もう一人のホワイトルーム生です   作:パクチーダンス

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第十六話 夏休み 4

 

 

 〜狡噛慎也の視点〜

 

「お薦めした本は、如何でしたか?」

 

「面白かった。お前が薦めてくれる本は、どれも読み応えがある」

 

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

 図書館へ入って次に借りる本を探していると、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとそこには椎名がいた。もしかしたらいるのではないかと思ってはいたが、やはり居た。

 

「相変わらず本の虫か」

 

 彼女に夏休みの過ごし方を聞いてみると、寮の部屋で本を読むか、図書館で新しい本を借りるか、その二択らしい。もういっそ、ここで寝泊まりしたらどうなんだと思う。

 

「狡噛君がどんな本を紹介してくれるか楽しみです」

 

「あんまり期待すんなよ」

 

 俺は歩きながら、本棚に並ぶ本を眺めていく。彼女は推理小説をよく読むが、俺は他のジャンルの本を読ませてやりたいと思う。そして、ある一冊の本が目に止まり立ち止まった。

 

「ガリヴァー旅行記を読んだことは?」

 

 俺は本棚からそのタイトルの本を取り出す。

 

「読んだことはありませんが、昔、そんなタイトルの映画を家族と見た気がします。確か、小人の国に人が迷い込んだ話だったような……」

 

「第一篇、ガリヴァーが、嵐で遭難して辿り着いた場所が小人の国・リリパットだ。そこは、隣国と幾度となく戦争を繰り返しているんだが、その理由が、実にくだらない」

 

「くだらない? それは一体………」

 

 興味が出て来たのか、彼女は俺の手に持つ本に視線を落とす。

 

「他にもガリヴァーは、巨人の国・ブロブディンナグ、空飛ぶ島・ラピュータ、馬の国・フウイヌムを訪れる。この本を書いたジョナサン・スウィフトは、18世紀当時のイギリスの政治・人間社会に対する痛烈な諷刺、人間の愚かしさを書いている。難しいが、椎名なら最後まで読める筈だ」

 

 俺は椎名の前に本を差し出すと、彼女は両手でその本を受け取った。そして、俺は前から気になっていた事を聞くことにした。

 

「ところで椎名、お前クラスに友人は居るのか?」

 

「? いますよ」

 

 何の脈絡もない質問。椎名はキョトンとするが、

その質問に答えてくれた。

 

「そうか」

 

 嘘は言っているように見えないが、本当かどうか疑わしい。あの粗暴の悪い奴らが集まるクラスに、友人と呼べる人間がいるのか。

 

「伊吹澪さんと言う方で、女の子なのに喧嘩っ早いんですが、暴力的なことからいつも私を遠ざけてくれるんです。優しい人なんですよ」

 

 そんな俺の考えを察してか、椎名はその友人の事を説明してくれた。

 

「狡噛君も、きっといい友人になれます」

 

 喧嘩っ早いのが気にはなるが、とりあえずはクラスで浮いている事はなさそうで少し安心した。まぁ、友達になれるかどうかは、ソイツ次第だな。

 

「伊吹澪か。分かった。頭の隅にでも入れておく」

 

 俺は側頭部を指先でトントンと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近の俺にはある悩みがある。それは、ホワイトルームから抜け出してからというもの、身体能力が低下していることだ。過酷な戦闘訓練など、この学校ではまず行われない。日々平凡な体育の授業は、俺にとって何ら苦ではない。がしかし、ふと走っている時に感じる身体の鈍化。今は僅かに低下しているという感覚だが、それを許容出来るほど俺は甘くない。

 

 ケヤキモールの2Fにトレーニングジムがある。その存在を知った俺は、直ぐに向かう準備に取り掛かった。運動着・タオル・シューズを小さなバッグに詰め込み部屋を出た。

 

 1Fのロビーに出ると、金髪でポニーテールの女子が長椅子に座って携帯を弄っていた。その女子は俺と携帯に視線を交互していた。

 

 俺はその視線に気付いていないフリをして自動ドアを抜け、ケヤキモールがある方角に足を向けて歩く。

 

