幼稚園についた瞬間から、リオは違和感を覚えていた。
玄関で靴を履き替える子供たち。 笑い声。 泣き声。 走る足音。
──全部の波導が、今までより“近い”。
(……昨日より、さらに感覚が広がってる)
幼児の体にはまだ大きすぎる情報量だ。 波導が、耳の奥でじんじんと軋むように響く。
教室のドアを開けると、その負荷は一気に増した。
視界に飛び込む子供たちの感情──
* 機嫌がいい子の明るい波
* 寂しさを抱えた子の薄い波
* 今日喧嘩してきたらしい子の濁った波
* 先生たちの大人特有の、落ち着いた“層のある波導”
それらすべてが、いっぺんに押し寄せた。
(……多すぎる)
頭の芯がズキッと痛む。 視界が揺れた。
それでも、リオは顔に出さないようにした。 波導を“閉じる感覚”を覚えたい──それも今日からの課題だ。
だが、そんな努力も虚しく。
事件は、すぐに起きた。
◇ ◆
「リオくーん!おはよ!」
元気よく駆け寄ってきたのは、同じクラスの友達・春斗。 無邪気でいい奴だ。
だが、今日の春斗はなぜか波導の揺れが大きい。 嬉しさと興奮が混ざった、子供特有の乱れ。
近づいた瞬間、その波導がリオの脳に刺さった。
ビリッ──。
(っ……!)
思わず肩が震える。 声が出ない。 胸の奥がざわざわと渦を巻き、波導が暴れ始めた。
「どうしたの? リオ?」
春斗が顔を覗き込む。 その距離が近い。 波導の塊が、真っ直ぐぶつかってくる。
(やばいやばいやばい……!! 近い……これ以上近づくな……っ)
脳が悲鳴を上げた瞬間──
波導が反射した。
衝撃の膜が“バンッ”と広がり、春斗の身体を軽く押し返す。
「うわっ!?!?」
数センチ。 文字通り、見えない壁に跳ね返されたように後ろへよろけた。
(しまった……! やりすぎた……!)
リオは胸を押さえて息を整える。 波導はすぐに収束したが、周囲の子供たちがざわつく。
「え?いま何したの?」 「春斗くん、転んだ?」 「リオくん、押した?」
先生の視線も集まる。 その波導が重くのしかかって、リオはさらに息を詰まらせた。
(まずい……これ以上刺激を受けたら、本当に暴走する)
波導視を“閉じたい”。 でも、まだコツがつかめていない。
(落ち着け……閉じろ……閉じろ、閉じろ……!)
耳の奥がキーンと鳴った。 波導の流れが荒れ、視界の“色”がぐらつく。
(トガの波導……あの痛みのほうが、まだマシだった……っ)
頭を抱えそうになった時──
──そっと、誰かの手がリオの頭に触れた。
「……大丈夫?」
先生だった。 その波導は、子供の感情とは比べ物にならないほど落ち着いていて、柔らかい。
温かい波のように、リオの荒れた波導がゆっくり静まっていく。
(……助かった)
リオは深く息を吐いた。 波導がようやく自分の“輪郭”に収まっていく。
「リオくん、体調悪いのかな?今日は無理しなくていいからね」
「……うん」
そう答えた声は、少し震えていた。
◇ ◆ 放課後
帰り道、リオはひとりで歩きながら考え込んでいた。
(今日のは……まずい。 このままじゃ、波導視の成長に脳が耐えられない)
だが同時に、思う。
(でも──見えるようになってる。 遠くの、深くの、細かい感情まで)
それはつまり。
(トガの波導を、もっと“精密に”追えるようになるってことだろ)
冷たい夕方の風が、耳と尻尾を揺らす。
不安もある。 恐怖もある。 でも──
胸の奥に渦巻くのは、決意だった。
(……今日の失敗を、明日には克服してみせる)
小さな拳を握りしめる。
波導視の過敏反応は、彼が“本気の成長過程”に入った証だった。
リオは深呼吸し、前を向いた。
(絶対に……間に合わせる。 救うんだ。絶対に)