第1話 入学式
狡噛慎也、年齢15歳。彼は、バスに揺られながら窓の外の景色を眺めていた。今まで、全てが白で包まれた空間の中に、歳の数と同じだけ過ごしてきた彼は、何を思うのだろうか。
「………………」
家というものを初めて見た。木というものを初めて見た。今自分が乗っているバスも初めて見たし、初めて乗った。全てが『初めて』の景色、体験。彼自身、知らないうちにうっすらと笑っていた。未知の世界に心躍っていたのだ。知識だけ詰め込んでも仕方がない。こうして目で見て、身体で体験する事に意味があるのだと、15年の月日を経て学習した。
「楽しいか………?」
後ろの席から声を掛けてきたのは、同じくホワイトルーム生であり、その中でも最高傑作。15年共に過ごしてきた、家族のような存在、綾小路清隆である。
「何故そんなことを聞くんだ?」
「お前が笑っていたからだ、慎也」
綾小路に笑っていることを指摘されて、狡噛は自分の手を顔に当てて確認する。それでやっと、自分の口角が上がっていることを自覚した。
「そういうお前はどうなんだ?外の景色は?」
「……まだ戸惑いが多い」
綾小路も狡噛と同じく窓の外を眺める。狡噛は思う。ホワイトルーム最高傑作と呼ばれた彼の目には、外の世界がどう映っているのだろうか。感激しているのだろうか?それとも失望しているのだろうか?それは綾小路にしか分からない。自分達は今まで、あの白い部屋が全てだった。自分達の思っていた世界は、実際の世界からしてみれば極小の点でしかなかった。
「俺もお前も、慣れるのに時間が掛かるな」
「そうだな………」
その後は会話はなく、綾小路と狡噛は、ただバスに揺られながら目的地へと向かっていた。
しばらく景色の変わりゆく街の様子を眺めていると、バスの搭乗客が段々と増えてきた。乗り合わせたほとんどの乗客は、綾小路、狡噛と同じく高校の制服を身にまとった者たちである。だがそのバスの中で、誰かが声を発した。
「そこの君、席を譲ってあげようとは思わないの?」
狡噛はその声が聞こえた方向に顔を向けた。このバスの中央の部分、OL風の女性が、優先座席に座っている金髪の青年に声を掛けているようだ。OL風の女性の横には年寄りの老婆が立っていた。なるほど、段々と理解した。どうやらOL風の女性は、老婆を優先座席に座らせてやりたいようだ。
「実にクレイジーな質問だねぇ」
その青年は、素直に従うことはなかった。足を組み直し、ニヤッと笑っていたのだ。
「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい?どこにも理由はないが」
「君が座っているのは優先座席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」
「理解できないねぇ。優先座席は優先席であって、法的な義務は存在しない。若者だから席を譲る?ハハハ、実にナンセンスだねぇ」
狡噛慎也が思う金髪の青年の第一印象は、「変な奴」であった。それはまさに喋り方。高校生らしくない喋り方の上、日本語と英語が混在している。
(いや、あれが日本の高校生の喋り方なのか………?)
まだ外の世界に来て間もない狡噛は、高校生の基準が金髪の青年になろうとしていた。しばらく様子を見ていたが、金髪の青年は席を譲るつもりはなく、イヤホンをつけて自分の世界に入ってしまった。確かに優先座席を老婆に譲るという義務はない。義務はないが、狡噛は見ていられず、席から立ち上がった。
「婆さん、ここに座ってくれ」
「ありがとうございます」
狡噛は老婆に席を譲った。老婆は狡噛に頭を下げると、狡噛が座っていた席にゆっくりと腰掛けた。OL風の女性も、狡噛に「ありがとう」と感謝した。その様子を、綾小路はじっと眺めていた。その視線に気付いたのか、狡噛は「どうした?」と視線を送ったが、綾小路は視線を切って外の景色を眺め始めた。狡噛は特に気にすることなく、目的地に辿り着くまで立って、過ごしていた。
目的地に着いた狡噛と綾小路はバスを降りると、最初に目にしたのは大きな門。二人の後ろから、続々と生徒達がこの門をくぐり抜けていく。東京都高度育成高等学校。日本政府が作り上げた、未来を支えていく若者の育成を目的とした学校。今日から狡噛と綾小路が通う場所である。初めての学校生活。胸の高鳴りを微かに感じている。綾小路と狡噛は互いに顔を見合わせ、軽く頷いた。そして、一緒に一歩を踏み出した。門をくぐり、階段を登ると、大勢の生徒が掲示板らしき物に集まっていた。どうやら自分たちの所属するクラスがあそこに貼られているのだろう。狡噛も綾小路も、自分のクラスが何処なのかを確認する。
