もう一人のホワイトルーム生です   作:パクチーダンス

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第四話 暴力事件

 

 

 ピロロロロロ ピロロロロロ ピロロロロロ

 

 携帯のアラームが鳴る。昨日就寝する前にセットしたものだ。俺はゆっくりと瞼を開いた。カーテンの隙間から光が差し込む。ベッドから上半身を起き上がらせ、両手を上げグッと伸びをする。

 

 まずベッドから降りてキッチンへ向かう。昨日設定した時間通り、無事に米が炊けているかを確認して、やかんに水を入れ加熱させる。その間に洗面台へ移動し顔を洗う。

 

 鏡で寝癖を直した後、俺はキッチン棚からインスタントの味噌汁が入った袋を取り出し、その中に手を入れて無造作に一つ取る。今日は小松菜か。

 

 6月1日。プライベートポイントが支給される日。俺は支給されたポイントの額を確認するが、

 

(ポイントが振り込まれていない………?)

 

 ピィーーーーーー!

 

 やかんが沸騰する音が、新たな波乱を呼んでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に入り、クラスメイトの話し声に聞き耳を立てる。俺と同じように今月のポイントが振り込まれていないようだ。俺だけに起きた不具合ではなかったらしい。

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

 俺が席に着くと隣人の白石から挨拶される。そして俺も挨拶を返す。いつからか、これは朝登校してきた俺たち二人の日課となっていた。

 

「狡噛君、今月のプライベートポイントは支給されました?」

 

「いいや」

 

 これはAクラスにだけ起きていることか。それとも、もっと広範囲に及んでいるのか。いずれにせよ、真嶋先生から何らかの知らせがある筈だ。

 

「皆、席に着いてくれ」

 

 ホームルームが開始するチャイムの音と共に、真嶋先生が入室する。先生の表情はいつもより硬かった。

 

「先生、今月のポイントが振り込まれていません」

 

 吉田が手を挙げて発言した。真嶋先生はそれに軽く頷き口を開いた。

 

「現在、6月のプライベートポイントの支給が1年生全体で遅れている。皆には申し訳ないが、もう少し待っていてくれ」

 

 どうやら、1年生のみにこのトラブルが起こっているようだ。

 

「真嶋先生、このトラブルの理由は何ですか?」

 

 次に葛城が挙手して真嶋先生に質問する。

 

「それを話すことができるのは、明日、または明後日になるだろう」

 

 学校全体ではなく、1年生だけに起こったトラブルか。これは学校側の問題なのか、それとも生徒側の問題なのか……………。

 

 今考えても答えは出ない。俺は即刻、頭の隅に追いやった。

 

 

 

 

 

 

 今はまだポイントに余裕はあるが、この状態がいつまで続くのか分からない。明日か、明後日か、それとも一週間、下手したら来月までか。流石にそこまではないと思いたい。

 

 なんにせよ、ここ数日はポイントを無駄にしないことを心掛けるべきだ。そう思ったら、やはり図書館で本を借りるのが最適だ。本を読むのが趣味の俺からすれば、これ以上にないポイントの節約だ。まぁ、いつもと変わらないが。

 

 中間テストも終わり、生徒達が羽を伸ばしたいと思う時に限ってこのトラブル。不満の声はチラホラと聞こえていた。生徒達が不満を持つ大きな理由は、ポイントを娯楽に使えないこと。遊び盛りの高校生にとっては、それが何よりの痛手だろうからな。

 

 放課後、俺は図書館に足を進める。しかしそこへ、

 

「待ってください狡噛慎也」

 

「…………」

 

 面倒くさいのが来たな。

 

「暇です、構ってください」

 

「悪いが他を当たれ」

 

 コイツに付き合っているとただただ疲れる。止まらず歩き続ける俺だったが、逃がさないと言わんばかりに森下が腕を引っ張ってきた。

 

「おい、離れろ森下」

 

「ひーまーでーすー」

 

 お前、幾つなんだ?

