生命力。

 その言葉に、私は眉をひそめた。

 機械であるラプチャーに生命?何を言っているのだろうか。

 だが、彼は確信を持って言っている。彼ら(サーヴァント)には、私たちでは感知し得ない何かが見えているとでも言うのだろうか。

 

「奴らを狩り、その力を奪い取る。それが最も手っ取り早かろう」

「……他に手段はないんですか?」

 

 私は恐る恐る聞いた。

 ラプチャーと戦えば、当然リスクも伴う。彼の強さは初めて会った時に見せつけられたが、それでもたかだか二人でラプチャーに戦いを挑むのは気が引ける。もっと安全で効率的な方法は――。

 

「あるにはあるぞ」

 

 イスカンダルは淡々と言い放った。

 

「最も効率が良いのは()()()……即ち、人間や貴様と同じ人造の兵(ニケ)を襲い、その生命力を直接啜ることだ。それならば、わざわざ地上へ出る必要もない」

「ッ……!?」

 

 私は息を呑み、即座に首を横に振った。

 

「そんなの絶対に駄目です!」

「であろうな」

 

 激しく拒絶する私を見て、イスカンダルは満足げに頷いた。

 

「余もそのような卑劣な真似は好まん。無辜の民を犠牲にして得る力など、覇道には不要だ」

 

 私はほっと胸を撫でおろした。少なくとも、この王は手段を選ばぬ殺戮者ではないらしい。

 "征服王"などと名乗ってはいるが、彼の中にも一応超えてはならない一線と道理はあるようだ。

 

「ならば道は一つ。地上に蔓延る鉄屑どもを蹂躙し、その糧を以て我らの力とするのみよ」

 

 イスカンダルが腰の大剣を引き抜く。ジャリ、と彼が踏みしめたが大地が悲鳴を上げた。

 

「行くぞ、マスター。狩りの時間だ」

 

 彼の背中は大きく、頼もしかった。けれど、私の胸の奥には言い知れぬ不安が澱のように渦巻いていた。

 ラプチャーを狩る。それ自体は私たちニケにとっても日常だ。だが、彼が振るう“力”は日常の枠を遥かに超えている。その力を得るために戦うという行為が、私をどこか取り返しのつかない――引き返すことのできない場所へと連れて行ってしまうのではないか。……そんな気がしてならなかった。

 

「……はい」

 

 私は不安を押し殺し、ライフルの安全装置を解除した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふう、ひとまずこんなものか」

 

 満足げな吐息と共に、イスカンダルは剣を腰の鞘へと納めた。

 カチンと硬質な音が鳴り、荒野に静寂が戻る。彼の背後には、築き上げられた鉄屑の山脈が黒々と横たわっていた。―――その数、優に百体以上。  

 ラプチャーの群れ一つが、たった一騎の英霊によって文字通り“根絶”されていた。

 正直、戦慄を禁じ得なかった。戦術とか連携とか、そういった次元の戦いではなかった。

 

 イスカンダルは遮蔽物に隠れることもなく真正面からラプチャーの群へと踏み込み、雷を纏った大剣を一閃させるだけで奴らの装甲を紙切れのように両断したのだ。放たれるビーム兵器は華麗に回避し、ミサイルの雨も大剣で振り落とした。

 蹂躙。それ以外に相応しい言葉が見つからない。古代の王は、現代の殺戮兵器を路傍の石ころと同じように蹴散らして見せたのだ。

 

(私は、一体……)

 

 私は手にしたスナイパーライフルを力なく下ろした。彼が嵐のように敵陣を粉砕している間、私がやったことといえば漏れ出てきた数体のラプチャーを狙撃しただけ。彼の背中を守るどころか、その足元にも及ばない微々たる戦果だ。

 ……そもそも、私は必要なかったのではないか。そんな卑屈な思いが胸をよぎる。

 私が一人ごちていると、イスカンダルは無造作にラプチャーの残骸を漁り始めた。ひしゃげた装甲板を素手で無理やりこじ開け、その奥にある動力部へと腕を突っ込む。

 

「ふむ、恐らく力の源はこれだな?」

 

 彼が取り出したのは掌に収まるほどの小さな球体だった。白い外殻に包まれ、中心部が赤く明滅している。

 私はハッとして駆け寄った。

 

