私は氷上メルルは好きですが、きっと彼女達はそうではなくて、時にはこういう話も。
裏切られたる八重咲き花よ -1-
僕は明石ナナ。
弱冠十五歳にして探偵の助手見習いをしていた僕は、ある陰謀に巻き込まれてその肩書とこれまでの人生、そしてこれからあるはずだった人生をも失うことになってしまった。
幸か不幸か、死んだわけではないけれど、まあ社会的には死んだのとほぼ変わらない。
この屋敷にはそんな境遇の少女達がたくさん居る。
その数奇な運命にも納得し、無邪気に今の生活を謳歌していられるような子は少数派だ。
残りのほとんどは己の内でまだじくじくと膿んでいるような傷を抱え、どうにかそれを癒そうと躍起になっていて、しかし誰もがそれを隠し、一見平気なふりをしている。
僕もまた、その一人ではある。
そして今回。
この島の少女達に頼られている通称先生、宝生マーゴから今回依頼されたのは、そうした傷を抱えた仲間の一人と、少し話をしてみて欲しいというものだった。
「ナナちゃん、入って」
「失礼します」
促された通り、ナナはその部屋に足を踏み入れる。
そこには先んじてカウンセリングの真似事をしていたマーゴと、その相手である少女が長い机を挟んでそれぞれのソファに座り、向かい合っていた。
その空気は、重い。
マーゴが立ち上がって、ナナにその奥に座るように勧める。
入れ替わるように彼女が一度部屋を出ていくのを見送ってから、ナナは長机を回り込んでソファに座る。
そうしてから、彼女のことを見据えた。
「・・・」
こちらに視線を寄越そうともしない少女は、滅紫の暗い色をした髪を長く伸ばしていて、俯いているとその波打つ曲線に顔のほとんどが隠れてしまっている。
ナナはあえて明るい声をつくって、朗らかに彼女に挨拶をしてみることにした。
「やあ、こんにちは」
「・・・なに」
髪の隙間から覗くのは、深淵に沈んだような闇色の瞳。
「僕は明石ナナって言うんだ。良ければ君の名前を・・・」
「・・・知らないわ、知らない・・・私じゃない、私じゃないもの」
そう言って、またその瞳は髪に隠れてしまう。
その言葉の後半は独り言のようにぼそぼそとした声音で、内容も会話からややずれたもののように思えた。
ふむ、とナナは少し考える。
実のところ、マーゴから事情は聞いていた。
彼女は、牧島ダリアという。
蘇生された少女達の中で、特に
それは彼女がこの島で受けたある仕打ちによるものだと、ナナは聞いていた。
ナナが呼ばれたのは、その事について話してみて欲しいというもの。
彼女の様子からして探り探りやっていては要領を得ずに日が暮れると見越して、ナナは思い切り、前置きを飛ばして本題に入ることにした。
「
「っ」
突如として、彼女は弾かれたように立ち上がった。
その眼に憎悪が宿っているのを、見下ろされる格好になったナナは見てとった。
「なんで、なんでよ・・・その名前、その名前だけは聞きたくなかったのに!!」
彼女は一転して激しい口調で叫ぶ。
「あなた・・・あなた、それは私達の・・・【私の禁忌】でしょう、それは!!」
「うん、ごめんね・・・ごめんなさい。でも必要なことなんだ」
「分かっててやっているの?!」
いよいよもって不信感をあらわにしたダリアは同じぐらい大きな憎悪を込めた眼差しをナナにも向けたあと、頭を抱えて呻く。
「話すことなんて・・・話すことなんて無いわ!!あんな、あんな女・・・!」
「どんな女?」
「話さないって言ってるのよ!!」
火を吐くダリアに対して、努めて冷ややかにナナは問いかける。
ナナは彼女を宥めようとするのは得策ではなく、できたとしても自分の役目では無いと割り切っていた。
「じゃあ、僕が勝手に話すよ」
「好きにしてよ、私は聞きたくないわ。部屋に帰らせてもらうから・・・」
