【旧版】明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
第十二話:赫き廓、業の病
明治44年(1911年)、4月9日。
午後10時頃、浅草田町から出火した火災は、折からの強風に煽られ、瞬く間に吉原遊郭を飲み込んだ。
世に言う「吉原大火」である。
ガタガタと揺れる軍用トラックの荷台。
私と九京、そして増援として駆り出された抜刀隊の小隊が詰め込まれている。
──先発した抜刀隊は全滅。特級仮想怨霊の出現を確認。
幌の隙間から見える空は、不気味なほど赤く染まっていた。
すでに住民の避難は終わっているのか、あるいは逃げ遅れて灰になったか。通りに人の姿はない。
ただ、遊女たちの脂と化粧が燃える匂いだけが、風に乗って漂ってくる。
「……嫌な匂いだ」
私が
「焦げ臭いだけじゃない。独特の……甘ったるい腐臭がする」
「ええ。……嫌な予感がします」
私は眉をひそめ、こめかみを揉んだ。
頭が重い。
つい先程まで、浅草の地下水道で特級相手に死闘を繰り広げていたのだ。呪力は枯渇寸前、精神的にも摩耗している。
本来なら泥のように眠っている時間だというのに、上層部は人使いが荒すぎる。
(……イライラする)
丁寧な言葉遣いをする余裕もなくなりそうだ。
吉原遊郭。華やかな不夜城の裏には、常に「病」の影が付きまとっている。
梅毒、淋病、結核。
逃げられない檻の中で、女たちは身体を蝕まれ、誰にも知られず死んでいく。
(もし、今回の呪霊の核が「火」ではなく……「病」だとしたら?)
背筋が粟立つ。
私の術式『泥梨ノ園』は、泥を媒体に「私と同一の肉体」を生成する。
血管も、神経も、細胞も。オリジナルを模倣するがゆえに、生身の人間と同じように病に罹り、毒に侵されるという欠陥がある。
泥だから平気、という理屈は通じない。
「……九京さん。今回のは、不用意に近づかない方がいいですよ」
「同感だ。僕の術式が、『触れるな』って警告してる」
◆ ◆ ◆
トラックが止まる。
大門の前は、すでに地獄絵図だった。
建物は焼け落ち、辺り一面が赤い残り火に包まれている。
先行していた第一部隊の姿が見える。
だが、彼らは動いていない。
黒焦げの死体となって、路上の至る所に転がっていた。
「ひっ……なんだこれは……」
荷台から降りた増援の兵士たちが、息を呑む。
死体の損傷が異常だった。
外から焼かれたのではない。内側から溶け出し、爆ぜたような痕跡。
「遅れを取るな! 我々で化け物を討つぞ!」
恐怖を振り払うように、小隊長が軍刀を抜いて叫ぶ。
功名心か、あるいは正常性バイアスか。彼らはこちらを気にせず、炎の奥へと突撃していく。
その先には、十二単を纏った巨大な異形──
特級仮想怨霊『
美しい着物の柄に見えたものは、すべて赤黒い皮膚の爛れ。
吐き出す息は、猛毒の白煙。
「死ねぇぇッ!」
先頭の兵士が、呪霊の袖──揺らめく白い腕に斬りかかった。
刃が肉を裂く。
だが、噴き出したのは血ではなく、赤黒い膿のような体液だった。
「ぐあッ!?」
返り血を浴びた兵士が、悲鳴を上げて転げ回る。
浴びた箇所から瞬く間に赤い斑点が広がり、皮膚が爛れ、内側から発火したように煙を上げ始めた。
「熱い、熱いッ! 助けてくれぇ!!」
ものの数秒。
兵士はドロドロに溶けた肉塊となって崩れ落ちた。
(……やはりか)
私は冷静に、しかし戦慄と共にその光景を見つめる。
あれはただの熱傷じゃない。
呪いによる劇症型の感染症だ。
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
仲間が溶ける様を見た後続の兵士たちが、パニックに陥る。
そこに、まだ息のある感染者が、助けを求めて手を伸ばした。
「た、助け……おい、助けてくれ!」
「よ、寄るな! 来るなぁッ!」
半狂乱になった兵士が、すがりつく感染者を突き飛ばそうと手を触れる。
──その瞬間。
ジュッ。
触れた手のひらから、赤い斑点が爆発的に広がった。
「あ……あガァッ!?」
細菌兵器など生温い。触れれば即、伝染し、発症する。
助けようとした者、逃げようとしてぶつかった者。
恐怖で身を寄せ合った集団の中で、呪いの連鎖が爆発的に拡大していく。
「あがぁぁぁッ!?」
「熱い! 嫌だ、死にたくないッ!」
阿鼻叫喚。
抜刀隊は、敵に触れることすらできず、内側から崩壊した。
「……最悪の相性だね」
九京が眼鏡の縁を押さえながら、冷や汗を流す。
その時。
全身が斑点だらけになった兵士の一人が、こちらに気づいた。
「お、お前ら……鵺だろ……!? 助けろ! 治せぇッ!!」
理性を失った男が、九京に向かって全速力で走ってくる。
その手はドロドロに溶け、触れれば死を招く猛毒の塊と化している。
「げッ……!」
九京が顔を引きつらせる。
彼の身体能力では、パニック状態の軍人を振り切れない。
「……チッ」
私は舌打ちし、地面を蹴った。
身体が重い。残存呪力も心許ない。
だが、ここで
私は兵士と九京の間に割り込み、泥の壁を隆起させる。
「『
ドォン!
泥の壁に激突した兵士が、その衝撃で体液を撒き散らしながら崩れ落ちた。
壁が汚染され、赤く変色していく。
私は即座に術式を解除し、汚染された泥を廃棄した。
「……助かった。死ぬかと思った」
「高い貸しだぞ。出世払いで頼む」
私は油断なく呪霊を見据えたまま告げる。
もはや敬語を使う気力もない。
目の前には、死体の山を築いて嗤う花魁。
さて、どう殺す?