【旧版】明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
簡易領域の泥壁が、ジュワジュワと音を立てて溶解していく。
限界まで、あと数十秒。
(……この領域内で生きられるのは、この壁が保っている間だけ)
壁が破れれば、必中の腐食が私と九京を襲う。
『形代』によるダメージ転送も、分身が溶け尽くせば終わりだ。
ならば、
私一人なら、外部に残した簡易領域を維持している分身へ意識を飛ばせば助かる。
だが、それは九京を見捨てることを意味する。
私は、隣で荒い息を吐く少年を一瞥した。
九京綴。
そして、特務機関の内部事情に精通し、情報収集能力に長けている。
(……惜しいな)
私の目的は、この組織を利用し、のし上がること。
そのためには「手駒」が必要だ。
彼のような有用な人材、ここで使い捨てるには早すぎる。
引き込むなら、まずは彼からだ。
(──決着をつける)
私は覚悟を決めた。
物理的な武器は使えない。『分骨』で生成した骨肉の杭など、取り出した瞬間に領域の瘴気で腐り落ちるだろう。
ならば、純粋な呪力の奔流による一点突破。
遠距離からの狙撃で、核を撃ち抜くしかない。
「九京! 『核』の位置は!?」
「……捉えた! ど真ん中、心臓部だ!」
九京が血を吐くように叫ぶ。どうやら探査は継続して行っていたようだ。
その声に応え、私は意識を「分割」した。
──遠く離れた町の外。
大木の影に隠しておいた「分身」。
先程の『形代』によるダメージ転送で、その右腕はドロドロに溶解し、激痛に苛まれている。
私はその崩れかけた分身に、強制命令を送る。
動け。泥に戻るその最期の一瞬まで、私の手足として印を結べ。
分身の左手が、痙攣しながらも形を作る。
指を内側に絡ませ、親指と薬指、小指を合わせる。
『不動明王印』
火生三昧。あらゆる煩悩と穢れを焼き尽くす、不動の構え。
同時に、領域内の
人差し指を天へ向ける、最強の一点。
『独鈷印』。
二つの印が、空間を超えて共鳴する。
分身が練り上げた呪力が、パスを通って本体へと雪崩れ込む。
「クズレろォォォッ!!」
呪霊が呪力の高まりを悟り、肉の波となって押し寄せてくる。
遅い。
照準は定まった。
「『
私の呪力を、魔を祓う「龍の牙」へと変換する。
弓を引き絞り、牙を放つ。
──『
カッ!!!!
私の指先から、収束した呪力の閃光が放たれた。
それは物理的な矢ではない。純粋なエネルギーの一閃。
もはや儀式として成立するほどの工程を経て、ただの呪力放出は術式としての格を得る程だった。
腐食の瘴気を焼き払い、迫りくる肉の波を蒸発させ、一直線に呪霊の胸板へと突き刺さる。
「ガ、ァ……ッ!?」
九京が指定した一点。
そこに埋め込まれていた「核」を、呪力の光が貫通した。
パリーン、と。
世界が割れる音がした。
核を砕かれた呪霊が、体勢を維持できずに崩壊を始める。
同時に、周囲を覆っていた『
「九京、走れッ!」
領域ごと全て崩し潰す気だ。
私は呆然としている九京の襟首を掴み、崩れゆく紅い座敷の出口──亀裂の向こう側へと飛び込んだ。
◆ ◆ ◆
衝撃と熱風。
転がり出た先は、瓦礫の散乱する吉原の大通りだった。
空を見上げれば、白々と夜が明け始めている。
背後で、特級呪霊だったモノが、黒い塵となって朝の光に溶けていく。
「はぁ……はぁ……」
九京が大の字になって空を仰ぐ。
生きてる。五体満足で。
「……信じられない。あの領域から、生還するなんて」
「給料も貰わず、死ぬ気はないと言っていただろう」
私は乱れた呼吸を整え、髪をかきあげる。
右腕が痛む。転送しきれなかったダメージか、それとも術式酷使の反動か。
だが、安い代償だ。
「……ありがとう、夜永。君のおかげだ」
「礼なら、今後の働きで返してくれ。……これからもよろしく頼むよ?」
私は手を差し伸べる。
九京は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦笑してその手を取った。
「……君は素だとそんな感じなんだな」
燃え尽きた不夜城の中心で。
私たちは、泥だらけの手で