「ですから狡噛慎也。私は常々疑問に思っていることがあるんです。どうしてイカ墨パスタはあるのにタコ墨パスタは無いのかと。いやそもそも、どうして昔の人間は、イカの墨を食用に使おうなどと考え付いたのでしょうか?」
「知りたきゃネットで探せばいいだろ」
「そうやって何でもネットで答えを知ろうというのは、今を生きる現代人の悪い癖なんです。これだから狡噛慎也は駄目なんですよ。そうやっていつも冷たく言い放っていると、友人の一人も出来やしませんよ」
「友人が居ないのはお前の方だろう」
「言ってくれますね。私に友人が居ないという証明は? 出せるものなら出してみなさい。ほら?ほら?」
「ならお前の携帯を見せろ。お前が何人と連絡先を交換しているか見てやる」
「は? 何言ってるんですか? 人の携帯の中身を見ようとするなんてプライバシーの侵害ですよ。そんなこともわからず今まで生きてきたのですか? はぁ全く、呆れてものも言えませんよ」
「それはこっちのセリフだ」
無人島試験が終わった昨日の夜は、俺も疲れが来てベッドに入るとすぐに眠りに着いた。そして今日。俺は朝食を取るためにレストランに出向くと、何処からともなく現れた森下が対面に座ってきたのだ。それでこの有様だ。
「朝から仲が良いな、お前ら」
隣のテーブルで食事をしている橋本から、嬉しくもない言葉を掛けられる。
「心外ですね橋本正義。こんな男と仲良しと思われては。朝食も済ませましたし、私はここで失礼します」
森下は席を立ってスタスタとレストランから出て行った。俺はその背中を無言で見送る。
「森下の奴、構ってくれる人間がお前しか居ないからって言いたい放題だぜ。お前も変な奴に懐かれたもんだよな」
「変わってやろうか?」
「いや遠慮しとく」
キッパリと断る橋本。俺は肩をわざとらしく肩を落とす。
「アイツは何考えているか分からないが、変に鋭い所がある。もしかしたらこの先、クラスの役に立つ時が来るかもしれないぞ」
「森下が? 全然考えられないな………」
自分ではそう言ったが、俺もそのビジョンは見えない。
「それで橋本、俺に何か話したいことがあるんじゃ無いのか?」
「ありゃ、やっぱバレてたか」
悪びれる様子もない橋本はコップの中の水を一口飲んだ。
「昨日までの無人島試験で、葛城はクラスメイトからの信用をなくして派閥は瓦解した」
「……………」
「これからは姫さんがクラスを率いていく。これでようやくクラスは一つに纏まる。だからお前も、これからクラスの為に協力してくれるよな?」
わざわざ俺の横のテーブルに座ったのはそれを聞きたいが為か。
昨日。無人島試験が終わって豪華客船に戻った後も、クラスメイトの葛城への問い詰めが終わらなかった。葛城は一貫して皆んなに謝罪し頭を下げていた。
そして俺が一人自室に戻りのんびりしていると、後から入室した同じルームメイトの真田の口から聞かされた、AクラスとCクラスの契約とその内容は、俺も流石に驚いた。
「まさか俺たちが、Cクラスに毎月2万ppを支払わなくちゃならねぇなんて、葛城の奴とんだ下手打ってくれたぜ」
龍園が無人島試験で与えられたポイントをAクラスに譲渡する代わりに結んだ契約。簡単に切れるものではなく、これから毎月振り込まれるポイントから搾取されるだろう。
こんなふざけた契約内容。俺なら直ぐに拒否するが、葛城はまだプライベートポイントの有用性に気が付いていなかったようだ。そこを付け込まれた作戦。龍園翔、奴はかなりの策士だ。
「葛城がリーダーから降りて、お前もホッとしたんじゃないか?」
「人聞きは悪いが実際そうさ。これでようやく、
姫さんの時代が来たってもんさ」
調子のいい奴め。
「もう行くのか?」
「あぁ。今からその坂柳と少し話があるからな」
「おぉ! やっとやる気になってくれたか!」
嬉しそうにする橋本を置いて俺はレジへと歩いている途中、ふと頭に疑問がよぎった。
(そういえば森下の奴、会計していたか……?)