 

 必死に腕を引っ張る森下に俺はため息を吐かざるを得ない。途中、廊下ですれ違う生徒達が、俺と森下を見て好奇な目で見てくる。あらぬ噂を立てられるのはゴメンだ。

 

 俺が足を止めると、森下は観念したかと思って腕から手を離した。逃げるなら今だが、そうすると後々面倒な事になる。

 

「フッフッフ、ようやく足を止めましたね狡噛慎也。これも私の計算通りです」

 

 森下は左手の親指、人差し指、中指を立てて顔に添え、謎のポーズを決める。それは何故か、フレミング左の法則に使われる手の形に酷似していた。

 

「……森下、お前は読書は好きか?」

 

「普通です」

 

 普通かよ。

 

「そうか…………まぁいい。これから図書館に行くんだが、着いてくるか?」

 

「なるほど、狡噛慎也は私と一緒に図書館へ行きたいと。仕方ありませんね、この藍ちゃんが着いていってあげましょう」

 

「………………」

 

 言葉を返す気にもなれない俺は、スタスタと廊下を歩いて森下を置いて行こうとする。それに気づいたのか森下は、俺の歩くペースに合わせるため、歩幅を大きくして後ろから追いかけるように着いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(さて、何を借りるか……………)

 

 棚にぎっしりと詰まった本の一つ一つに目を配る。何を読むか探すこの瞬間も、俺にとっては本を手に取る前の愉しみの一つでもある。

 

 俺と一緒に来た森下は、図書館へ入館すると一人どこかへ歩いて行った。俺は追いかけるのも面倒だから放っておいた。

 

 今日は椎名の姿ない。彼女から勧められた本の感想を伝えるのは先になりそうだ。

 

「狡噛慎也、これなんかどうですか?」

 

 前方の本棚の陰からヒョッコリと森下が現れた。彼女の手には本が一冊握られていた。

  

「それは?」

 

 渡された本を受け取って表紙を見る。そこに書いてあったのは、「必殺!女を落とす100の技」。 

 

「これを俺に持ってきた理由は?」

 

「狡噛慎也がこの本に書かれている100の技を身につけた暁には、この学校の女子を全て手駒にすることができるでしょう」

 

「…………」

 

 俺は無言で森下に本を返して、また本探しに専念した。そこでふと、ある一冊の本に目が止まり立ち止まる。そしてその本を棚から抜き取る。

 

「何ですかそれは?」

 

「恩讐の彼方に」

 

 俺が手に取った本は、

 菊池寛による短編小説「恩讐の彼方に」。

 

「それを選んだ理由は?」

 

「いや、特に理由はない。

 一度読んだことがある本、というだけだ」

 

 俺は本を開いてペラペラと巡っていく。森下は興味深そうにそれをを覗き込んでいた。

 

「どんな本なのですか?」

 

「主人公の市九郎は、自分の主人を殺した事への罪深さ、後悔を抱えて出家し、名を変え人々のために尽くすことを誓う。その後、主人の息子である実之助は、父の仇として市九郎を殺そうとするのだがーー」

 

 パタンと本を閉じ、森下に「恩讐の彼方に」を差し出す。

 

「気になるなら読んでみるか?」

 

 森下は俺とその本を交互に見ていたが、ゆっくりと手を伸ばし本を手に受け取る。

 

「面白いですか?」

 

「この本に限らず、面白いかどうかは読み手によって違う。お前自身が読んでみないと分からない」

 

 その後、俺も借りる本を手に取り、係員に手続きをしてもらうために受付に向かうと、そこにはこの学校の生徒会長・堀北学の姿が。

 

「狡噛か」

 

 会うのはあの日の夜以来か。

 様子から、堀北学は本を返しにきただけのようだ。

 

 堀北学はチラッと俺の横にいる森下に視線を向けた。森下はすぐに頭を下げる。堀北学はそれを見て視線を外し、再び俺を見た。

 

