諸々の雑事を終えたヒロが、人の少ない場所を選んで一息ついていたのを見かけて。
「おつかれさま、ヒロちゃん」
「マーゴか・・・ああ、ありがとう」
お茶を淹れてきたマーゴは、テーブルにカップ二つを置いて、自身も腰を下ろすことにした。
「随分と忙しそうだったけれど」
「そうでもないさ」
「・・・貴方にとって今日は本来お休みの日のはずよね?」
「そうだね、暦通りでは」
島にいると曜日の感覚が怪しくなってしまうが、ヒロから聞いた日付でマーゴは今日が祝日であることを思い出す。
マーゴは少し首を傾げたくなる。
休みだからとヒロが羽目を外したり遊んだりする性格ではなかろうことは分かっていたが、それにしても。
という労い半分、憂い半分の視線を向けると、ヒロは肩をすくめてみせた。
「ノアたちのアトリエの掃除はもともと予定していた事だったんだが、他の子らの使っている部屋も気になってしまってね」
「年頃の女の子たちなんだし、そこまで散らかってはいなかったでしょう?」
「ああ、まあ、清潔さというより・・・各々、好き勝手に模様替えしているだろう?」
「・・・ああ」
マーゴは彼女らの生活スペースを思い返して、何が言いたいのかを察した。
蘇生された少女達の中には、生活するにあたって自分が過ごしやすいようにと家具の配置や装飾などを変える者がいる。
当人はほんの少し変えただけと思っている、あるいは他の子も同様に使いやすくなったはずだと思っていることが多いのだが、ここに認識の食い違いが起きていた。
彼女らはそれぞれ異なる文化圏や時代の住人だったこともあって、物の使い方や趣味趣向というものが大きく違っている部分があるのだ。
そうした齟齬に気づかないまま各々が模様替えを実行したため、一部の部屋は文化の闇鍋状態とでも呼べるような、中々にカオスなことになっていたりする。
「まだ全員に私室が用意できる環境じゃないんだろう?あれでは早晩トラブルが起きる。行き過ぎた占有は正さなくては」
「まあ、そうね・・・」
そこまで気が回っていなかったマーゴは額を押さえつつ、首を振る。
そしてヒロに向けて、思い当たったことを告げた。
「感謝するわ、ヒロちゃん」
「うん?」
「憎まれ役を買ってくれたのでしょう?」
「・・・買い被り過ぎだよ」
波風の立ちやすい指摘なら、一時的な滞在である自分がしておけば禍根を残さずに済む。
ヒロは恐らくそんなことを思っていたはずだ。
厳しさと優しさは両立するらしい、とマーゴはその細やかな心配りに感服していた。
しかしやはり、そもそも、という疑問もまた、マーゴにはあった。
「それにしてもヒロちゃん、一体どうしてまたこの島に?」
「うん?」
「だって、ちょっとした遠出気分で来られるような場所じゃないでしょう?」
一般には存在を知られてはならないこの島は、当然というか、自由に行き来できるようにはなっていない。
そもそも自分達をここに拉致監禁し、島の管理をしていたという後ろめたい背景を持つ組織があって、そこに掛け合うほかない。
当然その手段も限られるのだが、まだしもそれが出来るのはヒロが島を取り巻いていた問題を解決した立役者であるがゆえだろう。
例の機関とかいう組織は、自分達に多大な借りがある。
ただ、そんな伝手まで用いてここに赴いた理由の方は、ヒロ自身にあるはずだった。
「ゴクチョーがぼやいていたわよ。『根回しも大変なんで、あんまり気軽に頼まないで欲しいんですがねぇ』って」
「・・・魔法がなくなっても声真似が上手いな、マーゴ」
「もう、はぐらかさないでちょうだい」
ヒロは笑って見せる時の方が信用ならないということをマーゴは知っていたので、窘めるように言う。
すると彼女は少々の驚きのあと、観念したように目を閉じて「大したことじゃないよ」と呟く。
そうしてカップの紅茶に一口つけてから、彼女は言った。
