入学初日、Aクラスの扉の前で立ち尽くしていた彼を発見した時、私は胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。私は、とある人物から役割を与えられて、この高度育成高等学校に通うことになった。それは、普通の学生として3年間を過ごすこと。それを、一瞬にして忘れそうになりました。
「中に入らないのですか?」
声を掛けてしまった。これは不可抗力です。私もクラスに入りたかったので、声を掛けるのは仕方ないと思います。そう、自分に言い聞かせて。
「ああ、すまない。すぐに入る」
彼は私に謝ってきました。そして、少し緊張していることが伺えます。なんだか可愛らしいです。あぁ、いけない。私はただの学生として過ごさなければならないのに。
「……………」
クラスに入ると、彼は黒板に貼られている自分の席を確認していた。そして、彼は一番後ろの席に座った。途中、何人かの女子生徒が彼を見て振り返っていた。それもその筈、彼の容姿は整っていて、高校1年生にしては落ち着いた雰囲気を醸し出しており、見惚れる生徒の少ない。
(私の席は………)
私の自分の席を確認しました。確認して、そして、驚きました。自然と口角が上がっているのがわかりました。これが私の運命というのなら、私は受け入れましょう。
「あら?お隣同士ですね」
彼の横に座る私。これから3年間、私は普通の学生として過ごす。だけど、普通の学生とは、真面目に授業を受け、放課後は友達と遊ぶ。それが普通というのならば、その中に彼が友達としていても、なんの問題ないですよね?
(狡噛慎也君………)
CクラスとDクラスの話し合いは、先日では終わらずに再審になったらしい。今日の16時までに確実な証拠を提出しなければならないが、それが果たして出来るだろうか?それとも、別の方法で出し抜くのか。少しだけ、楽しみになってきたな。
「……なにニヤついているんですか?狡噛慎也」
「森下………」
数日ぶりに声を掛けてきた森下は、何故か廊下の角からヒョッコリと顔を出した状態である。
「何してるんだ?」
「逆に聞きますが、何をしているのだと思いますか?」
森下は、俺の質問を質問で返してきた。何をしているのかだって?さっぱり分からん。
「さぁ、なんだろ「答えは、鼻の下を伸ばしている狡噛慎也を観察していた、でした」……まだ何も言ってないだろ」
俺の声に被せて森下が喋り出した。全く、コイツはいつも人の話を聞かない。
「鼻の下なんか伸ばしていない」
「狡噛慎也はそう言っても、どう受け取るかは相手次第です。あの時の狡噛慎也は、それはもう恐ろしくて今の私の足は震えています」
森下は足を過剰にプルプルと震わせている。さっき見た時は、震えていなかった。つまり嘘だ。
「ハァ……何か用か?」
「ため息を吐かれるのは心外ですね。私がこうも震えているのは狡噛慎也の所為だというのに」
「あぁ分かった。済まない、そんなに怖がるとは思わなかったんだ。森下がビビりなのを、計算に入れていなかった俺の落ち度だ」
俺は謝罪の中に、森下への嫌味を忘れずに入れておいた。そうする事で、森下の次のパターンも読めてくる。
「私がビビり?はぁ?……狡噛慎也は目の節穴にも程がありますね。あの程度、私に言わせれば鼻へのカッパです」
森下は、馬鹿にされた事に腹が立ったのだろう。さっきと言っていることが180°変わって、強気な態度で俺にジャブを打ってきた。段々と調子が戻って来たようだな。
「俺が悪かった。だから殴るのをやめてくれ」
「…………なんだか、上手いように操られたようで釈然としませんが、まあ良いでしょう」
俺と森下の間にあった蟠りは、これで解消されたようだな。森下がいなくても日常生活に問題はないが、なんだか物足りなく感じていた自分がいる。