「入学して2ヶ月程経ったが、お前にはこの学校はどう映っている?」

 

「何も。まだ分からないことだらけですよ。ですが、俺は争いごとには興味はありません。貴方の変な期待にも、応えられそうにない」

 

 俺は嘘偽りない気持ちを吐露する。

 

「そうも言ってられない。お前は必ず、争いの中に身を投じることになる。聞いたところによると、お前のクラスは今、二分しているとか」

 

 よく知っている。流石は生徒会長、他学年の内情も把握済みというわけか。

 

「お前は入学初日から、この学校のシステムについて気が付いていたようだな。南雲が珍しく褒めていたぞ」

 

「男に褒められても嬉しくありませんね」

 

「フッ、まぁいいお前もいずれ分かる。

 それまで、仮初の平穏を楽しんでおけ」

 

「…………………」

 

 見つめあう両者。先に視線を外したのは堀北学。踵を返して図書館を出て行った。俺は、堀北学の姿が見えなくなるまで、彼の背を見つめていた。

 

「堀北学、中々の凄みを感じました。ですが、この藍ちゃんを恐れをなして、どこかへ行ってしまったようですね」

 

「……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      Aクラス  1004 cp

 

      Bクラス  663 cp

 

      Cクラス  492 cp

 

      Dクラス  87 cp

 

 

 

 翌日、朝のホームルームにて、ポイントが支給されなかった理由を、真嶋先生がクラスの生徒達に説明した。

 

「先日、学校でCクラスの生徒とDクラスの生徒の間にトラブルがあった。端的に言えば喧嘩だ」

 

 ざわざわする教室。

 

「訴えたのはCクラスだ。一方的に殴られたという事らしい。だが、Dクラスの生徒はこれを否定した。Cクラスの生徒に呼び出され、喧嘩を売られたと。だが証拠が無いため、学校側は目撃者を探している状況だ。何か知っていたら、職員室まで来て欲しい。以上だ」

 

 暴力事件とは綾小路のクラスは大変だな。

 

 1日にポイントが振り込まれなかったのは、このトラブルの結果次第でクラスポイントが削減されるかもしれないからか。

 

「皆、少し良いだろうか?」

 

 真嶋先生が教室から出ると同時に、葛城が席から立ち上がった。そしてクラスメイトにこう呼びかける。

 

「CクラスとDクラスで起こった問題に、Aクラスは関与しないことにしたい。たとえ、目撃者探しに手伝って欲しいと言われても、拒否してくれ」

 

 葛城が考えていることが読めた。今のAクラスの現状としては、他三クラスから追われている状態にある。そんな中、下位ニクラスの争いに首を突っ込むメリットは無い。助けても一文にもならないからだ。

 

「葛城君の言う通りです。コチラとしても、他クラス同士が潰しあってもらう方が好都合です。下手に温情をかけても、彼らからは何も返ってきません。何か言って来ても、無視して頂いて結構です」

 

 この瞬間、葛城と坂柳の意見が一致したことによって、Aクラスはこの問題に関与しないことが決定された。リーダー達に反対意見など出よう筈もない。

 

 俺は早々に席を立って教室から出ようとする。次の授業は体育だ。さっさと移動して更衣室で着替える必要がある。教室の扉に向かって歩く姿をクラスメイト全員が眺めていた。

 

「狡噛」

 

 扉に手を掛けると同時に、葛城が俺を呼び止める。

 

「わかってると思うが、お前もクラスの一員として指示に従ってもらうぞ」

 

「断る」

 

「……何だと?」

 

 拒否されるとは思っていなかったようで、俺の言葉に葛城は一瞬のラグが生じた。

 

「別に自分から首を突っ込みはしない。

 だから、俺のやる事にケチはつけるな」

 

「おい狡噛! 葛城さんの指示に黙って従えよ!」

 

 戸塚が席を立って俺に吠える。 

 そこで俺はすかさず言い返す。

 

