「広いのに、私物が少ないね?」
これは自他共に認める探偵の悪癖だった。
他人のパーソナルスペースに踏み込めて早々、まずは出来得る限りの情報を収集しようとしてしまう。
流石に無暗に触ったり物色しては無礼にもほどがあると分かってはいたので視覚によってのみながら、ナナはそんな感想を吐いてしまう。
対してダリアはそれぐらいは覚悟していたのか、それともそうしたことにはさほど頓着しないのか、反応は薄く淡いもので。
「元からよ。それにさっき話した同居人の物が多かったから」
そう言って視線をやるのは、恐らく室内で分けていた個々人の居場所なのだろう。
部屋のど真ん中は空いていて、もとからあるゴクチョーの置物だけがぽつんと一つ。
一方で唯一ダリアのものと思しき藤色のクッションは随分と隅っこの方に除けられていた。
ほんの少し思う所はあったのか、彼女はぽつりと呟いた。
「場所、ほとんど譲っていたのにね」
「さっきの、出ていったって人の話?」
肯定の代わりに、彼女は微かに鼻を鳴らして笑ったようだった。
そして再び視線を落とし、つまらなそうに言う。
「ここにいると気が滅入るのは私も一緒よ」
「今僕がいるから?」
「それはそう」
そっちに深く頷く仕草につい笑いそうになったのを噛み殺していると、ナナはふと気がつく。
ダリアはただ顔を伏せているだけではなく、ある一点を見つめているのである。
それを追って、何があるのかに気がついたナナは納得した。
そこにあるのは、ゲストハウス3棟の中で水精の間にしかない、ある仕掛けが隠されている場所だった。
今は立ち入り禁止になっている、地下空間への通路。
気づかれたことに気づいてか、ダリアは努めて感情を薄くしたような瞳をナナに向ける。
ナナはちょっと不安になって訊く。
「・・・こっそり入ったりしてないよね?」
「してないわ・・・していないけれど、時々気になるのは仕方のないことよね」
あまり点検されていなさそうなエレベーターや冷凍保存室、果ては処刑台の操作盤などという物騒なものが数多くある場所なので、ちゃんとした理由のある立入禁止なのだが。
彼女が気になるのがそれらではないことは、ナナもすぐに察した。
もう一度そちらに目をやって、ダリアは言った。
「きっと私が・・・そして、あの子が一番長く居た場所だから」
「・・・そうだね」
あの子とは、ナナがダリアと話した事柄の中で、未だに多くを占める相手。
彼女の過去に深く傷跡を残した少女、氷上メルルのことだった。
今度は彼女が自らその話題を口にしたことにもどこか妙な感慨を覚えながら。
ナナは出し抜けに言った。
「今もメルルさんのこと、好きかい?」
そして問われたダリアはこちらに顔を見せないまま、少しの沈黙の後に、肩をすくめて。
「・・・さあね」
Who knows?
それは普段は、探偵が耳にしたら深掘りせずにはいられないフレーズだった。
知った事かと返されたら、いいや君は知っているはずだと問い詰めるのが性分だからだ。
けれど、数段前提をすっ飛ばしたナナの問いにも、あえて突き返さずにそう応じたダリア。
そして本来はぐらかす意味合いであるはずのその言葉を返した彼女の、その内にどんな想いが渦巻いたのか。
それをナナはなんとなく察したのだった。
ナナは数瞬考えた後で、それ以上問うことなく、代わりに少しだけ話題の向きを変える。
「・・・改めて、この間はごめんね。無神経だったと思ってる」
「別に。慣れたわ」
心の底からどうでも良さそうに言う彼女の態度に苦笑しつつ、ナナは先を続けた。
「無神経ついでに、その話の続きをしてもいいかな」
「・・・」
絶句。
流石に振り向いたダリアは「本当にコイツ」という顔をしていたが、ナナはその呆然をこそ隙と捉える。
だって、あの時の彼女には言うだけ言って逃げられてしまったのだ。
そしてナナもまた、その時は己にも突き刺さる彼女の言葉に悩み、どう返すべきだったのか分からないでいた。
けれど今は、その返答を持っている。
「僕らは今もなれはてだって、君は言ったけどさ」
「私まだ続けて良いなんて言ってない」
「まあそう言わずに」
だんだん彼女の瞳に怒りの炎が戻ってきているのが見えたが、ナナはむしろそちらの方が話しやすいような気がしていた。
「君が言った僕らの成れの果てっていうのは、人生の行き止まりって意味だと思うんだ」
ナナの見解を聞いて、ダリアはそれを遮るタイミングを逸したようだった。
その言葉は、理解されることを拒んでいた当時の彼女が吐いた中で唯一の、己の心情の吐露だったから。
「魔女に成り得た存在、そして既になってしまったその運命に、弄ばれ、傷ついた者達の・・・袋小路」
「・・・確かに、そういう意味で言ったわ」
「それなんだけどね、ちょっと気が早いんじゃないかな?」
あえてあっけらかんと言ったのは、は?という反応を引き出したいが故だった。
いきなり彼女に分かるように言ってしまっては、今度こそ激昂されて部屋から叩き出されかねないようなことを、ナナは言うつもりだったからだ。
「君はこれからも生きていくし・・・大体君は、というか僕らは、みんな十五歳前後。まだまだ成長途中なんだよ」
「・・・」
「その間に・・・どれくらいかは分からないけれど、きっといつか、君の傷は癒える」
彼女がそれを否定しなかったことを、ナナは嬉しく思う。
それならまだ、希望はある。
「・・・いいや、君にはこう言うべきなのかな。
「・・・」
彼女は何も言わなかった。
ただ顎を引いて、彼女にとっては余計なことを口にし続けているナナを、少し恨めしげに見ていた。
「内心では分かっていたんだよね。じゃなかったら、そこで前みたくキレてただろうし」
「今キレていい?」
これは完全に軽口だった上に彼女にもそれを見破られたので、視線だけで殺せそうな形相でこちらを睨んでくるダリアには両手を挙げて降参の意を示す。
けれど、彼女への言葉を口にするのは止めない。
「忘れるべきだなんて言わないよ。けれどその心の傷はいつか癒えて、過去のものになる・・・それはね、悪いことじゃない。哀しいことでもないよ」
逃げ道を塞ぐような言い方をナナは選ぶ。
自ら暗い場所へ落ちていこうとしていく、そんなダリアの悪癖を見抜いていたが故に。
「その記憶は苦くて、寂しくて、思い出すたびに嫌になってしまう事かもしれないけれど・・・きっとそれでも、
ダリアはもう口を挟む気はないようだった。
ただ、まだそんなことは想像なんかできないのに、と訴えかけてくる瞳。
けれどナナもまた、そんな今だからこそ言う必要があると思っていた。
「君の心の傷は、死に至るものじゃなかった。それは君にとって幸いなことなんだって、思って欲しいな」
たとえ今は思えなくても、と。
己の傷よりも先にこの言葉を思い出して欲しい、という願いを込めて。
「だから君は、なれはてじゃない。繊細で傷つきやすい、一人の女の子だよ」