静寂を切り裂くように放たれたナイフが、廊下に入りこむ
紅い月明りで微かに光る。
合図はなかった。
複数の銀刃が光の線となって霊夢の喉と胸へ一直線に走った。
霊夢は紙一重で身をずらし、札をひらめかせてナイフを弾き返す。
だが咲夜の足は既に床を離れ、影のように次の角度から迫っていた。
廊下に残ったのは、ナイフの余韻だけ。
霊夢は舌打ちを吸い込み、後退しながら広い大広間へと退いていく。
狭い廊下では分が悪い。
あの女の殺意とスピードは、この空間では手に余る。
――来なさい。
そんな意思を込め、霊夢は広間の中心へ立った。
咲夜のヒールが床を踏む音が一度、二度、三度。
距離が広がるにつれてその間隔は短くより高いものとなっていく。
静かに広間へ姿を現すと、彼女はナイフをゆっくり取り出した。
「逃げるしか能がないのが、博麗の流儀なのかしら」
白銀のメイドは皮肉めいた言葉を上階から見下ろしながら、冷や汗をかく巫女に対して吐き捨てる。
「お得意のナイフを床にばらまくのが、ここのメイドの流儀のようね」
ニヤリと笑いながらお返しの言葉を投げ捨てた。
咲夜はその台詞に眉一つ動かさず、淡々と息を吸って言葉を放つ。
「時よ止まりなさい 幻世『ザ・ワールド』」
吹き荒れる外の風が止む。
漂う紅霧さえ動きを止める。
咲夜以外の世界が、完全に世界から切り離された。
燭台の炎も、舞い上がった霊夢の髪も、落ちかけた埃も止まる世界。
動くのは咲夜ただ一人。
霊夢の周りに幾百のナイフを投げ、投げた先からナイフは空中に静止する。
全てのナイフが殺意を持って巫女を殺しうる一撃となり、四方を囲みこむ。
逃げ道などない。確実な勝利を確信するとともにメイドは、一言発する。
「そして—————時は動き出す」
止まっていた世界が、彼女の言霊と共に命を取り戻す。
燭台の炎は揺らめきを取り戻し、埃は舞う。
止まっていた殺意の塊も、一人の少女を全ての方向から串刺しにした。
だが————刃がさしたものは、札の塊になっていた。
パァン…と、乾いた破裂音が静止した空間に響く。
霊夢の姿は煙のように消え、視界から消える。
(身代わりの符か——!)
再度時間を止めて距離をとり、消えた巫女を探す。
「……っ」
咲夜は振り返るが、その足元で“何か”が光る。
五枚の御札で構成された小さな結界式。
地面に描かれた魔術文様が赤く脈動する。
咲夜の瞳が僅かに揺れた瞬間、結界が四方へ展開し彼女の四肢に絡みついた。
「……まさかこれは…トラップ!? いつの間に——」
咲夜は反射的にもう一度、時を止める。
だが――束縛は緩まない。拘束は解けない。
再度時間が戻り、霊夢は静かに咲夜に歩み寄っていく。
「……あんたみたいなのはね、幻想郷ではそこまで珍しくもないの
………驕ったわね。」
咲夜はなおも結界を引きちぎろうとした。
筋肉が悲鳴を上げる音さえ聞こえそうなほど必死に。
だが束縛の中で、その動きは弱々しく揺れるだけだった。
「お嬢様を……守るのが……私の……」
「そう、その気持ちは立派だわ。でも——」
霊夢は結界の縁に手を差し込み、式を解放した。
「これであんたの役目も終わり 夢符『封魔陣』」
霊力の光と炎が一気に吹き上がり、結界内を白々しく焼く光が満たす。
咲夜の影が激しくゆらぎ、焼け焦げた布が舞い散る。
「くっ……ぐ……っぁ……!」
声にならない悲鳴。
それでも彼女は最後まで、霊夢を睨み続けていた。
その瞳には恐怖ではなく――“自負”があった。
霊夢は小さく息を吐くと、術式を収束させた。
結界が煙のように消えると、咲夜は崩れ落ちた。
床に膝をつき、倒れながらその瞳は主のいる方角を見たままだった。
「……お嬢様……」
その言葉を最後に、咲夜は意識を手放した。
霊夢はしばし無言で、倒れたメイドを見つめた。
その表情に憐れみはないが、軽蔑もなかった。
「……ご苦労さま。でも進むわ。異変は、止めさせてもらう」
と、その瞬間。
紅魔館全体が、地鳴りのように震えた。
上階から、空気を太陽みたいに焼く圧力が降りてくる。
妖気とも魔力ともつかない、“夜の王”そのものの気配。
霊夢は眉をひそめ、上階へ続く階段を見上げる。
「……いよいよ、黒幕登場ってわけね」
最上階から、吹き荒れる紅霧。
吸血鬼の力が、壁の向こう側で荒れ狂っている。
霊夢は階段へ足を踏み出した。
◆
「燃え尽きなさい—— 火符『アグニシャイン』」
七曜の“火”が爆発し、
図書館が紅蓮に塗りつぶされる。
魔理沙はミニ八卦炉を構え、空を蹴った。
「おおおっ、熱ぅ!?
