機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ外伝 鉄屑の彼岸 作:ミニトレール
それでは本編どうぞ!
――朝
静かな呼吸音だけが満ちる、小さな個室。
重力制御のわずかな感覚と、船体の揺れにも似た微かな振動が、「ここがまだ現実だ」と教えてくれる。
リリンは――ゆっくりと目を開けた。
しばらく、天井を見つめる。
見慣れた天井じゃない。
見慣れた部屋じゃない。
けれど。
リリン(……生きてる)
胸の奥が、静かに温かくなった。
布団を押しのけ、ゆっくりと身体を起こす。
そこから――少し、苦戦が始まった。
リリン(……あれ。ボタン、これ……意外と固いんですね)
ドレスほど複雑ではない。
けれど、“誰かがやってくれていたこと”を自分でやるのは――慣れていない。
髪を結う手が、ほんの少し震える。
何度か、やり直す。
鏡の前で、きゅっと髪留めを結び直す。
リリン(……よし)
ほんの少し、不器用な仕上がり。
でも――自分で整えた“今日の姿”。
胸を小さく張り、扉に手を伸ばす。
ハッチが静かに開く。
廊下に出た瞬間――
リリン「あ」
少し離れた場所。
壁際に立つふたりが、こちらに目を向けた。
アンク。
シウバ。
リリンの表情が、ぱっと明るくなる。
リリン「――おはよう!アンク!シウバ!」
声は、驚くほど元気だった。
逃げている途中の身で。
命を狙われている状況で。
それでも、その声は“晴れて”いた。
アンクが瞬きを一つ。
それから、わずかに口元を緩める。
アンク「……おはようございます、リリン様」
シウバも、優しく微笑んで頭を下げる。
シウバ「おはようございます。よく眠れましたか?」
リリンは、少しだけ胸を張る。
リリン「はい。とても。……あの、ベッドが、想像以上にふかふかなので……」
言いかけて、少し照れて笑った。
シウバは柔らかく笑い、アンクはほんの少しだけ視線を和らげる。
そして――
リリン「あの……!」
少し勇気を振り絞るように。
それでも、ちゃんと前を見て。
リリン「フリーゲルの方へ……行っても、よろしいでしょうか?」
空気が、少しだけ動く。
アンクが、静かに瞬きをし――穏やかに首を振る。
アンク「駄目です」
その声は冷たくない。
むしろ――限りなく優しい拒絶。
アンク「ここは今、安全という言葉とは無縁の世界です。不用意に動けば、万が一の芽が増える」
諭すように、落ち着いた声で。
アンク「……俺たちは、あなたを守りたいんです。リリン様」
リリンは、少しだけ唇を噛む。
それでも――下を向かない。
リリン「わかっています。危険なことも……迷惑になることも」
それでも、と続ける。
リリン「でも――」
胸に手を当てる。
リリン「“守られているだけ”なのは……イヤなんです」
アンクの視線が、わずかに揺れた。
シウバは目を細める。
リリン「助けていただいて。守っていただいて。なのに、ただ閉じこもっているだけなんて――」
小さく息を吸う。
リリン「……“生きてる”って、言えない気がして」
それは、弱さを誤魔化す言葉じゃなかった。
“ちゃんと、自分の足で立ちたい”という、初めての意思。
静かになった空気の中で――
アンクは、小さく息を吐いた。
長い、深い、諦めたような――けれど優しい溜め息。
アンク「…………わかりました」
シウバが少し目を丸くする。
リリンは――ぱっと顔を上げた。
アンク「ただし」
すぐに、鋭さが戻る。
アンク「許可を取ります。こちらの独断にはしない」
リリン「はい!」
アンク「“短時間”です。“最低限の範囲”だけです」
リリン「はいっ!」
アンクは、肩を落としながらも微かに笑った。
アンク「……あちらに連絡を入れます。シウバ、同行を頼む」
シウバは力強く頷く。
シウバ「ああ。任せろ」
それから、リリンへ向き直る。
シウバ「行きましょう。リリン様」
リリンは――胸いっぱいに息を吸って。
リリン「はい!」
その笑顔は。
ただ守られる少女のそれではなく。
**“これから、この世界に踏み出す人間の顔”**だった。
数分後。
艦内の通信端末が、小さく電子音を鳴らした。
アンクが確認し――短く息を吐く。
アンク「……許可が下りました。――操縦士……ルカ殿からです」
リリンの顔がぱっと明るくなる。
リリン「本当ですか!?」
シウバは安心したように微笑んだ。
シウバ「話が早くて助かるな。じゃあ――行きましょうか、リリン様」
リリンは元気よく頷く。
リリン「はい!」
シウバが、壁に備え付けられたラックを開く。
ノーマルスーツが何着も並んでいた。
シウバ「まずは、こちらを」
リリンは――少し固まる。
リリン(……これを? 自分で?)
