父式“気配OFF”を身につけて数日。 リオの生活は、驚くほど静かになっていた。
いや── “静かすぎる”と言った方が正しい。
走るとき、音を立てない。 座るときも、空気の揺れが少ない。 そして何より──気配が薄い。
(……やっぱり父さんの方法、めちゃくちゃ効果あるな)
幼児とは思えないレベルでリオの存在感は消えていた。
だがこの日は、それが“初めて大人の目に引っかかる日”だった。
園庭のすみで、浅海(あさみ)先生が子供たちを見守っていた。
「今日も賑やかねぇ……あれ、リオくんは?」
名簿を持つわけではない。 先生は毎日“気配”で子どもたちを把握している。
元気な子ほど存在感が大きい。 内向的な子でも、視界の端に“そこにいる”気配がある。
だが──
(……あれ?)
今日は、どう探してもリオの気配が見つからない。
(リオくん、今日はお休みだったかしら……? いえ、いたわよね。朝お母さんと来てた)
浅海先生はゆっくり園庭を見渡した。
すると。
「……っ!?」
砂場の端。 日陰のポールの影で、じっと座っているリオの姿が目に入った。
(いた……!でも、見つけられなかった……)
視界に入ればわかる。 だが“気配”がほとんど感じられなかった。
(この子……こんなに静かな子だったかしら)
先生は思わず息をのむ。
幼児は普通、存在感の塊みたいなものだ。 動く、喋る、空気を揺らす。
なのにリオは── 影のように薄い。
(何か我慢してる?不安?それとも……慣れない環境?)
先生の職業病が働く。
(放っておくのはよくないわね)
浅海先生はリオの隣に腰を下ろした。
「リオくん、何してるの?」
リオは小さく顔を上げる。
「え、ん……おすな、さわってた」
幼児らしい返事。
だが先生は“違和感”の正体をすぐに理解した。
(……声も小さいけど、それ以上に……やっぱり“気配”がない)
本当にそこに座っているのに、 そこに“いる存在の重み”が薄すぎた。
先生は優しい笑顔を保ちつつ、リオの動きを観察する。
(歩く時の足音が……ほぼしない)
(他の子に近付いても気づかれてない)
(呼吸や視線の揺れ……幼児らしさが極端に少ない)
……気配が薄い子どもは、たまにいる。 だがリオは別格だった。
(……これは、“慣れてしまったタイプ”の子の静けさね)
浅海先生は、保育経験から直感した。
リオは「静かな子」ではなく── 静かであることに“慣れている”子だ。
それは、周囲を読む能力が高い子に多い。 親を困らせないように、無意識で静かにしてしまう子。
(リオくんは……たぶん“周りを見て動く子”)
先生がそっと言った。
「リオくん、遊びたいことあったら言っていいのよ?」
リオの心がピクリと揺れた。
(……え? 俺、そんなに静かだった?)
波導を消すために必死で父の“OFF”を練習していたら…… 気配が消えすぎていたらしい。
(やべ……! これ、警戒されるやつじゃん!!)
慌てて耳が動きかけた瞬間──
「リオくん。無理に静かにしなくていいのよ?」
先生の声は、とても優しかった。
(…………)
幼児の姿で、リオは少しだけ胸が温かくなる。
(……そうか。 俺、“不自然な静けさ”になってたんだ)
波導OFFを続ければ続けるほど、リオは影のように薄くなる。 トガを助けるためには必要な能力だ。
でもそれは── 周囲の大人には“不安”として映る。
(考えないと……このままじゃ怪しまれる)
浅海先生は、リオの頭をそっと撫でた。
「大丈夫。リオくんは、ここにいていいのよ」
その言葉に、 リオの胸の奥で波導が一瞬だけ“色づいた”。
(……ああ。ちゃんと見てる人は見抜くんだ)
父と手をつないで歩きながら、リオは考えていた。
(波導OFF……調整しなきゃ。 完全に消すと、“不安な子”に見えちゃう)
トガを助けるために必要な力。 でもそのせいで、優しい大人に心配をかけるのは違う。
(父さんの真似をして“段階的OFF”を作らないと)
リオは決意する。
(完全OFF──潜伏用。 弱OFF──日常用。 ON──探索用。)
幼稚園児とは思えないレベルの思考で、 波導の三段階制御を作り始めた。
(トガ……必ず助けるからな)
リオの決意は、誰に気づかれることもなく 夕方の街の気配へ溶けていった。