聞き終えて、言い知れぬ感情に襲われたダリアはすぐに目を逸らしていた。
しかしその視線の先は地下のある床にではなく、月明かりの差し込む窓の方で。
ナナの言葉を飲み込むには、二十秒ほども沈黙する必要があった。
「・・・私達が目覚めて間もない頃のことだけれど」
そしてその後で、ゆっくりと話し始める。
「自殺未遂騒ぎがあったこと、覚えているかしら」
「・・・もちろん」
視界の端で、ナナはやや身構えるような顔をして頷いている。
それは共同生活が始まってから今までを通しても、最も繊細に触れられる話題だった。
冷凍保存状態から解放され医務室に運ばれていた少女達のうち一人が、現状を理解するやいなや、治療用の器具だったらしい刃物を手に取って自らの命を絶とうとしたのだ。
しかしその行為は実際には、筋肉が衰えていたためにほとんど力を込められずに浅く皮膚を切っただけで刃物を取り落とし。
それを拾おうとする間に、その暴挙に気づいた人物によって取り押さえられ、失敗したのだった。
ダリアは当時の、その手を振りほどこうとして暴れていた少女の悲痛な声を思い出しながら言った。
「あの子の気持ちはよく分かるわ。攫われて、殺し合って、化け物になって・・・目が覚めて、夢だったのかもなんて思った矢先に、親も友達ももう居なくて、帰る場所はないなんて聞いたらね」
「・・・そうだね」
それは目覚めた少女達のほとんどが受けた仕打ちで、そこに貴賤はない。
それゆえに、衝動的に自殺を図った少女のことを少なくともダリアは、そして恐らくナナもまた否定できはしなかったし、あの場にそれが出来る人間は居なかった。
たった一人、彼女の手首を掴んでそれを止めさせ、真正面から説得した少女。
二階堂ヒロを除いては。
「あの人の言っていたこと、覚えている?」
「うん。僕らにとっても無関係じゃない言葉だったしね」
ダリアが訊くと、頷いてナナは、流石というべきか流暢にその記憶をなぞり始めた。
『自殺という行為は正しくない・・・が、今の君にそれを言える人間はここには居ない。私がそれを肯定できなくても、言える立場ではないのだとは思う』
もはや抵抗の気力すら失せ、掴まれた手でぶら下がるようにして地べたに座り込んだ少女を見下ろしていた、二階堂ヒロ。
その顔が、ともすればその少女以上に悲壮に見えたのが印象的だった。
『だが君の死を望む人間もまた、ここにはもう誰もいないんだ。少なくとも私は君の死を望まない・・・もう誰も、死なせはしない』
力無く項垂れていた少女が、その時にはゆっくりと、ヒロのことを見上げていて。
『少しだけでいい。少しだけの間、ここに居る皆と一緒に過ごして考えてみてはくれないか。日々を過ごして、各々の考えがまとまって、君がそれでも・・・君自身の終わりを望むのなら、私は君の決断を尊重する』
それがむしろ吐いた本人にとってどれだけ重たい言葉だったか。
などということは、ダリアたちは知らなかった。
「あれを聞いていたときの私は、正直・・・馬鹿馬鹿しいって思った」
「本当に正直だね」
「だって、それが正しいかどうかなんて知ったことじゃないわ・・・よく知りもしないくせにって私は思ったし、あの子も、周りの似たような子たちもみんな思ったはずよ」
それでも結局、それからそうした出来事は二度と起きることはなく、当事者だったその子もまた、未だここで過ごしている。
「でもあの騒ぎがなかったら、今頃は私も死んでいたかもね」
「・・・悪い冗談だ」
「そうね」
肯定して、嘯く。
そして今一度、ナナの眼を見据えて、ダリアは言った。
「そして・・・そして今日、あなたにそう言われていなかったら、結局いつかは死んでいたかもしれないって、そう思うわ」
「・・・それはヒロさんのと同じくらい、僕の説得が心に響いたということで良いかな?」
「いいえ」
きっぱり否定されて口を閉じたナナに向けて。
「人の内側にずけずけ踏み込んでくる探偵の知ったような口にムカついたからよ」
いかなる拒絶も涼しげに受け流していた彼女も、この期に及んで面罵されるとは流石に思っていなかったらしく、今度はナナが絶句する番だった。
ダリアから見て、その顔は少し愉快だった。
「私はもう人を信じない。裏切られたくないから、もう誰かと関わりたいとは思わない。貴方達の口から出ることは全部くだらないって思う」
「そん・・・」
「私はあなたが嫌い。二階堂ヒロも宝生マーゴも黒部ナノカも氷上メルルも、みんな嫌いよ」
「えぇ・・・なんでそんな、わざわざ敵を作るような事を・・・」
さしもの彼女もげんなりしているようだったが、ダリアは肩をすくめて先を紡ぐ。
「でも・・・でもね。貴方達が吐いてみせた言葉そのものは、嫌いにはなれないみたい」
たとえ嫌いな人間の言葉でも、ただの気休めにしかならないような綺麗事でも、それを耳にした自分自身は下らないと思ったはずなのだとしても。
確かにそれで、自分の心の内は少し変わったのだから。
「・・・・・・そっか」
ナナがちょっとだけ安心したように頷いてみせるので、ダリアも目を細めて。
彼女に返してやれる言葉は、今はそれだけだった。
これ以上を打ち明ければ、多分また彼女は調子に乗って腹立たしいことを口にし始めるから。
「さあ、お話はおしまい。早く帰って寝なさい」
「え、いやちょっと」
ダリアは唐突に歩み寄って、ナナの肩に両手をかけて少し押しやる。
そして有無を言わさず、彼女をゲストハウスから追い出しにかかる。
ナナは虚を突かれたせいか、それまでの余裕げな態度は崩れて普通に慌てていた。
「あなたの気障な台詞はもう聞き飽きたのよ」
「流石にひどい!」
「本当に眠いのよ」
それも嘘偽りない本音だったが、言ったあとでダリアはひとつ、付け加える。
両手で押したその背中に向けて、小さく呟くように。
「けど、こんなに嫌われて、ひどいことを言われてもまだ、私と話したいって言うのなら・・・また明後日にでも来なさい」
一瞬ナナの抵抗が止まって。
「・・・明日じゃないんだ」
「連日あなたと話すとノイローゼになりそうだから」
「ひどい」
そんなやり取りをしている間に、そのまま外に出されたナナ。
彼女は不満そうに振り向いて、しかし口端は笑っていた。
「・・・それなら、また来るよ。おやすみ」
「せいぜい風邪をひきなさい」
「ひどすぎる」
結局ナナははっきり苦笑して、帽子を取って一礼などしてみせて。
後腐れなどなにも無いかのように軽やかな足取りで、その場を去っていった。
対して仏頂面で、無言でそれを見送って、その背中を眺め。
「おやすみなさい」
そしてダリアはその時、この牢屋敷で目覚めてから、初めて。
微かに笑みを浮かべたのだった。
「・・・大嫌いな人」