覚悟を決めて、手を伸ばす。
腕を通し。
脚を通し。
締め具を――
リリン「……あ、あれ? ここが……」
見た目以上に構造が複雑だった。
締める位置、固定ポイント、空気圧の調整。
あちこちで、わずかに噛み合わない。
リリン(…………難しい……!)
その様子を見てシウバは苦笑し――
シウバ「……失礼します、リリン様」
しゃがみ込み器用な手つきで固定パーツを締めていく。
装着を手伝われながら、リリンはほっぺたを少し赤くした。
リリン「あの……慣れていなくて、ごめんなさい」
シウバは首を横に振る。
シウバ「謝ることじゃありません。今まで、そんなことを“やらせてもらえない世界”にいたんですから」
優しく笑う。
シウバ「これから慣れていけばいいんです」
リリンは――その言葉に、胸が温かくなるのを感じた。
数分後。
ヘルメットのロックが、静かに締まる音。
シウバ「よし。……似合ってますよ、リリン様」
リリン「え……本当ですか?」
少し恥ずかしそうに笑い――
リリン「……ありがとうございます」
二人はモビルワーカーへ乗り込む。
狭いコクピットに並ぶ座席。
リリンは後部座席に体を固定される。
シウバ「それでは行きます。リリン様、しっかりと掴まっていてください」
リリン「はい!」
短い加速。
人工重力とスラスターの違和感が、身体を揺らす。
――視界の先に、フリーゲルが見えてくる。
無骨で、ごつくて。
でも、どこか温かい居場所のように感じた。
やがて。
フリーゲルのハッチ前に到達。
シウバが通信を開く。
シウバ「こちらシウバ・ローク。フリーゲル――入港許可を」
すぐに応答。
ルカ《――了解。来客用ハッチを開放する》
重たい機構音。
外壁が割れ、ハッチが開く。
誘導灯が点滅し、進路が描かれる。
モビルワーカーが、ゆっくりと内部へ――
来客用格納庫。
既に数人が待っていた。
整備班長――セドリック。
横でタブレットを持って指示を飛ばすペトラ。
工具を肩に担いだマーク。
そして。
――何故かナルドがいる。
ペトラがちらっと横を見る。
ペトラ「……で、なんであんたまで来てんの?」
ナルド「いや、別に?手が空いたから、たまたま?的な?」
目を逸らしながら。
マークはあからさまにジト目だった。
マーク「“めちゃくちゃ綺麗な子らしい”って噂聞いてから急に“整備の勉強”とか言い始めた奴がいたけどな〜」
ナルド「おいマーク今ここで言うことじゃねぇだろ!?」
ペトラは呆れ顔ナルドを見つめる。
ペトラ「……最低ね」
セドリック「仕事しろ」
ナルド「してるしてるしてる!!」
そのやり取りに――
ちょうど入ってきたモビルワーカーの操縦席で、シウバが小さく笑った。
シウバ(……いい艦だな、ここ)
格納脚が降りる。
スラスター停止。
固定マグロックが作動し――
完全停止。
モビルワーカーのハッチが開く。
四人が近づいてくる。
視線が。
自然に――後部座席の少女の方に向く。
ほんの一瞬、空気が柔らかくなる。
ペトラ「……綺麗」
マーク「なんか……“貴族のお姫様”って本当にいたんだな……」
ナルド(ガチで綺麗じゃねぇか……!!!)