俺は二つ折りケース状の伝票ホルダーを開いて中を見た時、思わず天井を見上げた。
やられた。森下は自分が食べた料理の伝票を置いて支払わずに出て行ったのだ。俺に支払わせる為に。完全なる食い逃げだ。
「あの野郎……」
さっきまでの面倒な会話もあってから、俺は苛立ちを抑えられなかった。今度あったらタダじゃおかない。そう決意した。
「お会計が1900ppになります」
俺は森下の分の支払いも済ませ、レストランを出て行った。ちなみに頼んだ料理の値段は森下の方が高かった。
坂柳の部屋に辿り着くと、俺は部屋をノックする。開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは神室だった。
「いらっしゃい」
坂柳の相部屋の生徒は神室だったのか。俺は部屋に入室すると、ベッドの上に座っている坂柳の姿があった。
「こんにちは、狡噛君」
「あぁ、元気だったか坂柳」
「えぇ、何の変わりもなく」
この一週間、坂柳はずっと船の中で過ごしていた。職員以外誰もいない船の中で。さぞ退屈だったことだろう。
「神室さん、私が呼ぶまで少し外に出て行ってくれませんか?」
「ナイショの話ってわけね。分かったわ。終わったらメールして」
神室はそう言い残して、スタスタと部屋から出て行った。出て行かせたことに、俺としては少し申し訳なさを感じていた。
「さて狡噛君。一週間お疲れ様でした」
「あぁ本当にな。逆にお前は退屈だろ?」
「そうですね。話し相手が居なくて寂しかったです。狡噛君、立っているのも何ですしここに座って下さい」
坂柳はそう言うと、自分のベッドの空いているスペースをポンポンと優しく叩いた。
「良いのか?」
「構いませんよ」
坂柳の了承も得たので俺は坂柳の横に座った。
「結果は聞いたか?」
「はい、神室さんから既に聞いています。この結果により、葛城派閥は瓦解。これで葛城君もおとなしくなるでしょう」
笑みを浮かべる坂柳。なんとも腹黒いお嬢様だな。何だか葛城が可哀想になってきた。
「ですが彼は、無人島から余計な土産を持ってきてくれたようですね」
「毎月2万の微収か」
「全く困ったものです。狡噛君が動いてくれていれば、こんな事にはなっていなかったでしょうね」
頬に手をついて俺を見る坂柳。
「それはどうだろうな。試験時の俺は、常に葛城の側にいたわけじゃない。葛城の認識の甘さが招いた失態だ。文句は俺じゃなく葛城に言え」
「えぇ、そうさせてもらいます。では、そろそろ本題に入りましょうか」
本題というのは無人島試験が始まる前の話。船のデッキで交わしたあの日のこと。彼女は一呼吸置いてゆっくりと話し始めた。
「狡噛君、天才とは何ですか?」
天才とは何か、か。なんとも難しい質問だ。
「一概に何かとは言えない。質問を質問で返すようで悪いが、坂柳は天才とは何だと思う?」
「天才とは、生まれた瞬間に決まっているものです」
そう言う坂柳はこの部屋ではない、何処か遠くを見ていた。最初から、俺のその質問を待っていたかのように彼女は語り始めた。
「人は、刻まれたDNA以上のことはできません。凡人として生まれた者は、どこまで行っても凡人の域。どれだけ環境に恵まれようとも、学習者が優秀でなければ天才になりません」
それは俺が15年過ごした場所、ホワイトルームの存在を真っ向から否定する発言に等しい。凡人から天才を作る。それがホワイトルームの目的だからだ。
「怒りましたか?」
「どうして?」
「今の私の言葉は、狡噛君の今までを否定することに繋がるからです」
俺は首を横に振る。
「別にいいさ。天才の定義は人それぞれだ。それに、俺は天才じゃないと自覚しているし、そうなりたいと思ったことは一度も無い」
「そうなのですか?」
坂柳はキョトンと首を傾げる。
「俺は、ただ生き残りたい。その思いであの場所を過ごしていた。だからお前の考え方を否定しない」
俺は天才ではない。天才と呼ぶべき人間を他に知っているからだ。これまで話の流れから、俺は坂柳が何をしたいのか分かってしまった。
「一つ聞きたい。お前は、綾小路を倒したいのか?」
俺の問い掛けに坂柳は大きく頷いた。