「それはそうと狡噛慎也、昨日は白石飛鳥と西川亮子と共に遊びに出かけていましたね?」
「あぁ、それがどうした?」
「狡噛慎也のような人物にもなると、あの2人を手玉に取るなど容易な事でしょう。クラスの男子達の嫉妬の目が凄かったです」
「……あぁ、なるほど」
別に手玉に取ったつもりは無いんだが、側からはそう見えても仕方ないのか。だがあの場合、手玉に取るのは俺ではなく、あの2人のような気もするが……。
「狡噛慎也も隅にはおけませんね。あの2人はクラスでも人気のある女子生徒、このまま2人とも食べてしまう算段ですか?」
なるほど、俺が一匹狼なら、あの2人は赤ずきんちゃんという事になる。だがあの2人は、やわな人間じゃないぞ森下。
「まぁ、そんな事どうでも良い事ですが、ますますクラスの中で肩身狭くなってしまいますね」
やれやれといった感じで肩を動かす森下。
「お前、心配してくれているのか?」
俺の言葉に、森下はピタッと身体が固まった。数秒静止したのち、森下はロボットのように口を動かした。
「ナンノコトカ、ワカリマセン」
「いや、照れなくてもいいぞ」
「ナンノコトカ、ワカリマセン」
そう言って森下は、俺の横をロボット歩きで通り過ぎると、直ぐに廊下を走り去っていった。
「………………」
森下が俺の横を通り過ぎる時、頬が赤くなっていたように見えた。あれは森下なりの照れ隠しだと受け取っておこう。
「ねぇ君、ちょっと良いかな?」
俺はケヤキモールで買い物中、突然女子生徒に声を掛けられた。もしかしてこれが、あの逆ナンというやつなのか?
「何か用か?」
頭にひまわりの髪飾りをつけた特徴的な女子生徒。1年生の階で見た事ないから、もしかして上級生か?
「あのね、もし間違ってたらごめんだけど。このストラップを店員さんに届けてくれたのってもしかして君?」
その女子生徒は、俺によく見えるように携帯につけられたストラップを掲げて見せた。
「それは…………」
俺はそのストラップに見覚えがあった。日用品売り場の床に落ちていた熊のストラップ。
「アンタのだったのか」
「やっぱり、君が店員さんに届けてくれたんだね。本当にありがとう」
女子生徒は俺の両手を掴んで、ブンブンと上下に振って笑顔を浮かべる。
「もしかして先輩ですか?」
「あっ、そうだね。自己紹介がまだだったよ。私は2年Aクラスの朝比奈なずな。よろしく狡噛慎也君」
やはり上級生だったか。
「何で俺の名前を?」
俺の名前を知ってる事にも疑問だが、他にも気になる事がある。
「あっ、ごめんね。君が預けた店員さんに、どんな人が届けてくれたんですか?って言ったら、どうやら1年生の男子生徒らしいって事がわかったの」
「それで俺だと?」
「いやいや、流石に1年生でも男子生徒は多いじゃない?店員さんは他にもイケメンだって言ってたからさ。1年生が作ったイケメンランキング第1位の君なんじゃないかって」
そのランキング隠しているんじゃないのか。既に他学年にもバレバレじゃないか。噂は広まるのは早いって本当だったんだな。
「この熊のストラップ、気に入ってたんだ」
「良かったですね、戻って来て」
「狡噛君のお陰だよ。本当にありがとう」
朝比奈先輩は、俺に綺麗な90°のお辞儀をした。ただのストラップでそこまで頭を下げるなんて、まぁ、価値を与えるのは人それぞれだからな。
「次は落とさないようにしっかりと結んで付けておいてください。それじゃあ、俺はこの辺で」
「あっ、ちょっと待って!」
俺が立ち去ろうとすると、朝比奈先輩は俺の服を掴んで静止させた。
「これも何かの縁だからさ、良かったら連絡先交換しない?」
「……良いんですか?」
「私は先輩だからさ、何かと君の力になれるかもよ」
確かに、まだまだこの学校に来て浅い俺は、上級生の朝比奈先輩の提案は、棚からぼたもちかもしれない。