もちろん、それを口には出さない。
その“空気の緩み”を――
セドリックが小さく息を吐いて受け止めた。
セドリック(……まぁ、いいか。こういう空気があっても)
彼女は傷つける存在じゃない。
“守られる側”であり――
“誰かの未来をつなぐ存在”。
だから――
今は、迎えればいい。
セドリックは歩み出る。
セドリック「――ようこそ、フリーゲルへ」
その言葉は堅苦しくなく。
だけど、ちゃんと敬意と優しさが込められていた。
モビルワーカーから降りたあと――シウバの通信端末が、軽い電子音を鳴らした。
短く確認し、息を吐く。
シウバ「――アンクからです」
リリンが、ぱっと顔を向ける。
シウバ「“朝食はフリーゲルで食べて構わない”そうです。医務と艦橋にも共有済み。……堂々としていていいそうですよ」
リリンの瞳が――弾ける。
リリン「……本当ですか!?」
ぱあっと、子どものように笑顔が咲いた。
リリン「じゃあ……!じゃあ、すぐに行ってみたいです!」
シウバは、その笑顔に少しだけ和らぎながら頷く。
シウバ「では――食堂までご案内します。慣れない艦ですから、危険な――」
その時だった。
ナルド「――ここは!」
勢いよく胸を張って前に出る男、一名。
ナルド「このナルド・ヴェインにお任せくださいませ、お嬢さん!」
セドリック「……」
ペトラ「……」
マーク「……」
整備班三名、同時に引く。
空気がとても静かになる。
ナルドは構わず、爽やかぶった笑顔を貼り付けた。
ナルド「案内なら完璧ですとも!フリーゲルのことなら、どの廊下も、どのハッチも――全部ばっちりです!」
完全に下心満載。
だが――リリンは純粋な笑顔で見上げている。
リリン(……この方も、優しい人なんですね)
全く察していない。
シウバは――笑った。
笑顔だが、目は一切笑っていない。
シウバ「ありがたい申し出ですが――ナルド殿」
一歩前に出る。
シウバ「“私が付き添いますので”」
声は柔らかい。
しかし、それは“護衛として絶対に譲らない”声 だった。
シウバ「大丈夫です」
ニコッ。
ナルド「…………ッ!」
背筋が固まる。
汗が、ひと筋。
ナルド(完全に“殺す一歩手前の顔”じゃねぇかこれ……!)
整備班三人、心の中で拍手。
セドリック(……プロだな)
ペトラ(怖~……)
マーク(護衛ってああいう顔するんだな……)
だが、そのまま終わらなかった。
リリンが――シウバの袖を、ちょん、とつまむ。
リリン「シウバ」
シウバ「……リリン様?」
リリンは、少しだけ困ったように微笑む。
しかし、その笑顔は――優しい。
リリン「私……」
一瞬だけ迷って――
リリン「ナルドさんに案内していただきたいです」
ニコッ。
天使の笑顔。
破壊力SSS級。
ナルド「えっ」
シウバ「…………」
リリンは続ける。
リリン「さっき、整備の皆さんが――」
少し照れながら、胸に手を当てる。
リリン「“歓迎してくれた人”の案内がいいです」
ただ、それだけ。
悪意なんて欠片もない。
“誰かの好意を、ちゃんと信じる人間の言葉”。
ナルドは――
ナルド(ああああああああこの子マジで良い子だああああああ!!)