 あの女子、確か1年Dクラスの生徒だったか。偶にクラスメイトと思われる女子達と一緒に歩いているのを見かける。廊下で横に広がりながら。今ふと疑問に思ったが、何故女子は道に広がって歩くのか。あれは軽い歩行者妨害だ。何かそうせざるを得ない事情でもあるのか。今度神室に聞いてみるか。

 

 なんて考えを巡らせながら、俺はいつの間にか目的地に辿り着いていた。施設の中に足を踏み入れると、受付に立っていた愛想が良さそうな女性スタッフが俺に話し掛けてくる。

 

「見ない顔ね。もしかして初めての子かな?」

 

「はい」

 

 女性スタッフは俺の頭から足先まで見つめると、

 ウンウンと何度も頷いていた。まるで品定めをするような感じの視線だ。

 

「……あ、ごめんなさい。それじゃあ取り敢えずは、ここの簡単な説明をするわね」

 

 この施設に関する説明を一通り聞か終えた俺は、取り敢えず学生証を提示するだけで出来る無料体験コースを受けることにした。

 

 その後は男性トレーナーに導かれてロッカールームに足を運び、ロッカーやシャワー室の使い方の説明を受け、俺は運動着に着替えると、ようやくトレーニングルームへと向かう。

 

 男性トレーナーが色々と教えてくれるそうだが、俺には必要ない。ホワイトルームにいた頃にもトレーニングルームはあった。そこには最新設備が全て揃っていた。メーカーは違えどやり方は同じな筈だ。

 

「狡噛じゃないか」

 

「真嶋先生」

 

 トレーニングウェアを着た真嶋先生が、ドリンクボトルを片手に現れた。その上着にはびっしょりと汗が染み付いていた。どうやら俺がここに来る前から鍛えていたのだろう。

 

「お前もここに来ていたとはな」

 

「いえ。今日が初めてです。先生はよくここへ?」

 

「まぁな。休日はよく足を運んでいる。デスクワークばかりでは身体が鈍ってしまうからな。それに、歳を取ると脂肪も付きやすくなるから、体型を維持するのも大変なんだ」

 

 なるほど。まだ10代の俺には分からない苦労が、

 おっさんには色々とあるらしい。

 

 真嶋先生はロッカールームへ入っていく際、俺の肩をポンと叩き「お前も励めよ」とお言葉を頂いたが、真嶋先生の手に汗が付いていたため、叩かれた肩が少し湿ってしまった。

 

「…………」

 

 まぁいい。どうせ俺も汗を流すんだ。手始めにランニングマシンに乗って身体を温めるとするか。

 

 

 

 

 

 それは、俺がランニングマシンでトレーニングを開始してから数分が経った頃だった。一定の速度を保ちながら走り続ける俺は、誰かが隣のマシンを使い始めたのを横目で見た。

 

(コイツは)

 

 その人物は、高育に向かう途中のバス内で、豪華客船の廊下でボーイを困らせていた、あの金髪の男子だった。何やら鼻歌混じりでパネルを操作して走り始める。すると、俺の視線に気が付いたのかコチラを見た。

 

「おや、何処かで見た顔だねぇ〜」

 

「さぁ、どうだったかな」

 

 俺は金髪の男子から視線を外して前を向き直る。

 

「ノンノン、私の記憶力は良いほうだよ。君はクルージング船の廊下で私と会った筈だ。そうだろう?」

 

 一度は知らぬふりを決め込んだ俺だったが、相手は確信めいた表情を浮かべている。これ以上とぼけても無駄だと判断した俺は認めた。

 

「ここにはよく来るのか?」

 

「YES。私が日々美しくある為のルーティーンなのだよ。逆に、君は今まで見たことが無いねぇ」

 

「今日が初めてだ」

 

「それはいけないねぇ。私ほどでないにしろ、

 その鍛えられた肉体のケアを疎かにしては」

 

 褒めているのかマウントを取っているのかどっちだ。よっぽど自分に自信があるようだな。

 

 突然、金髪の男子は走りながら俺のマシンの操作パネルに手を伸ばすと、速度メーターを上げてきた。

 

 俺は咄嗟に、その速度に合わせて足を速める。

 

「オイ、何のつもりだ」

 

 なんて危ない奴なんだ。おかげで転ぶところだった。本人の許可なくスピードを上げるとは。

 