「……それ、()()()()()ですね」

「ほう、コアダストとな」

 

 イスカンダルは興味深そうにそれを指で摘まみ上げ、太陽にかざした。

 

「ラプチャーのコアから極少量だけ抽出できる物質です。これには奴らの戦闘経験やエネルギーが凝縮されていて……私たちニケのコアと融合させることで、出力を強化する触媒になるんです」

 

 そこまで説明して、私は自嘲気味に付け加えた。

 

「もっとも、優先的に強化されるのはネームドの特化型ニケだけですけどね。私たちみたいな量産型には、ほとんど縁のない代物です」

 

 強くなる権利すら私たちには与えられていない。

 そんな悲観的な響きを含んだ私の言葉を聞いても、イスカンダルは特に気にした様子もなく「なるほどな」と頷くだけだった。

 

「何、貴様の代わりに余が戦えば良いだけのことよ」

 

 あっけらかんと言い放ち、彼はコアダストを懐へと仕舞い込んだ。  

 

 ―――私が強くなる必要などない。

 ―――私が弱くても関係ない。

 

 彼がそう断言したことに、戸惑いを覚えた。

 

「でも、今回はほとんど貴方の役に立てませんでしたし……」

 

 自嘲するように俯き、ブツブツと呟いた時だった。

 

 バンッ!!

 

 背中に走る衝撃。よろめく私を支えるように、イスカンダルの大きな掌が肩を掴んだ。

 

「何を言っておる、たわけが」

 

 見上げると、彼は呆れたように、しかしどこか嬉しそうに笑っていた。

 

(サーヴァント)と共に戦場へ立ち、敵と戦った。それだけで貴様は特異なのだぞ?」

「え……?」

魔術師(マスター)とは本来、己が工房に引き籠もり、安全な後方から使い魔を使役するのを好む陰気な手合いだ。自ら戦場に立ち、矢面に立つような酔狂な真似をする者は稀有よ」

 

 彼は私の肩を、もう一度ポンと叩いた。

 

「だが、貴様は逃げなかった。余の背後で共に武器を取り、敵を討った。――その気概、余は好ましく思うぞ」

「そ、そうでしょうか……」

「そうであろうとも。王が前線で剣を振るう時、臣下もまた槍を構えて並び立つ。それが覇道を行く者の在り方よ」

 

 イスカンダルはニカリと笑い、親指で私を指差した。

 

「戦果の多寡など些末なこと。共に戦場の土を踏んだという事実こそが、貴様が余のマスターである何よりの証だ。……胸を張れ、マスター」

 

 まるで太陽の如く、征服王は豪快に笑った。

 その笑顔を見ていると、胸の奥に澱んでいた昏い情が熱に溶かされていくのを感じる。

 ……本当に変わった人だ。「量産型だから」「役立たずだから」と引いた線を、豪快に笑いながら土足で踏み越えてくる。

 

「……ふふっ」

 

 いつの間にか、自然と笑みがこぼれていた。

 乾いた荒野の風が、今は少しだけ心地よく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 百機を超えるラプチャーの残骸から回収したコアダストは、予想を遥かに上回る量となった。背嚢は限界まで膨れ上がり、それでも入り切らない分は防水シートに包んで両腕に抱えている。端から見れば、ガラクタを抱え込んだ廃品回収業者のようだろう。だが、その重量感は確かな勝利の重みだった。

 

『ほう、これだけの量があれば……恐らく、余の宝具を二度は十全に行使できるであろうな』

 

 霊体化したイスカンダルの満足げな声が、脳内に直接響く。

 私は煤で汚れた顔を綻ばせ、足取りも軽くアークへの直通エレベーターを降りた。

 ゲートをくぐり、居住区へと続く通路へ踏み出した―――その時だった。

 

「ギャハハハ!でさぁ、あの子がマジで俺の部屋に来ちゃってさぁ!」

「うっそ、マジで?お前、また新しいオモチャ手に入れたのかよ!」

 

 下品な笑い声と共に、二人の若い男が角から現れた。仕立ての良い軍服を着崩し、ダルそうに足を運ぶ二人の指揮官だった。彼らは互いの会話に夢中で、前方不注意のまま大荷物を抱えた私へと突っ込んできた。

 

「あッ……!」

 

 避ける間もなかった。ドン、と肩がぶつかる。

 バランスを崩した私の腕から、抱えていたシートが滑り落ちた。

 

 バサァッ!