完全に撃沈。
顔が真っ赤。
シウバは、一瞬だけ黙り――
小さく息を吐いた。
シウバ「……ナルド殿」
笑顔で。
しかし、護衛としての圧を“ほんの少しだけ”残して。
シウバ「“任せても、いいですね?”」
ナルド、全力で背筋を伸ばし――
ナルド「――任せろ!!」
男の声だった。
さっきまでの軽い調子は消えて。
ナルド「俺が案内する。絶対に迷わせねぇし――危険にも近づけねぇ」
リリンは嬉しそうに笑う。
リリン「よろしくお願いしますね、ナルドさん」
ナルド「あ……ああ!」
声が裏返りそうになり、慌てて飲み込む。
セドリックが肩を竦める。
セドリック「……まぁ、あれなら大丈夫だろ」
ペトラ「“見栄張る男”の顔になったね」
マーク「人類は天使に弱いってどこかで聞いた」
シウバは――
静かに見守る位置で、一歩下がる。
護衛としてではなく。
“彼女の自由を、少しだけ許せた大人”の顔で。
シウバ「……では、行きましょう。食堂は、きっと賑やかですよ」
リリン「はい!」
そして――
フリーゲルの“日常”へ。
リリンはまた、一歩踏み込んでいく。
フリーゲルの食堂は――朝から、静かじゃなかった。
笑い声。
喧嘩みたいな言い合い。
誰かが椅子を引きずる音。
「ちゃんと野菜も取って!」
「肉増やせ!」
「お前は黙れ!」
そんな声が入り混じる。
それは賑やかで。
でも、どこか――無理やり「いつもの朝」に戻ろうとしてる空気だった。
リリンが一歩足を踏み入れた瞬間――
空気が、ほんの少しだけ止まる。
視線が集まる。
貴族の娘、“騒動の原因と結果”。
見下す目はない。
敵視もない。
ただ――“どう扱えばいいか分からない”空気。
ナルドが前に出ようとした瞬間、
ミア「あっ」
先に走ってきたのは、ミアだった。
ミア「おはようございます!」
屈託のない笑顔。
それは、「ようこそ」と言える強さを持った人間の笑顔だった。
リリンは一瞬きょとんとしたあと――ふわりと微笑む。
リリン「おはようございます。……お邪魔します」
ミアは首を横に振る。
ミア「“お邪魔します”じゃなくて。“いただきます”、です」
リリンの目が、少し丸くなる。
ミア「ここで一緒にご飯を食べるってことは、――もう“お客さん”じゃありませんから」
優しい声。
でも、その奥に“守らなきゃ”って責任が少しだけ乗ってる。
それを察したのは、リリンじゃなく――シウバだった。
ほんの一瞬、彼は目を伏せて息を吐く。
シウバ(……ありがたい)
ミアが手を引く。
ミア「席、こっち!」
引っ張られた場所は――ちょうど皆からよく見える、でも囲まれすぎない位置。
座った瞬間。
フェル「おいナルド、ちゃんとエスコートしろよ?紳士が聞いて呆れるぜ」
ナルド「うるせぇ黙れ!!」
食堂に笑いが弾ける。
固まってた空気が――少しずつ、崩れていく。
ペトラ「まぁでも……かわいいね。なんか“守りたくなるタイプ”っていうか」
リリン「っ」
顔が少し赤くなる。
マーク「分かる」
セドリック「分かるな」
ナルド「分かる!!!」
全員にジト目を向けられる。
ナルド「なんでだよ!!?」
ミア「声がデカい」
そこへ――
料理を乗せたトレイが、コトン、と静かに置かれた。
音は小さい。
でも、その動作は迷いなく丁寧だった。
リリンが顔を上げる。
そこにいたのは、栗色の髪を後ろで結んだ少女。
年齢は、自分とそう変わらないくらい。
でも――目の奥にだけ、年齢以上の影がある。
シア「……はい。朝ごはん、できました」
優しい声。
だけど少しだけ――“緊張してる声”。
周囲の視線を、一瞬だけ気にするように横目で見てから、リリンの前へそっとトレイを押し出す。
