その日、厨房には恐らく牢屋敷史上、最多となるであろう人数の少女が集まっていた。
対する彼女らがこれから使う材料とスペースに至っては、あまりに多い故に食堂の方まで借りて使えるように今日限りの模様替えが行われている。
そして厨房の奥には半円状に取り囲まれ、いくつもの期待の眼差しを受けた一人の少女が立っている。
ん、ん、と気まずそうに何度か咳払いを挟んだあと、彼女は口を開いた。
「・・・えっと、今日のチョコ作り教室を任された、黒部です」
「なのちゃーん、黒部は二人いるよ~?」
「・・・・・・・・・黒部ナノカ、です」
お姉ちゃん後で覚えておいて、とナノカが口の形だけで言ったのが最前列の少女達なら見えたかもしれない。
「経緯はすでにみんな聞いたと思うけれど、もうすぐ来る日のためにチョコレートを用意したい人、あるいは単純にチョコレートに、お菓子作りに興味があるという人に今回集まってもらいました」
大勢の前に立つのが慣れていないのか、ナノカはややぎこちないながらもそう説明する。
「一通りの手順を全体に教えた後、アレンジとかはやりたい人がいたら個別に聞いて貰う、という形にしたいと思います。あとは自作経験のある子は散らばって、できるだけ周囲に教えてあげて欲しい」
幸い場には初心者ばかりではなく、お菓子作りなら何度かという少女も何人かいた。
しかし市販のチョコを溶かして作るだけならまだしも、カカオからというのは本格的に過ぎる。
割と混乱が予想される、とナノカ達は覚悟しているのだった。
「それじゃ各自、トラブルを起こさないように・・・」
主に雨衣チヨコの方を見ながら言ったナノカが、その向こうに佇んでいたマーゴに微笑み返されて、咳払いを一つ。
「・・・そして、楽しくやりましょう」
堅苦しかった空気がそれで少し、弛緩して。
そうして彼女の、ぱん、と手を叩いた合図で、少女達は一斉に動き出したのだった。
「よし・・・チョコレートには一家言あるこのあたしの腕前!見せる時が来た!」
「・・・あの子に訊いても良いんだろうけど、なんか癪だな・・・」
「ってか邪魔したら噛みつかれそうなんだよね、近寄らんとこ」
「くっ、ヒロ様への愛はこんな量の材料では表せな・・・いいえ、こうなれば想いを濃縮し、質という形に込めるしかないわ!」
「ルカちゃん、それは良いんだけど島の外にいる二階堂さんには渡せないよね・・・?」
「ふむ、これらが例のちよこれゐとになるのか・・・なんじゃこの、
「・・・あの、お姫様?見学もいいんだけどちょ~っとどいてくんないかな~・・・?」
「もし、ナノカさんのお姉さん。ココアバターの分量はこれぐらいでしょうか?」
「え?ああ、うん、良いと思うよ・・・でもなのちゃんの方が分かると思うから、聞いてみよっか?」
「いえ、ありがとうございます。それには及びません・・・私とナノカさんは、まだ出会いませんから」
「?」
と、各所で様々なやり取りが繰り広げられる中。
珍しく、アトリエの小さな住人達の姿もそこにはあった。
「ね~アンアンちゃん、これもっと入れていいかな~?」
「待て、わがはいだってよく分からん、目分量で決めるな・・・あとでナノカに訊こう」
「のあは作るより食べたいなぁ」
「わがはいだってそうだ、が、こういう時くらい贈るものがないとマーゴたちやノアには・・・」
「うん?のあ?」
「・・・なんでもない、いいから手伝え!」
若干やる気のなさそうなノアを叱咤するアンアン。
彼女はいつもだぼだぼな袖を捲り、ヘッドドレスの代わりに三角巾を被った珍しい姿だ。
しかし彼女もまた手際が良いとは到底言えない有様で、慣れない工程に四苦八苦している。
チョコレートが完成するにはまだまだかかりそうだった。
そしてそうこうしていると、つまらなそうに砂糖を弄っていたノアに声をかけてくる者がいた。
「あの、城ケ崎さん。わたしたちのチョコに描いてみてくれないかしら?」
「え?」
ノアが見上げると、そこには話したこともない少女達が数人並んでいた。
彼女らは自分たちのテーブルの方を指差してから、申し訳なさそうに手を合わせて言う。
「いやね、わたしたちチョコ本体は出来たんだけど、どうも見栄えが気になっちゃって・・・ノアちゃん絵の色使いとかキレイだから、飾り付けを頼んでみようかなって!」
「ね。このデコペンと、パウダーなんかも使っていいからさ!」
そして手渡されたのは、デコレーションに用いる色とりどりの材料。
彼女達は純粋な期待の眼差しでノアのことを見つめている。
そしてそれらを交互に見やるうちに、当惑していたノアの表情はだんだんと綻んでいったのだった。
「チョコにお絵描きしていいの?・・・のあの絵でいいの?・・・わーい!」
一方。
そうして甘言に乗せられたノアが誘拐されていくのを、アンアンはジト目で見送っていた。
少し遠くのテーブルまで行ったノアの姿は、それを興味津々で取り囲む少女達の中に隠れて見えなかったが、その中心からやがて賑やかな声が上がるのが聞こえてくる。
「やーん、ノアちゃんもノアちゃんの絵もかわいい~!」
「すごい、茶色一色だったのに見違えるみたいにカラフルね!」
「ねえねえ、私のにもお願い!」
「・・・」
「・・・ははん、さてはなっちー、ノアちーが引っ張りだこで悔しいやつ?羨ましいやつ?」
横からニヤニヤと声をかけられたのも気づかないぐらい、アンアンは納得のいかない様子だった。
「おのれ絵描きめ、物書きには出来ない真似を・・・」
「デコるってのが女の子にウケんのは、いつの時代も変わらんねえ」
「・・・見栄えではやつに有利過ぎる。こちらは味で勝負するぞ」
「いや別に対抗せんでも・・・」
「お前もてつだえ、ぎゃるこ!」
「・・・はは、あいよー!」
牢屋敷は閉じた世界ゆえに、新しい刺激が少ない。
それは静かに暮らし心を癒す場としては適切だが、一方で娯楽に乏しいのも然りと思っていたところで、このイベントだ。
悪くはない、とマーゴは微笑んでそれを見学していた。
雨衣チヨコの独断が発端であるのは不本意だが、これなら本当に感謝してもよい、と思うくらいには、この光景に満足している。
願わくは次の年もこれが見られれば良い、などと考えながら、マーゴは厨房の片隅で彼女達の奮闘を見守っていたのだった。
・・・マーゴは、それで問題は万事丸く収まったと考えていた。
しかし、既に目的を下方修正したと思っていた、問題児たちの行動力。
そしてバレンタインデー当日の女の子に与えられるその