「何故従わなくちゃならないんだ?」

 

「はっ?」

 

 戸塚の声が裏返る。他クラスメイトも俺の言葉に怪訝な顔をしている。ただ一人、坂柳だけは興味深そうに俺に見ていた。

 

「この際だから言っておく。俺はAクラスで卒業する事にこだわっていない。だからどのクラスで卒業しようと構わない」

 

「クラスの総意だ。勝手に動いてもらっては困る。この先、お前の行動一つで、クラス全体が不利益を被ることだってーー」

 

「俺に言うことを聞かせたいのなら、さっさとクラスを一つにまとめろ。俺は()()()()()()()に耳を貸す気はない」

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真嶋先生から暴力事件の事を聞かされてから次の日の放課後、俺が昇降口で靴を履き替えていた時に彼女は現れた。

 

「狡噛君」

 

 俺は靴をしっかりと履いてから後ろを振り返る。そこに立っていたのは一之瀬帆波だった。

 

「俺に何か用か?」

 

「えーとね、私、実は暴力事件の目撃者を探しているんだけど、狡噛君は何か知っていることはない?」

 

 暴力事件の目撃者を、

 何故Bクラスの一之瀬が探している?

 

「いや、済まないが分からない」

 

「本当に………?」

 

「どうしてそんな事を聞く?」

 

「えっと、それは…………」

 

 俺が言い返すと、一之瀬は困ったように言い淀む。まぁだいたい察しがつく。

 

「他のAクラスの生徒には、相手してもらえなかったか?」

 

「あ、あははー、まぁそうなんだよね」

 

 図星のようで、一之瀬は無理に笑って返答した。

 

「俺に接触して来たのも理解できる。俺がAクラスの中で、特殊な立ち位置にいるからな」

 

 俺だけが唯一、葛城と坂柳の二つの派閥のどちらにも所属していない。

 

「そこまで分かっちゃうかー、流石Aクラスの生徒だね」

 

「残念ながら俺は何も知らない。力になれなくて悪いな」

 

「いやいや、大丈夫だよありがとう」

 

 礼を言われる事ではないが、まぁいい。

 だが少し疑問に残ることがある。

 

「俺から一ついいか? どうしてBクラスの生徒であるお前が、暴力事件の目撃者を探すのを手伝っている?」

 

「それはね、頼まれたからだよ。Dクラス生徒に」

 

「頼まれた?………何故引き受けたんだ?」

 

「え?」

 

 俺の言葉に一之瀬は目を丸くしている。

 

「敵対しているクラスに塩を送る真似をする理由はなんだ?」

 

 Aクラスと同じく、Bクラスもこの件に関与する理由がない。対岸の火事なら、遠くで様子を眺めていればいいものを、彼女は何故手伝うのか。

 

「クラスは関係ないと思うの。こういう事件は、いつ誰に起こるか分からないよね? しかもこの事件、冤罪の可能性もあるらしいの。嘘をついた方が勝つなんて大問題だよ。個人としても見過ごせないかなと思って」

 

 俺は一之瀬の表情を観察する。彼女は嘘をついているようには見えない。本心からそう言っているようだ。

 

「聞いていた通りの人間だな」

 

「き、聞いていた通りって?」

 

「お前の人柄だ。誰であっても手を差し伸べる優しさを持っている、素直に尊敬するよ」

 

 善意の塊。橋本から聞いた時は、本当にそんな奴がいるのかと疑ったが、世の中いるところにはいるようだな。しかもこんな近くに。

 

「そんな尊敬なんて……これくらい普通のことだよ」

 

 謙遜して笑い返す一之瀬だったが、その瞳は何処か違うところを写しているようだった。一瞬だが彼女の瞳に影を落としたように見えた。

 

「…………一之瀬、少し質問してもいいか?」

 

「何?」

 

