エグザイル~俺は自由なビルドで異世界を生き抜く~ 作:SazanK@
◆
六日目。
新人講習は実のところ、そこまで人気がないらしい。
この辺は教官が言っていた。
まあ理由は分かる。
──朝早いんだよな……
俺は眠気まなこを擦りつつ、ギルドへと向かった。
朝の講習は基礎訓練の日も座学の日も、きまってランニングから入る。
体操をして、あとは走るのだ。
ただ座学の日はそこまで多くは走らない。
疲れて講習内容が頭に入らなかったら良くないからだろうな。
ちなみに今日はシゴキ──基礎訓練の日である。
ただ、筋肉痛がすっかり収まったのが好材料か。久々にあんなに動いて、もう全身痛くて仕方なかったのに。もしかしたらスキルの影響かもしれないな。
「オーイ❗ ボン君〜 」
背後から聞き慣れた声が響いた。
振り返るとモグラが小走りでこちらに向かってくる。
あの禿げ上がった頭が朝日に照らされてテカテカと光っていた。
「おはようございます」
「オハヨ〜 ✨ 今日もイイ天気だネ〜 」
モグラは俺に追いついて、並んで歩き始めた。
相変わらずのハイテンションである。
朝っぱらからこのノリは正直キツいものがあるが不思議と嫌な気持ちにはならない。
「モグラさんも早いですね」
「ウン〜、おじさん朝には強いノヨ〜 昔からの習慣でネ〜 それにしてもボン君、顔色悪いネ〜 ちゃんと寝れタ〜❓」
「まあ、それなりには」
俺は昔からやや低血圧気味で、朝はいつもこんなもんである。
「無理しちゃダメダヨ〜 おじさん、心配シチャウ〜 」
大袈裟な身振りで言うモグラに俺は苦笑を返した。
寮の部屋は相変わらずカビ臭いし、ベッドは硬いし、夜中に変な物音がするしで熟睡とは程遠い。
だが文句を言っても始まらない。
「モグラさんはどこに泊まってるんですか」
「ワシ〜❓ ワシはネ〜、街の外れにある安宿ダヨ〜 」
「寮じゃないんですね」
「ウン〜、おじさん一応ネ〜、少しダケ蓄えがアッテ〜 寮の規約がチョット厳しそうだったカラサ〜 」
確かにギルド寮の規約は厳しい。怪我や病気で働けなくなったら即退去だ。
モグラの年齢を考えるとそのリスクを避けたのは賢明かもしれない。
「デモ〜、安宿も色々あってネ〜 隣の部屋のおじさんがスゴイいびきでサ〜 壁が薄いから丸聞こえナンダヨネ〜 」
「それは災難ですね」
「マア〜、生きてる証拠ダカラネ〜 ✨ 文句は言えないヨ〜 」
妙に達観した物言いだった。
この人は色々と苦労してきたのだろう。
だからこそ、些細なことで文句を言わない。
俺もそうありたいとは思うがなかなか難しい。
訓練場が見えてきた頃、前方から見覚えのある金髪が近づいてきた。
「おーい、ボン! モグラのおっさんも!」
アトだ。
元気よく手を振りながら駆け寄ってくる。
朝からこのテンションは若さの特権だろう。
「オオ〜❗ アト君〜 おはよ〜 ✨」
「おっす、モグラのおっさん。今日も頭ピカピカだな」
「アハハ〜 磨いてルカラネ〜 」
磨いてるのか。
ツッコむべきか迷ったがやめておいた。
「よう。そういえばアトもどこか宿を借りてるのか?」
「うーっす。いや、親戚のおばちゃんちに泊まってるぜ」
「親戚?」
「ああ、この街に母ちゃんの妹が住んでてさ。そこに居候してんだよ」
なるほど、とは思った。
アトは確かクルナコイ村の出身だと言っていた。
田舎から出てきて、街に頼れる親戚がいるのは心強いだろう。
「いいなあ、ピンハネされないのはうらやましいよ」
「まあな。でも毎朝グチグチ言われるんだぜ。冒険者なんか辞めて真っ当な仕事に就けってさ」
アトは肩を竦めた。
そんなかんじでくっちゃべりながら歩いていると、訓練場の門が近づいてくる。
既に何人かの受講者が集まっているのが見えた。
「さて、今日も地獄の訓練か」
アトがげんなりした顔で呟く。
「まあ、やるしかないだろ」
「ソウソウ〜 頑張ろうネ〜 ✨」
三人で訓練場の門をくぐった。
ガルド教官の姿はまだ見えない。
開始時刻まで少し時間がありそうだった。
「そういえばボン、昨日何してた?」
アトが唐突に聞いてきた。
「昨日? 掃除してた」
「掃除? 休みの日に?」
「部屋が汚かったからな」
アトは怪訝そうな顔をした。
まあ、若い奴には理解できないかもしれない。
俺だって若い頃は掃除なんて面倒なだけだと思っていた。
「ワシも昨日は洗濯シテタヨ〜 服がネ〜、汗臭くなッチャッテ〜 」
「おっさんはわかるけどさ、ボンって意外とマメだよな」
「意外とは余計だ」
「ボン君、真面目ダヨネ〜 おじさん、そういうトコ好きダヨ〜 」
「あざっす」