 

 白く輝くコアダストの山が地面に散らばった。

 

「うおッ!危ねえな!」

「ッチ、なんだよこの鉄屑……前見て歩けよなぁ!」

 

 ぶつかってきたのは彼らの方だ。だが、二人の指揮官は謝るどころか、露骨に不快感を露わにして私を睨みつけた。

 その背後には、二機の量産型ニケが控えていた。彼女たちは二人の不機嫌を察知したのか、ビクリと肩を震わせ、怯えたように視線を伏せていた。

 

「……申し訳ありません」

 

 私は感情を殺し、散らばったコアダストをかき集めようと屈み込んだ。

 関わってはいけない。彼らの瞳には濁った色が宿っている。ああいう手合いは大抵、他者を踏み躙ることに何の躊躇いもない輩だ。

 だが、私の手元を見た瞬間、片方の指揮官――金髪をワックスで固めた男の目が、卑しい光を帯びた。

 

「……ん?おい、待てよ」

 

 男は軍靴の爪先で、コアダストの山を小突いた。

 

「これコアダストじゃねえか。しかも、とんでもない量だぞ」

「はあ?…マジだ。すげえなこれ。換金すればいくらになるんだ?」

 

 もう一人の男――長身でピアスをつけた指揮官も、ニヤニヤと口元を歪める。彼らは獲物を見つけたハイエナのような目つきで、私を取り囲んだ。

 

「おい、そこのニケ。これ、一体どこから持ってきた?」

「……地上で回収してきました」

「ハッ、嘘ついてんじゃねえよ」

 

 金髪の男が鼻で笑った。

 

「たかだか量産型一機で、こんな大量のコアダストを回収できるわけねえだろ?一個分隊が全滅してもお釣りが来る量だぞ」

「……」

 

 言葉に詰まる。確かに、これは私の純粋な戦果ではなく、イスカンダルという規格外の英霊がいたからこそ成し得たものだ。だが、それを説明することはできない。

 

「だんまりかよ。……図星ってわけだ」

 

 ピアスの男が、ねっとりとした声で顔を近づけてくる。

 

「正直に言えよ。どこから盗んできたんだ?軍の備蓄庫か?それとも、他の部隊の戦利品をくすねたか?」

「盗んでなんかいません。これは正当な戦利品です」

「あーあ、言っちゃった」

 

 男たちは大袈裟に肩をすくめ、やれやれと嘆息した。まるで、聞き分けのない子供に呆れる親のような、独りよがりな優越感に浸っているようだった。

 

「指揮官に対して嘘をついてはいけませんと、学校で習わなかったのか?」

「そんな悪~い子には、“お仕置き”が必要ですねぇ」

 

 金髪の男が顎をしゃくる。

 すると、後ろに控えていた二機のニケが躊躇いがちに歩み出てきた。彼女たちの顔は蒼白で、瞳には涙が溜まっている。だが、その手は私の腕を掴もうと伸びてくる。

 

(……ああ、分かる)

 

 彼女たちの身体にある無数の傷跡が視界に入った。

 修復されず、放置された塗装の剥げがあちこちに見える。

 

 逆らえばどうなるか。

 どんな酷い仕打ちが待っているか。

 その恐怖が、NIMPHによる絶対命令以上に彼女たちの心を縛り付けているのだ。

 

「離せッ!」

 

 私は反射的に腕を振りほどこうとした。だが、彼女たちは必死の形相で私にしがみついてくる。

 

 『ごめんなさい』

 『逆らわないで』

 

 声にならない懇願が、震える手から伝わってくる。

 

「まあ、俺たちも鬼じゃない。そのコアダストを全部置いていけば、特別に見逃してやるよ」

「どうする?これ、俺たちの部隊の戦果ってことにしてやるからさ。感謝しろよ?」

 

 ゲラゲラと下品な笑い声が、通路に反響する。

 丸く収めたいなのなら、無傷で帰りたいのなら、ここで彼らのいう通りにすべきだろう。

 だが、彼らの声を聴いた瞬間、胸の奥で何かが切れる音がした。

 

 ―――これはただの資源じゃない。

 私と、あの王が共に戦場を駆け、死地を乗り越えた証なのだから。

 それを、こんな薄汚い連中に奪われてたまるか。

 

