【旧版】明治生まれの特級呪術師は、泥人形の夢を見るか? 作:須川ユイ
第七話:帝都の地図、童の仮面
明治43年(1910年)、晩夏。
常磐線、上り列車。
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
一定のリズムで刻まれる鉄の音が、鼓膜を揺らす。
窓の隙間から入り込む煤の匂い。硬い木の座席。
三等客車の車内は、行商の荷物や出稼ぎ労働者たちの熱気でむせ返るようだった。
(……これが、文明の音か)
私は窓枠に頬杖をつき、夜の闇に鏡となって映る自分の顔を眺めた。
そこにいるのは、白磁の少女ではない。
薄汚れた
私は帽子の上から、頭を軽く押さえる。
肩下まである紺色の長髪は、きつくねじり上げて帽子の中に無理やり押し込んである。
動くたびに少し窮屈だが、解ける心配はないだろう。
これなら、パッと見は「生意気な
私は懐を探り、全財産の入った巾着の感触を確かめる。
へそくりの小銭と、いくつかの宝石。
当面の宿代くらいにはなるだろうが、一生遊んで暮らせる額ではない。
このまま無策で帝都に降り立てば、待っているのは野垂れ死にか、裏社会のドブさらいだ。
だが、勝算はある。
「さて、と」
私はおもむろに懐から、一枚の紙片を取り出した。
丁寧に折り畳まれた、新聞の切り抜き。
父の書斎からくすねておいた
『求ム、異能ノ者。帝都守護ノ任ニテ、衣食住ヲ保証ス』
差出人は、陸軍省の管轄部署。
簡潔すぎる文言だが、私にはそれだけで十分だった。
(陸軍省……異能とは恐らく呪術のことだろう。
この時代は違うらしい。
富国強兵、軍国主義の只中にある大日本帝国。
使えるものは「呪い」だろうと兵器として利用する。そんな軍部のなりふり構わぬ姿勢が透けて見える。
(ま、好都合だ)
利用される気はない。利用してやるのだ。
術式研究のための資金、設備、そして「公的な身分」。それらを手に入れるためのパトロンとして、政府というのは悪くない選択肢だ。
ピーーーッ!!
甲高い汽笛が鳴り響く。
列車が速度を落とし、巨大なプラットホームへと滑り込んでいく。
「上野〜、上野〜」
駅員のダミ声。
ドアが開いた瞬間、堰を切ったように人々が吐き出される。
北の玄関口、上野駅。
喧騒と怒号、そして欲望の坩堝。
私は人波に揉まれないよう、呪力強化した足で踏ん張り、ホームへと降り立った。
見上げれば、高い天井と鉄骨のアーチ。
そして──所々で蠢く、おびただしい数の
(……うわ、汚い)
思わず顔をしかめる。
人が多いということは、それだけ負の感情も多いということだ。
田舎の実家とは比較にならない「呪いの濃度」。
行き交う人々の肩に、背中に、小さな呪いがへばりついている。
帝都とは、巨大な呪いの培養槽のような場所らしい。
私は帽子のつばを下げ、早足で改札を抜けた。
◆ ◆ ◆
駅から出ると、そこはさらにカオスだった。
客待ちの人力車、物売りの屋台、浮浪者、巡査。
さて、まずは情報の裏取りだ。
チラシの住所は分かっているが、いきなり飛び込んで門前払いを食らうのは愚策。
現地の評判を聞いておく必要がある。
私は駅前の広場でたむろしている、数人の車夫たちに目をつけた。
彼らは街の毛細血管だ。地理と噂話に関しては、そこらの新聞記者より詳しい。
(……よし)
私は深呼吸を一つ。
表情筋を緩め、背中を少し丸める。
「冷徹な呪術師」の仮面を外し、「田舎から出てきた心細げな少年」の仮面を被る。
「あ、あのぅ……」
私はおずおずと、手近な車夫に声をかけた。
「おう、なんだい坊主。車かい? 生憎だが子供料金はねぇぞ」
「い、いえ。道をお聞きしたくて……。この場所なんですけど」
私は震える手で、新聞の切り抜きを見せる。
住所は、上野の山の裏手。
「あぁ? どれどれ……」
車夫は面倒くさそうに紙片を覗き込み──次の瞬間、露骨に顔をしかめた。
「おいおい……坊主、何しにこんなとこへ行くんだ?」
「え? 親戚が、ここで働いていると聞いたので……」
「よせよせ。悪いことは言わねぇ、帰んな」
車夫は気味悪そうに手を振った。
周りの車夫たちも、興味津々といった様子で集まってくる。
「なんだぁ? また『化け物屋敷』の客か?」
「へへっ、軍のトラックが夜な夜な何某かを運び込んでるって噂のアレか」
「こないだなんか、真夜中にすげぇ獣の叫び声が聞こえたって話だぜ。ありゃあ何かの実験施設じゃねぇのか?」
(……化け物屋敷。軍のトラック。獣の叫び声)
情報の宝庫だ。
一般市民からは完全に「怪しい施設」として認識されているらしい。
だが、それは逆に言えば「呪術的な活動」が活発に行われている証拠でもある。
「ひぃっ、そ、そんな怖い場所なんですか……!?」
私は大袈裟に肩を震わせてみせた。
「おうよ。近寄らねぇのが身のためだ。親戚ってのも何かの間違いじゃねぇか?」
「そ、そうかもしれません……! うぅ、怖かった……。ありがとうおじさん、僕、帰ります!」
私は涙目(演技)でぺこりと頭を下げ、逃げるようにその場を離れた。
背後から車夫たちの「田舎モンはこれだから」という笑い声が聞こえる。
路地裏に入り、人目がなくなった瞬間。
私は背筋を伸ばし、表情から怯えを消し去った。
「……
軍が関与し、夜な夜な奇声が上がる施設。
間違いなく、呪霊を用いた訓練か、あるいは研究が行われている。
私が求めていた環境だ。
「さて、場所と実態は割れた。あとは行くだけだが……」
私は鳴り始めた腹をさする。
まずは腹ごしらえだ。
これから重要な
「牛鍋でも食べようかな」
私はニヤリと笑い、帝都の雑踏へと消えていった。