モグラに褒められても複雑な気分だが悪い気はしない。
俺たちは訓練場の中央へ向かって歩き出した。
◆
「整列ゥ!!!」
空気をガラスのように砕く怒号が響いた。
鼓膜を直接叩かれたような衝撃。俺たちは反射的に背筋を伸ばし、一瞬で直立不動の姿勢をとった。
視線の先。訓練場の入り口から、岩塊が歩いてくるような威圧感でガルド教官が現れる。
足音が重い。一歩踏み出すたびに地面が悲鳴を上げているようだ。
「貴様ら。昨日の休養で腑抜けた顔をしていないだろうな」
教官の視線が俺たち一人一人を舐めるように走る。
蛇に睨まれた蛙。いや、ティラノサウルスに睨まれたハムスターか。俺は息を止め、存在感を極限まで薄くする。
教官の目が俺のところで一瞬止まった気がしたが、すぐに次へと移っていった。
「冒険者に安息日などない。魔物はカレンダーを見て襲ってくるわけではないからな。今日のメニューは持久走だ。俺がいいというまで走れ!」
ざわめきが起きかけたが、教官の眼光一つで霧散した。
拒否権はない。
「遅れた奴は昼飯抜きだ。死ぬ気で走れ。──行け!」
号令と共に、俺たちは駆け出した。
乾いた土を蹴る音。荒い呼吸音。装備が擦れる金属音。それらが混じり合い、朝の冷たい空気を震わせる。
俺は集団の中ほど、アトとモグラの後ろあたりに位置を取り、ペースを保つことに集中した。
一歩。また一歩。
体感で十分ほど走り続けた時、ふと気づく。余り疲れていないのだ。
昨日手に入れたスキル『旅人の脚』のおかげだろうか。地面を捉える足裏の感覚が鋭敏で、無駄な力が抜けている気がする。
単調なリズムで足を動かしながら、俺の意識はゆっくりと内側へ沈殿していった。
──俺は今、レールに乗っている。
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。
教官が決めたコース。教官が決めた距離。俺たちはただ、その上をなぞるだけ。
強制されている。自由などない。
なのに、なぜこんなにも安らぐのだろう。
前の世界での俺は、レールから外れた人間だった。
定職に就かず、フリーターをしながら動画投稿をする日々。聞こえはいいが、要するにその日暮らしのモラトリアムだ。
自由だった。確かに自由だったが、その自由は常に薄暗い不安とセットだった。
夜、ふと目が覚めた時に天井の染みを見つめながら感じる、あの底冷えするような恐怖。
この生活が十年後も続いているだろうか。二十年後はどうだ。四十歳になった自分。五十歳になった自分。
想像しようとしても霧がかかったようにぼやけて見えない。直視して、そこにあるのが断崖絶壁だと知ってしまうのが怖いから。
就職すればよかったのか。
何度も自問した。だが、そのたびに足がすくんだ。
社会という巨大なシステムに、自分の価値を値踏みされるのが怖かったのだ。
俺はたぶんプライドが高い。無能な凡人のくせに、承認欲求だけは人一倍強かった。
自分はまだ本気を出していないだけだ。評価されるべき場所に行けば輝けるはずだ。
そんな肥大化した自意識を抱え込み、傷つくことを恐れて殻に閉じこもっていた。
面接で落とされるのが怖いんじゃない。「お前には価値がない」という烙印を押されるのが怖かった。
だから俺は「降りた」のだ。
勝負の土俵に上がらなければ、負けることはない。まあなんというか、すっきりしない生き方だなと思う。
「ハァ……ハァ……ッ」
前方から、苦しげな息遣いが聞こえる。
だが俺の足は止まらない。
この世界には、俺の過去を知る人間はいない。
俺が底辺配信者だったことも、逃げ腰の人生を送ってきたことも、誰も知らない。
ここでは評価基準がシンプルだ。
走れるか、走れないか。戦えるか、戦えないか。生きるか、死ぬか。
ここでは俺は何者でもない。ゼロだ。
社会的地位も、世間体も、将来への見通しも、すべてがリセットされている。
それが心地よかった。
守るべきプライドなんて最初からない。見栄を張る必要もない。
ただ、敷かれたレールの上を走ればいいのだ。この安心感たるや! 日本というドロップアウトが許されない社会を生きてきたからこそそう感じるのだろうか。
ともかく、教官の命令に従い、肉体を酷使し、今日を生き延びる。その強制力が、俺の優柔不断な背骨を支えてくれている。
皮肉な話だ。
自由を求めていたはずの俺が、強制されることに救いを感じているなんて。
「ボン君〜❗ ファイト〜 ✨」
モグラが涼しい顔で親指を立てて後ろからぶち抜いてきた。
あの人は何周目なんだ。化け物か。
「……どうも」
短く返し、俺は地面を蹴った。