「ハッハッハッ、君の為さ。今のスピードで走っても何の負担にもならない筈だ」

 

「余計なお世話だ」

 

 悪びれる様子は無く、寧ろ自分は正しいことをしたと言いたげな顔をしている。俺は元の速度に戻そうと操作パネルに手を伸ばしたところ、金髪の男子が俺の腕を掴んできた。

 

「少し私と付き合いたまえ」

 

「は?」

 

 聞き返すよりも早く、金髪の男子は俺の操作パネルのとあるボタンを押した。

 

 直後、マシンの速度がさらに加速した。ベルトが俺の足を後ろへと運んでいく。俺はマシンの速度に合わせるようにペースアップする。金髪の男子も同様に、自分のマシンの速度を上げていく。

 

「お前……」

 

「おぉ怖いねぇ〜。その目、まるで獣のようだ」

 

 ウゥゥゥとマシンが唸り声を上げているようだ。俺たち2人は更に加速していく。このまま停止ボタンを押しさえすれば、こんな茶番はすぐ終わる。

 

 だがここで引くのも癪だ。ここで止まれば、負けを認めたような気がしてならない。

 

「上等だ。付き合ってやる」

 

「良いねぇ。そうこなくては!」

 

 気付けばマシンの速度は時速20キロを超えていた。驚くべき事に、金髪の男子にはまだ余裕の顔が浮かんでいた。奴は俺にフッと笑いかけてくる。

 

 20.8km/h………21.5km/h………22.3km/h……

 

 参ったな。軽い気持ちでこの場所に来たのに。このままいくと、本気で走らないといけなくなる。

 

 ……22.8km/h…………………23.4km/h…………

 

 周りがザワザワとしだす。この場ジムにいる誰もが、トレーニングの手を止めて俺達2人に釘付けになっていた。どうだっていい。この勝負、もはや止めることは出来ない。どちらが先に降りるか、それだけだ。

 

「狡噛慎也だ」

 

「ハッハッハッ! 高円寺六助。いつか高円寺コンツェルンを背負って立つ男の名さ!」

 

 俺の名乗りに、高円寺は高笑いして答えた。

 高円寺、果たしてお前は俺に着いて来れるのか。

 

 そして俺達は到達する。時速25キロの世界へ。

俺はこの日、ホワイトルーム以来の全力を尽くして走った。中々に悪くない気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜坂柳有栖の視点〜

 

 私は、自分が天才だという自負があります。周りに蔓延る凡夫とは違い、はるか上の視点から物事を見定め、彼らを如何様にも操り踊らせる。

 

 天才と馬鹿は紙一重。そんなことわざが存在しますが、そんなものは所詮、馬鹿が自分を慰めるためのものでしかありません。

 

 人間のポテンシャルは、その個々人に刻まれた遺伝子によって限界値が決まっています。凡人の両親から生まれた子は凡人。故に、どんなに努力したところで天才になどなれる筈がない。

 

 私には自分と同じ目線で語れる人間がいない。小学生のクラスメイトや上級生に限らず教師までも、全てが幼稚に見えて仕方がなかった。そう、あの時までは。

 

『有栖。付いてきて欲しい所があるんだ』

 

 お父様に連れられて行った場所。真っ白な世界。

外部と一切隔絶されたその空間では、沢山の子供達が法律度外視の厳しい教育を受けさせられていました。

 

 天才を作り出すことを目的としたその施設の名は、ホワイトルーム。そこには、一際目を引く男の子が居ました。なんの感情も見せず、無表情に対戦相手を次々と圧倒する、あの少年は一体………。

 

『お父様、あの子は………』

 

『あぁ、彼は綾小路先生のご子息、綾小路清隆君だよ』

 

 綾小路君。私はその名を心の中で復唱する。相手が降参し、勝ったとしても、彼は喜ぶ素振りを見せなかった。まるで、与えられた作業を淡々とこなす機械のよう。彼は片付けられる駒をジッと眺め、次の対戦相手が来るのを待っていた。

 

『ねぇ有栖。僕にはね、あの子が可哀想に思えて仕方がないんだ』

 

『どうしてです?』

 