「例えば、お前がバスに乗っているとしよう。乗客はお前だけじゃなく、全ての席が埋まっている状態だ。お前も席に座っている一人だ。そんな時、一人の老婆がバスに乗車して来た。老婆は席が埋まっているので仕方なく吊り革を掴んで立っていた。だが、その老婆は立っているのがキツそうな状態だった。一之瀬、お前はその時どうする?」

 

 この話は作り話ではない。俺がこの学校へ向かうバスで実際に起きた出来事。

 

「そんなの、席を譲るに決まっているよ」

 

 即答。彼女には考えるまでもない質問だった。

 

「そうか、流石だな」

 

「流石って、当然の事だよ」

 

 何を当たり前なことを?という感じなのだろう。

 

「どうやらこの世界は、一之瀬が思う『当然』が出来ない人間の方が多い。その時、優先席に座っている人間は、目の前の老婆に譲ろうとはしなかった」

 

「それで、お婆さんはどうしたの?」

 

「見るにみかねて俺が席を譲った」

 

 一之瀬が俺の言葉を聞いた途端、クスッと笑った。おかしな事を言った覚えはない。

 

「私の事、尊敬するって言ってたけど、狡噛君も私と同じだよ。困っている人に手を差し伸べる。優しいし、それでいて素敵な事だよ」

 

「…………………………」

 

「ごめんね、時間取らせちゃって。あ、もし良ければなんだけど、連絡先を交換しない?」

 

「俺でいいのなら」

 

 俺はポケットから携帯を取り出して、一之瀬と連絡先を交換することになった。他クラスで連絡先を交換したのは、綾小路以外で一之瀬が初めてだった。

 

「じゃあね、狡噛君」

 

「あぁ、またな」

 

 俺は去って行く一之瀬の背中を見送る。

 

「………………」

 

 一之瀬は言った。俺が優しい人間だと。俺はそんな人間じゃない。俺は与えられた命令に従うだけの、ただの『猟犬』でしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の帰り、俺はケヤキモールの日用品売り場に足を運んでいた。ティッシュやシャンプー、トイレットペーパー等がそろそろ無くなるので補充として買いに来た。

 

(ん?)

 

 俺は買い物中、足に何かが当たった感触を覚えた。

 視線を下に落とし足元を見る。

 

(お守り………?)

 

 俺は屈んでお守りを拾う。何かに取り付ける為の紐が切れている。どこかで切ってしまったのか。俺は周りを見渡したが、他に学生の姿は見られなかった。

 

 店員に預かってもらうしか他に選択肢がない俺は、レジで商品を買った後、店員にお守りを渡して店から出る。誰のものか分からないが、見つかってくれることを願う。

 

「待て」

 

 寮へ帰ろうとした俺の足を、誰かが引き止める。俺は首だけを動かして声がした方を向く。

 

 まず目に入ったのは長い銀髪。そしてモデルのようなスラッとした体格、コチラを注意深く見つめる鋭い目。その立ち振る舞いは気品がある。女性に対してこう言う言葉を使うのは適切ではないと思うが、俺は一目見た時カッコいいなと思った。

 

「1年生か?」

 

「はい。もしかして先輩ですか?」

 

「あぁすまない。自己紹介がまだだったな。私は2年Bクラスの鬼龍院楓花だ」

 

「1年Aクラスの狡噛慎也です」

 

 鬼龍院は俺に近付き、下から覗き込むような形で俺を見ていた。探っている。俺の僅かな表情の変化、動き、一挙手一投足を。俺は何もせず観察されるがままになっている。

 

「狡噛と言ったか。

 君は何か武道を心得ているのか?」

 

「いいえ」

 

「それにしては、君の身体は実に鍛えられている、まるでアスリートのように」

 

「服の上からでも分かるんですか?」

 

「立ち姿だよ。何か一つでも武を身に付けていると、自然と立ち方も他とは違ってくるものさ。しかしそれだけじゃない。君からは野生味が感じられる」

 

「野生味………?」

 

「獰猛で凶暴、敵を執拗に追いかけ喰らい付く、

 獣のような野生………………」

 

 ーーーーーなんだコイツは? 

