最初に覚えたのは、やけに冷たい空気だった。 まだ焦点の合わない視界に、白い光が滲んで揺れている。泣き声が遠くに響き、誰かが慌てた声で俺の名前を呼んだ。いや、“呼んだ”といっても、どうやらそれが俺の名前らしいというだけの新事実を告げただけだ。
「……リオ。よかった……!」
抱き上げられた瞬間、胸元から暖かさが広がった。別に泣くほどではなかったが、声が出ないのは体のせいだろう。手を動かそうとしたが、力の入れ方さえうまく思い出せなかった。
そのときだった。
——ひかり?
まるで空気の粒が色を帯びたみたいに、人の輪郭の周囲で青白い光がふわふわ浮いているのが見えた。触れようと手を伸ばすと、光は淡く揺れる。
(なんだこれ……目の錯覚か?)
混乱していたはずなのに、不思議とパニックにはならなかった。 それよりも、別の違和感が自分の身体にあった。
耳——が変だ。 頭の上で風をとらえるようにぴくりと動く感覚があった。 そして背中近くにも、今まで感じたことのない“しっぽ”の存在。
(……動く、これ。俺の尻尾?)
さすがに正気を疑った。
けれど、時間が経つにつれ次第に理解していく。 ここは元の世界ではなく、俺はもう赤ん坊で——人間“っぽい何か”になっていた。
だけどまだ、このときの俺は知らなかった。 この世界が“どこ”なのかを。
言葉を覚え、歩けるようになり、鏡を見るようになってから、自分の姿が明らかに普通ではないと知った。青みの強い髪。獣じみた三角の耳。腰にはふわりと揺れる尻尾。
どう見ても、どこかのゲームで見た“あの生き物”に似ていた。
(……いやいや、そんなわけ——)
否定しようとした矢先、テレビから聞こえた声に耳が跳ね上がった。
『続いては、本日も市民を救ったこの人! 平和の象徴、オールマイト!』
画面に映ったのは、金髪の巨体を揺らして“あのポーズ”を決める男。
瞬間、心臓が止まった。 耳が勝手にピンと立ち、尻尾が弾かれたみたいに動いた。
(……マジで? いや、嘘だろ、こんな……)
テレビのヒーローが笑っていた。
——オールマイト。
名前を呼んだ気がしたが、声は出てなかったかもしれない。 ただひとつだけ、頭の奥に確信が根を下ろした。
ここは“あの世界”だ。
俺が何度も読んだ物語の舞台。 ヒーローが職業で、悪が跋扈し、何度も街が壊れ、 それでも人々が笑って生きようとする世界。
体の奥がじんと熱くなった。 テレビ越しのオールマイトを見て、自然と胸が躍った。
(……最高じゃん。やべぇ世界だけど、最高だ。)
オールマイトを知ったことで、もう一つの謎に目を向けられるようになった。 生まれたときからずっと見えていた“光の粒”。
怒っている人の周囲は赤く、 悲しむ人からは青い陰が漏れ、 嘘をついている人は紫ににごる。
そして、集中すると光は濃くなったり薄くなったりする。
(……これ、個性ってやつか?)
個性。 この世界で生きるための“力”。
自分の耳も尻尾も、感覚も、全部その一部なのだろう。
試しに光の揺れに意識を合わせると、胸の奥が“ざわっ”と震えた。 湧き上がる波が、周囲の感情に触れるたびに形を変える。
(なんか……波、みたいだな。)
“波”—— そして“導”くような感覚。
(……波導。そういうこと?)
誰かに教わったわけじゃない。 だけどしっくりきた。
この力はきっと、俺が生きるための武器になる。
爪を隠すように笑いながら、俺はこっそりと練習を始めた。 大人のように落ち着いているのに、 新しい遊びを見つけた子供みたいに胸が高鳴っていた。
大人の記憶を持ったまま子供に戻ったせいか、 俺の中には二つの人格が同居しているみたいだった。
テレビでヒーロー活動を見ると胸が騒いで走り出したくなる。 甘いお菓子には思わず尻尾が揺れてしまう。 綺麗なお姉さんに抱き上げられると変な意味で落ち着く。
一方で、 未来の事件を思い出しては静かに思考する自分もいる。
(……このままだと、救えない人が出る。 せっかくここに来たんだ。変えられるところは変えないと。)
そんな決意を抱いているくせに、 近所の女の子に笑いかけられると耳が跳ねてしまうあたり、 どうやら俺は可愛げのある性質もセットで持ってきてしまったらしい。
でも——
どっちの俺も嫌いじゃなかった。