「……いいえ」

 

 私は彼らを睨みつけ、毅然と言い放った。

 

「これは私が、()()()()と一緒に命懸けで獲得した資源です。あなた方に指図される筋合いはありません」

 

 一瞬、場の空気が凍りついた。

 男たちの顔から笑みが消え、どす黒い苛立ちが浮かび上がる。

 

「……おい。立場が分かっていないようだな、ポンコツ」

 

 金髪の男がいよいよ激昂し、制服の袖をまくり上げた。その腕には、日ごろから誰かを殴り慣れている者特有の歪んだ自信が漲っている。

 

「お前たち、そいつをしっかり抑えておけ。動くんじゃねえぞ」

 

 私を拘束するニケたちがビクリと体を強張らせ、さらに強く私を締め上げた。

 彼女たちの顔はもう泣き出しそうだった。自分たちが加害者になることへの罪悪感と、従わなければ自分が殴られるという恐怖で板挟みになっているのだろう。

 

「人間様の言葉が聞けない出来損ないの鉄屑には、教育が必要だなァ!」

 

 男が拳を振りかぶる。

 避けられない。拘束されたままでは、まともに受けるしかない。

 私は奥歯を噛み締め、目を瞑った。

 

 ――ブンッ!

 

 風を切る音。

 だが、いつまで経っても衝撃は来なかった。

 代わりに聞こえたのは、何かが万力で締め上げられるような、ギチリという異音だった。

 

「……あ、が……ッ!?」

 

 男の苦悶の声。

 恐る恐る目を開けた私は、その光景に息を呑んだ。

 男の拳は私の顔面の寸前で止まっていた。…いや、()()()()()()()。虚空から現れた、丸太のように太い剛腕によって。

 

「なっ……!?」

 

 男が驚愕に目を見開く。

 その腕を掴んでいるのは、真紅のマントを纏った巨漢だった。

 霊体化していたはずのイスカンダルが、実体化して私の前に立ちはだかっていたのだ。

 

「黙って聞いておれば……随分と大層な物言いをしおるわい」

 

 地を這うような低い声。

 彼の表情は、純粋な憤怒。

 アークに来てから何度も見た豪快な笑顔でも、王としての威厳ある顔でもない。

 弱き者を理不尽に虐げる下種に向けられた、苛烈極まる怒りの形相だった。

 

「貴様……何だ、離せッ……!」

「その薄汚い手を引け、匹夫。――余のマスターに触れてよいのは、共に死地を駆ける覚悟を持つ者だけだ」

 

 ギリギリと、男の腕の骨が軋む音が響き渡った。

 

「ぎ、ア……あガァッ!?」

 

 万力のごとき握力で締め上げられた男が、見苦しい悲鳴を上げた。骨が軋む音が、静まり返った通路に生々しく響く。

 

「き、貴様!指揮官を暴行するとは何事だッ!」

 

 もう一人の男――ピアスをつけた指揮官が、慌てて腰のホルスターから拳銃を抜き放った。銃口がイスカンダルの巨体へと向けられる。だが、その手はガクガクと無様に震え、狙いは定まっていない。恐怖が怒りを上回っているのだ。

 

「ほう?そのような得物で、余を傷つけられるとでも?」

 

 イスカンダルは鼻で笑い、銃口を向けられたまま悠然と一歩を踏み出した。

 たった一歩。それだけで、男は目に見えない壁に押されたかのように後退った。

 

「お、お前は何者だ!どこの所属だ!」

「答える必要などない。……それより貴様ら、余のマスターを“鉄屑”と罵ったな」

 

 ポキ、ポキリ。

 イスカンダルが空いている左手の拳を鳴らす。その乾いた音は、銃声よりも遥かに恐ろしく、男たちの鼓膜を叩いた。

 

「と、当然だ!人間に口答えして盗みを働くニケなど鉄屑同ぜ……ひッ!?」

 

 男の言葉は最後まで続かなかった。

 イスカンダルの双眸から物理的な圧力を伴うほどの殺気が迸ったからだ。

 

「これ以上、余のマスター(NIKKE)を侮辱してみろ。我が名誉にかけて、貴様らを塵一つ残さず叩き潰す」

 