「君達が一日ここを離れても問題ないかどうか、確かめておきたくてね」
「・・・まあ・・・そんなことで?」
その「一日」というのは、ヒロが計画している島外でのイベントのことだった。
それにはマーゴたちも参加する予定だったので、確かに、ヒロの都合でこの島は一時的にマーゴ不在となると言える。
しかし、とマーゴは少し当惑する。
まさかそのケアまでヒロ本人がすべきだとは、マーゴは思っていなかった。
「貴方はもうこの島から解放されて、普通の女の子なのよ?責任感も行き過ぎれば正しくはなくなると思うのだけれど・・・」
「ご忠告どうも。ただ悪いが、これはまだ私が正しいと思う範疇なんだ」
のらりくらりと笑って受け流すヒロに、マーゴはやや思う所があった。
「自分に厳しい・・・いいえ、むしろ一周回って自分に甘いのかしらね、ヒロちゃんは」
正しくあるためなら己が身をも削ろうとヒロは嘯くが、誰に何を言われようとも自らの信念に殉じたがるそれは、ある種の我儘だ。
マーゴが指摘したそちらの方は中々胸に刺さったらしく、ヒロは笑みを崩さないながらも、若干口元をひきつらせていた。
「・・・なるほど、含蓄に富んだ言葉だ。心に留めておこう」
「留めるだけでなく、改めてくれると皆も安心すると思うわよ」
ヒロは微笑んで頷くのみだったので、ちゃんと聞く気があるかは怪しいところだった。
マーゴは少々呆れるのだが、彼女が何を言っても曲がらないのも重々承知だったので仕方が無いかと流すことにする。
そして最後にマーゴが口にした皮肉は、思わぬ方向に話題が転ぶ切欠となった。
「そんなことでいちいち視察に来ていたら、この島の管理者・・・某機関とやらにスカウトされてしまうかもしれないわよ?」
あくまで冗談めかして言ったマーゴに対して、ヒロは神妙な反応をしたのである。
「それは・・・ひょっとすると、手遅れなのかもしれないな」
「えっ?」
流石にマーゴが驚いて訊き返すと、ヒロは首を振りつつ語ってみせる。
「実は、ここのところ妙な誘いを受けていてね・・・またぞろ訳アリの少女達の、そう・・・
マーゴはしばし絶句して、掠れ気味の声で問うことしかできなかった。
「それは・・・例の機関からの?」
「さあ、どうかな。正直得体が知れないし、全く別口の線もある」
「そんな・・・」
魔女因子がなくなって尚、何処かにまだそんな世界があると言われてしまえば、マーゴは急に足元を揺るがされたような気分になってしまう。
対してヒロは達観したような顔で言う。
「一度不可思議な世界に触れてしまった因果というのは、あるいは、もう逃げられないものなのかもしれないな」
「・・・そう、なのね」
「まあそれは幸い、君達には関係のない話だよ。私も無事に戻って来れたら連絡するさ」
「・・・ええ、是非・・・必ず、そうして頂戴。ノアちゃんのためにも」
「うん、ありがとう。その通りだ」
それで話は終わりだと言わんばかりのヒロに釈然としないものはあったが、かといって、それ以上踏み込む気になれなかったのも事実だった。
「話が逸れたな・・・まあそれで、とりあえず、当日には皆来られそうかい」
「・・・ええ。3月9日ね。事前に聞いていたし、問題無いわ。ゴクチョーは渋るでしょうけど」
「はは、存分こき使ってやれ」
笑って流して、ヒロは言った。
「お互い大変だろうが、きっと私たちなら上手くやっていける。今は一先ず、そう思っておこう」
「・・・そうね。ヒロちゃんがそう言うなら安心ね」
彼女も自分と同じく、かつては他人を頼ろうとはせず、自分を救えるのは自分だけだと考えていた節がある。
今はそんな彼女が極めて自然に「私たち」と口にして、マーゴもそれをすんなり受け入れられる。
そういうやり取りが出来ることに、マーゴは今なら本当に、心が安らぐように思えるのだった。