シア「遠慮……しなくていいです。ここにいる限り、皆さんと同じ“乗組員”ですから」
それは気づけば――“歓迎の言葉”だった。
リリンは一瞬だけ目を丸くして――胸の奥が、ふわっと温かくなる。
リリン「……ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。
その視線が真正面から向けられた瞬間、シアの肩が、ほんの僅かだけ――緩んだ。
シア(……よかった)
“変な目で見られていない”。
“ただの一人として見てもらえた”。
その事実が、少しだけ彼女を救う。
シアは、ふっと柔らかく微笑んだ。
シア「たくさんは食べられなくてもいいです。でも……“ちゃんと味わって”くださいね」
それは、ただの料理担当の言葉じゃなかった。
“ここにいる人間は、生きるために食べてる”
――その想いを知ってる人の言葉。
リリンは、胸の奥でそれを受け止める。
リリン「はい。……いただきます」
シアは小さく頷いて、少し照れたように視線を逸らし――静かに持ち場へ戻っていった。
食堂のざわめきが、少しだけ優しくなる。
リリンの席の前に――温かい湯気の立つ朝食があった。
ミア「はい、いただきます!」
リリン「……いただきます」
スプーンを取り、――そして気づく。
周りのみんなの背中。
特定の数人だけ。
硬い金属の突起。
皮膚に直接埋め込まれたような――不自然な器具。
最初は、ただの機械の一部かと思った。
でも、違う。
それは――“体の一部にされた物”。
リリン「……あの」
気づいた瞬間、言っていた。
食堂が――微かに揺らぐ。
問いの矛先は、近くに座っていた少年。
ノア「ん?」
リリンは、少しだけ申し訳なさそうに。
でも、まっすぐに。
リリン「その……背中の、それは……皆さん、同じものを……?」
“悪意のない質問”。
“知らない世界から来た少女”の疑問。
ノアは笑おうとした。
でも、笑い切れなかった。
ノア「あー……これは、“阿頼耶識”って言ってね」
隣のミアが、箸を止める。
ガルが眉をしかめる。
ナルドは、一瞬だけ黙る。
ノア「簡単に言うと……戦うために“人間を機械に近づけるためのもの”」
軽く言おうとして、失敗してる声。
ノア「成功すれば――速く動けて、でも、死んだり、体が動かなくなるやつも多い」
リリンの瞳が――揺れた。
ノアは続ける。
ノア「俺ら、元デブリだから“戦える道具”じゃないと、生きる場所なかったから」
静かになった食堂。
誰も、“暗くしようとしてるわけじゃない”。
でも、避けられない現実。
リリンの胸が、ぎゅっと締め付けられる。
リリン(……知らなかった)
“父の世界”にはなかった場所。
“守られてた世界”では見えなかった現実。
ナルドが肩で笑う。
ナルド「まぁでも――」
ノアの頭をぐしゃぐしゃに撫でる。
ノア「やめろ!」
ナルド「こうして飯食えてんだから、悪くねぇよ」
ミアも笑う。
ミア「そう。生きてるなら――勝ちです」
その言葉は軽くない。
“死にかけたことがある人間の言葉”。
リリンは――俯きそうになった顔を、上げた。
そして、小さく頭を下げた。
リリン「……教えてくれて、ありがとうございます」
真剣な声。
リリン「知らないままでいたら、私は……“綺麗な世界だけが本物”だと思うままでした」
静かな言葉。
ミアが、少しだけ目を見開く。
ナルドが口を止める。
シウバは――遠くから、静かにその横顔を見ていた。
リリンは微笑む。
リリン「皆さんが――ここで笑っている理由を、ちゃんと知れた気がします」
ほんの少しだけ、強くなった笑顔。
食堂の空気が――優しくなる。
ミア「……ほんっと、いい子だね」
ナルド「天使だ……」
セドリック「お前は一旦黙ってろ」