(俺は…………Aクラスか)
どうやら狡噛はAクラスに配属されたようだ。狡噛は、自分のクラスを確認した後、綾小路の名前を探していたが、Aクラスに名は無かった。
「慎也はAクラスか………」
「清隆、お前は何処だ?」
「Dクラスだ」
クラスはAからDまで存在しており、綾小路はDクラスに配属されたようだ。同じクラスにならなかった事を少し残念に思いながらも、二人は校舎へと移動を開始する。
「なぁ慎也」
「どうした?」
「俺はこの3年間を大切にしたい。だから極力目立たず、事なかれ主義として過ごしていたい」
「同感だな」
卒業するとまたあの施設に逆戻りになる。もう二度と、外の世界を拝む事は出来ないだろう。ならば、この3年間は自由に過ごしたい。
「極力互いに干渉しない事にしよう」
「別に構わない。だが、何か助けがいる時は言ってくれ。まぁ、お前に助けなんて要らないだろうけどな」
校舎に入った二人は上履きに履き替えて、それぞれのクラスに向かって歩き始めた。だが狡噛は、すぐにAクラスに向かわずに、校内を探索する事にした。正確な時間はまだまだ分からないが、まだ10分ほど時間はあった筈だ。階段を登らず、長い廊下を歩いて行く。廊下に取り付けられた窓からは、桜の木が見える。美しいと狡噛は思った。自分の真っ白な世界が彩られていく感覚を覚える。これを目にしただけでも、外へ来た価値はあったのだ。
「新入生か?」
廊下で立ち尽くす狡噛に声を掛けてきたのは、眼鏡をかけた男子生徒。どこか人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているその男子生徒は、狡噛に向かって歩いて来た。
「アンタもそうなのか?」
「いや、俺は新入生ではない。3年生だ」
「すみません。先輩とは知らずに、失礼な態度を取りました」
目の前の男は、自分よりも2つ上の学年であったようだ。狡噛はポケットから手を出し、頭を下げて先程の発言を謝罪した。
「いや、気にするな」
男は、狡噛の態度を咎めることは無く、狡噛の態度に気にする様子も見られなかった。
「先輩は、俺に何の用でしょうか?」
「用というほどではない。廊下で立ち尽くしていたから、気になって声を掛けただけだ」
「そうですか。俺はただ桜を見ていました」
狡噛は視線を窓の外に向けると、男も狡噛と同じ方向を向いた。満開に咲く桜の花。風が吹くと、桜の花が窓から入ってきて廊下に落ちてきた。その桜の花びらを拾う狡噛。その様子をただジッと見つめる男は、フッと笑った。
「まるで、桜を見た事がない様子だな」
「………いえ、俺がいた所は、あまり桜が見れなかったものですから」
狡噛は咄嗟に考えついた嘘を吐いた。実際は、ここに来るまで桜なんて一回も見た事がなかったのだ。
「そろそろ自分のクラスに向かった方がいいだろう」
先輩は、自分のポケットからスマホを取り出して時間を確認していた。
「はい、そうします。失礼します先輩」
「俺の名前は堀北学だ。狡噛慎也」
その瞬間、狡噛は耳を疑った。立ち去ろうとした足を止めた理由は、今さっき会ったばかりの男が、何故自分の名前を知っているのか。狡噛は目の前の男を警戒した。
「何故、名前を?」
「俺はこの学校の生徒会長だ。新入生の情報は生徒会にも降りてくる。すでに生徒の情報には全て目を通している。その中でも、特に面白そうな生徒はより記憶している。期待しているぞ、狡噛」
堀北学という男は、狡噛の横を通り過ぎ、そのまま何処かへ行ってしまった。
「……………」
先程の堀北学の言葉で気になる単語があった。それは「期待」。一体何に期待すると言うのか。狡噛は考えるが、それはほんの数秒のこと。考えても答えが出ないので無駄と判断して、狡噛はAクラスを目指した。
Aクラスに辿り着いた狡噛は、すぐには中に入らず、入り口で立ち止まっていた。この扉の向こうで新たな出会いがあるのか。自分とは違い、外の世界で生きてきた者たちが。果たして、自分はそんな者たちとコミュニケーションをとることが出来るのだろうか。
「中に入らないのですか?」
後ろから可愛らしい声が聞こえて来た。狡噛が後ろを振り向く。クリーム色に近い髪の毛、目の下に特徴的なホクロ、誰もが認める容姿の優れた美少女が立っていた。美少女は中に入りたそうにしていた。