「はい。私は彼を倒し、天才とは教育で決まるものではなく、生まれた瞬間に決まっているものだと証明したいのです」
俺と坂柳の視線が交わる。そこで俺は見た。今まで見たことの無い坂柳の力強い瞳を。彼女は本気だ。
「そうか………」
「私には無理だと思いますか?」
「勝てるかどうか、それを判断出来るほど俺はお前の実力を知らない。だがこれだけは言っておく。アイツは強いぞ」
俺はその強さを一番近くで見てきたのだから。
「知っています。ですかそれは私も同じこと。偽物の天才を倒すのは、本物の天才である私の役目です」
綾小路を倒す。そう豪語した坂柳を俺は笑わなかった。彼女は、綾小路清隆がどれ程の人物なのか知った上で発言している。この小さな少女から伝わる闘気に、俺は一瞬気押されてしまった。
「狡噛君にはぜひ綾小路と戦うため、私に協力してほしいんです」
「悪いが断る」
「………どうしてですか?」
坂柳はやや不満そうな表情をする。
「俺も綾小路も平穏な生活を求めてここに来た。まぁ蓋を開けてみれば、この学校は平穏とはかけ離れていたが、綾小路は今も事なかれ主義を貫くこうとしている。俺はそれを尊重したい」
今は仕方なく動いているだけ。アイツの振り撒く問題に片が付いたら、またひっそりとした生活に戻るに違いない。
「私も出来る限り迷惑にならないよう努めますが、
綾小路君には何としてでも私と戦っていただきます」
「どうやって?」
「特別試験ですよ。綾小路君が、表に立たざるを得ない状況を作り上げるのです」
特別試験は強制参加。いかに綾小路であっても避けることは出来ない。それを狙うつもりか。しかし、
「ご丁寧に説明してくれたのはいいが、
それを聞いて、俺が黙って見ているとでも?」
「私を阻止するおつもりですか?」
「俺に協力を持ち掛けたのは悪手だと思うが? これが読めなかったとは、お前の頭脳も実は大したことないんじゃないか? なぁ、本物の天才さん」
俺は少しの殺気を孕んだ視線を坂柳にぶつける。
「聞き捨てなりませんね。綾小路君のオマケの分際でよく吠えるじゃありませんか? 貴方程度の人間が、私を倒せるとでも?」
その言葉を境に、この部屋の空気は一変した。重たく張り詰めた空気の中、沈黙する両者の睨み合いが続いた。そしてその終わりは、俺が口元にかすかな笑みを浮かべたこと坂柳は呆気に取られ、緊張感が一気に四散した。
「すまん。言い過ぎた」
「……いえ、私も不快な発言をしてしまい申し訳ありませんでした」
ただの悪ふざけだと理解した坂柳も俺に謝罪し頭を下げるが、また直ぐに顔を上げる。
「ですが何故あのようなことを……?」
「少し試したかった。綾小路に勝つ。そう口にしたお前の覚悟を。俺の殺気にも動じず、あろうことか睨み返してくるとは恐れ入ったよ。その小さな体の中に揺るがない信念を持っている。すごいよお前は」
「あ、ありがとうございます………」
俺の心からの称賛を前に坂柳は気恥ずかしそうに視線を逸らした。他人から褒められることに慣れていないのだろうか。
「さっきも言ったが俺はお前に協力出来ない。綾小路を裏切る真似はしたくないからな。だが同時に、お前がやることにも手を出さない」
「よろしいのですか………?」
「良いよそれで。
"俺に言うことを聞かせたいのなら、
さっさとクラスを一つにまとめろ"
そう言ったのは俺自身だ。お前がAクラスのリーダーとして何をしようが俺は目を瞑る」
「しかしそれでは、私が綾小路君を表舞台に立たせる為に貴方を使うこともあるかもしれませんよ?」
「そうなったらクラスの輪を乱さない為に仕方なく動いた、とか色々と理由付けすればいいさ」
坂柳は俺の顔を見て、俺の真意を図りかねているのか、訝しげに眉をひそめた。
「何を考えているのですか?」
「何も。お前を罠に嵌めようとしている訳じゃない。単に俺は、綾小路に勝てると思っているならやってみせろ。そう言っているんだ」
俺の挑発的な発言に、
坂柳は目を見開いたのち不適な笑みを浮かべた。
「…………わかりました。ならば狡噛君には特等席で見せてあげましょう。私が綾小路君を倒すその時を」