 

「おや? 目つきが変わったな。この私を警戒しているのかな?」

 

 まるで、俺の心の中を覗かれている気分だ。

 

「帰ってもいいですか?」

 

「いや待て。君に興味が出てきた。少し私に付き合いたまえ」

 

 すると鬼龍院は寮とは逆の方向へ歩いて行く。

 

「何処に行くんです?」

 

「買い物だ」

 

 俺の方を見向きもしない。このまま帰らないと思っているのか。だんだんと離れて行く鬼龍院の背中を俺は見つめる。その背中は俺について来いと言っている。

 

「………………………」

 

 熟考の末、俺は鬼龍院について行くことに決めた。そして足早と後を追う。優雅に歩く彼女の姿を見失わないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがこうなるとは思わなかった。

 

「狡噛、どちらの服がいいかな?」

 

「俺はどちらも似合うと思いますが………」

 

 夏はまだ先の話だが、昨今何かと話題となる地球温暖化の影響もあり、6月でも平気で20度を超えてくる。鬼龍院はそれに伴ってか夏用の服を手に取っているが、まさか彼女が着る服を俺が選ぶ羽目になるとは。

 

「そんな回答で女子は喜ばんぞ。もっと考えたまえ」

 

「……………」

 

 俺は彼女が手に取った二つの服を見る。袖のない肌が見える白のサマーニットか、スポーティーでカジュアルな黒のTシャツか。正直どちらを着ても彼女には似合うだろうが、その答えは間違いだと分かる。

 

「………なら、そっちで」

 

 俺が指を差したのは、

 スポーティーでカジュアルな黒のTシャツ。

 

「ほう、理由を聞こうか?」

 

「俺は肌の露出が多い服は好きじゃない」

 

 街で何度か丈の短いスカートや肩が露出している服を着た女子を見かけたが、俺はなんとなくその服装を好きにはなれなかった。

 

「なるほど。確かに露出度の高い服は私も好きじゃない。男子共の邪な視線が煩わしいからな」

 

 俺は二択を正解したようだ。というか、好きじゃないのなら選ばせなくても良かっただろと思う。

 

「男子ならば、布面積が少ない服を着た女子の姿に興奮するのではないのか?」

 

「知らん」 

 

「口調が荒くなってるぞ。だがそっちの方が君らしくていいな。今度から砕けた口調で話すといい」

 

「……………………」

 

「会計を済ませてくるから待っていろ。逃げるなよ」

 

「逃げませんから、早く買って来てください」

 

 彼女は愉快気な笑みを浮かべた後レジに向かった。

 

 終始、この女に振り回されてばかりだ。揶揄う笑みを崩してやりたいと思うが、どうしたものか。

 

 レジに並んで会計を済ませた鬼龍院は、出口で待っていた俺に購入した服が入った紙袋を渡して来た。俺は仕方なく受け取った。

 

「さて、買い物が済んだら腹が減ったな。夕食でも食べようか」

 

「遠慮します」

 

「何故だ? こんな美少女とテーブルを囲えるのだぞ? 断る理由などないだろ」

 

 自分で美少女と豪語するか。

 だが事実であるので反論も出来ない。

 

「19時に炊き上がるよう設定してあります。

 それに、今はポイントを消費したくありません」

 

「たしか1年同士で暴力事件があったのだったな。ホームルームで教師が話していたよ。しかしそうか、君は自炊するのか。なるほどなるほど……………」

 

 鬼龍院は顎に手を当て何回か首を上下させて頷いている。あぁ、とても嫌な予感がする………。

 

「なら今夜は君の部屋で夕飯を済ますとしよう」

 

「なに?」

 

 どうか俺の予想が当たってくれるな。

 そう願ったのも束の間、現実は残酷だった。

 

「おいおい、そんな露骨に嫌な顔をされては私も傷つくぞ。私も乙女なのだから」

 