「ダリアちゃん、それはダメよ」
口を挟んだのは、戻ってきたマーゴだった。
「貴方にとって酷だとは思うけれど、このことを話さないままではいられないと思ったの。ナナちゃんには私からお願いしたのよ」
「・・・」
両手で支えたトレイに三人分のカップを載せてやってきたマーゴが、雑談のように言う。
その諭す言葉に、ぐ、とダリアは顎を引いていた。
「ハーブティーを淹れたから、これを飲んで少し落ち着いて頂戴・・・飲み終えるまで、聞き流すだけでもいいわ」
先生などと呼ばれる所以はそういうところなのだろうな、とナナは思った。
間違いなく気に食わないが、かといって正面から歯向かうのも忍びないか、大人げない。
そう思わせる言葉の魔力というものをマーゴはよく知っている。
結局、湯気が立ち上るカップをダリアは十数秒近く睨みつけていたが、やがてゆっくりとソファに再び腰を下ろし、元の姿勢に戻っていた。
一拍の間を置いて、ナナは話し始めた。
「彼女・・・氷上メルルは、僕らをこの島に拉致監禁した機関の協力者・・・大魔女を探していた、黒幕だった。そうだよね」
「・・・」
ダリアは答えない。
「彼女は不老不死に近い存在だった。いつからかは分からないけれど、魔女裁判のための人数が集まるたびに彼女はその中の一人として紛れ込み、暗躍するようになった」
ナナは合間にハーブティーを啜りつつ、本当に一人で話を続ける。
「僕らの時にもいたよ。氷上メルルは、気弱で、争いが嫌いで・・・どんな些細な傷でも癒そうとしてくれる、優しい子だった」
一瞬だけ、ナナはダリアの方を見て。
「そうだよね?」
「・・・そうよ」
初めて、彼女が頷いた。
探偵業をやっていると、人の心の機微というのは多少なり分かる。
難儀なものだ、とナナは思った。
「それなら話しやすいね。氷上メルル・・・メルルさんは、ずっと変わらなかったんだろうね。ダリアさんの頃も、僕の頃も、多分最後までずっとメルルさんは、メルルさんだったんだと思うよ」
「・・・」
また黙ってしまったダリアは本当に、可能な限り聞き流そうとするスタンスのようで。
ナナはだんだん自分が草木か鉢植えに話しかけているような気分になってきたが、仕事上こういう手合いと話すのも初めてではない。
「僕
ぎり、と奥歯を軋ませるような音が聞こえた。
「ぎりぎり収監中に彼女が黒幕だとは気づけたんだけど、その時にはなんというか・・・もう手遅れでね。協力できる仲間が誰もいなかったんだ」
肩をすくめてみせるナナ。
「看守に捕まって、為す術もなく処刑台に送られたよ」
ナナとしてもあまり思い出したくない記憶だった。
平気そうに語ってみせているのはその実、その裏側で割と無理をしている。
しかしその分、ダリアもこれに苛まれているのだろうと共感することが出来る。
ナナはその時のことを思い返し、ダリアに伝えておきたいことがあった。
「ただ彼女はしきりに・・・ごめんなさい、と言っていたんだ」
氷上メルルは黒幕で、少女達を欺いて、その全てに絶望を与えてきたが。
一方で、その彼女達を可哀想だとも言っていた。
なれはてる寸前にナナが見た光景も、目尻に涙を浮かべてこちらを見つめるメルルの姿だ。
「彼女は大魔女に会うために僕らを使った。そのことは、僕は許せないけれど」
探偵業なんかをやっていたから、と前置いて。
「きっとあの時のごめんなさいも、確かに本心だったとは思うんだ」
ダリアが僅かに身じろぎをしたのを注意深く見やりながら、ナナは問いかける。
「きみの時も・・・きっと、そうだったよね?」
果たして。
「・・・そうよ」
再び頷いて垣間見えた、牧島ダリアの瞳の内には、今は。
焼けつく憎しみに混ざり合うように、それと同量の悲しみが揺蕩っているように見えた。