綾小路を倒せるものが現れたのならば、俺も綾小路もこの学校に来た意味があるというもの。
「ということは、これから狡噛君は私の手足として働いてくれるということですよね?」
坂柳の笑顔は天使と悪魔が混在しているように思えた。俺を馬車馬の如く利用するつもりか。
「お手柔らかに頼む」
坂柳、俺は綾小路が負けるなんて想像出来ない。
お前にそれが出来るのか見せてくれ。
「はっはっは!」
「お、お客様! 止まって下さい! 濡れたまま廊下を歩かれては困ります!」
坂柳との話も終えて、自室に戻ろうと廊下を歩いていた俺の正面から、金髪の生徒とその生徒を追いかけるボーイの姿があった。
(あれは…………)
その生徒に俺は見覚えがあった。確か彼は、高度育成高等学校へ向かうバスの中で見た金髪の男子生徒。
「おや〜」
金髪の男子生徒は、俺の横を通り過ぎるかと思われたが急に足を止めて俺に近づくと正面に立った。そして俺の頭からつま先までじっくりと観察し始めた。
「何だ?」
金髪生徒の不可解な行動を前に俺は困惑する。
「ほう、中々に良い体をしているねぇ。服の上からでも分かる、見事に鍛えられた肉体だ」
観察するのは結構だが、金髪生徒の体についた水滴が気になる。先程の会話でも分かる通り、体を拭かずに廊下を歩いていたようだ。
「もしやお友達ですか? どうかコチラのお客様にお身体を拭くようお伝えしてもらえますか?」
友人の言葉なら従うのではないかとボーイは考えているようだが、俺はこの金髪生徒とは友人ではない。まぁ、可哀想なボーイの為に少し言ってみるか。
「どうして体を拭かない?」
「生憎と私は物心つく頃から体は拭かない主義なのだよ。昔から言うだろう? 水も滴るいい男とねぇ」
金髪生徒が髪をかきあげると俺の制服に水滴飛び散ってきた。
「確かに、君の肉体は素晴らしいが、私の肉体の方がもっと素晴らしくて美しい。日々のトレーニングによって磨かれた私の肉体は、まさしく彫刻のようだ。悪かったねぇ。アデュー」
そう言って金髪の男子生徒は歩いていった。ボーイも慌てて追いかけて呼び止めるが止まる気配すらない。俺はボーイに同情する。とても自分勝手な奴だ。だがそんな身勝手に振る舞えるのは確かな実力があってこそ。
「名前を聞きそびれたな………」
〜堀北鈴音の視点〜
無人島特別試験が終わって小さな部屋に戻った私は泥のように眠り、起きた時は午前9時を回っていた。それほど体が疲弊していたのだろう。特別試験中は体調も悪かったから当然と言えば当然。
私は途中でリタイアしてしまったけど、綾小路君のおかげでDクラスは1位を取りクラスポイントを獲得した。本当に良くやってくれたけど、その功績を全て私に譲ったのは不満だわ。
無人島特別試験は終わった。けど私は肩の力を抜くことはなかった。次いつ特別試験が始まるかも分からない。無人島試験では何も出来なかった私は、今度こそ役に立って見せる。
しかし彼、一体何者なの。散策するなと念を押されたけど気になって仕方がないわ。見るなと言われて見てしまうのが人の性。彼の中学時代を知っている人はこの学校にいないのかしら。
そんな考え事をしていた私は、曲がり角から現れた生徒に気付かずぶつかりそうになった。
「すまん」
「いえ、不注意だったわ…‥って貴方」
そこにいたのはあの日、兄さんと一悶着あった時に現れた男子生徒。最近では図書館で須藤君が暴力を振るのを阻止してくれた、名前は確か……………。
「狡噛慎也君、だったわよね?」
「そうだが。お前は堀北鈴音だな。生徒会長の妹」
生徒会長。その言葉を聞いて私は彼を睨み付けた。
「あの日の事、誰にも話してないでしょうね?」
「あぁ」
「……そう。なら良いけど」
といっても簡単には信じられない。
「何か考え事か?」
貴方には関係のない、そう言おうとしたけど私は口を閉じた。あの時の、ほんの少しの会話の中に、彼と綾小路君が親しい感じがしたわ。
「ちょうど良かった。貴方に聞きたいことがあるの」
「俺に? なんだ?」
「綾小路君について知っている事を教えてほしいの」
「……それを聞いてどうするんだ?」
すると、狡噛君の顔が険しくなったように見えた。
私の気のせいかしら?
