【旧版】明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか?   作:須川ユイ

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第十話:伽藍の迷宮(前編)

 

 

 

 花冷えの夜。

 帝都の夜を、一台の黒塗りの自動車が走っていた。

 

 米国製のフォード・モデルT。当時としては珍しい高級車だが、車体には陸軍の紋章が刻まれている。

 

「……いいか。今回の任務はあくまで『偵察』だ」

 

 ハンドルを握る軍属の男が、バックミラー越しに後部座席の私たちへ告げた。

 

「吉原の火災現場には抜刀隊の主力が張り付いている。浅草側の地下水道で観測された反応は、おそらくその余波……あるいは逃げ出した個体だ」

 

「へぇ。余波で特級クラスの反応が出るんですか? 景気がいいですね」

 

 私の隣で、相棒となった少年──九京(くぎょう)と呼ばれていた少年が、気だるげに皮肉を漏らす。

 彼は膝の上に分厚い洋書を広げ、揺れる車内でも構わず活字を目で追っていた。

 

「減らず口を叩くな。……とにかく、お前たち『鵺』の仕事は、現地の状況確認と、可能ならば初動の封じ込めだ。危なくなったら逃げていい。貴重な戦力を無駄にするな」

 

(また意味もない建前を)

 

 私は窓の外を流れるガス灯の明かりを見つめながら、心の中で吐き捨てた。

 

 「危なくなったら逃げていい」?

 

 本音は「死ぬまで足止めして、データを取れ」だろう。

 隣の九京も、鼻で笑ってページを捲っている。

 車は浅草の裏通り、人気のない川沿いで停車した。

 

 ドブ川の臭いと、鉄錆の匂いが混ざり合う場所。

 ここが、地獄の入り口だ。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 車を降りると、補助監督は「終わったら連絡しろ」とだけ言い残し、逃げるように走り去っていった。

 

 残されたのは、私と九京の二人だけ。

 目の前には、地下水道へと続く巨大な鉄格子。

 その奥から、生温かい風が吹き上げてくる。

 

「……さて。改めまして」

 

 九京がパタンと本を閉じ、丸眼鏡の位置を直した。

 色素の薄い灰色の瞳が、私を見据える。

 

「九京(つづり)だ。術式は情報収集特化でね。索敵とナビは任せてくれ。……君の名前は?」

 

「夜永です。術式は『泥造(でいぞう)』……泥から壁や呪具を作る術式です。前衛を務めます」

 

 私は愛想よく、しかし目は笑わずに答える。

 九京は「ふうん」と興味なさそうに相槌を打つと、懐から数枚の黒い呪符を取り出した。

 

「じゃ、作法通りにいきますか」

 

 彼が呪符を放る。

 それらは鉄格子の四隅に吸い込まれるように貼り付いた。

 

「『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』」

 

 詠唱と共に、空が黒い膜で覆われていく。

 

 (とばり)

 

 現世と常世を隔てる結界。これで、地下で多少派手に暴れても、地上への影響は最小限に抑えられる。文献から天元の存在は把握している。現代と同様、天元による領域の補助が働いているのだろう。

 

「……完了。行きましょうか、泥のお嬢さん」

 

「ええ。ご案内お願いします」

 

 私たちは錆びついた鉄格子をこじ開け、暗闇の奥へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 地下水道の構造は、事前に頭に入れていた地図とはまるで違っていた。本来ならコンクリートと煉瓦で整備された直線通路のはずが、入り組んだ迷路のように歪曲している。

 

 壁からは無数のパイプが血管のように飛び出し、至る所から高温の蒸気がシューシューと吹き出していた。

 

「……空間が歪んでいる」

 

 九京が十銭硬貨を指で弾きながら呟く。

 硬貨は空中で不自然な軌道を描き、壁に吸い込まれていった。

 

「これ、ただの呪霊の住処じゃないね。空間そのものが書き換えられている」

 

「ええ。肌に纏わりつくこの湿気……。これは、生得領域(しょうとくりょういき)です」

 

 私は即座に判断した。

 

 生得領域。

 術者が心象風景を具現化した空間。まだ完全な「領域展開」には至っていないようだが、それでも術式が付与されたテリトリーであることに変わりはない。

 

 ズズズ……ッ。

 

 不穏な音が響く。

 周囲の壁──赤煉瓦の壁面が、生き物のように波打ち始めた。

 壁から無数の「腕」のような突起が生え、こちらを圧殺しようと迫りくる。

 

「おっと、歓迎会だ」

 

「下がってください」

 

 私は一歩前に出ると、片手で刀印を結ぶ。

 

 『自流簡易領域・泥塔(でいとう)

 

 迫りくる赤煉瓦の波が、見えない壁に阻まれて砕け散った。

 

 敵の生得領域内は敵の腹の中も同然。必中こそないが、何処からでも攻撃が来る空間となる。そんな中相手の攻撃を凌ぐには単純に手数で対処するか、簡易領域などで術式を中和する必要がある。

 

 この簡易領域は、『鵺』での活動の中で学んだ技術を使い、編み出した自己流のものだ。

 安全圏に置いた分身に手印と不動の縛りをつけ、簡易領域を本体側に展開させる。

 

「へぇ……。簡単な手印のみでそれだけの強度を保つ簡易領域を展開できるのか」

 

 傍目から見れば、片手の刀印のみで発動したように見えるだろう。実際にはこの刀印は必要ないが。

 九京が感心したように口笛を吹く。

 私は軍刀(泥で作った模造品)を構え、迫りくる迷宮の奥を睨みつけた。

 

「さあ、攻略戦と参りましょうか」

 

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