その夜──。
布団に潜り込んだはずなのに、眠気はどこかへ消えていた。 胸の奥が、ずっとざわついている。 あの駅前のスーパーで、ほんの一瞬すれ違った女の子のせいだ。
(……なんだったんだ、あの波導)
目を閉じれば、まぶたの裏に光景が浮かぶ。 夕方の帰り道。 母親と手をつなぎ、スーパーの入口へ歩いていったとき── 人混みの中、彼女と肩がかすめた。
すれ違っただけ。 名前も年齢も知らない。 本当に同い年なのか、それすら分からない。
けれど。
その瞬間だけ、世界がひっくり返った。
胸に流れ込んできたのは、ひんやりと冷たい波導。 笑っているのに、泣いているような。 誰かに助けを求めているのに、自分が壊れていることにも気づけていないような。
そんな“痛い波導”だった。
(年なんてどうでもいい。……同年代のはず、ってだけで十分だろ)
リオは枕を抱きしめたまま、息を吐く。
(あの子……原作のトガ・ヒミコに似てた。 でも確証なんてどこにもねぇ。 ただ俺は──助けたいって思った)
それは前世を含めても、自分でも驚くほど強い感情だった。 波導のせいかもしれないし、原作の彼女を知っているからかもしれない。 理由はどうでもいい。
(助けたいなら……強くなるしかねぇよな)
その瞬間、胸の奥で波導が震えた。 小さく、青白い光が灯る。
リオは静かに布団をめくり、音を立てないように部屋を抜け出した。
リビングは真っ暗。 冷たい空気が足に触れる。 窓をそっと開け、裏庭へ出た。
月の明かりが、耳と尻尾を淡く照らす。
「よし……」
幼い拳を握り込み、軽く肩を回す。 すでに幼稚園の頃から“こっそり鍛えて”いた。 でも、それはあくまで“備えておく”程度のもの。
今は違う。
(今日からは、ガチだ)
足を広げ、重心を落とす。 波導を集中すれば、夜の虫の羽音、家の中の両親の寝息まで、細かく感じ取れた。
(あの子を助けるために……俺はもっと研ぎ澄まさなきゃいけない)
拳を突き出す。 青白い光が、ごく薄く軌跡を描く。
幼児の体には重い衝撃が走り、思わずよろめいた。 だが──止まらない。
連続して拳を突く。 足を踏み込むたび、波導が震える。 息が荒くなっても、汗が目に入っても、やめる気はなかった。
(トガも……荼毘も……原作のままにさせるかよ)
地面に影が揺れ、耳が風に揺れる。
(俺は、知ってるんだ。未来を。 知ってる俺が動かないで、誰が動くんだよ)
最後の一撃は、幼児の体には不釣り合いな鋭さを帯びていた。 青い光が散り、リオは大きく息を吐く。
「……絶対に、間に合わせる」
そう呟いた声は、幼いのに決意がこもっていた。
この夜、リオは初めて“本気”になった。
彼の革命は、まだ誰も知らない場所で静かに始まった。