「何かしようって訳じゃないわ。クラスメイトのこと知りたいと思うのは当然じゃない?」
「…………この事、綾小路は知ってるのか?」
「いいえ」
「なら無理だ」
狡噛君はそう言って私の横を通り過ぎた。
私はすぐさま彼の後を追いかける。
「待ちなさい」
「何度言われても答えは変わらないぞ」
「いつまでも隣の席のクラスメイトが得体の知れない人間ってのもゾッとしないわ」
「俺の知ったことじゃないね」
「彼のこと、もっと知りたいの」
私から逃げるように早足で歩いていた狡噛君の足が止まった。やっと話す気になったのかと私も足を止めて、狡噛君が口を開くのを待つ。
「一つ忠告しておく。綾小路清隆のことを同じ人間だと思うな」
「は?………何よそれ?」
「じゃあな」
狡噛君は突然走り出して一つ先の曲がり角を曲がった。私は再び彼を追いかけるべく同じ角を曲がると、
「いない……?」
既に彼の姿はどこにもなかった。おかしい。姿を隠す場所は何処にもないのに。強いて言えば廊下の奥に見える曲がり角ぐらいだ。けどそこは、私が今立っている場所から15メートルも先にある。あの一瞬であそこまで行ったとでも言うの…………?
『綾小路清隆のことを同じ人間だと思うな』
あの言葉の意味もよく分からないし、本当に綾小路君は何者なのかしら………。
〜白石飛鳥の視点〜
私が高度育成高等学校に入学したのには訳がある。それは、白銀先生から与えられた、普通の学生として3年間を過ごすこと。そして、綾小路清隆並びに狡噛慎也の観察者としての役割である。
しかし入学式の日、教室に入ってきた彼を観て少なからず驚いた。同じクラスになってしまったと。だけど私の役割は変わらない。ただの一クラスメイトとして接すればいいだけのこと。それなのに、あろうことか彼は私の隣の席だった。
『初めまして。白石飛鳥といいます。よろしくお願いします』
これは単なる挨拶。それ以上はいけない。距離を詰めてはいけない。何故なら、変に勘繰られて私が普通の学生ではないと悟られる可能性があるからだ。
『狡噛慎也だ。よろしく』
彼はそう言って私に右手を差し出してきました。この時の私にはある予感がありました。もしこの手を取ったら、これからの3年間は私にとって何物にも代えられない大切な物になるという、そんな予感が。
『あぁ、すみません。少し驚いてしまって。改めまして、どうぞよろしくお願いします』
私は彼の手を取った。取ってしまった。彼の手は温かかった。この出会いは神様の気まぐれかイタズラなのか。なんにせよ、私はこの運命に感謝しました。
私はその日から隣で彼の観察を始めました。まず、彼は読書が好きだと分かりました。休み時間、彼は図書館で借りてきた本をずっと読んでいます。
頬杖をついて本を読む彼の姿はとても様になっています。正直、カッコいいと思いました。彼はクラスの男子の中でもダントツで人気が高いようで、なんでも1学年イケメンランキングで1位を獲得したとか。
確かに彼の容姿は整っています。身長が高く体格もガッチリしてて男らしい。人気が出るのも無理もありません。ですが私が一番心惹かれるのは、
『どうかしたか?』
『いえ、なんでもありません』
彼の声。低く落ち着いた彼の声が素敵だと思いました。また、たまに優しさを帯びた穏やかな声を出す時もあります。そういう時は大抵、彼は笑っています。最初は笑わない人なのかと思いましたが、そうではなかったようで、そのギャップも私は魅力的だと感じています。
『私のことです。狡噛君の隣人がどんな人物なのか、少しは分かってくれましたか?』
駄目なのに。彼とは適度な距離を保たないといけないのに。彼を観察していくと、何故こうももっと知りたいと思えてくるのでしょう。
『もしかしてデートの誘いか?』
『はい。そうです』
感情とは、理性と逆のことをしてしまう。私は彼に近づき過ぎてしまった。でも、それで良かったのかも知れません。あの手をとったその日から私は………
「白石」
あぁ、彼の私を呼ぶ声が聞こえる。
「どうかしましたか狡噛君?」
珍しく彼の表情には苛立ちが垣間見えています。
一体何があったのでしょう?
「森下を見かけなかったか?」
「森下さんですか? いいえ見てませんが、
彼女がどうかしたのですか?」
「アイツ、自分が食べた料理の伝票を置いて逃げやがった。おかげで俺が支払う羽目になった」
「あらあら、それは大変ですね」
彼の冷静さを乱すのは大抵が森下さんのこと。いつも見れない彼の一面を引き出す森下さんが少し羨ましいと思います。
「電話すればいいのでは?」
「電話しても繋がらないんだよ」
彼は携帯を片手にチッと舌打ちをしました。
相当お怒りな様子。森下さん大丈夫でしょうか?
「食い逃げ野郎を見つけたらすぐに連絡してくれ」
「はい。分かりました」
あぁ本当、彼の近くにいると退屈しません。
これからも仲良くしてくださいね。狡噛慎也君。