ご満悦のマーゴの様子に一つ溜息をついてから、ナノカは物理的にも歩み寄ってくる。
傍まで来ると、その肩越しにマーゴの手元へ視線を落としていた。
「それで、何を書いているの?」
「現代学のカリキュラムと、カウンセリングのスケジュール表よ」
「・・・すごい密度ね」
ひらりと翻して見せたそれを眺めて、ナノカが心からといった風に呟いた。
魔女因子がなくなったことで、この島の事情は大きく変化した。
そのうち最も影響が大きかったのが、この牢屋敷にかつて囚われた少女たちが現代に蘇ったことである。
それ自体は喜ばしいことと言えたが、彼女たちにとって、そして自分達にとっても、それでめでたしではなかった。
まずは長期間凍結保存されていたことによる身体能力の衰えを取り戻すリハビリに始まり、生きていく上で最低限の現代知識の学習。
そして何より、傷つけられたメンタルを癒す必要があった。
「もう少しで
「・・・卒業。言い得て妙ね」
少女たちはそれらのリハビリを終え、ある程度の心の平穏を得られた者からこの島を出て、社会復帰を目指すこととなっていた。
牢屋敷は充分広いとはいえ、今の人数ではいくらなんでも過密住宅になってしまっているので、徐々に減っていく見込みだというのは正直有難い。
しかしその計画は、ある程度予想していた通りではあったものの、かなり遅れていた。
「やはり数十年も昔の子たちに、現代の電子機器の扱いは難しいのね」
「それもそうだけれど、やっぱりメンタルケアかしらね」
なにせ少女たちはかつて、殺意を暴走させた魔女となる運命に怯え、実際にその状況に陥ってお互いを疑い合い、騙し合い、そして殺し合った仲なのだ。
マーゴは普段から浮かべている微笑をそれとは少し違ったものに変えて、小さく呟いた。
「なれはてになる前に殺されてしまった子・・・その子達と仲が良かった子達が特に、ね」
この島に囚われた少女たちは延べ数百人にも上る。
それは地下に囚人名簿があり、自分達の囚人番号が連番で600番台だったことからも明らかだ。
しかし冷凍保存された状態から蘇ることに成功したのは、その中でもごく一部だった。
まずその道を辿ることができたのは、島で過ごす内に心を病み魔女因子を暴走させたか、あるいは魔女裁判にて処刑され、なれはてへと変じた子だけ。
その過程で、魔女になることなく被害者側になったであろう者達は、既にこの世に居ない。
また長く氷漬けだった状態から突如として不死性が失われたので、その希望はあったにも関わらず、残念ながら蘇生に失敗した子もいた。
この監獄島の在り方を大きく変えた当事者である今期の面子、つまり自分達のように「問題が解決したら全て元通り」とはいかなかったのである。
むしろ蘇ることに成功した子達の方が「殺した」か「殺していないのに疑われ処刑された」のどちらかを経ているということもあって、根深い闇を抱えているように思えた。
「ままならないものね」
彼女達の傷は、果たして癒えるかどうか分からないほどに、深く、痛々しい。
年齢がほとんど変わらないマーゴの、付け焼刃でしかない似非カウンセラーの助言すら必要とするほどに。
「・・・本当は、専門の資格も無いのにそんな真似をするのは危険なのだけれどね」
「そういうもの?」
「貴方も
思い当たるところはたくさんあったと言わんばかりに、ナノカは唇を噛んでいる。
「それに今となっては、誰が死んだ殺したの話でしょう?悪戯にそれっぽいことを言って逆に話が拗れたら、正直、私は責任を持てるかどうか・・・かといって、本業の人を呼ぶわけにもいかないものね」
今はマーゴがそういう心の機微について通り一遍を学んだことがあり、また【最後の十三人】として少女達から一目置かれていることもあって、なんとかまとまりがついている。
・・・中には既に滅んだ国のお姫様がどうたらという凄まじい素性の少女も居るので、油断がならないのだが。
一息つけるのはいつになるやら、とマーゴが肩をすくめていると、ナノカが言った。
「私にも手伝えることがあるなら、なんでも言って」
「・・・ふうん、私にそんな安請け合いなんて、良いのかしら?本当に?」
「・・・訂正、私がやってもいいと思える範囲に限るわ」
地下で同室だったナノカは、マーゴの趣味趣向をよく知っていた。
残念、とマーゴは大袈裟に肩をすくめてみせた後で、真面目な顔をして言う。
「でも、そうね。あなたのお姉さんと、その同期の子達絡みで頼ることはあるかもしれないわ」
「ん・・・分かった」
「ごめんなさいね。貴方達にはお互い、取り戻したい時間があるでしょうけれど」
「いいえ。そこがそのままでは、きっと私達も帰れないから」
今はまだ此処に残っているが、落ち着いたら姉と共に島を出る予定とのことだった。
そしてその姉にも、そしてナノカ自身にも、まだ傷は残っている。
ならば彼女にとってもそれは、決して他人事ではない。
当事者意識を持ってもらえているだけでも良かった、とマーゴは頷く。
ただそう考えていると、逆にナノカの方がそんなマーゴを心配そうに見やる。
「なんにせよ、背負い過ぎないで。貴方だって本来は同じ立場の一人でしかないはずよ」
「それはそうだけれど、ヒロちゃんに頼まれたことでもあるもの・・・」
「別に、彼女の責任感まで引き継ぐ必要はないでしょう」
「ふふ・・・ありがとう。やっぱりナノカちゃんは優しいわね」
「・・・どうも」
ナノカは呆れたように言って、手に取っていたスケジュール表を突き返してきた。
受け取って、マーゴは頷く。
「お言葉に甘えて、今日はキリのいいところで切り上げて、眠ることにするわね」
「そうして」
「それとも、ナノカちゃん・・・久しぶりに一緒に寝る?」
「・・・誤解を招く言い方ね、同室だっただけでしょう。お断りするわ」
「つれないわ」
付き合いきれないとばかりにナノカは身を翻して、その場を去ろうとする。
机に視線を戻し、マーゴはひとり肩を揺らして笑っていた。
すると、その背に彼女が一声かけてきて。
「それじゃおやすみ、
マーゴはおもむろに振り向く。
沈黙。
「・・・・・・・・・・・・・おやすみなさい、宝生マーゴ」
「ええ、おやすみなさい、黒部ナノカちゃん♡」
にっこり笑って手を振り返すと、ナノカは努めて無表情を装ったような風で頷いた後、今度こそ逃げるように部屋を出ていくのだった。