エグザイル~俺は自由なビルドで異世界を生き抜く~ 作:SazanK@
◆◇
「あの……大丈夫ですか?」
受付嬢が心配そうに顔を覗き込んでくる気配に、俺はハッとして我に返った。
あまりのショックに思考の処理落ちを起こして再起動が必要なレベルだったが、なんとか意識を現実に引き戻す。
「あ、はい。大丈夫です。すみません、ちょっと考え事をしていて」
俺は慌てて居住まいを正し、精一杯の愛想笑いを浮かべて答えた。
彼女は気を取り直したように書類を整え始めたが、その目は明らかに同情の色を帯びていた。
せっかくの異世界転移だというのに主人公補正はないのかと毒づきたくなるが、ないものねだりをしても仕方ないだろう。
「それで……登録の手続きはこれで終わりでしょうか?」
「いえ、あと少し手続きがあります」
彼女は少し言い淀み、それから営業スマイルを貼り付けて提案してきた。
「初心者講習を受けられますか?」
「初心者講習、ですか?」
聞き返すと彼女は手元の資料を示しながら説明を始めた。
ギルドの利用方法や魔物の解体方法に薬草の見分け方など、冒険者として活動するための基礎知識を学ぶ講習らしい。
なるほど、要するにチュートリアルというわけか。
俺はゲーマーだが説明書を読まずに体で覚えるタイプなので普段ならスキップするところだが、ここは現実だ。
リセットボタンはないし死んだらコンティニューできないのだから、素直に受けておいた方が無難だろう。
「……ちなみに、費用はかかるんでしょうか?」
一番の問題はそこだ。
俺の所持金は日本円の小銭と、レッドから借りる予定の宿代しかない。
「受講料自体は無料です」
その言葉に安堵したのも束の間、彼女はすぐに「ただし」と付け加えた。
「講習終了後、依頼を三回達成するまでは報酬が半額となります」
やはり裏があったか。
この世界の「無料」ほど怖いものはない。
ただでさえ駆け出しの報酬なんてたかが知れているだろうに、そこからさらに半分持っていかれるなんてブラック企業も真っ青の搾取構造だ。
俺が渋い顔をしていると、受付嬢が身を乗り出して言葉を重ねてきた。
「ですが受講を強くおすすめします。特にボン様は記憶が曖昧とのことですし、この世界の常識を知らないまま外に出るのは危険です」
正論すぎてぐうの音も出ない。
「それに講習では『ミスティカ』の展開方法や、その見方についても指導いたします」
その単語に、ピクリと俺の眉が動いた。
ミスティカといえば昨日の夜にカーシャが見せてくれたあの綺麗な星空のようなスキルツリーのことだ。
あれの出し方を教えてくれるというのは今の俺にとって何よりのメリットであり、現状を打破する唯一の手がかりになるかもしれない。
正直あれが出せないことには自分の能力の把握すらできないし、「プレイヤー」という謎スキルの正体もわからないままだ。
「……わかりました。受講させてください」
背に腹は代えられないので、俺は報酬半額を授業料だと思って諦めることにした。
「ありがとうございます。ではこちらにサインを……あ、代筆でしたね」
彼女はまたサラサラと羊皮紙に書き込んだ。
これで契約成立となり、俺は晴れて借金持ちの冒険者見習いになったわけだが響きが最悪だ。
「ボン、いい判断だ」
後ろで黙って聞いていたレッドが声をかけてきた。
「俺も最初は受けたぜ。解体とか独学じゃ絶対無理だからな。内臓の処理とかミスると肉が臭くなって売り物にならなくなるし」
「へえ、そうなんですか……」
スーパーでパック詰めされた肉しか見たことのない現代っ子の俺に耐えられるだろうかと、少し不安になってきた。
手続きが一段落し俺がカウンターを離れようとした時、受付嬢が呼び止めた。
「あ、もう一つ確認事項がございます。お客様、定宿はありますか?」
「宿、ですか?」
「はい。冒険者証を発行するにあたって連絡先となる住所が必要になります」