「アンタ、本気で言ってるのか……?」

 

「私が嘘を言っているとでも………?」

 

 マジで来るつもりなのか。話にならない。これなら森下の方がまだマシだ。アイツは多少なりとも制御できる部分があるが、この女にはそれがない。それがとても厄介。

 

「帰りにスーパーに寄ろう。

 なに食わせてもらうんだ。支払いは私がしよう」

 

「待て。俺はまだ何も言ってない」

 

「行くぞ狡噛。君の腕がどれほどか楽しみだな」

 

「…………………」

 

 俺は大きく肩を落とした。鬼龍院然り、森下然り、俺は何故こうも面倒な人間と接点が生まれるのか不思議でならない。俺は諦めて一歩踏み出した。その足取りは、今日登校してくる時に比べて重たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が住む部屋の階は5階。このフロアに女子は住んでおらず、男子のみとなっている。だから女子が立ち入ることはほぼ無い。何か理由があるとしたら、それは一体なんなのか。

 

 エレベーターで一緒に乗っていた女子生徒が、俺と鬼龍院が同じ階に降りたのを、目を開かせ驚き、仕舞いには頬を赤らめていた。あの女子生徒の頭の中は、決して口には出せないよからぬことを考えているのだろう。

 

「はぁ………」

 

「それは何のため息だ?」

 

「いや何も」

 

 鬼龍院はニヤニヤと笑っている。絶対気が付いているだろう。

 

 俺は鍵を差し込み、開錠させてドアノブを回す。

 

「入ってくれ」

 

「お邪魔する」

 

 鬼龍院は靴を脱いで一段上がると、体を反転して靴の踵を掴み、帰りの際にスムーズに履けるよう綺麗に揃えた。そして短い廊下を歩いてリビング兼寝室へと入った。

 

「何も無いな」

 

 俺の部屋を見渡した彼女の第一声がそれだった。

 

「初めて寮に来た時を思い出したぞ。君はもしや

 ミニマリストだったのか?」 

 

 それ程に、俺の部屋には必要最低限の物しか置かれていない。

 

「そんなんじゃない。

 ただ不必要な物を置きたくないだけだ」

 

 とりあえず荷物を部屋の端に置き、制服を脱いでクローゼットのハンガーに掛ける。

 

「適当に座ってくれ」

 

「座布団は無いのか?」

 

「ない」

 

「ならベッドを借りるぞ」

 

 俺が許可を出す前に、なんなら喋っている最中に俺のベッドへ腰掛けた。なんて自分勝手な奴なんだ。

 

「出来上がるまで待っていてくれ」

 

 俺はシャツの袖を少し捲り上げ、

 買ってきた食材をレジ袋の中から取り出す。

 

「そうは言っても君の部屋には娯楽がない。これでは暇を持て余してしまうぞ」

 

「俺の鞄に図書館で借りて来た本がある。それでも読んでいてくれ」

 

「そうか、ならそうするとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから30分が経った。俺は完成した料理を皿に盛り付けてテーブルに並べていく。

 

「出来たぞ」

 

 俺がそう言うと、鬼龍院は本から顔を上げてパタンと閉じた。そしてベッドの上に置く。

 

「ほう、なかなか見事なものじゃないか」

 

「味は保証できないがな」

 

 最初は綾小路にと思っていたが、まさか会ってから数時間も経たない人間に料理を振る舞うことになるとはな。なんにせよ、俺と鬼龍院は両の手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 俺はまだ食べない。まずは客人に味の感想を聞くのが先だ。鬼龍院は皿に盛り付けられた肉野菜の炒め物に箸を伸ばす。そして口に運ぶ。彼女の所作は綺麗で洗練されている。最初に見た時からとても品のある女性だと思っていたが、もしかしてどこかの財閥の娘なのだろうか。

 

「美味い」

 

 どうやら鬼龍院の舌は満足したようだ。

 

「それは良かった」

 