 低い、地響きのような宣告。

 もはや脅しという言葉すら生ぬるい。

 男が息を呑む。銃を持つ指から力が抜け、カランと硬質な音を立てて拳銃が床に落ちた。

 

「失せよ。身の程を知るが良い、人間(HUMAN)

 

 その一喝が、雷鳴のごとく彼らの精神を打ち据えた。

 イスカンダルが拘束していた手を離すと、男は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 そして次の瞬間、弾かれたように跳ね起きた。

 

「ひ、ひぃぃぃッ!!」

 

 もはやプライドも体面もない。二人の指揮官は悲鳴を上げ、転がるようにして通路の奥へと逃げ去っていった。

 残された二機のニケたちも、主人の後を追うように走り去る。その際、彼女たちが一度だけ振り返り、私に向けて深々と頭を下げたのが見えた気がした。

 嵐のような騒動が去り、通路に再び静寂が戻る。床に散らばったコアダストが、蛍光灯の光を浴びて白く輝いていた。

 

「あ、あの……イスカンダル?」

 

 私は、恐る恐るその広い背中に呼びかけた。

 彼は暫くの間、逃げていった男たちの方向を睨みつけていた。やがて大きなため息をつき、肩の力を抜いた。

 

「……すまない。なるべく穏便に済ませたかったのだが、マスターに危害が及ぶとなれば黙ってはいられなかった」

 

 イスカンダルは振り向かず、背中を見せたまま私に語りかける。

 

「勝手な真似をしたな」

 

 どこかバツの悪そうな声だった。王としての傲岸さはどこにもない。

 

 どう声をかければよいか分からなかった。彼の行動はアークの掟においては許されない暴挙だ。 

 指揮官への暴行は重罪であり、それが露見すれば私たちがどうなるか想像もつかないのだから。

 叱責すべきなのかもしれない。軽率だと、怒るべきなのかもしれない。

 けれど…。

 

 胸の内を占めていたのは、恐怖でも後悔でもなかった。

 目の前に立つ男へ対して抱く、どうしようもない()()

 胸の奥が熱い。

 コアが激しく脈打ち、視界が滲む。

 

 ―――生まれて初めて、誰かに守られた。

 ―――誰かが、私のために本気で怒ってくれた。

 

 その事実が、理屈や損得勘定をすべて吹き飛ばしていた。

 私は一歩踏み出し、その大きな背中にしがみついた。

 

「――ありがとう」

 

 鋼鉄のように硬く、太陽のように温かい背中。  

 そこに顔を埋め、私は震える声で告げた。

 

「ありがとう……私の為に、怒ってくれて……」

 

 言葉にならなかった感情が、熱い雫となって溢れ出す。

 嗚咽が漏れるのを止められなかった。

 彼が纏う真紅のマントを握りしめ、私は子供のように泣きじゃくった。

 

 イスカンダルは振り向かなかった。ただ自身の腹部へと回された私の小さな両手を、その大きな掌で上から覆い、黙ったまま優しく握りしめていた。

 そのゴツゴツとした感触だけが、今の私にとって世界の全てだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を、遥か遠方から見下ろす影があった。

 アークの防壁近く、監視塔の高みに一つの人影が彫像のごとく佇んでいる。

 

「ようやく捕捉しました、ライダーのサーヴァント。ですが……」

 

 影の主が、鈴を転がすような凛とした声音で独りごちる。

 

「……なんと数奇な巡り合わせでしょうか」

 

 眼下では、真紅のマントを纏った巨漢が縋り付く少女を受け止めていた。二人の間に通う空気は、魔術的な強制力や利害の一致のみで結ばれた契約関係というものを超えていた。

 

「サーヴァントがあそこまでマスターに心を許しているとは。それに、彼女は……」

 

 影の主は眼下の二人から視線を外した。

 

「…あの方々が元凶だとは考えにくい。やはり、他にいるのですね。ルールを破り、聖杯戦争を混乱に陥れようとしている『咎人』が……」

 

 影の主が言葉を紡ぐ。

 

「このまま覗き見するのも失礼ですね。行きましょうか。……私は、()()を下さなければ」

 

 祈るような呟きと共に、影が揺らぐ。

 次の瞬間、監視塔にはただ空調の冷たい風が吹くばかりであった。観測者の姿は金色の粒子となって霧散し、闇へと溶け込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日も20時頃に投稿予定でございます。
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