『彼は生まれた瞬間からこの施設の中で過ごしている。彼はきっとこの施設に幽閉され、データを抽出され続けるだけの実験体として、生涯を生き続けなくてはならないだろう』

 

『生涯を、この施設で』

 

『有栖』

 

 お父様は私の前で膝をつき、私の手を握り締めました。

 

『もし、本当にここで育った子達が、誰よりも優秀な子に育ってしまったら。この施設が当たり前になってしまったら。僕は、不幸の始まりでしかないと思っているんだ』

 

『ご安心ください。私が、それを打ち砕いてみせます。天才とは教育で決まるものではなく、生まれ瞬間から決まっているものだと、証明してみせます』

 

 優れたDNAを受け継ぐ私が、負けることはあってはならない。

 

 お父様と話している間に、綾小路君の元に次の対戦相手がやって来た。男の子だった。その男の子は綾小路君に話し掛けていた。何を話しているのか分からないが、先程まで機械的に見えた綾小路君も、男の子に対して口を開いていた。

 

 友達、なのだろうか。この閉ざされた空間で共に過ごしている仲間同士、そんな感情があの2人の間にあるのでしょうか。2人が話しているのを周りの大人達は止めない。それどころか、2人の様子を観察して何かメモを取っている。ああして彼らは普段の行いを逐一記録されている。本当に実験体だ。私はマジックミラーに手をつき、その大人達の様に彼らを観察していました。

 

 すると突然、男の子がガバッと首を動かし私の方を見た。いや正確には、私がいる場所を見たという方が正しいのかも知れない。何故なら、彼らからは私の姿は見えないのからだ。しかし、

 

『えっ?』

 

 私はその男の子と目が合った。決して見える筈のない私を。鋭い目がこちらを見ている。驚いた私は後ろに後退した。その際、後方に重心が偏り転びそうになった私を、お父様は支えてくれました。

 

『お、お父様、あの男の子は………』

 

『すまない、私も知らない子だ。後で聞いてみるよ』

 

 狡噛慎也。それが男の子の名前だった。綾小路清隆と狡噛慎也、この2人の名前は生涯忘れない。あの時、あの場所で私の頭の中に深く刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうかしたか?』

 

『………いや、誰かに見られていた感じがしたんだが、気のせいのようだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がインターホンを押すと、すぐに部屋の主が顔を出した。

 

「こんばんは」

 

「おう」

 

 日も沈んできた頃、私は狡噛君の部屋を訪れた。中に入る際、彼は手でドアを開け固定し、杖を付く私に注意を払ってくれました。紳士ですね。

 

 さて、どうして私が狡噛君の部屋を訪れたのか。

それは、彼に料理を教えてもらうためです。私に料理の経験はありません。家では雇っていた家政婦に作ってもらっていたし、この学校に入学してからも全て外食で済ませていた。

 

 そもそも、狡噛君に言われれまで自分で料理を作る選択肢は持っていませんでした。何故ならこの私の身体、杖がなければ満足に歩くことさえ出来ないからです。買った食材を部屋に持って帰るのも一苦労。両手が塞がった状態では不便ですからね。

 

「何も無いですね……」

 

 部屋というのは、その人の個性や価値観が表れやすい。整理整頓された部屋なら几帳面な性格、物で埋め尽くされた部屋なら物への愛着が強いなど、何かしらその人の"らしさ"が滲み出るもの。

 

 けれど、狡噛君の部屋にはそれがない。

 

 必要最低限の家具と、生活するために必要なものがいくつか置かれているだけ。その人の趣味があらわれる物もない。まるで、誰かがここで暮らしているという痕跡さえ、意図的に削ぎ落とされているよう。

 

 何も無い。それもまた、その人の個性なのかもしれません。狡噛君の"らしさ" 。それとも、あの施設で暮らしていた弊害なのでしょうか。

 

「お前のようにぬいぐるみを置く趣味は無い」

 

「あら、よろしければ一つ差し上げましょうか?