「味のバランスが絶妙だ。

 これ一つでも店を出せるんじゃないか?」

 

「褒めても何も出ないぞ。

 作り方を教えればお前もすぐに出来る」

 

「私も料理をしたことはあるが、可もなく不可もなくといった感じでな。一度家族にも振る舞いはしたが、それっきり料理はしなくなったよ」

 

 鬼龍院はその時のことを思い浮かべているのか、どこか遠い目をしていた。彼女が料理をしなくなったのは、単に自分の料理が家族を喜ばせるまでにはいかなかった、なのかも知れない。

 

「そうか…………食べ終わったら帰れよ」

 

「流石に長居する気はない。君に申し訳ないしな」

 

 なら最初から部屋に上がってくるな。喉元まできていたが、汁物を啜って言葉を喉の奥へ押し返した。

 

「時に狡噛、君はこの学校をどう思う?」

 

「またその質問か………」

 

 堀北学に同じ質問をされたことを思い出す。あの時は面倒ではぐらかしたが、今度は真面目に答える。理由は勿論、鬼龍院が許してくれそうにないからだ。

 

「監獄だ」

 

「ほう、監獄か。中々面白い回答だな」

 

 その言葉は予想の外側だったのか、鬼龍院は口角を上げ興味深そうに俺を見つめている。

 

「確かに、この閉鎖された空間は監獄と言っても差し支えないかも知れない。この場所では、私達の日常の全てに監視の目がついている」

 

 監視の目が無いのは、自室とトイレくらいだろう。本当に最低限のプライバシーだがな。しかし、俺が一番感じたことは、

 

「まるでパノプティコンのようだ」

 

「パノプティコン……?」

 

「18世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムは、刑務所で囚人を効率よく監視するシステムを考案した。それがパノプティコン。中央にそびえ立つ監視塔、その周囲を囲むように配置された独房。囚人からは監視塔の監視官は見えないが、監視官からは囚人が見えるようになっている。すると囚人は、監視塔から常に監視されているかも知れないという心理状態に陥ることで自分の行動を律していく」

 

 重要なのは監視されているではなく、監視されている"かもしれない"という部分。"かもしれない"と思った時点で、人は自ら規範に沿って行動する。いや、してしまうという方が正しいか。 

 

「そしてこの事を、20世紀のフランスの哲学者ミシェル・フーコーは、現代社会そのものの仕組みを表しているのではないかと考えた。学校では成績や態度を常に他者から評価されている可能性を意識させる。これは会社でも同じことだ。監視される可能性を内面化し、自分で自分を管理する。まるで、監視者が自分の心の中に住み着いたような状態となる。そしていつか、この国にとって都合の良い模範的な人間になるよう知らぬうちに育てられる。つまりこの学校は、日本にとって有益な人材を育成する施設というわけだ」

 

 高度育成高等学校とは、よく言ったものだ。

 俺は長話を終え一息つこうと茶を飲む。

 

「なるほどな…………狡噛、君は実に面白い男だよ。哲学者の言葉を引用するとは、今まで出会ったことのないタイプだ」

 

「それ、褒めてるのか?」

 

「勿論だとも。君の話は物事の本質に気付かされる。

 雄弁に語る君の姿は、さながら指導者のようだ」

 

「…………………」

 

「どうした?」

 

「……いや、何でもない。それよりも話し過ぎた。せっかくの飯が冷める」

 

「確かにそうだな」

 

 鬼龍院は俺に何かを感じたものの、それを口にすることなく料理を口に運んだ。そして、夕飯を食べ終わってから少し時間を置いて鬼龍院は礼を言って帰って行った。

 

 嵐が去り、俺は一人の空間となった部屋で鬼龍院が発した言葉を思い出す。

 

『雄弁に語る君の姿は、さながら指導者のようだ』

 

 あの施設から出て2ヶ月が経つ。

 

「貴方は今何をしていますか? 綾小路先生………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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