「ああ、すまない。すぐに入る」
「もしかして、緊張なさっているのですか?」
「そんな所だ」
これっぽっちも緊張はしていないのだが、目の前の女子生徒との会話を合わせる為、狡噛はそう口にした。
「フフッ、可愛いですね」
「?」
意味が分からない。自分の今の言葉の何処に、可愛い要素があったのだろうか。怪訝な顔をする狡噛に、その美少女はニコッと微笑んだ。よく分からないが、とりあえず中に入ろうと思った狡噛は、扉を開けてAクラスに入室する。すると、席に座っていた者たちが、一斉に狡噛に視線を向ける。それに気付いていた狡噛だが、無視して黒板に貼られている自分の席の位置を確認する。
(俺は………後ろの席か)
狡噛の席は、廊下側から数えて3列目の一番後ろの席だった。教卓の目の前じゃなくて良かったとホッとする狡噛である。狡噛は席を確認したのち、スタスタと自分の席に着席した。座る狡噛に向けられる視線、主に女子生徒が8割、男子生徒が2割といったところか。特に気になるのが、杖を持っている小柄な少女。足にハンディキャップを背負っているのだろうか。こちらを値踏みするかのように、ただジッと見つめてくる。
「あら?お隣同士ですね」
横から声がした。こちらに微笑んで来たのは、先程廊下であった美少女だ。偶然にも二人は隣同士の席であった。
「そうだな、これからよろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
狡噛はその女子生徒に軽く挨拶をする。それに対して向こうはペコリとお辞儀をした。時計の針がホームルームの時間になり、チャイムが鳴る。それと同時に一人の男性が入って来た。その男性は、教卓に立ち、生徒たちを端から端まで見ているようだった。
「諸君、入学おめでとう。私がこのAクラスの担任になる真嶋智也だ。よろしく」
歳は30くらいの男性、見た目は真面目、そして堅物といった感じだろうか。狡噛は自分の担任になる真嶋に軽く頭を下げた。
「この学校には学年ごとのクラス替えは存在しない。卒業までの3年間、私が担任として君達全員と学ぶことになると思う。今から1時間後に入学式が体育館で行われるが、その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらう」
前から配れた資料を受け取って、狡噛は目を通す。この学校には特殊なルールが存在する。その一つとして、この学校に通う生徒はすべて、敷地内にある寮で生活しなければならない。そして外部との連絡は一切禁止。当然、敷地外に出ることも許されない。ただしその反面、遊びが充実している。カラオケ、映画館、カフェ、その他諸々。
「……………」
この資料は入学前に配られたものであり、ここにくるまでにある程度は目を通してある。そして、この学校最大の特徴としては、
「今から配る学生証カード。それを使えば、敷地内にある全ての施設を利用できたり、売店などで商品を購入できる。ただしポイントを消費することになるので注意が必要だ。そして、学校においてこのポイントで買えないものはない。学校の敷地内にあるものなら、なんでも購入可能だ」
「……………」
「施設では機械にこの学生証を通すか、提示することで利用可能となっている。それから、ポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。お前たち全員、平等に10万ポイントが支給されている筈だ。なお、1ポイントは1円の価値と同等だ。説明はこれで以上とする」
教室がざわつきだす。この学校に入学したばかりなのに、自分たちの財布には、10万円が支給されているという事実。高校生に与える金額としては大きいのではないかと狡噛は考える。そして、気になるのは真嶋先生が話していた内容。
「何か質問があれば後で職員室まで来てくれ」
そう言って真嶋は教室から出て行った。狡噛は、配られた資料のSシステムという部分のページを机に広げて、それを見つめていた。
(このシステム、かなり怪しいな………)
この教室には40人の生徒がいる。他の1年生のB、C、Dクラスも同じ人数と考えると、40×4=160人。そして、その全員に10万ポイントが配られたら1600万ポイント、ポイントは円と同等と言っていたので1600万円になる。ふざけていると言う他ない。それに、真嶋先生は………。
「みんな、少し良いだろうか?」