「もし困った事があれば、相談しても良いですか?」
「うん、私に出来る事があれば」
そうして俺は、朝比奈先輩の連絡先を手に入れた。
「ありがとうございます、すみませんが、早速聞きたい事があるんですが」
「えっ?何かな?」
まさか直ぐ相談してくるとは思わなかったのか、驚いた表情を浮かべた朝比奈先輩。
「先輩はAクラスの生徒なんですよね?朝比奈先輩がクラスのリーダー何ですか?」
別に何かを企んでいる訳じゃない。純粋に気になったのだ。
「ううん、違うよ。私はリーダーなんて出来ないよ」
朝比奈先輩は首を横に振った。そして、こう話を続けた。
「2年Aクラスのリーダーの名前は南雲雅。この学校の生徒会副会長を務めている人物だよ」
「南雲雅………」
堀北先輩と同じで生徒会所属、一体どんな人物なんだろうか。
「ねぇ」
思考を巡らせていると、朝比奈先輩が俺の顔を覗くようにして近づいて来た。
「何ですか?」
「もし良かったらさ、今日の夕飯ご馳走させてくれないかな」
「………良いんですか?」
「良いんだよ。先輩の私が奢ってあげる」
えっへん、と腰に手を当てて答える朝比奈先輩。俺は財布に余裕はあるが、ここは先輩にご馳走になろう。
「何食べたい?」
「寿司がいいですね」
「遠慮がないねー狡噛君。でもそういう所、私は嫌いじゃないよ」
今日の夕飯は、回転寿司に決定した。俺は、回る寿司に微かに目を輝かせながら食べていた。その様子を朝比奈先輩に笑われてしまったが、彼女も楽しそうだったので何よりだ。
暴力事件は、Cクラスが訴えを取り下げた事で幕を閉じた。どうやらDクラスの生徒の中にも、頭の切れる奴がいるようだな。どんな方法で取り下げたのか聞きたい所だ。
「それでね、Bクラスの生徒とCクラスの生徒が言い争いしていてね、その時に一之瀬さんが颯爽と現れて、場を納めていたの」
「へぇ、流石は一之瀬だな」
「狡噛君、一之瀬さんと面識があるのですか?」
「あぁ、前に昇降口で少しな」
「そうなんですか………」
放課後、俺は白石と西川と共に寮へと帰宅している。断る理由は無かったので、一緒に帰っているだけだ。だが帰りの際に、吉田から強い視線を感じたが……,
「カッコいいな、一之瀬は」
「そうですね」
一之瀬帆波は、他クラスの人間からも優しく、善人な生徒だと認識されている。
「だけどさ、やっぱ少し気になるよね?」
「なにが?」
俺がそう訊ねると、西川は思ったことを口に出す。
「一之瀬さんに申し訳ないけど、あれだけ善人な人って珍しくない?だからさ、何か裏があるんじゃないかって思ってさ」
「裏か………」
人は誰しも仮面を被る生き物だ。カール・グスタフ・ユングの『ユングの心理学』における仮面(ペルソナ)とは、社会に適応するために被る表向きの外的な側面。その仮面の裏に、誰にも知られたくない何かがあると、西川は考えているのだろう。
「西川、人は誰しも秘密を抱えて生きている。一之瀬にそれがあったとしても、何ら不思議じゃない」
「じゃあ狡噛君にも、人に言えない事があるの?」
「そうだな、墓場まで持って行くつもりだ」
ホワイトルームの存在は秘匿すべきもの。誰から構わず風聴して良いものじゃない。
「気になるなー、飛鳥も知りたいよね」
西川が俺を揶揄うようにしてニヤニヤと笑い、白石を仲間につけようとしている。
「そうですね。ですが、狡噛君の言ってた通り、私にも言えない秘密はあります」
「えー、気になるなー、飛鳥の秘密」
「ふふ、秘密です」
「…………………」
7月も中旬に入ってきた。しかし、クラスポイントが変動するような大きなイベントは起きず、俺はただ普通の学生生活を過ごしていた。それは暴力事件があったからなのか、最初から用意していなかったのか分からないが、8月には何かが起こる、そんな予感がしている。
「只今より、無人島特別試験を開始する」