 この部屋にも、少しは味が出ると思いますよ」

 

「余計なお世話だ。そんな事より、早速始めるぞ」

 

 狡噛君は袖を捲り、キッチンへ移動して手を洗い始めた。

 

「何を教えてくださるのですか?」

 

「卵焼きだ」

 

「……卵焼き?」

 

 一瞬耳を疑ってしまった私は、次第に笑いが込み上げてきた。何かと思えば卵焼きですか。

 

「どうした?」

 

「フフフ、狡噛君。それはいくらなんでも馬鹿にし過ぎでは? いくら私でも、卵焼きくらい普通に焼けますよ」

 

 料理の経験こそないものの、卵焼きの作り方は知っている。卵を溶いて焼けばいい。それだけの事。料理と言うもの憚れる。狡噛君は私を、年端もいかぬ子供と勘違いされているのではないでしょうか。心外ですね。

 

「ほう。そこまで言うならやってみせろ」

 

 狡噛が腕を組んで壁に背を預けた。その表情には、どこか試すような色が浮かんでいる。

 

「ええ、いいでしょう」

 

 私は胸を張って答えた。

 

「むしろ見ていてください。卵焼き程度なら、教えていただくまでもありませんから」

 

「あっそう」

 

 随分と素っ気ない返事だった。私はそれを気に留めることもなく、用意された卵を手に取った。フライパンに熱を与える。さぁ料理開始です。

 

 そして数分後。私は自分の言葉を後悔することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜狡噛慎也の視点〜

 

「………坂柳」

 

「はい、なんでしょう?」

 

 分かっているくせに、坂柳は敢えてとぼけているようだ。

 

「これは何だ?」

 

 俺は正面に座る坂柳から、皿の上に置かれた真っ黒なナニカに視線を落とす。

 

「何とは心外ですね。正真正銘、卵焼きです」

 

 坂柳は堂々と、恥ずかし気もなく言い放った。俺は、表面が真っ黒に焦げた卵焼きに箸をいれて、そのまま口の中に放り込んだ。そして一言、

 

「不味い」

 

 嘘偽りなく評価した結果、これは不味かった。焦げというのは、どの料理にしても味を台無しにしてしまう。俺は口の中に広がる不快感を水を飲んで喉の奥に押し込んだ。その行動に、シェフは物申したい様子だった。

 

「狡噛君、人が作ったものに対して不味いとは、随分と失礼ではありませんか」

 

「なら食ってみるか?」

 

 俺は坂柳の前に差し出す。その真っ黒な卵焼きをジッーと見た坂柳は、俺に返してくる。

 

「いえ、遠慮します」

 

「それにしても、本当にた(・)だ(・)の(・)卵焼きとはな」

 

「……どういう意味でしょうか?」

 

 坂柳は首を傾げる。

 

「調味料が置いてあっただろ。まさか、味付けをせず焼き上げるとは思わなかったよ」

 

 卵を小さなボウルに溶くと、坂柳はすぐにフライパンに入れ始めた。

 

 俺が呆れ混じりに指摘すると、坂柳はその事実に気づいて赤くした顔を俺から逸らした。きっと忘れていたんだろう。天才である彼女でも、うっかりとしたミスがあるんだなと、普段の隙のなさとのギャップが妙に可愛らしく思えた。

 

 そして、彼女は誤魔化すように先払いをした。

 

「こほん、別に忘れていたわけではありません。私は卵焼きを作れと言われたから、その指示通り作ったまでのこと。味に関しては何も指定されていなかったと思いますが、そうでしょう?」

 

 だから私は間違ってません、そう主張しているようだった。プライドが高いせいか、自分の過ちをすぐに認められないのは、彼女の悪いところだと思う。

 

 ここは、敢えてこちらに非があったとしておこう。これ以上追及したところで彼女が素直に認めるとも思えないからな。何より圧がすごい。それに、料理に興味を失って欲しくない。俺は坂柳作の卵焼きを完食させた。

 

「そうだな。それは俺が悪かったよ。なら今度は一緒に作ろう。きっと上手くいく」

 

「……そうですね。それが良いと思います」

 

 坂柳は平らげた皿を見て、何処か嬉しそうに微笑んだ。その夜、俺は坂柳に料理を振る舞い、夕食を共にした。彼女は俺の料理スキルにとても感嘆し、将来は自分の召使いにならないかと提案されたが、丁重にお断りした。そして、門限が近付くまで2人で昔の事を語らいあった。

 

 

 

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