狡噛の思考を中断させたのは、身長が高くてスキンヘッドな学生。席から立ち上がり、クラス全体に向かって何か言うようだ。
「3年間共に過ごす仲間として、自己紹介をしようじゃないか」
「じゃあ、僕からですね。僕はー」
狡噛から向かって左前から順番に自己紹介が始まった。自己紹介は一番重要だと綾小路と話していた。ここでミスると、後々の友人作りに苦労するだろうと。こんな事もあろうかと、事前に言う事を決めていた。ようやく狡噛の番になった。椅子から立ち上がる。
「俺の名前は狡噛慎也だ。好きな事は読書だ。これから3年間、よろしく頼む」
短い紹介だったが、パチパチとクラスメイトからの拍手が飛んで来た。どうやら自己紹介は成功したようだ。綾小路の方はどうなのだろうか。上手くやれただろうか。自己紹介は滞りなく終わると、皆は体育館に向かう為にクラスから退室していく。狡噛も例に漏れず、教室を出ようとすると、
「なぁ狡噛、俺と一緒に行こうぜ」
後ろからフランクに話し掛けて来たのは、同じクラスメイトの一人、橋本正義だった。
「構わない、一緒に行こうか橋本」
最初は誰もがよそよそしくなると思うが、橋本は最初から友人だったかの様に話し掛けて来た。これには勇気がいる行動だ。狡噛は橋本の提案をすぐに受け入れる。
「なぁ狡噛、俺は思うんだよ。この学校の女子ってレベルが高くないか?」
「確かにそうだな」
今まで学校に通ったことがないから、女子のレベルがどうこう言われても分からない。しかし、隣の席の白石やその他のクラスメイトは、容姿が優れていた。
「お前の隣の白石なんか、マジ美少女だよな」
「橋本、入学初日から早くも狙いを定めているのか?」
そんなたわいもない事を話しながら、狡噛達は体育館へと足を運んだ。
入学式、狡噛慎也にとっては初めての体験。だが特段驚く事は何も無かった。校長先生が祝辞を述べた。内容としては生徒達に成長を促す話であった。
「次は、堀北学生徒会長からのお言葉です」
壇上に立つのは、つい1時間前に廊下であった堀北学だった。堀北学は、新入生に激励の言葉をかけた。これも成長を促すような話であった。そして狡噛は、堀北学が話している時、確かに彼と目が合った。だがそれは一瞬の事、堀北学の言う「期待」とは一体なんなのだろうか。
今日の日程はこれでお終いだ。さてどうするか、狡噛は悩んでいた。とりあえず街を見に行くのか、それとも寮に直行するのか。狡噛は校舎を背にして立ち尽くしていた。
「そこの悩める若人よ」
「?」
狡噛は後ろを振り返ると、女子生徒が立っていた。
「お前は………」
「悩める狡噛慎也よ。この藍ちゃん仙人に話してみなされ。さすれば、貴方の悩みはドカーンと吹き飛ぶであろう」
この女子生徒を狡噛は知っている。同じAクラスの生徒、名前は森下藍。というかそれよりも気になることがある。
「なんで擬音がドカーンなんだ?爆発してないか?」
「この仙人に口答えするか、狡噛慎也には天罰が降るであろう」
森下はコチラに向かって手を合わせてきた。それと何かブツブツ言っている。なんなんだコイツは?と思っていた狡噛だが、少しこの茶番に付き合う事にした。
「仙人、俺は今から街を見てまわるか、それとも寮に帰るか悩んでいたんだ。教えてくれ仙人」
「なるほどなるほど………バカじゃないですか狡噛慎也。そんなの街を見てから寮に帰れば良いでしょう」
「……………………」
なんか普通に馬鹿にされてしまった。先程の仙人真似をやめて、流暢に話し始めた。腹が立つなコイツ。
「それに、寮に帰っても日用品が揃っているとは限りませんよ。夕食はどうするんですか?」
「なるほど………」
森下の言う事は一理ある。日用品もそうだが、夕飯はどうしようか。料理をした事がないから、満足いく結果にはならないだろう。ならば外で食べるのが良いのか。それも考えながら街を歩こう。
「礼を言う森下、お前に悩みを打ち明けてよかった」
「そうですか、それはよかった。では……」
森下は狡噛に向かって手を出した。何だこれは?
「何固まっているんですか?礼ですよ礼。悩みを聞いてあげたのです。礼の一つも無いんですか?」
前言撤回、腹立つなコイツ。
「………何食べたいんだ森下?」
「寿司」
狡噛はこの日、初めて会った森下と一緒に回転寿司を食べに行った。狡噛は初めての経験故、目を微かに輝かせながら、回ってくる寿司を取って食べていた。そんな姿を可笑しく思ったのか、森下は狡噛の姿を写真で何枚も取っていた。その事で一悶着あったのだが、これは割愛である。