笑い声が戻る。
でも――
さっきより、ずっと自然に。
“ただの騒がしい食堂”に戻っていく。
そしてリリンは――その中に、ちゃんと座っていた。
ただの客じゃない。
ただの“守られる存在”でもない。
少しずつ、“仲間側の席”へ。
食堂の喧騒が、少しだけ遠のいていく。
席を離れたリリンは、ユノに案内され、壁際の、少し奥まったテーブルへと移動していた。
そこは、賑やかな中心とは違う。
落ち着いた声しか届かない、“静かな場所”。
ユノは向かいに座り、淡く微笑む。
ユノ「……食べられましたか?」
リリンは小さく頷く。
リリン「はい。とても……温かくて」
言いながら気づく。
“味”じゃない。
“温度”の方を、真っ先に思い出している自分に。
ユノは、それに気づいたように、優しく目を細めた。
ユノ「シアのご飯は、“怖い時ほど優しい”んです」
リリンは、一瞬だけ息を呑んだ。
リリン(怖い時ほど――優しい)
その言葉の意味を、まだ全ては理解できないけれど。
胸に、そっと沈んでいく。
その時――
ユノ「やっぱりいた」
柔らかい声。
テーブルの横から、ススス、と小柄な影が顔を出した。
ユノが目を瞬かせる。
ユノ「ルゥ」
銀灰色のショートヘアで、年は……まだ幼い。
けれど、鋭く観察するような視線をしている。
ルゥ「邪魔……?」
ユノ「いえ。まったく」
ルゥはコクリと頷き、当たり前のようにリリンの隣へ座った。
リリンは少しだけ驚き――けれど、逃げることはしなかった。
ルゥはじっとリリンを見る。
言葉を探すでもなく、遠慮するでもなく、ただ――真正面から見る。
そして、問いは唐突だった。
ルゥ「今、怖い?」
リリン「――え?」
思考が一瞬止まる。
ユノが小さく息を飲んだ。
ユノ「ルゥ、もう少し――言い方を」
けれどルゥは首を横に振る。
ルゥ「違う。必要な質問」
リリンは――笑えなかった。
でも、逃げなかった。
少しだけ目を伏せて、胸の奥を探る。
そして――正直に言った。
リリン「……まだ、ちゃんと怖がれていない気がします」
ルゥの指が、ほんの少し動いた。
ノアは何も言わない。
ただ、聞く。
リリン「“お父さまがいない”ことも“狙われている”ことも“ここが戦う人たちの場所”であることも」
リリン「全部……現実なのに。まだどこかで、“夢みたい”で」
息を小さく吐く。
リリン「だから――皆さんみたいに、“強くない”んです」
ルゥの眉が少しだけ動いた。
ユノは……静かに微笑んだ。
ユノ「強さって、“ちゃんと怖がれること”じゃないですよ」
リリンが顔を上げる。
ユノ「怖いって言えること。分からないって言えること」
ユノ「それも、ちゃんと“生きてる”って証拠です」
ルゥがぽつりと。
ルゥ「それに――“まだ”って言える人は……強い」
リリンは目を瞬かせる。
ルゥは続ける。
ルゥ「“もうダメだ”って言った人は止まったまま終わる。でも、“まだ”って言った人は……進む」
それは子供の言葉なのに。
子供だからこそ――嘘がない。
ユノが少しだけ微笑う。
ユノ「ルゥは……こう見えて、すごく優しいんです」
ルゥ「事実言ってるだけ」
ユノ「はいはい」
二人のやりとりに、リリンは――初めて小さく笑った。
その笑顔を見て、隣の席から小さく手を振る影があった。
シアだ。
視線が合う。
シアはリリンに向かって、“何も言わず”――ただ、安心したように笑った。
リリンの胸が、また少しだけ温かくなる。
リリン(……ここはただ怖い場所じゃない)
リリン(“生きようとしてる人たちがいる場所”――)
その想いが、静かに胸に根を下ろしていった。
決して交わるはずのなかった存在が――静かに、同じ時を歩き始める。
それでは次回もお楽しみに!