住所不定無職は登録できないという世知辛い現実に直面し、俺はレッドを見た。
彼はニカっと笑ってサムズアップしてくれた。
「俺の泊まってる宿でいいなら口利いてやるよ。部屋も空いてるはずだし」
ありがたい申し出であり、昨日の今日でここまで親切にしてくれる彼は聖人か何かなのだろう。
でも、なあ……。
俺はボンという平凡な男だがプライドがゼロってわけじゃないし、彼らには彼らのパーティがある。
得体の知れない居候を抱え込ませるのは迷惑だろう。
「……いえ、定宿はありません」
俺は受付嬢に向き直り、きっぱりとそう答えた。
レッドが驚いた顔をする。
「おいボン、いいのか? 野宿はきついぞ?」
彼は心配してくれているが、俺は首を横に振った。
「いえ、レッドさんにこれ以上ご迷惑はおかけできませんから」
俺はレッドの目を見て言った。
「お気持ちは嬉しいんですが、けじめはつけたいんです」
俺がそう付け加えると、彼は少し寂しそうな顔をした。
受付嬢は俺とレッドのやり取りを見てふむと頷いた。
「でしたら、ギルドの提携宿を紹介できますがいかがなさいますか?」
「え、そんなものがあるんですか?」
「はい。通称『ギルド寮』と呼ばれています。ここから歩いて五分ほどの場所にあります」
寮という響きに少し心が動く。
「条件を伺ってもよろしいですか?」
「まず家賃は無料です」
神かと思ったが、また「ただし」という接続詞が続いた。
「定期的に依頼を受注し達成することが条件となります。そして報酬の一割が寮費として自動的に天引きされます」
サブスクリプション方式というか社宅のようなもので、初心者講習の半額と合わせると最初の三回は六割も持っていかれる計算になる。
手取り四割という税金の高さに眩暈がするが、初期費用がかからないのは魅力的だ。
敷金礼金ゼロで保証人不要ならば、今の俺にはそれしか選択肢がない。
「それと、もう一つ重要な規約があります」
受付嬢の声のトーンが少し下がった。
「怪我や病気などで長期間依頼を受けられなくなった場合、即時退去となります」
あまりにもシビアな条件に言葉を失う。
つまり「働かざる者、住むべからず」ということであり、労災もなければ傷病手当てもない自転車操業だ。
足を折ったら終わりだし風邪をこじらせたら終わりの、ウーバーイーツの配達員よりも過酷な条件と言える。
「……わかりました。そこにお願いします」
選り好みしている余裕はないので俺は即答し、雨風をしのげる場所があるだけで御の字だと自分に言い聞かせた。
「承知しました。ではこちらの書類にも……」
◆◇
手続きを終えギルドを出ると、外の空気は相変わらず生ゴミとスパイスの混ざった独特の匂いがした。
少しだけ昨日よりマシに感じるのは、生活の基盤ができたという安堵感からだろうか。
「悪かったですね、レッドさん。せっかく誘っていただいたのに」
俺は隣を歩く赤髪の剣士に詫びた。
「気にするな。お前のそういうとこ嫌いじゃないぜ」
レッドは笑い飛ばしてくれたが、本当にいい奴なのでいつか絶対に出世払いで高い酒を奢ろうと心に誓う。
「で、講習はいつからなの?」
後ろからついてきたカーシャが尋ねてきた。
「明日からだそうです。今日はとりあえず寮に行って荷物を置いたら……いや荷物なんてないですね」
俺の手にあるのはコンビニ袋だけであり、これが全財産だと思うと悲しくなってくる。
「とりあえず今日はゆっくり休みなさいよ。明日から地獄を見るんだからね」
カーシャが意地悪く笑う。
「地獄、ですか?」
「初心者講習の教官、通称『鬼軍曹』って呼ばれてるのよ。私ですら泣きそうになったんだから」
早くも辞めたくなってきた俺に、レッドがまあ脅かすなとフォローを入れてくれた。
「ボンさん、無理はしないでくださいね。辛かったら、いつでも相談してください」