相変わらず魔法使いってのは容赦がねぇな!」
彼女の周囲を流星のような火球が何十、何百と通り過ぎる。
ただの弾幕ではない。
当たれば焼失する“殺しの魔法”。
焼ける空気は喉を苦しめ、肩で呼吸しながらも詠唱を続ける。
「っ…でも……あなた程度の魔法使いに負ける気はないわ」
「へっ。やる気だなァ!」
魔理沙が星型の弾幕を返すと、
火と星がぶつかり、書架の影に火花が散る。
パチュリーは火の魔法を止めることなく、
次の術式を重ねる。
「水符『プリンセスウンディネ』」
足元から立ち上がる水柱が、
魔理沙の動きを読んだかのように追撃してくる。
続けざまに——
「木符『シルフィホルン上級』 土符『レイジィトリリオン』」
木の螺旋が空へ伸び魔理沙の退路を塞ぎ、地面がうねり落下地点を砕く。
そして——
「金符『メタルファティーグ』」
空中に金属質の圧力が生まれ、身体が重く沈む。
魔理沙は驚愕と共に叫ぶ。
「おいおいおい!? 七曜全部使う気かよ!!」
パチュリーは額を押さえ、苦しげに微笑んだ。
「……お遊びなんて早く終わらせたいだけよ」
「私の弾幕がお遊びとは……!」
魔理沙は空中で八卦炉を構え、光を極限まで圧縮する。
「私の弾幕は火力だぜ! 恋符『マスタースパーク』!!」
火、木、水、土、金。バラバラに散らばった弾幕が収縮してパチュリーの手元に集まっていく
「弾幕は精密さよ! 火水木金土符『賢者の石』」
エネルギーの衝突で空間が震えるほどの爆風が起こる。
書架の上で積み重なっていた本がバラバラと崩れ、
小悪魔の意識が戻りかけて揺れるほどの衝撃が走った。
パチュリーは息を荒げながら、
それでも本を閉じず前へ出る。
「……これ以上は、本当に、加減できないわよ…」
「おいおい、今まで手加減してたってか?」
と言いつつ、魔理沙は完全に楽しんでいる顔だった。
パチュリーの七曜光球が一斉に回転し、
術式の輪が床を焼いた。
「七曜……展開!」
図書館の空気が圧縮され、
まるで空間そのものが悲鳴をあげる。
パチュリーから発せられる魔力によって、室内にはありえない風が吹く。
「うわっ……これ、派手に来るぞ……!」
迎撃の態勢をとるため一時的に距離をとると、
部屋の奥で七色に光る魔法陣が見てとれた。
パチュリーの魔力に呼応するように魔法陣の光も徐々に大きいものとなっていくのが暗い中でもよくわかる。
(なんだありゃ……魔力の増幅? にしてはおかしいな…)
「よそ見とは……死になさい 日月符『ロイヤルダイアモンドリン——ッ」
極限まで膨らんだ強大な魔力が、発動せずガラスのように砕け散っていく。
パチュリーの口からは暗闇にも映る紅い鮮血が流れ出ていた。
(こんな、時に、なんで……)
無数の魔力線が魔法陣と共鳴し、発動前の魔力を吸い取っていく。
「……急にどうしたんだ!? 発作か?」
魔理沙は目の前の魔法使いの様子に動転するも、
歪な光を放つ魔法陣が原因だとすぐさま理解する。
ミニ八卦炉を魔法陣へ向け、魔力を充電する。
「これが原因ねぇ……これをこうすれば、消えるんじゃねぇ?」
苦悩で俯いていたパチュリーの顔色が恐怖に変わる。
「なっ……!
やめなさい! 今それを触っては……!!」
魔理沙の指先が魔導式の“核”へ触れる。
「ここがこーで、出力……ゼロ。っと」
その瞬間。
歪に煌めいていた七曜の光が、ふっと消える。
図書館が静寂に包まれ、外の紅霧がわずかに薄まり始めた。
パチュリーの膝が崩れ落ちる。
「……なんて、無茶を……
あんた、死ぬかもしれなかったのよ!」
魔理沙は肩をすくめ、笑った。
「それは悪いことをしたな。
私は死ぬ気はないし、好きなようにさせてもらうぜ」
ミニ八卦炉の光が、ゆっくりを消えていく。
「ただの通りすがりの魔法使いが、異変解決ってね!」
限界を迎えた身体と精神がその言葉を最後に、
パチュリーはの意識は途切れ、小悪魔が駆け寄ってその身体を抱きしめた。
(こんな魔法使いは初めて……レミィ、ごめんね…)
魔理沙は奥の階段を見上げる。
「……さて。
霊夢の方も、そろそろ佳境かな?」
彼女はほこりを払い、図書館を後にした。