ソフィが心配そうに微笑んでくれる様子は、この殺伐とした異世界における唯一の癒しだ。
俺たちはギルドの前で別れ、三人の背中が人混みに消えていくのを見送ってから俺は一人になった。
教えられた地図を頼りに路地裏へと入っていくと、大通りの賑やかさとは打って変わりこの辺りは薄暗くてジメジメしていた。
目的の建物はすぐにわかったが、ボロボロの木造三階建てで幽霊屋敷と言われた方が納得できる外観だった。
「まあ、タダだしな……」
自分に言い聞かせて入り口の扉を開けると、ギギギと嫌な音がしてカビと埃の匂いが鼻をつく。
管理人はいないらしく、俺は指定された一階の奥にある108号室へと向かった。
鍵を開けて中に入ると、そこは四畳半くらいの狭さでカビ臭いベッドとガタつく机だけが置かれた監獄のような部屋だった。
俺はコンビニ袋を机の上に置き、ギシッと悲鳴のような音を立てるベッドに腰掛けた。
「はぁ……」
溜息をつくと部屋の空気がさらに淀んだ気がしたが、明日からは講習が始まる。
ミスティカの出し方を覚え、基礎を学び、生きるために依頼をこなさなければならない。
まるで回し車の中を走り続けるハムスターのような生活だが、やるしかないのだ。
◆◇
翌日、俺は指定された街外れの訓練場に来ていた。
そこには既に十人ほどの男女が集まっており、革鎧を着ている者もいれば俺のように普通の服の者もいる。
「おい、おっさん」
不意に声をかけられて振り返ると、生意気そうな顔つきの金髪の少年が立っていた。
「俺のことですか?」
「ここにおっさんはアンタしかいねえだろ」
失敬な奴だ。
俺はまだ二十代でありアラサーですらないのだが、周りが十代ばかりならおっさんに見えるのも仕方ないのかもしれない。
「アンタ、昨日受付で『才能なし』って言われたんだって?」
どこで聞いたのか情報は早く、周りの視線が嘲笑を含んだものに変わる。
「……まあ、そうですね」
否定しても仕方ないので肯定すると、少年はニヤニヤと笑った。
「へっ、才能なしが冒険者なんて笑わせるぜ。どうせすぐ死ぬんだから今のうちに辞めといた方がいいんじゃねえの?」
テンプレ通りの噛ませ犬キャラに反論しようとした瞬間、「整列ゥ!!!」という雷のような怒鳴り声が響き渡った。
現れたのは身長二メートルはあるだろう巨漢で、丸太のような腕と岩のような筋肉を持つ男だった。
「俺が今回貴様らの指導を担当するガルドだ! これより三日間貴様らを徹底的にしごき上げる! 逃げ出したい奴は今のうちに消えろ!」
鬼軍曹というよりオーガの親戚か何かに見える迫力に、誰も動くことができなかった。
ガルド教官は俺たちの前まで歩いてくると、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「まずはミスティカの展開からだ。貴様らの中には既に展開できる者もいるだろうが基本からやり直す!」
待ってました、と俺は内心でガッツポーズをする。
「全員右手を前に出せ! ミスティカとは魂の形だ。体の中を巡る血流のように魔力を腕に集め指先から放出する感覚だ!」
言われた通りに右手を突き出して目を閉じたが、魔力なんて感じたこともないので血流のイメージが湧かない。
周りからは成功した声が上がり、目を開けるとさっきの金髪の少年が得意げに青白い光の図形を見せびらかしていた。
俺はもう一度目を閉じ、魔力なんて高尚なものはわからないので別のイメージでいくことにした。
PCの起動だ。
電源ボタンを押し、電流が基板を走り、CPUが目覚めてBIOSが起動しOSがロードされるあの感覚。
俺の中にある「プレイヤー」というシステムを起動させるイメージで集中すると、ブォンというファンの音が聞こえた気がした。
右手が熱くなり指先が痺れるような感覚があったため、俺は恐る恐る目を開けた。
「……お?」
目を開けるとそこには──